第8話
作之進は準決勝を辛うじて判定勝ちした。
試合場では中村と鬼山の準決勝がこれから始まる。両校の応援席から声援が飛び始めた。作之進は正面の北高の応援席に夕子の姿を見つけ、息苦しくなった。
夕子は何かを訴えかけるような哀切な眼で、作之進をひたむきに見詰めている。しかし、嫉妬の黒雲で正常な観察力を奪われている作之進は夕子の心情が分からない。鬼山を応援する姿をおれに見せつけるのか、そこまでおれを苦しめたいのか。夕子に対する怒りと疑心が再び膨れ上がった。
中村と鬼山の試合が始まった。
中村は両拳で顔面をカバーした組手立ちで構え、前後に軽くステップを踏み始めた。鬼山は両掌を顔の高さで前に突き出した前羽の構えである。
両者攻撃を出さず、見合った状態が二分以上続いた。試合終了間際、先に中村が動いた。一歩踏み込み、突きのワン・ツーから右ローキックを放った。鬼山は退きながら、これにハイキックを合わせてきた。
中村の右ローキックは空を切り、鬼山の右足甲は中村の顎を捉えた。中村の重戦車のような巨体がのけぞり、真後ろに倒れ込んだ。
「一本!」主審が右手を上げた。
北高の応援席から万雷の拍手と歓声が沸き起こった。鬼山は一礼して退場するとき、作之進を一瞥した。薄い笑みを浮かべ、その眼は次はお前の番だと言っていた。
中村は数分後意識を取り戻し、自力で引き上げてきた。「おれとしたことが、とんだ失態を見せてしまった」中村はタオルで滝のような顔の汗を拭きながら、自嘲気味に笑った。
「気にするな。今の鬼山とやったら、誰だってあんな感じになる」作之進は言い、自分が床の上に大の字になって倒れている光景を想像した。途端に得体の知れない魔物に心臓を鷲掴みされたような恐怖に襲われた。
作之進は中学校の卒業式の日に、鬼山に言われた言葉を思い出した。
その日、卒業式の後の最後のホームルームが終わった直後、作之進が右手を差し出し、「お互い過去のことは水に流して、真っ白な気持ちで高校に行こう」と話しかけたのに対し、鬼山は握手を拒否して、こう言ったのだ。
「おれはこの三年間、柔道では一度もお前に勝てなかった。しかし高校ではお前の得意なことで勝負して、必ずお前に勝つ。このことを覚えていろ」
その後、作之進が第二高校で空手部に入部すると、しばらくして、鬼山も北高で空手部に入った、と風の知らせで聞いた。あの日の言葉から、鬼山は空手でおれに勝つつもりなのだ、と作之進は理解した。
作之進は何故、鬼山が汚い工作をしてまで自分を陥れたのか、また自分に勝つことにそれほどの執念を燃やすのか、未だに分からない。先祖の敵みたいに付け狙われる理由が分からなかった。中学時代、鬼山を殊更いじめた事実もなければ、仲間はずれにした記憶もなかった。逆に教室でも部でも目をかけ、気を使っていたぐらいだ。それを思うと、鬼山は性格異常の偏執狂ではないかとさえ思えてくる。しかし自分がどう思おうと、鬼山は今日自分に勝って、中学以来のはた迷惑な執念を遂げるつもりなのだ。
場内アナウンスが十分後に決勝戦が始まると告げた。
作之進は柔軟体操を始めた。股割りで股関節を入念にほぐし、膝と足首の筋も縮め、伸ばす。上半身の筋肉と関節も緩めていく。身体をほぐしながら、こころもほぐれろと念じる。正面の場外に鬼山が出てきて、柔軟体操を始めた。時折、作之進を見、揶揄するように笑う。
場内アナウンスが決勝戦の始まりを告げ、作之進と鬼山の名前が読み上げられた。作之進は立ち上がり、試合場に向かった。
「作!」
背後から声が飛んだ。振り返ると、館内入口から顔をのぞかせた中村が片手を上げた。こちらへ走ってくる。
「お前が絶対に知っておくべき情報だ」中村は満面に笑みを浮かべ言った。
「何だ?」
「トイレに行った帰りに白鳥と出くわして、真相を打ち明けられた。白鳥は鬼山を応援したくて来たのではない。母親が浪費家で鬼山の親父の会社から二千万円近い借金をして、返済が滞っているらしい。鬼山とデートしたのも今日応援に来たのも、そのことを持ち出され、断れなかったそうだ」
「本当か?」作之進の疑心は瞬時に霧消した。
「本当だ。おれの首にかけて真実だ。すっきりしただろう。鬼山をぶっとばしてこい」
作之進は怒りを胸に秘めて試合場に入った。勝負の場で感情に振り回されると、良い結果は得られないと過去の経験で分かっている。鬼山に対する怒りはとりあえず封印しようと思い決めた。相対して立った鬼山は自分の勝ちを信じて疑わないのか、相変わらず、余裕の笑みを浮かべている。
主審の合図で試合が始まった。
作之進はフットワークを使い、前後左右に動いた。鬼山は顔の高さで両掌を前に突き出した前羽の構えを取り、動かない。
作之進は軽快に動きながら、五度攻撃を仕掛けたが、クリーンヒットにはいたらなかった。鬼山は自分から攻撃を仕掛けようとはせず、作之進の攻撃に合わせ、カウンター狙いの膝蹴りを繰り出す。作之進は膝蹴りをことごとく防いだ。
本戦の三分では決着がつかず、延長戦に入っても一進一退の攻防が続いた。
鬼山は本戦で勝利する目算が狂い、焦り始めたのか、薄い笑みが消え、苛立った表情を見せる。
延長一分過ぎ、揉み合って分かれ際に鬼山が「白鳥夕子はいただいたぞ」とささやいた。
その手には乗らんよと作之進は思った。「男好きのお前には無理だよ」とささやき返した。
鬼山の顔がこわばり、醜くひきつった。
試合が続行され、鬼山の動きが極端に悪くなり、作之進のミドルキックがクリーンヒットし始めた。
延長終了間際、味方陣営から負けているぞと声をかけられた鬼山は、無二無三に突進してきた。作之進は鬼山の動きがやけにスローに感じられた。無意識のうちに右の三日月蹴りを放っていた。
中足(足指裏の付け根の部分)が鬼山の左脇腹に吸い込まれ、肋骨の砕ける感触があった。鬼山は身体をくの字に折り、膝から床に倒れ込んだ。
「一本!」
主審が右手を上げ、作之進の勝ちを宣告した。(了)
必殺! 三日月蹴り 風来坊 @yoshi87
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