枯れた桜と人斬り幽鬼

九尾ルカ

枯れた桜と人斬り幽鬼

 立ち並ぶ木々は若草に色付き、満開の花々は昨晩の雨でほとんどが散ってしまった。

 あれほど鮮やかだった桜は葉桜をすら通り過ぎ、今や一面に薄緑の絵の具を散りばめられている。



 生命の息吹を強く感じる春の色。

 頬を撫でる風も相まって、いよいよまた季節の廻(めぐり)が始まるのを告げているかのようだ。



 背丈の低い若草の絨毯は一面に広がり、その上を藍色の着物を纏った男がゆらりゆらりと歩き行く。有様、足運びはしっかりしているのに不思議とどこか浮いているかのようだ。



 銀色とも灰色ともつかない瞳は眠そうに細められ、顔には深い皺がいくつもある。

 老いを感じるその外見でこそあるが、幾人かに聞けば九割は色男の類と答えるだろう。

 不思議な足取りのまま、彼は一本の――立ち枯れになっている――桜の前に立った。



 否。



 桜の前に座る一人の少女の前に立つ。




「よう、桜花。今年で何回忌だっけか?」




 胸の前で刀を抱くように座る少女は、艶やかな黒髪が地面に付くほどに長い。

 見目こそ美しいが左片の目には古い縦創、刀を抱く腕は一本で目と同じ側が欠損している。

 局部こそ見えないが胸元の大きく開けた着物から覗く肌には、大小様々な創が幾つも残っている。




「桜骸(おうがい)と呼べと……幾年言えばその足りぬ頭に入るのだ幽(かくり)」




 鮮やかな紅色の瞳にはしかし生気を感じられる光はなく、虚ろな灰色だが爛々と光を宿す幽のソレとはまるで対称的だ。




「そりゃお前が小娘じゃなくなったらだな」



「肉体は兎も角、齢で言えば既に小娘などと呼ばれるような」



「バカ言え。齢で言うなら俺にゃいつまで経っても追い付けねぇだろうがよ」



 舌打ちが聞こえた。

 幾十、幾百年の付き合いだが彼女には嫌われている。

 嫌われているらしいではなく、嫌われている。

 なにせ幽は桜骸の眼と腕……そして両親を奪った仇なのだから。



「……千だ……」



「あ?」



 ぽつりと、桜骸が呟く。

 俯きがちな目で、見ようによっては上目遣いとでも言うのか。

 尤も、そこには媚びるような様子はない。忌々しそうで、怨めしそうで、そして今にも斬りかかりそうな雰囲気を揺らぎ立たせる。



 肌を撫でていた心地よい風は止み、木の葉の音すら聴こえない一切の無音。自分の心音に押し潰されそうなほどの静寂だ。



「あー……そうか。今日で千の歳月を経たのか……」



 桜骸の向ける殺気などまるで意に介さぬかのように、藍色の男は頭を掻きながら彼女へ背を向けた。



「なあ桜花よお……そろそろ、桜の守なんて物やめてもいいんじゃねぇのか?」



「何だと……」



「お前が守っているのは何だ? その立ち枯れた桜か? それともその下に眠る手前の両親か? 桜の骸で桜骸……ハ! 笑わせるぜ。死にもしねぇ内から――」



「口を閉じろ幽」



 首に冷たい感触。

 幽の背後にはいつの間にやら刀を抜いた桜骸が立っていた。

 座っていたはずが気配すら遅れて来るほどの早業。



 誰に問おうとも、彼女には桜の守を名乗るだけの技量は備わっている事だろう。

 それだけに、幽は大きなタメ息を漏らさずにはいられなかった。



「甘ぇなぁ……」



「何?」



「俺は仇なんだろ? 何でそれを振り抜かねぇ? 何で咲かせねぇ?」



「それは……」



 殺気、敵意は感じるが殺意を感じられない。

 たった今、この場で首を跳ばしてもらえたならばどんなに楽だったことか。



「それはまだお前が疑っているってことだ。あの日から千の歳月を経た今日ですら、実は幽は犯人ではなかったのではないか? あるいは、何か理由があっての事だったのではないのか? ってな」



「…………だろ……」



「あ?」



「当たり前だろう! お前と父様と母様は親友だったじゃないですか! かつての日に、この私も遊んでもらった事もあります! そんなお前が! 貴方が! あんな……あんな……」



 幽は頭を掻く。

 やりづれぇなと。

 ガキの相手は相変わらず苦手だ。そして、背後から震える手で刀を向けるこいつはガキのままだ。



 幽は首の皮を刃が裂くのすら気にせず踵を返す。

 そして懐から一枚の地図を取り出し、桜骸の前に差し出した。



「三月後の……そうだなぁ、七月六日の夜。その地図に印をした場所に行ってみろ。お前の知りてぇ事が大体分かるはずだ」



「…………わかった」



 刀を納め、地図を取ろうとした矢先に、幽はそれを引っ込めた。

 また舌打ちが聞こえた。

 が、茶化すでもなく幽は真面目な声音、目付きで続ける。



「ただし。そこで何を知ろうと、翌、七夕の夜に此処へ……俺を咲かせに来い」



「果たし合いの申し出か? ならばその日と言わず……あ痛!」



 縦の手刀。

 現代風に言うならチョップ。



「な、ななな! 何をするんですか!」



「うるせぇ! こちとら首のこの辺ちっと咲いてんだよ! 血で着物が汚れたらどうしやがる!」



「今から果たし合いをするのだからそんなもの……痛い!」



「今からじゃ駄目だから叩いたんだろうが! てっめぇやっぱり小娘だな!」



「うううう……!」



 叩かれた頭に手を置きながら、桜骸は若干涙目で幽を睨む。

 幽は地図を桜骸の着物の胸元にねじ込むと、今度こそ振り向いて歩き出した。



「エロジジイ」



「何とでも言いやがれクソガキ」




         ◆




 とある喫茶店。



 眼鏡を掛けたスーツの男は、呆れたような様子で目の前のソレを見ていた。

 相席しているのは藍色の着物の男……言うまでもなく幽である。

 幽の前には四種類ほどのケーキが並んでおり、それを箸で器用に口に運んでいた。



 一方、男の前にはコーヒーカップと厚切りの食パンと目玉焼き。小皿のサラダに加えて、皿の隅には申し訳程度に添えられたベーコンが2枚……モーニングセットである。



「西洋菓子も美味くなったなぁ……まあ、昔から嫌いじゃなかったが」



 上機嫌にケーキを箸で食べる幽の姿は、まあ着物の姿という事を除いても非常に浮いている。

 正直、長いこと相席はしたくない。



「こんな朝から僕を呼んでおいて、やることは男二人で優雅な朝食かい?」



「おいおい、冗談はよせよハクタク。男と二人でなら百歩譲って許せるが、てめぇとだけは御免だ」



「君、自分が僕を呼んだっていうの本当に理解してる?」



 スーツの男の名前はハクタク。かの神獣と同じ名だ。

 いや、まあ本人……本物なのだが。

 彼もまた幽や桜骸と同じく永い時を生きる存在だ。

 二人と明確に違う点いえば、ハクタクだけは各時代の人の暮らしに順応し、当然のようにそこに溶け込んでいることだろうか。



「さて」



 箸をまとめて置き、幽はテーブルの上で手を組んだ。そして灰の瞳はゆっくりと細められる。



 静。



 賑やかとは言えずとも周囲には音が溢れていた。

 が、幽の雰囲気の変化と同時に彼等二人の間だけが全くの無音となる。

 いや、雑音など気にできないほどの緊張感が二人の間に張り詰めたと言う方が正確か。



 桜骸には見せもしなかった本気の様相。

 ハクタクも息を飲む。

 目の前の男は間違いなく、かつて桜の守を葬ったあの人斬りなのだと再認させられる。



「まあそう構えるなよ。何も今から手前を咲かそうって訳じゃねぇんだからさ」



「無理言わないでよ。僕は長いこと生きているけど、君や桜の守みたいに殺し合いの場で生きてきた訳じゃないんだ」



「ハッ! よく言うぜ。まともだったら俺がこうした時点で気絶するのが普通だろうに」



「まあソレに関しては何とも言えないけどね。僕の役柄、誰と対面しても大丈夫じゃないと困るってだけだよ」



 声音も変えずに言い放つハクタクのこめかみには一筋の汗が伝っていた。



「で、本題だ。つい昨日で千年が経った」



「ああ、なるほど」



「たく、話が早すぎて話にならねぇな」



 森羅万象に通ずると伝わる神獣白澤。

 彼に与えられた役とはまさに知識の蔵書……謂わば全てを知る者と言ったところだ。

 当然、幽と桜の守との間に起きた事にも通じており、それ故に幽が気軽に話を持ちかけられる唯一の相手でもあった。



 尤も、先のように言わんとする事を話の最初に掴んで納得してしまうために会話として成り立たず、幽がハクタクをあまり好かないのもそこに起因する。



 ハクタク曰く、


「僕は全てなど知ってはいない。知りたいと思った答えが大元から送られてくるだけだよ」


 との事だが結果は変わらない。

 ついでに難しい話もよく分からない。



「会話という形を取りたいなら付き合うけど?」



「いや結構。まあそういう事だ。約束は満了。だから、あいつに全部打ち明けてくれ」



「ふむ。しかしなんで僕が?」



「手前は何でも分かる割に人の心ってのは分かんねぇんだな」



「生憎、人が家畜の心を分からないように、神獣の僕は人の心なんて分かるようにできてないんだよ」



「一応俺もそっちの類いなんだがなぁ」



「君は人だよ幽。身体や役がではなく、過去に葛藤して縛られるのは人の在り方だ」



 なるほど……と、心中で頷く。

 あらゆる知識に通じるが故にか、ハクタクにとっての現在と過去は所詮、観測している点かそれを記した記録かの違いに過ぎないという事か。



 記録ならば新記録が出る度に更新されるのだから、執着などもしないだろう。

 改めて幽はハクタクをしっかりと見据える。

 その眼鏡の奥に据わる瞳は桜骸以上に無機質で、幽以上に底が知れない。

 嫌な目をしていると、初対面の頃に思ったのも懐かしい。



 ふと気付けば、ハクタクの耳には周囲の喧騒が戻ってきていた。



「七月六日だ」



「随分先にしたんだね」



「夏の方が……桜が綺麗に咲くからな」



 幽は斬る事を咲かせると言う。

 それは咲くと裂くを掛けた言葉遊びと、血飛沫が地面に描く模様が、せめて手向けの花になればとの思いを込めた物。

 尤も、今しがた使った『咲く』は本来の意味……花開くとの意味での事なのだが。



「へぇ!」



 ハクタクが嬉しそうに目を輝かせる。

 なるほど、何でも知っているだけに一を聞いて十を知れない内容は新鮮と見える。



「事が終わった後に俺かあいつ、生きてる方にでも聞きやがれ」



「うん。そうするよ。今から楽しみだなぁ」



「てっめぇ……殺し合い控えてる奴の前でよくもまあ」



「君に対しては殺し合いなんて物気にしないよ。それこそ、植物に気を使ってコーヒーすら飲まないのと変わんないからね」



「わっけ分かんねぇ喩えだな」



 再び箸を取り、幽はケーキを口に運ぶ。

 少し涼しげな朝。

 場違いな装いの男は、知ったことかと好物を頬張るのだった。




         ◆




 梅雨明けから数週間。

 風は熱を包むようになり、不快だった湿気をすら感じない暑さになってきた。

 あの日に受け取った地図を手に桜骸はとある場所へと辿り着いた。



 とことんまで人の神経を逆撫でする。

 その場所はかつて桜の守の屋敷……桜骸の家があった場所だった。 

 すっかりと無人となり手入れもされなくなった庭先を抜け、穴の開いた引き戸をくぐる。



 埃の上には真新しい靴跡があるのを見る限り、何者かがこの先に居るのは明白だ。

 導かれるように足跡を辿る桜骸の脳裏には、この屋敷で過ごした幼き日々が甦る。



 そしてソレは、親の死に目を見たあの部屋へと消えていた。



「失礼する」



 父が使っていた机、蝋燭立て、本棚、仄かに桜の香りのする畳。

 いずれも壊れ、朽ち果てているがかつてのままだ。



「いや、失礼しているのは僕だね」



 室内には身なりの良い男が立っていた。

 西洋の礼服に身を包んだ眼鏡の男だ。

 この廃屋の中を歩いてきただろうに、黒い服には埃の一つすらも付けずに此方へ体を向けている。



「やあ桜花……いや、桜骸と呼ぶべきかな」



 桜骸が名乗るよりも前に、彼女の捨てたはずの名と今の名を呼ぶ。

 なるほど、幽の紹介だけはある。

 まるで信用ならない男だと直感が告げている。



「どちらでもいい」



「では桜花と呼ぼうかな。僕が今から話す内容は、君が骸を名乗るよりも前の……あ、いやすまない。僕の名前はハクタク。以後よろしく」



 言いながら彼は軽く頭を下げる。

 言葉は礼節を弁えた物ではあるのだが、その声音はどこか淡々としており、カラクリじみた印象を受ける。

 人と話している気がしない。

 尤も、桜こそ枯れたがその守である桜骸とて人ではないのだが。



「ハクタク……さん……?」



「僕に対して気を遣わなくて良いと言いたい所だけども、相手を敬える姿勢は尊重すべきだ。是非そう呼んでくれ。ついでに取り繕う必要もないよ。君が普段、無理してそんな話し言葉を使っているのも知っているから」



 幽のように見透かされている様子でもない。

 しかし嘘を言っている訳でもない。



 知っているのだ。



 この男、ハクタクは本当にあらゆる事を知っているのだと直感する。

 大きく嘆息し、桜骸は花と呼ばれていた頃の自分を久しく表に出すことにした。



「じゃあ改めてハクタクさん。幽さんから貴方に会うように言われて来ました」



「うん。改めて桜花。幽から君に全てを話すように言われて来たよ」



 古い書物の頁を捲るように、ハクタクはゆっくりと話始める。

 かつてこの屋敷で起きた惨劇を。



 何が死に、何が呪われ、何を……守ったのかを。




         ◆




 一人の男が屋敷の門をくぐる。

 玄関まで続く砂利道には綺麗に咲く満開の桜が花弁を舞わせ、この陽気にも関わらず雪に降られているかのようだ。

 男の手には土産が提げられ、肩に掛けた白い羽織が靡くと藍色の着物が顔を出す。



「あら、幽さん。おはようございます」



「おはよう。雪華(せつか)さん。相変わらず綺麗だねぇ」



「ふふ。ありがとう」



 庭先で花壇に水をやっていた女性と挨拶を交わす。

 雪華はこの屋敷の主の妻。

 長く美しい黒髪の掛かる、鮮やかな紅色の着物が桜の中によく映える。

 幽が彼女に惚れていたのは、さてもう何年前になるのやら。



 結局、ここの主で幽の親友である夜月が彼女と結ばれ、ついぞその恋は実らなかったが。



「夜月さんを呼んできますか?」



「いやー、俺はあいつに呼ばれて来たからね。ちっと上がらせてもらうぜ」



「はいはい。後でお茶淹れて持っていきますね」



「なら、ついでに小さい奴でいいから皿も二つ頼む。土産があるからさ」



 後ろに手を振り、幽は引き戸を開けて中へ入る。

 此処へ来た回数など最早覚えてはおらず、まあ勝手知ったると言ったところだ。

 木製の床を裸足で歩く音を鳴らしながら、迷うこともなくその部屋へと辿り着く。



「邪魔するぞ」



「ああ、入ってくれ」



 夜月の部屋は小さな机と蝋燭立てと本棚だけの簡素な空間だ。

 寝室は別にあるようだが、仄かに桜の香る畳の上で横になればさぞ心地よい眠りに就けるだろう。



 夜月はそんな部屋の中央で、入口側を見ながら正座していた。

 窓から差し込む光は明るく、夜月の黒い着物がやたら目を引く。



「けぇきを買ってきたぜ? 西洋の焼き菓子だそうだ」



「ほう、雪華の茶を待っていただくとしよう」



 そこからは暫く他愛のない会話が続いた。

 剣客である幽の持ち掛ける世間話はとても平和な物ではないのだが、夜月は無愛想ながら適度な相槌を入れながらしっかりと話を聞いてくれる。



 堅苦しすぎる夜月と軽薄すぎる幽。

 まるで対極な二人だが、彼等を知る者に関係を聞けば全員が口を揃えて親友と答える程の長い付き合いだ。



「お父様。お茶をお持ちしました」



 部屋の入口に、小さな人影が一つ。

 母親譲りの黒髪が綺麗な少女……とは言え幼子ではなく、もう既に齢は17を超えた娘だ。



「ありがとう桜花」



「おや、お手伝い偉いね桜花ちゃん」



「し、失礼します!」



 照れ臭いのか、それとも苦手に思われてるのか、二人の声掛けに少し顔を赤らめながらお茶だけ置いてそそくさと部屋を出ていってしまった。

 桜花を見送った後に二つの菓子を取出し、包みを剥がして皿に乗せる。



「これは……どう食べるのだ?」



「…………箸じゃねぇのか? こうやってよ」



「箸……持ち歩いてるんだな……」



「まあな」



 柔らかい生地を箸で摘まむのは少々手子摺るかとも思ったが、豆腐に比べれば容易いものだった。



「ほう、こいつはなかなか。甘ぇには甘ぇが、なんとも不思議な甘さだな」



「どれ、私もいただこう」



「手前もこの部屋に箸常備してんのかよ」



「まあな」



 夜月もソレを口に運ぶと、ふむ、目が点にとはまさにこの事か。

 知りうる言葉で上手く言い表せないと言った表情をしている。彼のこんな顔はなんとも珍しい。



「さて、そろそろ本題に入らねぇか?」



「それもそうだな」



 箸を机に置き、正座の姿勢で幽へと向き直る。

 一方の幽は胡座のまま、膝を支点に頬杖だ。

 座りかた一つにしても性格が出る。



「雪華が、病を患った」



 さて、なんと返したものか。

 声音、表情、姿勢の崩れ、いずれを見るにしても変化はなく、幽はこれが今日の話の芯ではないと読む。

 空いた手の平を見せ、続けろと促す。

 小鳥の囀りが小窓から聞こえる静かな春の日には、しかし妙な緊迫感が満ちている。



「完治の余地はある。医者を呼ぶ金もある」



「ほうほう。なら治しゃいいだろ」



「いや……」



 ここだ。

 部屋に流れる気配が変わる。

 次に夜月が放つ言葉こそ、今日呼びつけられた理由……その芯だろう。



「桜の守を、私と雪華の代で絶やそうと思う」



「な!?」



 桜の守はとある妖桜を守護し、その見返りに桜の加護を受けて栄えてきた一族だ。

 女は桜の巫女として、人のそれを超える寿命を得る。

 尤もそれは老衰に対する物であり、不老でこそあれど不死に非ずと言ったところか。



 先代までの桜の巫女は、その長すぎる生に疲れて代を変わり生涯を終えるのだが、夜月の物言いではまるで……。



「桜を枯らすつもりか!?」



「ああ、そのつもりだとも」



 継承を行わずに桜の巫女の命を絶つ。

 それはつまり、かの妖桜を枯らすことを意味する。



「手前!! 自分が何言ってるのか分かってんのか!」



 身を乗り出し、夜月の胸ぐらを掴む。



「手前一人で死ぬなら文句は言わねぇよ! いや、手前と雪華の二人で死ぬにしても何も言わねぇよ俺は! じゃあ桜花ちゃんはどうなる!」



「あいつは連れて行かぬ……」



 人斬りの現人神、幽。

 それに胸ぐらを掴まれ、怒りの形相で睨まれてなお汗も流さず、怯えもせずに淡々と夜月は続ける。



「桜花を、お前に託したい」



「断る! 手前のガキくらい手前で面倒を見やがれ!」



「できぬのだ!!」



 初めて……幽の知る限り初めて夜月が声を荒げた。



「私は先代の桜の巫女を看取った。生きることに疲れ、日におかしくなって行く自分の母を。痛々しかった。愛した男……父はそれを支える事に疲弊し、先に命を絶った。分かるか? 桜に狂わされたのだ。桜の守など……永遠など人の心を持つ者には呪いでしかないのだ!」



「………だからって……だからってお前……」



「頼む……」



 絞り出すような声だった。

 親友の心よりの願い。そして、かつて恋をした女の願い。

 幽は、これ以上拒絶の言葉を紡げなかった。



「いくつか条件がある」



「……なんだ?」




 胡座で座り直し、胸の前で腕を組む。

 親友も、その女もとんだ大バカ野郎だ。

 せめて、せめてこんな無茶苦茶な事を押し付けた奴には、可能な限り苦しんでもらわねば割に合わぬ。



「一つ俺と桜花に桜の呪いを掛けろ。寿命を千年伸ばす呪いを」



「……わかった」



「次に、その呪いが解ける千年の後、俺か桜花のどちらかが後を追う」



「……わかった」



「そして最後に」



 ここが肝心だ。

 この大バカ野郎共に与える罰。

 ……否。

 こんな頼みを断れなかった自分への罰か。



「手前と雪華を俺に咲かさせろ」



「ッ!」



 何処から取り出したのか、黒い刀の切っ先が夜月の眼前に突き付けられていた。



「バカを言うな! そんな事をお前に」



「バカ言ってんのは手前だよ。桜花の生きる糧にはなってやるが、それは憎悪だ。あいつを俺は庇護しない。俺を怨み、俺を殺したいと願う念で生きてもらう」



 違う。

 真意は違う。

 だが悟らせまい。

 幽は斬ることしか知らない。不器用で、気の遣い方もズレているのだろう。

 だが、それでも……。





 ――親友に、愛した女に……桜花の親に、愛する者を殺める感覚を知ってほしくなかった――




        ◆




 七月七日。

 七夕だ。

 立ち枯れの妖桜の下で幽は目を覚ました。



「嫌な夢見ちまったぜ」



 ゆっくりと立ち上り、眼前、泣きそうな顔で此方を見る少女と対峙した。

 さて、ハクタクはどこまで話したのだろうか。

 そんな事はよもや関係ないか。

 少女はゆっくりと刀を抜く。



「………………」


「………………」



 幽の右手にもいつの間にやら刀が握られている。

 黒い刀身は、枯れ枝から差し込む星の光を反射して青白く……しかし鈍く輝く。


 冥刀・幽世。


 幽の名の由来にして、幽其の物だ。



「言いたい事はねぇのか?」



「ありがとう……ございました」



「ハッ! 上出来……だッ!」



 切っ先を地面に向けたまま、無造作に地を蹴る。

 距離を詰めるのではなく、距離を潰す。

 間合いすら意味を成さず、己の刀の届くギリギリの位置に瞬時に踏み込んだ。

 桜花は慌てるでもなく半歩左へ踏み込むと、それによって生れた隙間へと刀を送り、受け流すことで応じた。



「聞いてなかったが。手前は桜花か? それとも桜骸か?」



「この身は骸です。貴方への誤解が解けて尚、桜を枯らした一族の娘である事は消えません」



「そうかよ」



 紅色の着物。腕の通らぬその裾を翻し、小さく幽へと飛び込む。

 互いの間合いが詰まる前に大きく横へと振りかぶり、最後の一歩を可能な限り強く踏む。

 無造作な横薙ぎは、あっさりと幽の刀に受けられる。


 ……だが。



「ッ!?」



 刀を通して伝わる凄まじい衝撃に、幽は目を見開く。

 手が痺れ、即座に動けない。

 接触地点から刀を滑らせ、斜め下で握り直す。



「咲かせます」



 桜骸は下段から刀を振り抜いた。

 避けられぬと瞬時に悟った幽は下段に構えたその手に足を掛け、振り上げると同時に地面を蹴って宙へと逃げたのだ。

 後方へ一回転して着地した幽の手には、いつの間にか幽世が再び握られていた。



「迷いが無え。良い面構えになったじゃねか」



「素直に受け取っておきますよ。平気そうな顔してるのは不服ですが」



「バカ言え。腕が飛ぶかと思ったぜ」



 幽は再び距離を潰す。

 視認が不可能な速度で、しかもそのどれもが当たれば致命傷になるように打ち込む。


 しかし見えている。


 達人をすら遥かに超える幽の剣が、その全てがしっかりと防がれる。

 ふと、一撃だけ今までよりも大きく振りかぶった瞬間だった。



「ふっ!」



 小さく息を吐きながら桜骸は身を屈め、懐へと潜り込んだ。

 両刃の行動だった。

 隙はあったかもしれないが、無傷で反撃ができるほどの間などない。

 相打ち覚悟の一撃。

 幽の刀は確かに桜骸の腕を……。



 否。


 本来、左腕がある筈だった場所に振り抜かれた。

 同時に、腹に冷たい感覚が通った。



「ぐッ……おおおおおおお!!!」



「え!?」



 だが、その程度でこの男は止まらなかった。

 着物の帯と裾を掴み、柔術の要領で桜骸を地面へ叩き付ける。



「かっ……!」



 背中からの落下に息が漏れる。



「なんて怪力だよこいつぁ…………はは……まさか、投げられながら刺さった刀を……振り抜くなんてなぁ……」



 投げた姿勢のまま、幽は膝を突いた。

 腹から横に一閃。

 致命傷だ。



「貴方に技量では勝てません……先の防がせる一撃も、失った左への誘導も、投げられながらの一撃も……全て正々堂々とは程遠い下策です」



「バカ……言え」



 口癖だ。

 幽の周囲にはバカが多すぎる。

 多すぎた。

 もう、今は桜骸とハクタクだけになってしまったが。

 地面に倒れた桜骸の顔を覗き込む幽の顔はとても優しかった。



「なあ……桜骸……」



「何でしょうか……」



 教えてやらねばならない。

 ハクタクすらも知らなかった事を。 

 俺が、教えねばならない。



「お前……いっつも桜の下で俯いてたけどよ……」



 桜は咲くのだ。

 気が枯れようとも、幹が残っている限りそれは骸などではないのだと。

 桜骸の……桜花の隣に、仰向けに倒れながら彼は言った。



「桜は見上げる物だぜ……?」



 咲いていた。

 枯れ枝の隙間から星々が、天ノ川が顔をだし、星の花を咲かせていた。

 満開だ。

 満開の桜だ。



「綺麗……」



 霞む目で隣を見れば、目に涙を湛えながら桜花が桜を見上げていた。



「桜は……桜は……まだこんなにも綺麗に咲くんですね」



「気付くのに千年も掛かりやがって……」



 口許が思わず弛む。

 ああ、くそ、眠くなってきやがった。

 なら最後に一つだけ頼んでおかないといけないな。



「なあ桜花……」



「なん……ですか?」



「俺を、この下に埋めてくれねぇか……あいつらの近くで、俺も休みたい」



「分かりました……約束します」



「そいつぁ良かった……これで……夜毎にまた……」



 もう目蓋が持ち上がらない。

 隣から聴こえてた声ももう分からない。

 だが、とても満たされていた。

 ああ、ようやく終わるのだと。

 ようやく、やり遂げたのだと。



「また、大好きな満開の桜が見れる」






エピローグ





 翌年の七月七日。

 朝の喫茶店にモーニングセットを食べる眼鏡の男と、隻腕の女性。

 ハクタクと桜花だ。



「雰囲気が明るくなったね桜花」



「はい。幽おじ様が、桜は枯れても骸になんてならないって教えてくださいましたから」



 心境の変化は格好にも現れていた。

 桜花は着物ではなく、母の雪華が好きだった紅色のシャツに黒いレザーの上着、藍色のショートパンツと言った現代の装いだ。

 長い黒髪はポニーテールに纏められ、活発そうな彼女によく似合っている。



「さて、その幽からもう一つ頼まれている」



「おじ様に?」



 口許を紙布巾で拭い、ハクタクは胸ポケットから一枚の紙を取り出した。

 長方形の上に小さな穴の空いた紙……。

 日付と合わせてすぐに正体を理解した。



「短冊ですか」



「ああ、本来なら笹に飾るはずの者だが、彼からは桜に吊るすよう伝えてくれと言われたよ」



「分かりました」



 桜花のテーブルの食事はもう片付いている。

 残っていた紅茶だけ飲み干すと、彼女はそそくさと席を立つ。

 伝票に手を伸ばそうとしたときだ。



「いや、ここは僕が出すよ。君はそのお金でケーキでも買っていってあげなさい」



 元気に返事をして、言われた通りにケーキを買って桜花は店を出た。


 もう、桜に守り手は必要ない。


 もう、彼女に刀は必要ない。


 人としての命を、人としての人生を手に入れた桜花は軽い足取りで恩人の墓へと向かう。

 彼女の歩く姿は百合の……いや。





 桜の花だ。

 

 

          ――終――




『いつまでも、満開の星と桜が見てぇな』



          ――fin

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枯れた桜と人斬り幽鬼 九尾ルカ @no9orca

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