第27話

その日、小村は病院にいた。感染症検査の結果を尋ねに行ったためである。電話での連絡なども一切無かったので、何一つ心配はしていなかったのだが、いざ病院に入ると妙な緊張感を覚える。

「異常はありませんねえ」

そして医師の一言で全て太鼓判が押されたところで一気に安堵の息が漏れた。


診察室を出て、書類ケースを貰ったときに、ふと鷹取を見舞いに行こうと思い付いた。

確か男性の病棟はこの上の階だった筈だ。

その考えを裏付けるかの様に、階段を登ったところでなんだか声が聞こえ始めた。

「いや、だからさあ、こういう時はマムシラーメンが一番いいんだって」

「鷹取さん、あんたバカなんですか?大人しく入院食を食べてて下さい!」

「兄ちゃんもしかして出身一緒け?後で話しよや!」

「藺牟田さん!あんたも黙ってて!」

「ええぞ兄ちゃん言うたれ!飯不味いねんて言うたれ!」

「飯一つ静かに食えんのかおんどりゃあ!」

「先輩落ち着いて!」


そもそもがただの思い付きに過ぎない。見舞いに行くのはやめた。どこに誰がいるか分からない。鷹取を張ってる人間だっている可能性はゼロではない。関係者の存在は露見させない方が懸命だろう。

そう、あくまでも高度な政治的判断に基づいただけで、決して個人の感情に左右されたわけではない。


大人しく一階に降り、会計窓口に書類を出すべく、会計待ちの列に並びながら、ふと目を待合いに向ける。夏の昼前。病院は休み知らずとばかりに機能を発揮していた。

事実、列は長かったが、提出はすんなり終わった。会計が呼ぶまでの間、小村は今回の出来事を思い返していた。


あまりにも多くの人間が傷付き過ぎた。あまりにも不必要な犠牲が出過ぎた。だが、これが私が選んだ道だ。

意味のない謀略に巻き込まれて死んだあの社員は。

あの書記官はどうなったんだろう。

そして、佐久間美幸は。

鷹取は・・・・・・多分割とほっといても何とかなるから置いておこう。


そこまで考えて、そもそも、と小村は考える。

事の発端の一人でもある、佐久間美幸は私のことを名前で呼ばない。

「エイリーン!」

そう、こんな風に勝手に付けたあだ名で・・・・・・。

そこまで考えたところで小村は顔を上げる。今、誰が私を呼んだ?

「やっぱりそうだ、エイリーンじゃん」

そこには、よく見知った顔、佐久間美幸の顔があった。

「うわ、みゆキチガイ」

つい反射的に口をついて出たその小村の言葉を意にも介さず、うん懐かしいなあ、と佐久間は笑う。

「まだ生きてたのね」

「肝臓の数値が大人しくなったから今日は祝勝会」

γ-GTPがついに70を割り込んだんだ、と喜んでいる。

「偏差値みたいなものかしら?」

「そうだね、低けりゃ低いほどいいから世間一般の偏差値とは真逆だけど」

特に悪びれた様子もなく、へらへらと佐久間は答える。

「で、貴女の肝臓偏差値はいくつかしら?」

「68」

γ-GTP値が50を超えると要注意、100オーバーなら即入院と言われていることは医学に疎い小村ですら知っている。

「随分高学歴なのね」

「持ち主に似るんだ」

ふーん、とどこか白けた様な心持ちで答える。

「仕事?」

「いんや、今は暇してるよ」

嘘だと分かる。全身包帯だらけ。動いているのが奇跡じゃないかと思えるほどだ。何があったかは想像に難くない。事情は既に知っている。

「大変だったわね」

「・・・・・・やっぱ知ってるかぁ」

場所が場所というのもあるが、そうでなくてもお互い多くは語らない。

辛気臭い空気が漂い始めたところで、ぱん、と佐久間が手を叩く。

「いょし、一丁お姉さんが食事にでも連れてってやろう」

そのとき、通りがかった看護師が佐久間さん、と呼びかけた。

「退院ですからもう結構ですけど、決して酒を飲もうなどとは考えないで下さいね、いいですか!」

「わ、分かってますよ」

「ここに運ばれたと聞いたときはついに肝臓かと思いましたよ、まったく・・・・・・」

「ああ、ちょっと、守秘義務ってもんがあんでしょうが」

慌て始めた佐久間を小村は制する。

「いい。知ってた。今更」

その様子を見ていた看護師が、はあ、とため息をついた。

「まあ、程々に」

階段の方に消えていった看護師を見送り、小村が口を開く。

「親しいのね」

「まあ、昔ちょっとね」

どこかバツが悪そうに佐久間が答える。小村も深追いしなかったし、そこまで興味はなかった。


その時、丁度小村が会計に呼ばれた。

「貴女は?」

横に一緒に着いてきた佐久間に小村は尋ねる。

「実はもう済んでる。地下の自販機でちょっとコーヒーを頂いててさ」

「・・・・・・その暇潰しの結果、運悪く私は貴女と出会ってしまったのね」

「そんな前を横切る黒猫みたいに」

「どちらかといえば貴女は山で鉢合わせたヒグマみたいなものよ」

「言ってくれちゃって」

小村の言葉の割に佐久間はどこか嬉しそうに言葉を返す。


「昔はよく目を盗んで脱走しては遊んでたっけ」

「懐かしいわね」

目の前の女との思い出が軒並み、碌なものではなかったことを小村は思い出していた。

「「情けの掛け合い」かしら」

「その恥ずかしい概念は忘れてくれると助かるなあ」

「情けの掛け合い」。本当の由来は、「お互い情けを掛け合える人間になろうよ」という佐久間の言葉だ。

実態は酔い潰れた佐久間に対して一方的に掛けるがままになっていたものでもある。

「一昨年の暮れの任務明け、酔いすぎて店先の盛り塩をつまみだした時はどうしようかと」

「それも忘れてくれると助かるなぁ」

「酔ってずっこけたときに、「いま行くところだ!どうして私を呼びたてるのか!」と言って呼吸を止めてそのまま勝手に呼吸困難になりかけた時ばかりは流石に頭の病院に連れて行こうかと」

「その辺も忘れてくれると助かるなぁ」

「ワイン飲んだ時に咽せて、あたり一面真っ赤にした時は「マロリーワイス!」と言って謎のごまかしを見せたりもしたかしら」

「あれは当時読んだ小説の影響で・・・・・・と、出来れば一切合切忘れてくれると助かるなぁ」


それはそうと、と小村は話題を変える。

「一昨年の暮れに会ったとき、私は最後になんて言った?」

あー、と頭を掻きながら佐久間が思い出そうとする。

「・・・・・・悪いけど忘れた」

「アレだけのことをしたのに?」

「ごめん、全く」

「・・・・・・でしょうね」

ふふっ、とどちらともなく笑った。

たまにはありがたいことの一つももしかしたらあるのかもしれない。

「昼だけど一杯くらいならバチは当たらない」

「昔、それ言って飲んだ直後に触接対象に身元がバレそうになった気がするのだけど」

「ま、いいじゃないの。抱えてる案件もない訳だし」

酒が私を待っている、と言い放つと、佐久間はすたすたと出口に向かい歩き始める。

「やっぱりワイン?」

「当然」

意気揚々と歩く佐久間にそういえば、と小村は尋ねる。

「いつからワイン派に?」

ん、と笑って佐久間は答える。

「生まれたときから」

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不信頼な回転体 野方幸作 @jo3sna

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