フィサリスの夢・〝B〟


AとBは同じプロットで登場人物が少し異なるバージョン違いです。

2011年後半から2012年前半にかけての作品。


 たぶん地球、たぶん未来。

 東京は日本の中心部ではなくなり、かつての都心部は汚染区域とされ封鎖されている。

 封鎖された旧都心部のどこかに願望機があると何十年も昔に噂されたこともあった。

 一時期、不法に侵入し探し出そうとブームになったこともあったらしい。

 しかし、結局何も見つからず、封鎖域に入った者の多くは何かを得るどころか何かを失ったと聞く。

 東京のはずれの大学へ通う大学生、ハルカとサキは暇さと興味から都市伝説「願望機」を探すことにする。




登場人物

 ハルカ

  大学生。 

  文学部らしい。

  ジャージ。

  


 サキ

  大学生。

  劇的な死を求める死にたがり。

  




――――

○封鎖区域内

  空の色は目まぐるしく七色に変化し続け、

  周囲の色も同様に変化している。

  それ以外は現代の都心部と変わらない。

  生きているものはハルカとサキの二人しか居ない。

  天を仰ぐ人のオブジェ。

  宙に浮かんだまま硬直している魚や鳥の群。

  それらを横目に歩を進める二人。




○封鎖区域内・最深部

  開け放たれたドア。

  その先から光がこちら側へあふれてきている。

  仰向けに倒れているハルカ。

  目を閉じる。




――――

○封鎖区域

  交差点。

  ハッと目を覚ましたかのように目を開くハルカ。

  目の前にはサキ。

  二人して交差点の真ん中で横になっている。





○八王子・駅・夏

  駅のホームで電車を待つハルカとサキ。

  二人とも荷物抱えている。

  夏の日差しが眩しい。

サキ 「いまここで線路に飛び込んだらさぞ劇的でしょうね」

ハルカ「またそんなこと言って。

    そんなことの為に私を付き合わせたの?」

サキ 「違うって。

    買い物だよ」

  一息つき。

サキ 「でも、本当に飛び込んじゃいましょうか」

ハルカ「やめておいたほうがいいさ。

    あなたの思っているように劇的なのは一瞬だけだし。

    それに、

    何ヶ月もかけて手に入れた命を

    一瞬で失うなんて切ないね」

  サキの戯言に真面目に返すハルカ。

  サキ、小さく笑い、

サキ 「きっと、その一瞬がいいのよ、たぶん。

    人目につくような死って

    なんかそれだけで表現めいているというか」

  ハルカ、やれやれ、またか、といったふうに

  態とらしくため息をつく。

ハルカ「なんでそういつも死にたがるのさ」

サキ 「人たるもの、

    その生と死には意識を向けざるを得ないのです。

    ……とはいっても、本当に死にたい訳じゃないよ。

    不老不死の薬があったら迷わず使うし、

    予備の体を作れたら今の体を捨てられる。

    悪魔との契約だって喜んでできる。

    それくらいには生きる希望に満ちあふれていますよ」

ハルカ「なんか間違った方向に進んでいる気がするんだけど」

サキ 「何?

    探求者には命がいくつあっても足りないの」

  一息つき。静かに続ける。

サキ 「私はすべてを知りたいのよ。

    この世界の事も。

    もちろんハル、あなたの事もよ」

ハルカ「さらっと恥ずかしい事言わないでくれる?」




○大学構内・昼

  大学構内のカフェ。

  白を基調とした内装だが、

  清潔感というより殺風景とも言えるシンプルさ。

  学内情報を流す液晶パネルが

  カフェというより病院といった印象を与える。

  実際、一部の学生の間では〝待合室〟とあだ名されている。

  ハルカとサキ、窓際の席に着いている。

  プラスチックのカップにコーヒー。

  長いテーブル席で外から丸見えということもあり、

  あまり人気のない席でもある。

  丸見えといっても、

  窓向こうの通路はメインの通りではなく、

  サークル棟へ向かう通路の一つで、

  それほど人通りの多いというわけでもない。

サキ 「そういえばこんなもの見つけてきたわよ」

  一冊の本を見せるサキ。

  ボロボロの布張りの表紙。

  判別できそうでできないボロボロの表題。

ハルカ「どうしたの、そんなもの持ってきて。

    そういうの図書館じゃ貸し出しとかしてないはずだよ」

  敢えて何の本かは訊かないハルカ。

月島 「あなたのお兄さんに借りたのよ。

    あそこなら面倒な手続きをしなくても本が読めるもの」

ハルカ「(溜め息)……で、何を企んでるのさ」

  考えることをやめ、カップに口をつけるハルカ。

サキ 「願望機よ」

  ハルカ、それを聞き、吹き出しそうになる。

ハルカ「はい?」

サキ 「なんか、ロマンを感じない?」

ハルカ「……」

サキ 「なんでも願いが叶う何かがいまや東東京の廃墟群にある。

    失われた神の叡智、消え去ったものが見られるのよ。

    いいじゃない。

    ――ハルも前私にきいたでしょう?

    もしもどんな願い事でも叶うってとき、

    何を願うかって」

  少し芝居掛かった口調で静かに言うサキ。

ハルカ「いや、あれは授業でそういう資料を扱ったから。

    そんな都合のいいものなんて実際にはないよ。

    あれは娯楽作品の中だから言える事さ」

  ハルカ、俄かに悪い予感がし、はぐらかそうとする。

サキ 「そういう風に考えるから、

    その枠から出てこられないのよ。

    探してみなければ分からないじゃない。

    とにかく、休みも近いし、その時行きましょう」

  ハルカ、何を言っても無駄だと悟ったのか、

  乗り気に振る舞うことにする。

ハルカ「東東京って秘境だろ?」

サキ 「確かに昔と比べればそうだろうけど言い過ぎよ。

    少なくとも前世紀は日本の中心都市を自称していたのだから」




○封鎖区域内

  ゲート、標識がある。

  放射能、生物、化学等ありとあらゆる警告表示。

  フェンスを乗り越え、

  近くにある道路標識を見上げるハルカとサキ。

  交差点の看板には新宿までの距離。

ハルカ「結構あるね、新宿まで」

  サキ、頷く。

サキ 「案外、綺麗ね。

    八王子とそんなに変わらない。

    ツアーで入ったところはジャングルみたいだったから、

    もっとすごいのを期待していたのに」

  薄黄緑色の空と舞う雪をそれ自体は面白くないという風に。

  サキ、態とらしく大げさに肩を落ちしてみせる。

  そんなサキを見て横を向き、小さく笑うハルカ。




○部屋・ベランダ・夏

  古びたマンション。

  8階の一室。

  柵にもたれ掛かり下を眺めるハルカ。

  そんなハルカに室内から声をかけるサキ。

サキ 「飛び降りる?」

ハルカ「あんたじゃ無いんだし」

  ハルカ、起き上がり、背を手すりに預ける。

ハルカ「ねえ、どんな願いでも叶うって言われたら何を願う?」

  サキ、ベランダに出てくる。

サキ 「ん?

    どうしたのよ? 

    急に。

    そうね、

    私は、いまのままでいいわ、

    今がずっと続けばいいと思う」

ハルカ「こんな緩やかに滅んでいく世界でも?」

  ポケットから煙草取り出し口に運び、火をつける。

サキ 「ええ。

    私は永遠を愛しているから」

ハルカ「一日の花を摘め、か」

サキ 「時よ、止まれ、とか言って転落したいわね」

  ため息と一緒に煙を吐き出し、

ハルカ「助けには行かないよ」

サキ 「どちらかというと私が乙女役よ」

ハルカ「直接的ではないにしろ、私に殺せと」

サキ 「それもいいわね。

    そうだ、ハルなら何を願う?

    さっき私に聞いたんだから」

ハルカ「自分にはわからない。

    自分自身の本当の祈りなんてさ」

サキ 「それじゃ私の願いが嘘みたいじゃない」

  そう言い、

  ハルカのジャージのポケットからタバコとライターを取り出すサキ。

  一本取り出し口に咥え火をつける。

  それを目で追うハルカ。

ハルカ「そうは言ってないよ。

    でも、私は嫌だな。

    人間でいたいよ」

サキ 「もっとこう、

    嘘でもいいからお金持ちになりたいとか

    不老不死になりたいとか、

    言うだけ言っておけばいいのよ。

    こういうのは言ったもん勝ちなの。

    口に出さない願いなんて聞いてはもらえないわ、多分」

  サキ、煙を吐き出し、若干咽せながら言う。




○封鎖区域内

  東京都心部を歩くハルカとサキ。

  建物は年代相応のものもあれば、

  同種のものでも明らかに風化が進んでいるものもある。

  歩道や車道はひび割れそこから植物が生えているところもあり、

  その植生は自然ではあり得ないもの。

  見た限りでは動物も虫もいない。

  ハルカが先導している。


  ボルトを投げ、落ちた地点を観察し、ゆっくりと進む。


サキ 「ねえ。

    さっきから何でネジ投げてるの?

    もうちょっと早く歩けないの?」

  あまりの進みの遅さと友人の謎の行動に疑問を投げる。

ハルカ「ここではこうやるのが作法みたいなものなんだって。

    まあ、でも道中に危険はないらしいし、

    私もちょっと飽きてきたから少し急ごうか」

  サキ、〝ああ、そういうことか〟と軽く首を傾げる。

サキ 「ちょっとそれ貸して。

    私もやりたい」

  サキ、ボルトを受け取り投げる。


  進み続ける。





○封鎖区域内

  地上駅。

  駅のホーム、客は無くただハルカとサキの二人が居るだけ。

  線路に視線を落とすハルカ、ベンチに腰掛けるサキ。

サキ 「見た目とか構造物の感じとか

    私達の暮らしている街と変わらないものなんだね」

  サキ、線路を挟んで向こう側の広告看板を眺めながら呟く。

ハルカ「そうだね。

    でもここは百年以上も昔から既にこの形だった。

    ――。

    私達人類の生き方が街に現れているとすると

    日本人はこの百年でほとんど成長していないのかもね」


サキ 「百年くらいじゃ変われないのね、きっと。

    それにいままで日本の中でも大きな都市だったのよ。

    簡単にはイメージを捨てきれなかったのかもしれないわ。

    こういうふうに遺物として

    まるまる形が残ってしまったっていうのもあるかも」

  淡々と言うサキに対し、

  思案し、ハルカ。

ハルカ「確かに、変な言い方ではあるけど、

    全てがなくなってしまっていれば

    その分大きく前に進めたのかもしれない。

    あんまりそういう考え方は好きじゃないけど」

サキ 「そう?

    全部捨てて、初めからやり直せたら

    より良い結果になると思うけど」

ハルカ「それは、

    かけたコストが無駄になるから途中でやめられないって

    いうのと同じくらい良くない手だよ」




○喫茶店

  ハルカとサキの二人。

  テーブルの上のコーヒーカップ。

サキ 「そういえば文化財なんかを

    重層現実に過去の記録と全く同じに再現する保存事業が

    進んでいるらしいね。

    ずっと昔に失われた風景を疑似体験できるんだってね」

ハルカ「最近こういうの多いよね。

    昔は良かったとか、絆が、とか

    中途半端な懐古趣味の話。

    ノスタルジーがコピーされて本物に成り代わる、

    それを延々と繰り返して、

    オリジナルを食べてしまうってやつもあったね。

    オリジナルを喰い潰したコピーはオリジナルと言えるのか。

    記録と記憶をつぎはぎして修繕したものは一体なんなのかな」

  ハルカ、片肘をつき窓の外を見ながら言う。

サキ 「あれはあんまり好きじゃなかったな。

    思い出だけではお腹はいっぱいにはならないもの。

    ましてや偽物や理想なんかじゃ、体を壊してしまうわ。

    ――基底現実と重層現実の二つの現実か。

    一体何が本物になるんだろうね」

  サキの言葉に、

  ハルカ、腕を組み背もたれに体重をかけながら。

ハルカ「現実と夢みたいなものかも。

    簡単にどちらがどっちかなんてのはわからない。

    でも、

    どちらも同じという結論には持っていきたくはないっていう」

サキ 「結構ロマンがあるよね。

    もうずっと昔から人々の関心を集めていただけあるわ」

  しみじみと、サキ。

ハルカ「サキはさ、ロマンって好きだよね。

    思い出とかそういうのはおいしくないんじゃないの?」

  ハルカの言葉に一瞬、固まるサキ。

  カップに添えた手に力が入る。

サキ 「ロマンは食べられないから好きなのよ」

  サキ、カップを口に運び、ほんの少し苦い表情で言うと、

  カップに砂糖とミルクを加えてかき混ぜる。




○封鎖区域内

  線路を歩くハルカとサキ。

  宙に浮いたまま静止した魚の群れが空へと続く。

  螺旋階段のよう。

サキ 「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど、いい?」

  声をかけるサキ。

  振り返り答える、ハルカ。

ハルカ「何よ? 

    急に」

  サキ、ハルカを追い越し、問う。

サキ 「今の自分は幸せだと思う?」

  先へ進むサキを追いながら、ハルカ。

ハルカ「さあ?

    こういうのは、自分で決めるものだろうけど。

    そう簡単にはいかないね。

    (一息)

    ま、とにかくさ、いまは、お宝を探しましょ。

    せっかく入れたんだしさ。

    (思案)

    言い出したのはあんたなんだし、

    何弱気になってんのさ」

サキ 「そうね、せっかく来たのだし。

    お土産の一つでも持ってかえらないとね」

  サキ、笑みを作る。

ハルカ「しかし、嫌な空気ね」

  空を見る。





○部屋・夜

  ハルカの部屋。

  乱雑に積まれた本。

  机もあるが、荷物で埋まっている。

  小さなテーブルが部屋の中央にある。灰皿。カメラ。

  煙草のパッケージ、鳥のロゴ。

  テーブルを挟み床に座る二人。

ハルカ「はい、これが通行証」

  隔離区画の研究施設への入場見学のチケット。

  顔写真入り。

サキ 「まさか、本当に入れるとは」

ハルカ「学生なんかだとツアーで手前までいけるのよ」

サキ 「そこから、わざとはぐれるわけね」

ハルカ「そういうこと。

    でも東東京かぁ。

    昔は人も物も多かったんだろうね」

サキ 「それがいまや、

    謎と危険、神秘に満ち満ちているのよ」

ハルカ「まあ、なんか死ぬ程危険なのは勘弁して欲しい」

サキ 「楽しんだもの勝ちよ。

    その結果命を落としてもそれはそこまでよ」

ハルカ「虚無感に囚われて死にたがってる変人と同じにしないでよ」

サキ 「私からみてあなたも十分変人よ。

    文学部のくせにロマンが足りないのよ」

ハルカ「ロマンはもうお腹いっぱいなんだ、

    誰かさんのおかげでさ。

    現実は文献資料やらフィルムなんかよりよっぽど奇妙だし、

    私は友人に恵まれなかったわ」

サキ 「あなたが言う?」

ハルカ「どっちもどっちさ」





○封鎖区域内

  新宿地下ロータリー。

  雪が降っている。

  しかしその雪は積もる事はなく地に着く前にどこかへ消えてしまう。

  ショーケースに展示された人形や絵画。

  壁に寄りかかるハルカ。

  ロータリーからのぞく雪空を眺めるサキ。

サキ 「ねえ、空を自分の力で飛びたいと思ったことはある?」

ハルカ「ないわ。

    人はそういう風にはできていない。

    あるのは落下だけよ」

  ハルカ、ボルトを手の上で遊ばせている。

サキ 「つまんないわね。

    私はいつも思ってる、

    でも飛びたいっていうより宙に浮きたいってかんじかしら」

ハルカ「この前も言ってたね。

    宙に浮いた世界がどうとか」

  サキ、しばし思案し。

サキ 「そうね。

    じゃあさ、人形に憧れたりしたことは?」

ハルカ「それもないわ。

    子供の頃、人形で遊んだ事はあるけど、

    ただただ不気味に思ってた。

    いまだから言うけど初めて親にもらったときは泣いたらしいわ」

  腕を組み答えるハルカ。

サキ 「意外ね。

    でも確かに人形には何か恐ろしい魅力があるわね」

ハルカ「芸術の方から見れば美しいのかもしれないけれど。

    それは予定された科学的なものにすぎないわ。

    そのまま理想という名を冠した人形もある訳だし。

    流れ出たものを辿って

    その源流へ辿り着こうとでもしたのかね。

    その試みは捻りがないけれど、順当ではあるのかも。

    ……でも、それとは関係無しに何か不安になるね。

    自分が揺らぎそうになる」

  ハルカ、微妙に語気が強くなり、最後の方は吐き捨てるように。

サキ 「人間と人形の境界を区別するのは

    明白であるようで難しい問題だよね。

    でもさ、その境界のあやふやさを逆手に取れば、

    それで、仮に自分と全く同じものが作れたとしたら、

    体が壊れるたびに乗り換えて、

    永遠を生きる事も可能かもしれない」


  いつからか雪は空へ向かって降る、というより昇っている。


ハルカ「自分を自分としているものが、

    記憶だけだとしたらあり得なくもないかもね。

    でもきっと無理、私達はただの鉄の人形ではないわけ。

    肉体と精神が自己を自己として認識するには

    これらを切り離して考える事はできない。

    精神的情報だけを取り出せたとしても、

    肉体に蓄積された時間や空間、経験までは複製しきれない。

    前にも言ったでしょう?

    クローンコピーはオリジナルなのかって問題。

    (一息つき、腕を組み替える)

    それに、少なくとも自分は元の身体を捨てて、

    別の身体に乗り換えたという事実を知っている。

    この情報によって拒絶反応が起きるわ。

    自己の唯一性や連続性が失われているという事を

    意識せざるを得ない。

    その意識は持続する事になる、きっと。

    もうオリジナルの自分は存在しないという疑念で

    自分を殺してしまうだろうね」

サキ 「それを割り切れれば、

    もしかしたらね。

    まあ、そういう映画みたいな状況には

    今の人類の技術は達していないよね。

    それにそういう作品ってだいたい後味悪いし。

    哲学の主題としてはメジャーだけれど、

    なにやら別の意図があるようにも感じるわ」


ハルカ「そういうズルは認めたくないし、

    したくもないって事かもね。

    (一呼吸おいて、思案)

    そういえば突然さ、

    空を飛びたいかとか人形がどうのとか、

    何が言いたいの?」

サキ 「何でもないわ。

    ただ聞いてみたかっただけ」

  サキ、つぶやくように、自分に言い聞かせるように。

ハルカ「……もう帰るか?

    さすがの大先生も疲れましたでしょうか?」

  茶化しながらも心配するハルカ。

  口調とは裏腹にかなり焦っているような様子。 

サキ 「いえ、大丈夫よ、せっかく来たのだし。

    置いては行けないわ。

    (一呼吸)

    とにかく誰も不幸なまま終わらせはしない。

    鳥はもう落ちないわ」

  サキ、誓うように宣言するように、

  言い聞かせるように、

  静かに小さく、それでいてはっきりと口にする。





○部屋

  ハルカの部屋。

  乱雑に積まれた本。

  机もあるが、荷物で埋まっている。

  小さなテーブルが部屋の中央にある。灰皿。カメラ。

  煙草のパッケージ、鳥のロゴ。

  部屋の奥、キッチンのある方へ一人語るサキ。

サキ 「いい?

    あの世とこの世、

    生と死、

    領域、

    その他を別っていた境界は今となっては曖昧。

    かつては自明であった彼岸もその姿を消し、

    魔的な存在も失せてしまった。

    それが、あの旧都心にはあるんだ」

ハルカ「カップ麺、シーフードとチキンどっちがいい?」

  ハルカ、遮るようにキッチンから声をかける。

サキ 「シーフードがいいわ。

    ……そう、東東京旧都心にはある。

    そこにはあかりに埋もれてしまった境界が再生されている。

    科学によってただの夢にされてしまったモノが、

    本来なら一つであるものが隔てられ、

    区別されるベきものがただの一つに縛られてしまったものが。

    前時代的な科学による独断主義の犠牲者たちが。

    現実に喰い潰された幻が、

    理想が殺した幻が。


    境界線に立ち俯瞰しよう。

    どちらへも傾く事なく直立不動かつ浮遊して。

    何からも干渉される事もなく、

    穏やかな波すら立たない水辺を目指そう。

    宙に浮いた空の足場へ行くのよ。

    ――私達のアタラクシアはそこにあるのだから」


  部屋へカップ麺を持ってくるハルカ。

  サキの演説が終わるのを見計らっていた様子。

ハルカ「はい、熱いから気をつけてよ。

    食べ終わったら薬ちゃんと飲むんだぞ」

  ハルカ、頭を指差し、クルクルと円を描く。

サキ 「ちょっと酷くないかしら?

    あなたこそ病院行った方がいいわ。

    きっと肺が真っ黒よ」

  ムスッとし、

  胸を指差しながら小言を言うサキ。

  いつの間にか煙草を口にくわえているハルカ。

サキ 「食べ終わってからにしなさい」




○封鎖区域

  広い空間、室内。

  光沢のある床、リノリウムか。

  ところどころ破損し、コンクリートが露出している。

  入り口とその向かいに扉がある。

  扉は開け放たれ光が漏れている。

  まるで餌が飛び込むのを待っているよう。

  宙に浮かんだまま静止している鳥の羽根。

  そこへハルカとサキの二人が入ってくる。

サキ 「きっと、あそこね」

  扉を見つけ先へ急ぐサキ。

ハルカ「しかし、なんだろうね」

  立ち止まり呟くハルカ。

  扉を見据える。





○都市区画・駅

  薄暗い地下鉄駅。

  駅のホームで電車を待つハルカとサキ。

サキ 「結局それらしいものはなかったわね」

ハルカ「まあ、そんな都合のいい話はなかったってだけよ」

  少しなだめるような声音。

サキ 「でもなにか納得いかないわ」

  ハルカ、笑う。

サキ 「まあ、いいわ」

  サキ、ムスッとしつつも、笑う。

ハルカ「不条理下での希望なんて歪みでしかない。

    圧倒的な不条理の下、

    東京を去る事しかできなかった人たちが、

    その不条理に対してまた別の不条理を用意した」

  一旦言葉を区切り、続ける。

  もしくは、

   「その不条理を面白がった人たちもいて

    彼らが面白半分に不条理を語ったりもした。

    それが願望機なんだと思う」

  サキ、うんうんと頷く。

サキ 「自ら死を選ぶ事もできずに、

    そのまま死ぬ事を選んだのね。

    結局否定し続けてきた神様と同じものを作ったのだから。

    科学もまた人の願いを具現するには至らなかった訳ね」


ハルカ「でも私達はいま生きているわけだ。

    私達はこれからどうなるんだろうね」


サキ 「少なくとも私達は捨てられた場所に

    目を向ける事をしただけだけれど、

    これからを決めるのは私達よ。

    私達は自らの道程を自ら選び取らなければならないわ、

    仮にそれが、

    その道を選ばざるを得ないと定められていたとしても」

  サキ、ため息をつき、腹を軽くさする。

サキ 「まあ、そんな事よりお腹空いたわ」

ハルカ「そうだね。

    どこか食べにいこうか」

サキ 「奮発して天然とか養殖物がいいわ。

    お酒も飲みたい」

ハルカ「財布の中身はちゃんと見ておいてよね。

    この前みたいに兄貴呼ばないといけなくなるから」




○封鎖区域内・最深部

  開け放たれた両開きのドア。

  その先からは光がこちら側へあふれてきている。

  部屋の隅にはボロ布のような何かが転がっている。

  いくつかの特徴がその〝何か〟が人間、

  さらに言えば女性、恐らくはサキであることを示す。

  ハルカ、血まみれになりながら地面を這う。

  光の方へ向かって手を伸ばそうとする。

  が、両腕は捩じれもう動くことはない。


  その顔には決意とも諦観とも希望ともつかぬ表情。

  閉じられた両目からは血が流れ出て、

  もう光を見る事はできなくなっている。


  ・フラッシュバック

   「神社の鳥居、小さな箱、サキ」


  これは映画だ、

  気に入らなければ、撮り直せばいい。

  誰も不幸にならずに終わるような。

  そんな結末が必要なんだ。

  ささやかな魔法のような。

  解けることのない。

  それも陳腐なほどの――。




○了

  終

――――









――――

蛇足

――――

○喫茶店

  冬。

  サキとハルカ。

  灰皿には吸い殻が数本。

  二人ともコーヒー。

  ハルカは砂糖をいれているらしく、

  スプーンに少しコーヒーの色が着いている。

  サキは何も入れていない。

サキ 「珍しいわね、あなたから」

ハルカ「この前はアタリではなかったからね。

    今度は卒業旅行も兼ねて、

    そこそこ安全なところへお宝を探しに行こうか」

  お宝は口実で、二人で遊びに行きたいハルカ。

サキ 「ロマンはもういらないって言ってなかったっけ」

ハルカ「それはそれ、これはこれよ」

サキ 「で、どこへ行くの?」

ハルカ「ここさ」

  古びた本と写真を数枚。

  写真には鳥居や街の景観、温泉街のよう。

サキ 「温泉?」

ハルカ「そ、湯けむり殺人事件よ。

    あ、混浴じゃないんで安心して」

サキ 「湯けむり殺人?」

  首を傾げるサキ。




  ―略―

(その気は無かったが、なぜか伝承のお宝探しをすることになった二人)




○古ぼけた神社

  壊れかけた鳥居をくぐり、

  打ち捨てられた神社の境内に入るハルカとサキ。

  社殿を周り裏手へ行く。

  僅かに残る道、それを進む。



○洞窟

  神社裏の小道を進んだ先には小さな穴がある。

  ハルカとサキは、そこへ潜り込む。


  先へ進むと、ハルカが歩を止める。

  光も届かないような闇の先。

  二人は手を繋ぎ、ゆっくりと進む。

  意識も闇へ溶けていくよう。



○部屋

  目を開けるハルカ。

  たどり着いた先は明るく、

  地面には水が溜まり水面は鏡のよう、

  ハルカの視線の先に、

  何か四角い小さな箱のようなものが浮かんでいる。

ハルカ「あれが――」

  やっと見つけた、これで。


  一人ヨタヨタと箱に近づいていくハルカ。


  サキ、目を覚まし、辺りを見回す。

  ハルカの姿を見つける。

サキ 「ハル?」


  サキに気づいたのか振り返るハルカ、

  その手は箱に触れようとしている。

  瞬間、空間が口を開け、そこに飲まれるハルカ。


  サキ、声も出せずにただ空を見つめる。


   「あなたの願いはなんですか」


  どこからか聞こえる問い。


  意識せずとも口が開くサキ。

サキ 「私は――」




○サキの部屋

  目を覚ますサキ。

  時計は昼の十二時を過ぎた頃。

  カレンダーは十一月。

  サキ、大学一年。


○大学

  講堂の端の方の席に座り、

  ただ講義を聞き流すだけのサキ。


○大学

  構内を一人歩くサキ。

  すれ違うジャージの女学生。

  何かに気づいたのか振り向きサキの背を見つめ、また歩きだす。


○駅・夜

  電車を待つサキ。

  次にホームへ来る電車は、特急電車。

  彼女のいる駅には停車しない。

  無意識かつ意識的に足を前へ前へと出していくサキ。

  ゆっくりと、

  しかしほとんど迷いもない足取り。

  点字ブロックを踏み越えようとしている。

  そのサキの肩を押さえる手。




○ファミリーレストラン

  ファミリーレストランにいるサキとジャージの少女。

?  「まあ、なんか好きなもの頼んで大丈夫ですよ。

    奢りますよ」

サキ 「何なんですか?」

  冷たい表情と声。

?  「おお、怖い。

    おせっかいかもしれないけど、助けたんですよ。

    あなた、死ぬところだったんですから」

サキ 「死ねば良かったんですよ。

    あそこで電車に轢かれていれば

    少しは目を向けて貰えたのかもしれないのに」



○ファミリーレストラン

  テーブルの上に所狭しと並べられた料理。

?  「あ~、確かに私、奢るって言いましたけど。

    あの、これ全部あなた食べるんですか?」

サキ 「だって、奢ってくれるんでしょ?」

  食事を口に運ぶサキ。

サキ 「生きてて良かった」

?  「ああ、この女殴りたい」

  次々と食事を進める先を眺め、感心したように。

?  「しかし、さっきとは全然様子が違いますね。

    悔しいけど兄貴の言ってた、

    女の機嫌は食い物でなおるってのは

    本当だったのね」

サキ 「せっかくのまともな食事ですもの」

  ジャージの少女、サキの顔を見つめると、

  自分の口元を指差す。

  サキ、意図に気づき笑う。

  ナプキンで口元を押さえながら

サキ 「さっきはなんというか、

    その――。

    (思案)

    ごめんなさい」

?  「そういうときはありがとうというものよ」

サキ 「そうね。

    ありがとう、ええと」

?  「アマギリよ、アマギリハルカ」

サキ 「ありがとう、アマギリさん。

    えーと。

    イワツキサキです」

  笑う二人。


○ファミリーレストラン

  デザートの数々。

  ハルカ、メニュー表と、財布の中身を見ながら困惑している。

  しばらく考えた後、口を開きスプーンを加えるサキに声をかける。

ハルカ「それよりさ、

    すみません。

    すこし払ってくれない?」

サキ 「はい、はい

    でも、いつか奢ってくださいね」

  サキ、手を差し出す。

ハルカ「控えめにお願いします」

  ハルカも手を出し、握手する。


  空には魚が泳いでいるのを幻視するハルカ。

  ああいうものにわたしはなりたい。




○三年後

  大学構内・昼

  大学構内のカフェ。

サキ 「そういえばこんなもの見つけてきたわよ」


◯了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

非可逆的リテイカー、或いは 京ヒラク @unseal

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ