埋葬リザレクション

 死者を送る人々に涙はなかった。柩は粛々と運ばれていった。黒衣の人々は死の重量を感じながら、かつて生きていた者を運んでいた。柩を担いでいない人々も、なにやら暗い観念を背負ったように、架空の重力を支えていた。

 葬列は橋を渡り川を越えた。霧深い夜だった。白く霞んだ闇のなかで、古めかしい街灯の光がぼんやりと行く手を示し、黒衣の人々の鏡像のような影を、石畳の道に投げかけた。壁にさしかかると、影は寝転ぶことをやめて立ち上がり、水平軸から垂直軸への自身の変化に戸惑ったように、伸び縮みしながら歩いていた。墓地はもう間近だった。葬列は、影の戸惑いなどよそに、迷うことなく、ためらうことなく、歩を進めていく。

 厳めしい鉄格子の門を、葬列を先導する老人が開き、柩を運ぶ黒衣の人々は墓地へと踏み入った。乳白色の霧にまぎれて、かぐろい大蛇が、死者たちの臥所ふしどにひっそりと忍び込むような、猥褻な光景だった。

 墓地の奥手には、すでに掘られた穴が待っていた。菓子を目にしてよだれをたらす、子どもの口のように純真な穴だった。

 穴の求めるがままに、柩は降ろされた。担いでいた重荷から、葬列はようやく解放された。

 老人が、かすれた声音で死者を弔った。

 ――早すぎた鳥の御子。遅すぎた使いの御子。まだらの羽根に伏して、安らかに眠れ。世の終わりまで。人の終わりまで……

 葬列はほっとひと息ついた。

 あとは柩を埋めて、大地が嚥下するに任せればいい。穴埋めのために、黒衣の人々から何人かが選ばれ、それぞれがすきを手にする。みなが見守るなかで、土を柩にかけはじめる。そのときだった。

 どこからか、口笛の音が聞こえてきた。鋤を持った者たちは、作業の手を止め、顔を見合わせた。他の人々も、いぶかしげに周囲を見まわす。

 なおも深まってゆく霧を縫うように、口笛の音が流れてくる。細く震える音色で、淡い旋律を奏でていた。どこか懐かしいような響きだった。死出の伴奏としては、あまりにも人恋しさを募らせるようで、場違いなような、ふさわしいような、奇妙な楽音だった。

 やがて、消え入るように途絶えた。どこから流れてきたのか、だれが奏でていたのか、わからないままだった。夜闇と霧にすべては覆われていた。あらゆる音楽と同じように、儚い残響が去ってしまえば、音が鳴っていたというありふれた奇跡が、信じられないほどだった。

 鋤を持った人々は、作業を再開しようとした。恐ろしい音さえ聞こえなければ。

 その音は、先ほどの口笛とは違い、出所がはっきりしていた。柩のなかから、うごめきが聞こえる。衣擦れのような気配が聞こえる。

 黒衣の人々は、恐怖におののき、戸惑ったように老人の方を見る。白髪白髯の老人は、樹齢を重ねた古木のように皺だらけな顔を歪めて、厳しい表情で柩を見下ろしていた。

 みしり、と柩が軋んだ。少しの間をおいて、柩の蓋が、紙のように裂き破られた。死んでいたはずの影が、冬眠から覚めた獣のように身を起こした。

 穴埋めに従事していた人々は、みな鋤を放り投げ、恐怖の叫びをあげて、逃げ出した。取り囲むようにしていた黒衣の人々にも恐慌は感染し、蜘蛛の子を散らすように、葬列は墓地から雪崩をうって、霧のなかへとかき消えていった。

 ――なぜ、いま甦った?

 ひとりその場に毅然と残り、穴を見下ろしていた老人が、苦々しげに問うた。

 ――暫定的に死ぬことに、おまえは同意したはずだ。報われない生を先送りにして、後の世に託すために。人が人ではなくなるような、遥かな未来に望みをかけて。

 ――音楽が……。音楽が、聞こえたんだ。

 死者だったはずの影は、成長に戸惑う少年のような不安定な声で、つぶやくように答えた。

 ――音楽? あの口笛のことか……。だから、どうしたというのだ。再臨の導きは、一度きりの奇跡だぞ。愚かな……。

 ――呼んでいるような気がしたんだ。望みなどないはずの現世に、一筋の光が差したような……。骸の奥底に、叫び返すものがある。なにかに求められている。運命の呼ぶ声がする。

 ――運命? 馬鹿なことを……。もうおまえは、死を騙すことはできない。われわれのように老いて朽ちて死ぬか、怯えた人々になぶり殺されることだろう。外れたおまえには、この世のどこにも居場所などないというのに……。

 ――あなたの優しさを無下にしたのは、申し訳なく思っているよ。でも、胸に芽生えた好奇心は、自分でも消せないんだ。ぼくはこの世に、もういちど生まれてみるよ。

 ――好きにするといい……。

 諦めたように老人は言って、白髪白髯のおもてを伏せた。

 穴の底から、埋葬されるはずだった影は、外界へと這いずりでてきた。

 その姿は人間ではなかった。漆黒と純白がまだらになった羽根に、身体はびっしりとおおわれている。たおやかな手には、鋭いかぎ爪。骨張った足は、いびつな屈曲によってねじくれた末に、大地を踏みしめている。そして、玻璃のようにつぶらに輝く眼を持つ頭は、まごうかたなく鳥の形をしていた。

 ――なぜ、天使様は鴉の誘惑などに……。

 老人がなおも独語する囁き声をあとにして、葬られるはずだった、呪われたまぐわいによる忌み子は、墓地の黒い門を開き、白い霧の降りる、先行きの見透せない晦冥へと、足を踏み出した。夜はいつまで続くかわからなかった。

 ――あの口笛は、どこから来たのだろう……。あの音楽は、なぜ死せる者を呼び戻したのだろう……。

 だれからの愛も期待できなかったが、生きてみようと思った。

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