第四十四話・後 ≪ヴィクトリア・ルゥ・ガルシア≫

 朝稽古を終え、体を綺麗にし身嗜みを整えた後。私は足早に厨房へと向かっていた。


「入るぞ」

「おや、トリア嬢。またかい」

「うむ」


 そう、目的はプリンだ。あれからプリンの虜になってしまった。数日間はあの男を認めるようで葛藤があったが、よくよく考えてみればプリンに罪は無い。しかし、この事があの男の耳に入るのは嫌だったので、こうして隙を見て厨房に来ている訳だ。

 この広い厨房ではそれぞれが異なる作業を行っている。大量の野菜のへたや皮などの本来捨てる物を煮詰めていたり、鶏肉の中に色々詰めていたり、包丁を様々な角度から食材に入れていたり。そのどれもが何をやっているのか分からない。


「何をやってるのか気になるのかい?」


 疑問が顔に出ていたのだろう。料理長であるルフィーナが声を掛けてくる。

 彼女は王室専属料理長を務めるサンジェル・クックの娘で、十年程前姫様によって連れて来られた。当初は彼女の態度や口調が認められずぶつかる事もあったが、今では彼女の腕を認め敬意すら抱いている。


「ん?ああ」

「あの坊やに教えて貰った異世界の料理だよ。他にも野菜の独特な切り方や出汁の取り方、様々さね」

「むぅ」


 また貴様か、グレン・ヨザクラ!

 あの男の頭の中は一体どうなっている!?サブリナの農産業を改善する程の知識でも驚いていたのに、今度は料理でもこれほどの知識を見せるか。

 あれから姫様も食事を楽しむようになられた。食事の時に笑顔を浮かべる頻度が増えたのだ。とても喜ばしい事なのだが、切っ掛けがあの男だと思うと素直に喜べない。


「トリア様!見ててください!」


 そう言って料理人姉妹の姉・ケイリーが何やらキュロット人参を持ってくる。それの表面だけを沿うようにして切ると、四角い一枚が出来上がる。


「うむ。凄いと思うが……」

「まだこれからです!」


 そう言うとそれを軽く折り畳み、交互に包丁を入れていく。


「?」

「行きますよ……それ!」

「おお!」


 広げられたそれは網目状になっていた。だが、何に使うんだ?


「凄いですよね。これを使えば料理の見栄えが良くなるんです!今は練習中だからお出しする事は出来ないけど、もうすぐだってマスターが!」

「マスター?まさかグレン・ヨザクラの事か?」

「はい!異世界の料理マスターです。マスターは凄いんですよ!味や香りだけじゃなく、見た目でも料理を楽しませるのですから!」

「……ぐっ」


 これが外堀を埋めるという事なのだろうか。キラキラとした彼女の視線が眩しい。見れば彼女の妹・カミーユを初めとするほかの料理人達も、熱の差はあれど同様の瞳をしている。ルフィーナは困っているような、苦笑しているようなそんな表情だが。

 あの男による屋敷の侵食が始まっている。忌々しい男だ、呪いでも奴の身に振り掛からないだろうか。

 私は覚束ない足取りで厨房を後にした。






「オデ、ワルイヤツクウ。クケケ」


 本当に呪いが降り掛かったのだろうか。目の前で顔を抑え痛がっていたヨザクラ・グレンが、角の生えた凄まじい形相の仮面に取り憑かれていた。

 事の始まりはヴィヴィアナ殿下が遊びに来た事だった。可愛らしい方なのだが、如何せん幼さ特有で我儘なのだ。いつも通り姫様が断ると、駄々をこね始める。

 そして、グレン・ヨザクラが目を付けられた。奴がヴィヴィアナ殿下に振り回される様を見て、楽しもうなどと考えていたのだが、その目論見は呆気なく崩れ去った。

 姫様に何やら確認を取ると、ヴィヴィアナ殿下を抱え上げたのだ。当然この奇行に動こうとしたのだが、抱えられた殿下を膝に乗せ下着を下げたのを見て、呆気に取られ固まってしまった。その間も奴の奇行は止まらず、パチンッと言う音を響かせながら腕を殿下のお尻に振り下ろしていた。

 我に返り動こうとするも姫様に止められ、成り行きを見守っているとグレン・ヨザクラは殿下に説教を始めた。事ここに至り、目的が分かった。だが、この方法は良いのだろうか。



 

『クケケケケケ。オデクウ!オデワルイヤツマルカジリ!クケケケケケ』

「「「「っ!!」」」」


 姫様達の様子やグレン・ヨザクラの態度から何となく演技だと分かり、驚いた事にヴィヴィアナ殿下も反省するに至ったのだが、今度は例の仮面が独りでに動き喋り出した。

 やはり本当に呪いが!?とも、思ったがそんな事は無く、それさえもあの男の説教の為の演技の一部だった。仮面の仕組みは分からなかったものの、腹話術なるものや最終的に殿下を躾けた手腕は認めるべきなのかもしれない。ムカつくが。

 その後も魔法を隠していた事等が明らかになったが、姫様も驚いていただけで気にしていなかったので、私も黙っていた。許すかどうかは別だけどな!

 だが何だろうこの違和感。

 この男の演技力を見た後で接してみると、嘘臭さが湧き出ている気がする。普段のこいつの態度も本性も全て、演技なのではなかろうか。

 これ程の演技力があれば、戦える実力がある事すら隠せるのでは……馬鹿な。

 それはあり得ないと断じた筈だ。再び過った可能性を追い出す様に、頭を振った。






「う~む。異世界というのは食にまでこだわれる程に余裕があるのか……」


 目の前でキャメロンと忌々しきグレン・ヨザクラが楽しそうに談笑している。陛下から下された命に応えるべく動くも、納得できる結果を出せていなかったグレン・ヨザクラの為に姫様が作った、顔合わせの為の食事会だ。直にキャメロンと相対すれば、どれほど素晴らしい男かが分かるだろう。いい機会だと私は思った。


 だが、私の心はやや荒んでいた。理由は主に二つ。

 一つはグレン・ヨザクラ。

 この男は先日、私の心に無遠慮にも踏み込んできた。少し見直したと思ったらこれだ。自分の持つ価値観とこの世界の価値観の違いを、根本的に理解していないのだ。

 その結果あの男はずかずかと私の心を踏み荒らし、心を激しく揺り動かされた私も、つい弱気な部分を見せてしまった。その時は怒りと悲しみしか感じなかったが、今はそれに羞恥も加わっている。お蔭でグレン・ヨザクラの顔を見ると、尋常ではない殺意が湧く。

 そして、もう一つはキャメロンだ。

 キャメロンは国の英雄として相応しき人物。その筈だ。だが、今日のキャメロンはなんかおかしい。具体的にはグレン・ヨザクラと対面してからだ。もっと厳密に言うと、グレン・ヨザクラとヴィヴィアナ殿下がじゃれ始めてからだ。背筋をスライムが這っているような、そんな不快なものをキャメロンから感じる。

 偽物?いや、幼馴染の私と姫様を騙すのは無理だろう。良く分からないが、嫌だ。今のキャメロンは、嫌だ。

 あれもこれもグレン・ヨザクラのせいだ。本当に忌々しい。






「『私ヨザクラ・グレン【甲】がキャメロン・ルゥ・コナー【乙】の調査をする際、ヴィクトリア・ルゥ・ガルシア【丙】は直接的にも間接的にもその邪魔をしない。また、調査の結果【乙】が白だった場合、若しくは一ヶ月で噂も【乙】の事も何も変わらなかった場合、【甲】は命を含め全てを差し出すものとする』と、まあこんなもんかな」

「「なっ!?」」


 キャメロンが帰った後、グレン・ヨザクラはこう言い誓約紙を突き付けてきた。

 これは私への挑戦だ。キャメロンは黒か白か、善か悪か。その結果を互いに突きつけるための。

 妙な不安がある。脳裏を過るのは、有り得ないと断じたグレン・ヨザクラの可能性、そして先程のキャメロンから感じたモノ。




「そうですか。では、こうしましょう。『【乙】が黒だった場合、【丙】は【甲】が満足するまで【甲】の犬となる事とする』。どうです?」

「……良いだろう!」


 ここまで虚仮にされて黙っている訳にはいかない。

 大丈夫だ。キャメロンは問題ない。先程感じたモノも、姫様の傍にいるグレン・ヨザクラに対する嫉妬とかそう言うモノの類だろう。それはそれで胸に小さな棘が刺さる感じがするが、気にしない。

 覚悟しておけ、グレン・ヨザクラ!一ヶ月後が貴様の命日だ!




 その日から私は、悪夢を見るようになった。

 グレン・ヨザクラの犬となり、奴に媚を売る私。まるでそれは、未来を――――

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殺し屋、異世界にて数多の女難に見舞われる 男男 女女 @otoomeme

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