回収依頼8

 ネルは何度目になるか分からない特大の溜息を吐くと器に残ったスープを飲み干した。腐敗を防止するために入れられている苦みと清涼感を併せ持つ薬草の味は、辛うじて残っている程度のくず野菜や動物性油脂の旨味を完全に殺している。その酷い味に慣れかけてきた自分は漸く一人前の冒険者になることが出来た。そう、先ほどまでは思っていた。


 冒険者として迷宮に潜り、魔物を狩りその死体を生活の糧にする。その魔物の死体から更なる魔物狩りの道具を生産し、以下堂々巡りを繰り返す。時にはポーション等という奇跡とも呼べる薬を生産することもあるが、一般的な商店に並ぶことは稀だ。

 

 冒険者という非生産的な職業は一般的な生活を営む人間からは見ると控えめに言っても立派な社会不適合者だ。そのことをネルはしっかりと自覚をしている。


 迷宮へ入った者は、その瞬間からこの国の一切の法にも縛られない。但し、迷宮を出た時点で確固たる証拠のある迷宮内での犯罪行為は定められた法によって裁かれることになってはいるが、とても単純で抜け道の多いルールは勿論争いの火種を日々産み出し続けていた。


 ネルはある依頼でシグ率いるアニー、ウィルとパーティーを組んで以来この町の裏側の仕事に触れることが多々あった。その中の一つが冒険者狩りと呼ばれる行為だ。それは露呈すればギルド資格や財産を没収され場合によっては極刑を言い渡されることもある重罪行為だが、悪辣な手管、手段を用いることでその証拠を証明することが困難にすることも出来てしまうためその手の知識に長けた者たちであれば拍子抜けをするほどあっさりと迷宮管理の門を出ることが出来るのが現状だった。


 裏を返してしまえば、この国は迷宮内でのいざこざには積極的に介入をする気がないということだ。冒険者という社会不適合者の命より魔物の死体という未知の素材の価値を重く捉えているということであり、そしてそれを一番強く望んでいるのは国というシステムすら飲み込み始めた、強大な金と権力を持つ薬師ギルドに他ならなかった。


「それにしても転移の巻物スクロールか」


 ネルは無意識の内にそう呟いていた。その存在はある程度の実力を持った薬師であれば知っているものの、実際にその巻物スクロールの力が解放されるのを見たことがあるのは稀だろう。事実、薬師ギルドでもその情報公開は制限され、限られたものにしかその作成法や使用方法は伝えられない『秘伝』とされている。


 指定した座標へと文字通りに『転移』する転移の巻物スクロールは、その効果を考えればあまりにも危険すぎる存在だった。何せ暗殺を行うことが目的であるならば、座標を指定することさえできれば自らを暗殺対象の元へ一瞬に『転移』することが出来たり、その逆に対象を指定された場所へと『転移』させてしまうことが可能だからだ。


 尤も、その使用方法は然るべき手順を踏まねばならないものであり、気軽に運用を出来るものではないのだが、そのことを大多数の低層を探索するだけの食い詰め冒険者では知る由もなかった。


 そのような大それたものを使用したあの剣士は、きっとまだ自分たちでは手を出してはいけない存在だったのだろう。少なくとも、報酬に目が眩み手を汚した浅慮な冒険者であったとはネルには考えられなかった。


 何時しか人命を奪うことに慣れ、迷宮の魔物たちと変わらぬ行動を取り始めた自分たちは何時しか同じようにその命を刈り取られるのだろう。


 そのように人間性を失いかけてきた頭の中でも理解はしていたが、それが実際に自分に振りかかることなどは無いのだろうと、何処かで楽観視をしていた先程までの自分を殴りつけてやりたいところではあったが、少なくとも自分は初心者ニュービー二流マイナーではない。そんなことを後悔する暇があるならば生き残るためにこれから高確率で起こるであろうことにネルは思考を切り替えた。


 第六層は冒険者を「処分」するには都合の良い場所だ。


 初心者ニュービー二流マイナーといった冒険者の姿は少なく、深層の帰りに酒代を稼ごうと養殖を行うことが出来るような達人マスターの称号を持つ冒険者であれば金にもならないトラブルには首を突っ込みたがらない。仮にその行為を目撃し、報告を行っても長時間にわたる衛兵の取り調べに付き合った場合でも得られるのは僅かばかりの恩賞金と疲労感、そして恨みだけだからだ。


 そのため、ここを抜けることが出来れば地上に生還できる可能性が高まってくる。


 流石にこれより上の層ともなると絶対的な冒険者の数が増えてくるため、行為の内容によっては複数の報告が集まりルールに抵触してしまうだけの証拠が集まってしまう恐れがあるからだった。


 それが分かっているならば、幾らかでもやりようはあるだろう。迷宮を抜けた後は暫く身を隠し、泥水を啜ることも受け入れなければならないだろうが、死んでしまうよりは遥かにましだ。


「おい、ネル」


 思考に沈んでいたネルに不意にアニーが声をかけた。


「準備は済んだのかい?」

「とっくに終わってるよ。それよりも変じゃないか?」

「うん?」

「シグの見回りが長いのは何時ものことだけど、ここは魔物の気配がしなさすぎる。何処かで魔物の一匹でも現れても良い位の時間が経っているじゃないか」

「ふむ」

「魔物なんて暫く狩っていないから忘れていたけどさ、ここは下等悪魔レッサーデーモンが出現する階層だろう?あいつらの気配が一つもしないってのはおかしくはないかい?」

「ああ、そういえば」

「もしかしたら小物辺りはシグが狩っているのかもしれないけど、あいつらの気配を全く感じないっていうのもさ」

「……わかった。少し調べてみよう」


 手斧をくるくると回しながらアニーは一度だけ頷くとシグの出て行った通路を睨みつけている。その体から漂っているのはすでに戦闘の気配だ。彼女はネルにああは言ったものの、すでに何かが起こりだしていると確信をしているようだった。


 ネルもアニーの言葉に言いようのない不安を感じた。直観に優れる彼女の言葉には何度も助けられている。そんな記憶を思い出しながらネルはベルトに差している薬瓶に手を回してから小さく一度舌打ちをすると、リュックの元まで戻りその中からやや大きめの薬瓶を取り出す。そしてその中に入っている透明な液体を少量床に振りかけた。


 すると、床に落ちた液体は激しい音を立てて蒸発する。


「感知薬が蒸発するほどの魔力が撒かれている……!」


 小さく呟くとネルはアニーが睨みつけている通路の先まで小走りで近づくと、通路の先にも手にした感知薬を振りかけるが起こった現象は同じだった。


「アニー。シグを探しに行きたい。もしかしたらもう嵌められているのかもしれない」

「あんたのやってることはよくわからないけど、そうしたほうがいいだろうね」

「誰かがここにいたってことだよ。馬鹿みたいに高い魔力薬を使ってまでね」

「それで?」

「嫌な予感がする。他の玄室でも一応確かめておきたい」

「わかったよ。念のため私の後ろにいな」

「了解」


二人は短くやり取りをすると手早く荷物を片付け、アニーを先頭にシグが進んでいったと思われる通路の先へと進んで行った。

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