Brightness into Tragedy

 このことは自治区内で大きく報道され、ティノは移民や反逆者から一転、エネに認められた有力者として世間の大きな注目を集めた。長く苦しかった囚人生活を終えたティノは、晴れた笑顔で3年ぶりに自宅の門をくぐった。父と母が玄関を飛び出し、愛する息子に抱きついた。

「ただいま……帰って来たよ。長く待たせてごめん……愚かな息子を許して……」

「何言ってるのよ……!あなたはたった一人の私の宝物よ……お帰り、ティノ。」

「父さんはお前を誇りに思うぞ……あの時はどうなることかと思った。バカ息子と見捨てたことも一度や二度じゃない。だがお前は間違っていなかった……不幸な我々の世界を変えたのだよ!」

 その後、約束通り、ティノは区立政経大学に入学した。他の同級生より3年半ほど遅れたが、その差は見る見る縮まり、年末にはかつての級友と同じ評価点を得た。ティノにとっては、初めて差別や不当な扱いなく学習できた学校にもなった。もう誰も混血などと詰る者はいない。それどころか、エネから期待を寄せられたことについて尊敬の眼差しで見つめる学生もいた。

 リトラディスカとの講和条約締結など、平和に向けた活動も、徐々に活発化していった。族長はいないが、エネが事実上のリーダーとなり、様々な政策を打ち出した。リトラディスカ側も無理にケルを統合しようとせず、独立自治権を与え、ケル族独自の思想や文化なども尊重した。

 翌年、エネは難題にぶち当たると、意見をもらうためティノを訪ねるようになった。未だ反リトラディスカ感情の絶えない一部の暴徒化、圧政により生まれた貧困層への対応、未熟なまま放っておかれた法や制度の整備……どれも一昼夜で片付く問題ではないし、民主政治に慣れていないかつての家来からは有力な意見が得られない。エネはよく行き詰っていた。大学のティノを訪れるのは、政治に生かすためだけではなく、ガス抜きの目的もあったのだろう。そして実際ティノは、その時の情勢を的確に理解したアドバイスを提供した。エネが期待した通りの活躍で、ケル族の行政や経済を支えていったのだ。


 その次の年、リトラディスカで大災害が発生した。震源が中央部だったため、ケル族自治区に大きな被害はなかったが、隣国の惨状はすぐにエネたちの耳に届いた。

「ティノ!!聞いた!?あんた半分リトラディスカ人でしょ?」

「ええ、もちろん……エネ様、何か支援をお考えですか?」

「え、うーん……やっぱりこういう時って助けるべきなのかな……」

「おそらく他国からも義援金や支援物資が届けられるでしょう。しかし今は各方面の国境が閉ざされているという情報が入っていますから、すぐにということはないでしょうけど……その分、我々が動けば、世界へのアピールにもなります。そんなことを言っては心苦しいですけど、そういう面でも賢くやらなければいけませんからね。」

「そっか……でも正直、そんな金がないのも事実なわけ。貧困層からめっちゃ不満寄せられてるのに、よりによってリトラディスカに金使ったら何言われるかわかんない。かといって物資はもっとないし……どこから義援金捻出するのよ?」

 ティノはしばらく考えた。

「この際……そうだ。募金を呼び掛けてはいかがでしょうか。ケル族の中にも、本当はリトラディスカを助けたいと思う人々もいるはずですし、今の学生は特に歴史をあまり体験していませんから、純粋に協力したいと言ってくれるかもしれません。それに、こうして義援金を募ることが、今のケル族がどれだけリトラディスカに好意的な関心を寄せているかを知る指標となるかもしれません。」

 エネは相槌を打ちながら頷いた。他の政治家からは絶対聞けない意見だろう。

「よし、わかった。やってみるわ。」

 実を言うと、エネはティノの意見を持ち帰った後、政策会議で自分のアイデアのように発言していた。元罪人だった外部の一大学生の意見で行政が動いていると知れたら、自分たちのメンツに関わるからだ。ティノはこのことをエネから聞かされてはいないが、半分見抜いていたので、特段反対もしていなかった。ただこれもあと数年――ティノが学位を取得するまでの我慢だ。卒業したら、エネは自治政府事務局の一員としてティノを招き入れるつもりである。

 今回の募金の案も採用され、ケル族民に広く呼びかけられた。数週間後、目標額の3千エスクには届かなかったが、多くの募金が寄せられた。災害発生から約1か月後、リトラディスカ王家にエネ名義で義援金が贈られた。

 このことは世界でも大きく報じられた。かつて激しい敵対関係にあった両民族が、初めて協力しあった……と、各国のセンセーションを集めたのだ。


 ある時、エネがこんなことを言っていた。

「あたし、自分の目標って持ったことないんだよね……中学生の時から族長で、周りに言われるまま過ごしてたし、今だってロクに……」

「そうですか……僕も1つ大きな目標は叶いつつありますからね。両民族の平和……それだけです。幼いころから抱きつづけた夢は。あとはもう、望むことは少ないです。今がすごく充実していて、この平穏がずっと続けばいいな、って。

 まあでも強いて言うなら……ケル族の皆がもっと幸福になること、ですかね。それに向けて力を尽くしていきたいです。」

 エネの顔が電球を灯したように明るくなった。

「それだ!それだよ……!

 あたしさ、ずっと思ってることがあって。いつかケル族が、自治区扱いじゃなくて、ひとつのちゃんとした国になればいいと願ってる。今のままだと、いつまでもリトラディスカに制圧されてた時の思い出が残っちゃうし、国際的にも満足な関係を結んでもらえないんだよね。独立国になってこそ、世界にも認められて治安も経済もよくなるし、リトラディスカとも対等な立場で向き合えると思う。

 決めた。あたし、それを目標にするわ。ま、個人と言うより自治政府の目標だけど。その時は、あんたも協力してね。卒業したら、事務局に入れてあげる。どう?」

「思っても見なかった申し出ですが……直接政治に関われるならこんなに嬉しいことはありません。恥ずかしくないように知識を蓄えておきますね。」

「もちろんだよ。あんたなら大丈夫。きっと将来、あたしの右腕として活躍してもらうから。約束だよ?」

 ティノは深く頷いた。


 和解から4年ほどたった、ある日のこと。

 ティノは大学の最終学年となり、授業の一環で貧困地区の調査に当たっていた。

 鞄に資料を沢山詰め、経済状況を取材する。原因の多くは、安定した職業に就けないことだった。日雇い労働を転々としながら、その日暮らしでしのいでいる。独立国となるには、まだまだ課題が山積みだった。

 突然、目の前で若い男性が倒れた。血の気を失い、力なく横たわっている。ティノが駆け寄った。

「もしもし、大丈夫ですか?どうされました?」

 かすかに声を出しているが、顔が真っ青だ。ティノは座り込み、応急救命を始めた。

 男性の衣服を緩めている時だった。背中に、激痛が走った。次の瞬間、男性のすぐ隣に、同じように倒れた。書類の入った鞄は、何者かにひったくられていった。

 気を失った男性は、何事もなかったように立ち上がり、ティノを足蹴にして逃げ出した。


 後からその場を発見した市民によって、救急馬車が呼ばれ、ティノは搬送された。鋭利なもので突かれたと見られる傷は、中心を捉えていた。

 医師たちの懸命な処置と治療は、その状況を改善することが出来なかった。


 後に、実行犯3人が逮捕された。いずれも貧困地区の住人で、犯行に使用されたのは岩や氷を砕くピックだった。裕福そうな学生が調査に来ているのを知った3人は、わざと病気のふりをして倒れ、その隙を狙って傷を負わせ、荷物を持ち去る計画だったという。

 衝撃的なニュースは、瞬く間にケル族中を駆け巡った。すぐに、父母に知らせが届く。そしてもちろん、エネの元にも。

「エネ様、ちょっとお知らせが……」

「何よ、変な顔して。暴動でも起きた?」

「いえ、そうでは……南地区で強盗殺人事件が起きまして。殺害されたのが、ティノ・ユーディネイ……」

 エネが椅子から飛び上がった。

「はあ!?何ですって!?」

「で、ですから、ユーディネイ氏が3人組に襲われ殺害されたと……背中側から中心を刺されたようです。病院で手当てを受けましたが、搬送された時には既に……」

 役人が現場の状況などを事務的に説明していたが、エネは顔面蒼白で、ほぼ耳に入ってこなかった。嘘だろ、あり得ない、ふざけんな……何度も呟いた。

「……それで、犯人は」

「しばらく逃走していましたが、先ほど3人とも身柄を確保したようです。容疑は認めているとのこと。」

「……殺せ」

「はい?」

「ぶっ殺す……よくも……よりによってあいつを……!!クソ野郎、復讐してやるわ!絶対許さないんだから!!今すぐここに連れてきなさい!!あたしの手でそいつらを地獄に送ってやる!!!」

「エ、エネ様、落ち着いてください、あの……」

 聞く耳など持っていなかった。族長だったころの、冷酷で非情な自分が帰ってきた。血が沸々と煮えたぎるのを感じる。怒り、悔しさ、衝撃、慟哭……それらが腹の底から燃え上がった。

「死刑よ、死刑……牢獄にぶち込んで、苦しめて、それから……」

 ふと、ティノの顔を思い出した。4年前、あの小部屋で話したこと。7年前、集会で対峙した時のこと……走馬灯のごとく甦った。遠くで、声が響く。

「無差別な殺戮は野蛮な獣。理性と思慮ある行動こそ真の強さ……」

 煮え立った感情が、徐々に静まってきた。鉄血のエネ族長は姿を消し、ティノと出会った後の、新たな自分が帰って来た。

 ここで徒に極刑を下せば、ティノの願いに背くことになる。頭を冷やし、冷静に考えることで、真にやるべきことが見えてくる……それが彼の口癖だった。

「ごめん、忘れて。死刑のことは一旦保留。でもちゃんと捕らえておきなさいよ……刑罰は後で決めるから。」


 病院の片隅に用意された、質素な小部屋で、ティノは眠っていた。その冷たい手を握り、父が静かに涙を流した。母は咽びながら、白い額を撫でていた。

 部屋のドアがノックされる。現れたのは、エネだった。ティノがエネにアドバイスを送っていたことは知らなかったため、両親は仰天してしまった。

「あ……邪魔した?いいわよ、あたし後で来るから。」

「エ……エネ様……なぜこちらに……?」

「ああ、知らないんだね……いや、うん、いろいろ世話になったから。別に悪いことじゃないから安心してよ……」

 とはいえ、エネの前で長く時間を過ごすのも恐れ多い。2人は一旦退出した。

 エネは青ざめた顔で、目を伏せながらベッドに近づいた。

「全く……何なんだよ……こんな簡単に死んじゃってさ……3年の監獄生活耐えたんでしょ……あんたは強いって思ってたのに……

 ねぇ……ティノ……起きてよ……目覚ましなさいよ……これは事務長命令よ……!何でこんなところで寝てんのよ……さっさと起きて話聞いてよ……!移民問題とかさ……格差改善とかさ……やるべきことたくさんあるのよ……!約束したじゃない!卒業したら……政府に入って……あたしの右腕として働くって……!!!

 ここで終わるようなやつじゃないでしょ!!国を作るんでしょ!!皆が幸せに、平和に暮らせるケル族の国を、実現するのがあんたの夢なんじゃないの!!!答えてよ、ねえ!!」

 エネは声を上げて泣き崩れた。4年ぶりの涙が、ティノの前で溢れ出た。ドア越しにエネの嘆きを聞いていた父母も、その場で再びくずおれる。

 耐えきれなくなった2人が、部屋に駆け込んだ。エネはそれが分かると、すぐに涙を拭い、威厳ある顔つきでシャンと立った。

「お話、お伺いいたしました……ティノのことを、そのように言っていただけるなど……考えもしませんでしたから、つい……」

「何も話していなかったのね。彼らしいけど。メンツもあるから、あまり言わないようにしてたの……でもこの際、もういいわ。

 こういう時、あたしの立場としてどう言ったらいいか、わかんないんだけど……この度は本当にご愁傷さまです。息子さんのことは、誇りに思っていいと思うよ。実はあたし、行政で困ったことがあると、ティノにいつも話を聞いてもらったの。釈放する時、そういう約束でさ。政経大学に入れて、勉強してもらって、その代わりあたしの手助けをして、って。実際、リトラディスカとの対話の時も、それ以外の政治問題の時も、彼には本当にいい助言をもらった。めちゃめちゃ会議がはかどった。もっとも、ティノの名前は出さず、あたしの考えとして通してたけどね。ほら、いろいろ世間がうるさいから。

 ともかく本当に本当に感謝してる。ティノがいなければケル族の暮らしはもっと悪くなってたと思う。何の知恵も常識もなかったあたしを支えて、意識を変えてくれた……だからこそ……だからこそ、もっと、ずっと、長くいてほしかった……政治家になって、一緒にケル族を変えていこう、国を作ろう、いろんな目標を共有して、これから先も、ずっと……」

 エネは途中で声を詰まらせた。顔を背け、ひとつ咳ばらいをした。

「……だから悔しくてしょうがないし、正直すぐにはこの状況を受け入れられないと思うけど……いつか、ティノの命が無駄じゃなかったって、胸張って言えるようにしたい。そのためには、残された人が、遺志を受け継いでやらないと、彼も浮かばれないでしょ。あたしのせいでたくさん苦しい思いをさせちゃったからさ……これからは心安らかに過ごしてほしい。

 あら、ごめんなさいね、貴方がた差し置いて話しちゃって。」

 両親は何度もエネに感謝を述べ、深く頭を下げた。エネは小さく会釈をして、病室を去った。


 3人の実行犯は、現在裁判にかけられている。死刑は免れる見込みだが、厳しい罰が与えられるようだ。

 ティノの葬儀には、エネも参列し、花を捧げた。家族や友人、一部の政府関係者に見送られ、自宅近くの墓地へ埋葬された。

 彼がこの自治区で起こしてきた数々の運動は、両親やエネ、大学の有志たち、そして密かにティノの活動を応援してきたケル族によって引き継がれた。リトラディスカを始めとする混血民族や移民、貧困層など、社会的に弱い立場にある人々を支援する基金が、ユーディネイの名のもとに設立されたほか、民族内と外交関係における「平和」に向けた制度が多く施行された。また、これまで秘匿とされてきた、ティノがエネ政府に与えた助言が一般に公開された。それを知ったことで、新たに彼の事業へ支援を申し出る人民も少なくなかった。

 幼いころから両民族の平和を願い、死をも恐れず権力に立ち向かったティノ。最後まで信念を貫き通した人生は、多くの人々に影響を与えていた。その遺志は受け継がれ、今も活動が続いている。

 ティノ・ユーディネイの魂は、決して消えることなく、ここに在り続ける。

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