後編 猫の心地よい場所

(今夜ひと晩、やっかいになるぜ。俺の名はポン太だ。よろしくな)

(私はクイーンだ。よろしく)


 二匹の猫は互いに名前を名乗り、挨拶を交わした。

 時刻は午後三時を少し回ったところ。理真りまたちが買い物に出て、現在、安堂あんどう家の居間には、サバトラと三毛の二匹の猫と、理真の弟、そうだけがいる。その宗は、テレビのドラマを熱心に観ている。二匹の猫はカーペットの上に猫座りをして向かい合っていたが、


(どうだ、入らないか?)


 クイーンがこたつを一瞥してポン太を誘った。


(……入る?)


 が、ポン太のほうは、怪訝な顔をして首を傾げるばかりだった。


(何にだ?)


 と問われたクイーンは、


(決まっている。こたつだよ)


 もう一度、ブラウンの布団が掛けられたこたつに目を向けた。それでもポン太が要領を得ない表情をしていたため、(ははぁ)とクイーンは、


(そうか、ポン太、お前、こたつを知らないんだな)

(だから、何だ、その〈こたつ〉って。だいたい、どうしてこの家の人間は、地べたに直接腰を下ろしているんだ? 見たところ椅子のひとつも見当たらないが……)


 ポン太は広くない居間を見回した。


(お前の家には、こたつがないんだな。というか、そもそも、こたつを知らずに育ったということか)

(ああ、確かに俺の家には、その角張った饅頭みたいな物体は存在しない)


 ポン太は前脚で、こたつを指した。続けてポン太は、


(その、こたつとやらに入ると、どうなるんだ? 何か面白いのか?)

(暖かいんだよ)

(暖かい? その四角い饅頭のお化けみたいなのが?)

(そうさ。付いてきなよ)


 クイーンは立ち上がり、こたつに向かって歩き出した、が、ポン太は猫座りの姿勢を保ったまま、全く動こうとしなかった。


(どうした?)


 クイーンが足を止めて振り返ると、


(俺は御免だね。そんな怪しい物体の中に入るなんて)

(そんなことを言うな。部屋には暖房が効いているけど、こたつの中のほうが何倍も暖かいぞ)

(ふっ)と、ポン太は笑みを漏らすと、(暖かい場所なら、他にもあるじゃないか)

(他にもある?)クイーンは居間をぐるりと見回して、(……こたつ以上に暖かい場所なんて、この部屋、いや、この家には存在しない。断言する)

(何を言ってるんだ、あるじゃないか……ほら)


 ポン太は視線を上げた。クイーンもそれを追って目を向けたが、


(まあ、あれも多少の熱は発するが、こたつには遙か及ばないぞ。だいいち、近づいたところで、暖まるのは体の一方向だけだ。その点、こたつというのは――)

(誰が近づくだけなんて言った?)

(えっ?)

(乗るんだよ)

(……乗る?)クイーンは、もう一度ポン太が示した物体を見て、(あれに?)

(そうだ。くつろげるぜ)

(くつろぐ? あの上で?)

(何だ、その反応は。お前は乗ったことはないのか?)

(……さすがにないな。私たち猫族は確かにバランス感覚に優れる種族だが、あの上に乗ろうと思ったことはないな)

(バランス? 何の心配もないだろ。あれだけ大きなものなら、上もさぞ広いだろうぜ)

(お前は何を言っているんだ?)

(見たところ幸い、あの上には何も置かれていないしな。たまにいるらしいぜ、あの上に写真立てや時計なんかを置く人間が)

(いや、普通、置かないだろ。あんなところに)

(俺はまた、何も置いていないから、お前専用のスペースとして、この家の人間が空けてくれているのかと思ったぜ)

(お前は何を言っているんだ?)

(あれは重たいから、場所が簡単に移動しないのもいいよな。俺たち猫は変化を嫌う生き物だから)

(いや、あれは、つい先月、お母さんが部屋の模様替えをしたときに動かしたばかりだぞ)

(お前こそ何を言っているんだ? 動かした? あれを? お母さんという、あの人間の雌がか? 宗とかいう雄が手伝ったんだよな?)

(いや、お母さんひとりで動かしたぞ)

(嘘だろ? お前のところのお母さんは化け物か?)

(失礼だな君は)

(と、とにかく、俺はあの上に乗らせてもらうぜ。その怪しげな〈こたつ〉とやらは、お前ひとりで潜り込んでな。お、上手い具合に宗が部屋を出たぞ。今のうちに……)


 宗がトイレに立って居間を出ると、ポン太は目的のものの前に立ち、それを見上げ、後ろ脚のバネを使って一気に跳び上がった。そして、厚さ五センチに満たない液晶テレビを楽々と跳び越え、テレビの裏側に着地、いや、落下した。

「にゃ!」という虚を突かれたような叫び声と、落下する物音が聞こえ、直後、どたばたと、ポン太がもがく音が続いた。その中には、何かのスイッチを入れた(正確には、切った)、カチリという乾いた音も紛れていた。たまらずポン太がテレビの裏から跳び出てきたのは、宗がトイレから戻る数秒前だった。


(……こいつは何がしたかったんだ?)


 部屋の隅に行き、毛繕いを始めたポン太を見て、クイーンは思った。



(来いよ)


 こたつから顔だけ出してクイーンは、窓際に佇み外を見ているポン太の哀愁溢れる背中に声を掛けた。サバトラ猫は、ゆっくりと振り向くと、こたつに寄ってきて、


(あんなに薄いテレビがあるんだな)

(むしろ、薄くないテレビがあるのか?)


 クイーンが訊いた。


(ああ、俺の家には、ばかでかい箱みたいなテレビしかなくてな。その上に寝そべると、これが最高なんだ。暖かい空気は上に行くだろ。だから、体全体がポカポカになるんだぜ。たまに俺の尻尾が画面に垂れ下がると、『邪魔だ』って同居人の爺さんが退かしに来ることもある。でも、俺自身をテレビの上から追い払おうとしたことは一度もない)

(いい同居人みたいだな)

(ああ、この家の人間たちもな)

(そうさ……さあ、入ってくれ)


 クイーンは前脚で布団をめくり、若干のスペースを作った。こたつの中に続くその穴を、おっかなびっくり眺めていたポン太だったが、恐る恐る足を踏み出すと、音もなくこたつへ進入していった。クイーンもサバトラの後ろに続く。


(おお、こりゃ、暖かい)

(だろ)


 初体験のこたつに、ポン太はご満悦の様子だった。二匹は並んで横になり、


(でも、お前が言う、箱みたいなテレビの上っていうのにも乗ってみたいな)

(あれも暖かいぜ。でも、暖かくなるのは、テレビが点いているときだけだから、音がちょっとうるさいかもな。その点、この、こたつというのはいいな。静かで暗くて、最高だ。うちの爺さんもこたつを買えばいいのに……)


 喋るうちに、ポン太の声は聞こえなくなっていき、隣ではクイーンも同じように静かになった。心地よく静謐なこたつの中、二匹の猫は仲良く並んで寝息を立て始めた。

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猫の心地よい場所 庵字 @jjmac

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