第2話 吹けば飛ぶよな長屋のおかみ

 1.

 ——すっかり日も傾いたころ、お峰の住むところへ孫四郎と五郎左衛門が集まってきた。大家といっても、お峰も長屋の一室に居を構えているのみで、他の室よりは若干広いもののいたって質素な暮らしである。

「お峰、何を作ってんだ」

「煮込みだよ」

 孫四郎の茶々にそっけなく答えつつ、お峰は手際よく手を動かし、芹やら大根やら季節の野菜を刻んでは次々と火鉢にかけた鍋に放り込んでいる。方や孫四郎はと言えば、勝手に奥に上がり込んで煙管片手にのんびりとくつろぎ、すっかり亭主気取りである。

「お前さんの料理は煮込みばっかりだな」

「悪かったね。貧乏なんでねえ、誰かさんのお陰で」

 ぐぅ〜。

「貧乏にしちゃ、肉なんぞどうしたんだ」

「ちょいと知り合いから、鶏のいいのを分けてもらったんだよ」

 ……ぐうぅぅ〜。

「……五郎どん、あんたいつから食べてなかったんだい」

 先程から二人の会話に、相槌のごとく合いの手を入れていたのは、黙々と火鉢の火の面倒を見ていた五郎左衛門の腹の虫であった。やや赤面しつつ、五郎左衛門が咳払いをする。

「む……み、三日ほどか。時たま、六兵衛どののところで茶菓子などいただいては、いたのだが……」

「三日!? おいおい旦那しっかりしろよ」

「六兵衛さんとこって、お子さんに読み書きを教えに行ってるんだろ。ちゃんとおあしをいただくようにしたらいいんじゃないの」

 堺屋六兵衛は、ここから通り三本向こうに店を構える茶問屋の主人である。以前ちょっとした頼みごとを五郎左衛門が引き受けたことがあるのだが、以来人柄を気に入られたのかなんなのか、もっぱら息子の遊び相手、兼教育係として何日かにいっぺん呼ばれるようになったのだ。

「いや、そういうわけにはいかぬ。童の読み書き指南など、大したことではないのだし」

「変なところ堅いねえ」

「六兵衛どのから心付けをいただくこともあるが、到底武士の仕事とは言えぬので……」

 ぐう〜〜〜〜。

「……腹の虫は異論あるみたいだけどね……。とにかく、飢え死なれてもこっちも困るんだ、困ってたら言いなっていつも言ってるじゃないか」

 五郎左衛門には優しいお峰である。それもそのはず、そんな状況にもかかわらず五郎左衛門、店賃だけは毎月遅れず支払っているのだ。

 剣の腕は立つし、人柄も真面目なのだから奉公の口の一つや二つ見つかりそうなものなのに、どうにも堅物すぎて主人をしくじる、というのが五郎左衛門の弱点である。結果、日雇いの用心棒仕事やら、市場の力仕事やらを引き受けては日銭を稼いでいるらしい。

「そうそうお峰どのの世話になるわけにも……」

「いいんだよ旦那、こんな薹の立った婆あが一人で暮らしてるなんざ、俺たちが来てやった方が親切ってもんだろ」

「ああん? 四郎、あたしが婆あならあんたは爺いだよ、何せ同い年の生まれなんだからね」

「爺いで結構、俺はお前さんと違って飯食う相手には事欠かないからな」

「そーゆー自慢は店賃きっちり払ってからにしとくれ」

「いや、お峰どのも孫四郎どのも、まだまだお若いではないか」

 二人の憎まれ口に、大真面目な顔で口を挟む五郎左衛門にお峰は吹き出した。

「なんだかねえ。さ、できたよ」

 鍋からは醤油のいい匂いが漂っている。男二人に煮込みをよそうと、お峰は自分の碗も軽くよそい、それぞれ前に置く。

「かたじけない。馳走になる」

「鶏なんざ久しぶりだな」

 律儀に一礼する五郎左衛門と、遠慮なく箸を取る孫四郎、まったく正反対な二人ではあるが妙に気があっているのも不思議なものだ。しばし無言で箸を口に運んでいた五郎左衛門が、ふと椀から顔を上げると孫四郎に話しはじめた。

「そういえば、先程石川のお屋敷がどうのと言っていたが。その、六兵衛どのから、いささかよろしからぬ噂を聞いたな」

「ん? なんだ、堺屋は石川邸にも出入りしてたっけ」

「いや、どうも商人どうしの噂か何かだったか……とにかく、最近あそこは本国での揉め事があるらしく、江戸屋敷に目が行き届かないせいで、妙な中間崩れが出入りするようになっているそうだ」

「嫌な話だねぇ」

 お峰が顔をしかめる。

「で、その石川のお屋敷がどうしたのだ」

 首をかしげる五郎左衛門に、椀をつつきながらお峰と孫四郎はかいつまんで今朝の話を説明した。

「面妖な……。お屋敷の中で何か、よからぬことでも起こっているのであろうか」

 深刻な顔つきで考え込む五郎左衛門の横で、孫四郎がこれまた思案顔で腕を組む。

「あそこらのお屋敷の中間部屋ってえと、まあ胡乱な連中が出入りしててもおかしかねえが、それなら俺の耳にも噂の一つ二つ入ってきそうだがねえ」

 各藩の江戸屋敷といえば、主人が本国の勤めで留守の間に流れの中間どもがたむろして、賭場だのなんだのをひっそり開いたりしているのもよくあることだ。が、さすがにその類の噂には孫四郎は耳が早いはずで。

「石川さまのとこってのは、あんまし聞かねえんだがなあ」

「ふーん……」

 男二人の顔を交互に見比べ、お峰は何か考えている様子だ。

「直の知り合いがいない以上、このままじゃどうしようもない、かね……」

 煮え切らない表情で煙管を手に取った孫四郎に、火を貸してやりながらお峰はぼそりと呟いた。

「手がないってわけでも、ないけど」

「ん?」

 予想外の言葉に、孫四郎が喫いかけの煙管を口から離す。五郎左衛門も訝しげにお峰の様子を伺っている。

「……面倒なことに首を突っ込みたくはないけどねえ……でもあんたたち、このままじゃどうにも気が済まないんだろ」

「ん、まあ……なあ」

「左様、治安の乱れを捨て置くのは性に合わん」

 それぞれに頷く二人をもう一度見比べ、お峰は軽く肩をすくめた。

「んじゃ、まあ。あたしはちょいと出かけてくるから、ここの片付け、任せたよ」

「出かけるって、今からか?」

「この暗がり、お峰どの一人で出歩くにはいささか危ないぞ」

「いいから、まあ、黙って待ってな」

 軽くいなす調子ではあるが、お峰の口調にはそれ以上有無を言わせぬ響きがあり、孫四郎と五郎左衛門は顔を見合わせて口をつぐんだ。お峰は前掛けを外し、上着を羽織るとさっさと出て行く支度を済ませている。

半刻はんとき(一時間)もしたら戻るから。ここで待ってておくれ」

「……ああ」

「……うむ」


 2.

「お峰のやつ、いきなり何しに出かけて行ったんだ」

 煙草盆に溜まった灰を始末しながら、孫四郎はぼやいた。横で鍋と器を洗っていた五郎左衛門が、心配そうに外の様子を伺う。

「日も落ちたというのに、お峰どのお一人で無事だろうか……」

「いやまあ、そうそうやられるような玉じゃあねえとは思うが」

「しかし近頃は物騒な世の中であるしなあ」

 あくまでも真面目にお峰の身を案じる五郎左衛門に、孫四郎も改めて表を見た。

 物騒、と五郎左衛門が言うのにも理由がある。このところ、江戸の町では相次いで強盗おしいりが出ており、商家や武家のお屋敷が荒らされる事件が多発しているのだ。

「まあ、な。しかし案じても、どうしようもあんめえ」

 一見ふてぶてしく畳にあぐらをかき、どっしり構えている様子の孫四郎だが、先ほど片したばかりの煙草盆をまた引き寄せて煙管をいじっているのは、落ち着かない内心の表れでもあろうか。洗い物を片付けた五郎左衛門は、改めて湯を沸かし、茶を淹れて自分と孫四郎の前に置く。

「お、悪いな」

「薄かったら申し訳ない。拙者、何かと不調法なのでな」

「俺ぁいちいちそんなこと気にしねえよ」

 二人並んで茶をすすり、ぽつぽつと会話をする。待たされる身の半刻は、思いの外長い。

「——ところで孫四郎どの。お峰どのが、なぜこの長屋のおかみなどやっているのか、ご存知か?」

「いいや? 五郎の旦那は知ってるのかい」

「いや、知らんのだ。お峰どのと仲のいい孫四郎どのなら、何か知っているかと思ってな」

「仲……別によかぁねーぞ」

 渋い顔をする孫四郎に、五郎左衛門が首をかしげる。

「そうか? 孫四郎どのと話している時のお峰どのは、いつも楽しそうに見えるのだが」

「楽しそう、ねえ」

 それを言うなら、よっぽど旦那と話してる時の方が優しげだが——と言う言葉を孫四郎はあえて飲み込み、代わりに煙管に火を入れて大きく吸い込む。

「仲がいいかどうか知んねえが、女身ひとつで大家なんぞやってるのは珍しいからな。話しやすいのは確かかもしれねえ」

「うむ、それは同感だ」

 孫四郎にせよ五郎左衛門にせよ、この長屋に流れ着くまでには色々な宿を渡り歩いており、身寄りもないため長屋を借りようとして断られた経験もそれなりにある。細かいことを詮索せず、すんなり受け入れてくれたお峰には感謝の念はある。

「拙者、六兵衛どのやほかの商家のご主人などともたまに話すのだが、お峰どのの素性については誰も知らんのだ。かといって忌み嫌われているわけでもなく、皆がなんとなく信頼しているという、なんとも不思議な……」

「そういやそうだな。あんまり当然にしてるもんで、気にもしてなかったぜ」

「そうであろう。拙者も以前までは、特に気にしたことはなかったんだが……実はなあ……」

 そこまで言って、五郎左衛門は口を濁した。いつになく煮え切らない態度に、孫四郎がポンと煙草盆に煙管の灰を落とす。

「なんだい、気味が悪い。なんかあったのか」

「その……六兵衛どののご紹介で、先日とある商家に行ったのだがな。そこの若主人が、どうもその、お峰どのを気に入った、と……」

「はあ!?」

「拙者を呼んだのもそれが、その、本当の目的だったようで、どのような方か知りたい、場合によっては……妾に取りたい、と、な」

「何言ってやがんだそいつは」

 しどろもどろの五郎左衛門を横目に、孫四郎は手荒に煙草盆を煙管で叩く。落とした灰が着物の裾に散ったのにも気づかず、新たな煙草をつまみ出すと矢継ぎ早に一服をつけた。

「んで、旦那はどう答えたんだ」

「むう……」

 煙を吐きかける孫四郎の剣幕にややたじろぎつつ、五郎左衛門はもごもごと答える。

「拙者としてはだな、それでお峰どのが幸せになるのであれば、ご紹介するにやぶさかでは……ないし、うむ、もちろん本人の意向次第ではあるが、やはりこのような貧乏長屋で苦労するよりは裕福なご主人に抱えられるのであれば、それはまあお峰どのにとっても良きことかもしれんとまあ……」

「ごちゃごちゃ言ってるが、旦那。結局のところあんたはどう思うんだ。正直に言え」

 孫四郎にぎろりと睨まれ、とうとう観念したように五郎左衛門は肩を落とした。吐息とともに、消え入りそうな声でぼそりと呟く。

「……気が進まん」

「だろうと思ったよ」

「ここの居心地がいいというのもあるし、お峰どのが居なくなったら寂しくなるとも思うが、なにより、その若主人の感じが気に食わんでな」

 六兵衛の紹介ということで、波風を立てるわけにもいくまいと、黙って話を聞いていたところ図に乗った相手は五郎左衛門に好き勝手を言ってきた。

 曰く、どうせ独り身で長屋のおかみなどやっているのは、ろくな素性ではあるまいが、よく見れば顔の造作は悪くない。よく働くという噂も聞くし、商家に迎えられるとなれば悪い気はするまい。歳も行っているし正妻にはしてやれんが、夜の相手くらいはさせてやる、云々。

「なんでえ、その偉そうな野郎は……よく旦那も我慢したもんだな」

「うむ、正直六兵衛どのがあの場にいなかったら一喝しておった」

 ようやく本題を話せてほっとしたのか、五郎左衛門の表情は先ほどよりは明るい。とは言うものの、この件、二人にとってはおおごとである。二人がここに住んでいられるのも一重にお峰の懐の広さがあるからだ。お峰が離れ、新たな大家と話をするとなったら、ろくな勤めもしていない二人は追い出されてしまう可能性が高い。もちろんお峰がそんな話にほいほいなびくとは思い難いが、万が一ということもある。

「仕方ねえな、しばらくその話は茶ぁ濁して、その若主人とやらの人柄を見極めた方がいいだろ」

「うむ。なんにせよ、ひとまずこの話、お峰どのには内密に願えるだろうか」

「もちろんだ。旦那は堺屋に上手いこと言っといてくれよ」

「うむ」


 3.

「——ただいま」

 しばらくしてお峰が戻る頃には、男二人はすっかり周りを片付けて、素知らぬ顔でお峰を出迎えた。

「遅かったじゃねえか」

 孫四郎の言う通り、約定の半刻はとうに過ぎており、もうじき一刻にもなろうかという頃合いだ。

「悪いね、ちょっと長引いちゃってさ」

 事もなく答え、お峰は上着を脱ぐとその辺に適当に投げ、畳に座り込んだ。よく見れば、その頰がほんのりと赤い。

「酒でも呑んできたのか」

 尋ねる五郎左衛門に、ひらひらと手を振ってお峰は笑う。

「まあ、少しね。……ところでお二人さん、明日の夕刻また出かけるから、一緒についといで。どうせ暇だろ」

「どうせ暇とは心外な」

「まあ、その通りだけどよ」

「ちょっといいところに行くからね。せいぜいいい格好しておいで」

「はあ?」

 唐突なお峰の指示に、孫四郎と五郎左衛門は顔を見合わせた。

 どこへ? なんのために? そもそも今日お峰は何をしてきたのか? 聞きたいことはいろいろあるが、酔っているのかいやに陽気ににこにこしているお峰は答える気はなさそうだ。

「明日の、夕七ツごろにね。うちに来ておくれ。それから出かけるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貧乏長屋の事件帖 牡丹 @rie_botan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ