第6話
遠い昔、神は自分と対等にものを言う賢人を求め、聖者ヨブを試すことにした。 天使サリエルに命じ、ヨブに試練を与えたのだ。試練の中で、ヨブは神に理不尽な行いを正すよう求める。
ヨブのもとに集う知り合いたちはそれをヨブの傲慢だと非難するが、神はそのヨブの言葉を待っていたのだ。
崇められるのではなく、神は自身と対等に意見を交わす賢者を求めていたのだから。
そっと眼を開き、ライラは回想をやめる。眼前には自分を追い詰めた女の死体が転がっていた。首にコルセットの飾り紐を巻きつけ、修道長は息絶えている。
自分をあれほど追い込んでいた存在が、こうもあっさりこの世から消える理不尽さに何とも言えない気分になる。
「まさか自分の首を絞めてセフィロトの樹を登ろうとする人間がいるなんて、思いもよらなかったよ」
サリエルの声が側でする。そちらへと顔を向けると、紫苑の眼を歪め嘲笑を浮かべる彼と眼が合った。
「探偵ごっこは面白かった? ルイス」
「それは仮の名前。君がセフィロトの樹に迷い込んできたときは本当にびっくりした。僕のところまで登ってきた人間を見たのは、久しぶりだったから。それに、自殺現場にセフィロトの樹を血で描くのはさすがに……」
「ああでもしないと、登れないと思ったから……」
「あぁ、お母さんへのあてつけではないのか。安心した」
ライラの言葉にサリエルは安堵した笑みを浮かべてみせる。母を気遣ってくれた彼の優しさが少しだけ嬉しくて、ライラは微笑んでいた。そんなライラを見て、サリエルも笑みを浮かべる。
「では、神の御元へといこうか。聖ライラ」
そっとルイスがライラに手を差し伸べる。ライラはその手を取り、彼と共に部屋の窓へと赴いていた。
――神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか。
キリストの最後の言葉を書いた羊毛紙をじっと見つめ、ライラは立ち止まる。
セフィロトの樹を登るまで、自分はずっと神に見放されたと思っていた。だが、それは神がライラに与えた試練だったのだ。
その試練が終わった今、ライラにはこの言葉が嘆きから出たものとは思えなくなっていた。試練を与えられたキリストは、喜びのあまりこの言葉を口にしたのではないだろうか。
それは彼が、ライラのように試練の本質に気がついた瞬間だったのだ。
「ライラ」
サリエルが心配そうに顔を覗き込んでくる。首を横に振って、ライラはそんな彼に微笑んでいた。そっと窓を開けると夜風がライラの髪を嬲る。空を仰ぐと満天の綺羅星が、ライラたちを迎えてくれた。
あの星空は、天使たちが地上を眺めるための窓だそうだ。サリエルがそう教えてくれた。
自分をずっと見守ってくれていた彼らのものへと行きたい。そう思った瞬間、ライラの背に熱が走る。驚いたライラが自分の背中を見つめると、そこには純白に輝く翼が生えていた。
「これは……」
「君も今日から、僕たちの仲間ってことさ」
微笑むサリエルの背からも、漆黒の翼が生じる。彼はその翼を羽ばたかせ、いこうとライラを促した。ライラもまた羽を動かし彼に応える。
お互いの翼を羽ばたかせ、二人の天使は綺羅星の輝く空へと帰っていった。
聖ライラの秘蹟 猫目 青 @namakemono
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