『影無くんの未来予知。』

ゼロん

『影無(かげなし)くんの未来予知。』




 未来予知者がいたとする。


 その人は、例えばどこまで、どのように未来を見れるのだろう。


 その問いに、僕は……『今際の際いまわのきわの光景』。

 死の直前の光景のみ、と答える。


 なぜなら、僕は知っているからだ。


 近所のおばあさんが老衰で亡くなることも、一緒に遊んだ友達が病気で亡くなることも。


 そして、


「どうしたの? 影無かげなしくん」


 ──隣の席の朝倉あさくらさんが、明日電車に轢かれて死ぬことも。



 僕は、知っている。




 ***




「……退屈だなぁ」


 影無幸雄かげなし ゆきお


 特に優秀な成績をおさめることなく、ほかの男子よりも背が高いわけでも、運動が得意なわけでもない。


 高校生の帰宅部だ。


 ただ、誰にも信じてもらえない特徴を言うとすれば、


「おばあちゃん。咳、大丈夫?」


 ──未来予知ができること。


 首も動かせないくらいの満員電車にゆらゆらと揺られて10分。


 僕は目の前の苦しそうなおばあさんを見ることを余儀なくされていた。


「あぁ、大丈夫だよ。ちょっと喉が詰まっただけだよ」


 おばあさんの目の前で孫と思わしき子供が安心するように息をつく。


 しかし、僕には見えてしまう。


 ──病院のベッドに寝かされたおばあさんが、孫の前で息をひきとる姿が。


 妄想ではなく、本当の話だ。


 気がついたのは五歳の頃。


 ──10分。


 10分以上同じ人を、目を逸らさず見ていると、その人の死因、今際の際の映像が頭に流れてくる。


 最初は気のせいかと疑った。けど、それが何度も続くにつれ、真実味を帯びてきた。


 公園で遊んだ女の子が、予知通りに手術に失敗し死んだ時、ついに僕は確信してしまった。


 ──僕には、人の最期が見えることを。


 過去に、僕は通りすがりの人が死ぬ光景を何度も見てきた。


 溺死。事故死。老衰。焼死。……病死。


 あげればキリがない。


 予知の内容を告げてもいい。けれど、僕はそれが無駄だと言うことも知っている。


 信じないから。というのも理由の一つだ。

 けれど、僕が諦めている理由はそれが主じゃない。


 ──何をしても、この予知を回避することはできないからだ。


 未来予知の確信となった少女。


 名も知らず、たまたま遊んだその子が、手術に失敗し死ぬ未来を見て、僕はそれを止めようとあらゆる手を尽くした。


 必死に言葉を交わして、元気づけた。大切にしていた神社のお守りも、彼女に手渡した。


 名も知らない他人なりに、できることを最大限やった。手術を受ける病院の場所も聞いて、迎えに行く約束もした。


 治ったら、一緒に遊ぶ約束も。


 けれど、


『その子は……亡くなったわ』


 ──全部、無駄だった。


『心臓が……その、つい先ほど止まってしまったの』


 それから、僕は人と関わるのが怖くなった。


 10分以上見てると『見えてしまう』。

 その人が死ぬ瞬間を。避けられない未来が見えてしまう。


 ────もう誰の死にも関わりたくない。


 以降、あまり友達と距離を詰めることもない。

 必要以上に接さない。


 見えた時に辛くなってしまうから。


 他人の目を見て話すことも、10分以上はしないようにしている。


 先ほどのお婆さんにも、子供にも、特に何も言うこともすることもなく、僕はただ彼女達から必死に目を背けていた。


『次は──自由ヶ丘──自由ヶ丘でございます』


 そう想いを馳せている間に、自宅から最寄りの駅まであと数駅のところまで着いた。


 だいぶ人も少なくなり、自由に動けるまでになった。


「かーげなしくんっ!」


「ぅえ!?」


 いきなり後ろから背中を軽く押された。ゆっくりと身体を回して後ろを確認する。


「あっ朝倉さん……びっくりしたぁ……」


「さっきぶり、影無くん」


 驚いて心臓が飛び出るかと思った。

 僕を押したのは、朝倉涼子あさくら りょうこ。最近、となりの席になった僕のクラスメイトだ。人混みで気づかなかったが、同じ車両にいたのか。


「僕、次で降りるので」


 そう言って僕は扉付近に身体を寄せる。できれば、すぐに立ち去ってくれないかなと祈って。


「あ、そうなんだ。ってことは……あ、この駅かぁ。へぇ……最寄りにスーパーやカラオケもあるっていいね!」


 彼女はなぜか口数の少ない僕に対して積極的に話しかけてくる。


「それに、あたしも近くの駅だね。影無くんの最寄りから一駅先なんだ!」


「……あ、そうなんだ」


 理由はわからない。彼女との接点は授業内でもあまりなかったはずだが。


「ね、ね。影無くんって、明日の午前授業の後とか予定ある?」


「え……? いや、特にないですけど」


 この時、僕はなぜヒマと答えてしまったのだろう。嘘でも家族との予定があると言えばよかったのに。そうすれば彼女の性格上、すぐに引き下がっただろうに。


「もし……その、よかったら一緒にカラオケとか行かない?」


 朝倉さんは首元で切りそろえた茶髪をいじる。


「たまたま割引クーポンが余っちゃって。二枚とも期限以内に使いたくて……」


 しまった、と気づいたのはこの時だった。


 もしここで彼女と遊びに行く約束をしたら、必然的に10分以上顔を合わせることになってしまう。


「ええと、その……何で僕?」


「え!? あ、いやその……ヒマそうかなって」


 事実だけど。


「と、とにかく。明日は大丈夫?」


「ええと、水曜……だったよね。そういえば」


 うん、と朝倉さんは頷く。


「ごめん。明日は中学の友達と約束事があるんだった」


 我ながら、下手くそな言い訳だ。ずっと人と距離を置いておいて友達と遊びに行くなんて、ほとんどないだろうに。


「そっか……ごめんね! けど、もし予定が空いたら教えて!」


「あ……うん」


 朝倉さんは深くは聞かなかった。

 しかも、直前まで待っていてくれると。


 ……どうして僕なんかと行きたいのだろう。彼女の交友関係はそこまで狭くなかったはずだが。


『──駅。──駅。お出口は左側で、』


「あ、もう着いてた。朝倉さん。また明日!」


「うん──またね。影無くん」


 手を振って、彼女はドアの向こうへ消えた。



 ***



 翌日の朝。嫌な夢を見た。

 電車のホームと線路が、血で染まっていた。


 すごく鮮明でおどろおどろしい夢だった。


 最悪の目覚めとともに、いつものように電車に乗り、校門をくぐって教室に着いた。


 今朝のは……本当にただの夢だったのだろうか。


 ***



 1時間目が終わり、10分の休み時間に入った。

 ふと視線を感じたので、横を振り向く。


「あっ……なっ、なんでもないよ! ただ見てただけ!」


 朝倉さんがにこやかにこっちを見つめていた。


「今日の現代文、なんだか難しい話だったね。影無くんはどう思った?」


「……ん。まぁ、そうだね。途中から登場人物に共感できなくなっちゃったから」


「古典でもないけど、明治とか近代でも今と感覚がズレてるんだね〜」


 一応、話ぐらいはする。最低限のコミュニケーションはとらないと、後々クラスで困ることもあるだろうから。


 他愛もない雑談。彼女と話しているうちに10分休みは終わった。


「あっ、いけない。もう授業始まっちゃう。ロッカーから教科書持ってこないと」



 ────電車。



「────っ!?」



 ────迫る電車。サイレンと轟音。肉がひしゃげる音。鏡を引き裂くようなブレーキのこすれる音。申し訳程度で残った千切れたリボンと学生服。霞んでいく視界──



「────影無くん?」


 夢から現実に引っ張られる感覚。朝倉さんの水のように澄んだ声で、僕は我に帰った。


「……ねぇ……大丈夫? 額が汗びっしょりだよ?」


 心配そうな顔で僕を覗き込んでいた朝倉さんに気づく。額を手で拭うと指摘の通り、額にも、遅れてきた感覚で、全身にびっしょりと冷や汗をかいていることもわかった。


「顔色も真っ青だし……」


 言える……わけがない。


 今のが、彼女の────


 ──朝倉さんの明日に起こる避けられない死の光景だなんて。


 朝倉さんはそんなことも知らず、僕の手を掴んで。



「わたし、付き添うから保健室いこっ!!」



 保健室まで引っ張っていった。




 ***




 保健室にいた先生には『貧血ね』と言われた。

 持病や臓器に異常はないかどうか、朝倉さんが必死に尋ねていたが、先生が大丈夫と言うと、朝倉さんは安心して帰っていった。


「無理しないでね」


 とそう言い残して。


 先生もいなくなり、一人になった僕はずっと考えていた。


 今まで見たどの予知よりも鮮明で、強く心を揺らした────映像ビジョン


 それは見ていない今でも僕を苦しめた。


 自分の頭を手で抑えて、必死に頭痛をこらえる。


 ──関係ないじゃないか。


 頭に、脳に響く。


 ──今さらどうなろうというのだ。朝倉さんも他人だ。今までも、これからも、そう。


 そう考えなければ、どうにかなってしまいそうだった。


 ──ただ僕との繋がりがあるとすれば、クラスが同じってだけで。それを除けば、僕が今まで『見てきた』他人と、なんら変わりはないんだ。


 間違った……考えだ。自分でもわかってる。


 ──それにどうせ僕に何ができる? どう抗っても未来は変えられない。いわゆる……運命なのだ。『そうなってしまうもの』なのだ。


 助けられたとして……そしたら今まで僕が『見てきた』人はどうなるんだ?

 わかっていて、見ないフリをしたことになるんだぞ?


 そんなの────見殺しと同じじゃないか。


 何人も、何人も見殺しにしたも同然じゃないか……!


「……は、はは」


 気づいたら、乾いた笑みが口から溢れてた。



 ***



「────影無くん」



 聞き覚えのある澄んだ声に、僕は我に帰った。

 顔を上げて見た、彼女の顔が──救えなかった名も知らないあの子に重なった。


「……朝倉さん」


「授業終わっても戻ってこないから、心配して来ちゃった」


 朝倉さんはそう言ってへへ、と照れ臭そうな笑みを浮かべた。……どうして。


「教室で待ってても来なかったから。自分で行こうと思いましてっ」


 ……ずっと、待ってたのか。


「……朝倉さんは」


「……ん?」



「どうして……そんなに僕に構ってくれるんですか?」



 僕の問いに、朝倉さんはすごく驚いた顔をしてた。そして困ったように頬をかいて、



「……気になる、からかな」



 ……え?



「それってどういう……」


「あぁ〜……ごめんね! 自分でもよくわかんないし、秘密ってことで!」


 朝倉さんは両手を合わせてそういった。変なことを言ったとでも言うように。



「それよりもさ。今日って……一緒に帰れる?」



 ***



 気がつくと僕は、朝倉さんと一緒に駅までの道を歩いていた。


「はじめてだよね。わたしと影無くんが駅まで一緒になるの」


「……あ、そうですよね」


 ほぼ生返事に近いような返しだった。

 それでも特に気にせず、朝倉さんは話を続けてくれた。


「今日、多分影無くんが遊ぶどころじゃないかなって思って。カラオケは無理だけど、できれば一緒に帰るだけでもしたいなって思ったの」


「……」


 僕は、押し黙ってしまった。


 なぜ気にかけてくれるのだろう。

 僕は特に注目の的になっているイケメン男子でもなければ、これといって面白い人であるわけでもない。


 むしろ静かすぎて輪を乱す異分子でしかないだろう。なんでそんなに……他人である僕に優しいのだろう?


 朝倉さんの性格を考えれば、それが普通のことなのかもしれない。


 クラスでずっと一人でいたから気になった。

 ただそれで声をかけているだけなのだろう。


 朝倉さんは、クラスのほとんどの人と仲が良いし人当たりもいい。遠目から見ても、それはわかっていたから。


「まだ──頭。くらくらする?」


 だから、決して。自分が心の奥底で思っているような理由では──決してないのだろう。


 そんな的外れで、自分で考えて呆れてしまう、そんな望ましい理由では決して。


 ────けれど、


「……えっと、あのさ」


「なに?」


 死んでほしく、ない。



「カラオケ────最寄りでもいい?」



 そう思ったから。



 ***



 幸い、一人でカラオケはよく行く方だったから、カラオケに行くことの抵抗は少なかった。


 でも、女子と二人きりのカラオケは初めてで。クラスの前で一人プレゼンをするよりも遥かに緊張した。


 クーポンのおかげで、財布面でも抵抗は無かった。元から安いところなので余計に。


「あ〜〜!! 楽しかったぁ……!!」


 朝倉さんは軽く伸びをして、僕の横を歩いていた。


「……友達との予定は? 大丈夫だった?」


「メールしといたから」


「そっか……なんか、ごめんね」


「いや! いいんだ。別に。日曜にふりかえたから。友達とは結構遠くでの待ち合わせだったから、最寄りの方が帰るの楽だし」


 もともと無かった約束だし、と心の中で加えておいた。


 初めは戸惑いもあったけれど、店を出る頃にはだいぶ朝倉さんと話すようになっていた。


 カラオケでは、初めは遠慮してしまい彼女の歌を聴いてばかりだったけれど、


『影無くんって、どういう歌好き? リクエストにはバッチリ答えますぜ!?』


 と張り切りテンションで振ってくれた。

 朝倉さんの歌は……すごく上手かった。聴き惚れてしまうくらいに。


 それを正直に言ったら、彼女は赤面してた。


 僕はアニソンやたまにロックなどが好みの中心だった。正直に話したら朝倉さんも結構興味を持ってくれて。


『あ、このアニメ知ってる! このオープニングカッコいいよね……!』


 終盤は互いに知っているアニソンをデュエットした。採点結果を見ると、彼女の一人の時より少し点数が下がっていたので、自分が足を引っ張っている気がした。


『神デュエット! イェーイ!』


 とハイタッチをしてくれたのは、いい思い出。


「やっぱり、ちょっとダルい?」


「あ、いや! もうだいぶ楽になったから。朝倉さんは?」


「わたし?」


「退屈させたかなって。ほら、僕って……その、あんまり面白くないし」


 すると、おかしな事を聞いたかのように朝倉さんは、ふふっと笑った。




「────楽しいよ? 影無くんといるの」




 ダンプカーに跳ねられたような、強い衝撃が僕を襲った。


「だって、いつもわたしの話。聞いてくれるでしょ? 感想だって……思ったことをすぐに言ってくれるし」


 こっちも思っていることを素直に言える。と彼女は続けた。


「……わからないよ? ……もしかしたら、生返事で返してるかもしれないし」


「ふっふー。影無くん。甘いのだよ。どうやってもこの名探偵、朝倉の目は誤魔化せんぞよ〜?」


 チッチッチッと朝倉さんは指を軽く振る。

 いつも、こんな感じだったっけ朝倉さん。


 教室では大人しい人だなと思ったけど……もしかしたら、僕が知らなかっただけで、普段はこんな感じなのかも知れない。


 彼女の知らない一面を知れて、少し得をした気持ちになる。


「……それ、誰の真似?」


「いいからいいから。わたしね。嘘とか生返事とか、そういうのはすぐにわかるの。男子とかは、特に」


「……ぎくっ」


「たとえば、影無くんは電車に乗る前に生返事をしていました」


 ぎくぎくっ。


「けど、気にしてないよ。影無くん、疲れてたし」


「……本当は?」


「ちょっぴりムッとしました」


「どっちだよっ」


「あ……」


 まるで珍しい物でも見たかのように朝倉さんは口元に手を当てて、


「笑った……」


「えっ?」


「あ。ごめんね。こっちの話。あと、わたしの目が正しければぁ……」


 朝倉さんは僕の鼻先に指を突きつけて、



「影無くんは────わたしに、何か隠し事をしています」



 ──心臓を槍で突かれた。そんな表現が正しいくらい、完全に意表を突かれた。


「……やっぱり。今日の影無くん、なんだか変だったから」


 やはり、僕はわかりやすいのだろうか。いや、彼女が鋭いのか。もしくはその両方かもしれない。


「そ、それよりもさ! あと近くに観覧車とかがある公園があるんだけど……!」


 誤魔化すように、別の場所へ誘った。後々考えると、デートに誘ったようにも見えてなんだか恥ずかしくなった。


「あっ、いいね! まだお金あるし、行こう!」


 自然と、彼女の手が伸びて。僕も……なぜかはわからないけれど、その手を掴んでいた。


 この手の温かみが、なくなってほしくないと。──そう願いながら。



 ***



 観覧車のお代は、思ったよりも安く済んだ。


「わぁっ……! 影無くん! 見て見て!」


 日が沈み、空に赤い色が広がるにつれて、顔を喜びで輝かせている朝倉さんに反して、


 僕の中では後悔と不安が、風船のように膨らんで、胸にまで上がってきていた。


 どうして……僕はこんな事をしているんだと。


「……綺麗だね」


 どうして……余計に別れるのが、辛くなることをしているのだろう。


「影無くん。今日は遊んでくれてありがとう」


 彼女との……思い出を作ってしまっているのだろう。


「観覧車、予定が空いたらまた来ようよ。あっ

 、そうだ! まだ降りるまで時間あるから、L○NEのアドレス交換しようよ」


 明日の朝に、彼女とは永遠に会えなくなる。


「楽しみだなぁ……またカラオケにいって……美味しいご飯とか食べて……夏休みもあるし、色々できるね!」


 なって──しまうのに。


「影無くん」


 また、彼女の声は意識を心の奥から現実に引き戻す。

 どうやらまた自分でも気づかない間にぼーっとしていたみたいだ。朝倉さんは不思議そうな顔をしていた。


 さっきまでゆったりと揺れ動いていた観覧車。頂上に登ったあたりで、ゆっくりと止まる。


「ごめんね朝倉さん。ちょっとボーッとして──」


 朝倉さんは少し前かがみになって、


「朝倉さん……?」


 そっと……僕の手を握った。


「手。震えてたから」


「えっ。あっ……」


 よく見ると、小刻みに僕の手が震えていた。

 彼女の手が重なるところから、柔らかくて、どこか暖かい感触が伝わってくる。


「影無くんって……不思議」


 どきりとした。


 彼女の一言が紡がれるたび、心臓の鼓動が少しずつ、ドクンドクンと早まっている気がする。


 彼女の暖かな手の感触があるからか、普段そらし気味の僕の顔は、


「なんだか……昔のわたしを見ているみたい」


 今、この瞬間。この時だけ。

 彼女から目を逸らさずにはいられなかった。


 ──言わなきゃ。


 喉が自然と鳴り、握った手に入る力が強くなる。


 ──今言わなきゃ、ダメなんだ。


「影無くん……?」


「────朝倉さんっ!!」


 自分でも驚くくらいの大声だった。そこから先、何を言うのかは、何も考えていなかったけれど。


「どうしたの?」


 じっと彼女は、僕が言葉に出すまで、言葉にするまでずっと待っていた。


「……もう……きっと、僕は君とは会えない」


「えっ……」


 握っていた手をほどく。


「なんて言ったらいいのか……僕にも説明できない……けど!」


 今にも握りつぶされそうな心臓を手で抑える。一語一句出すたび、彼女の顔は悲しみと驚きの色が、夕日のように染まっていって。


「……けど、たぶん……もうこれから、君に会うことは………………できない」


 言い終えた後は、すでに僕の息は荒くなっていた。


「……そっ、か」


 切なくて、どこか儚げな笑みが彼女の顔には浮かんでいた。その顔には、彼女の優しさが込められていて。



「ごめんね。勝手に連れ回しちゃって」



 すっと朝倉さんはポケットから財布を取り出して、小銭を僕の手の上に置いた。


「お代。割り勘って言ったけど。わたしの分、あげるね。長い間つき合わせちゃったし、気も……つかわせちゃったから」


 ありがとう、と言って彼女は席に座ろうとして、




「────ちがうっっっっっ!!!!!」




 ちがう。僕が君に会えない理由は、


 そうじゃない。



「ちがう! ちがう!! 違うんだ!!!」



 つまらなくなんか、なかった。


「影無くん……?」


 朝倉さんは、口をぽかんと開けて目を丸くしていた。


「朝倉さんは面白くて、やさしくて、いつも僕が答えるのを待っててくれて! 休み時間中、ずっと一人だった僕に一生懸命話しかけてくれて!」


 緊張なんかは、もうすでに頭からは飛んでいた。


「今日だって、具合の悪くなった僕を気にかけてくれて、保健室まで迎えに来てくれて……! むしろ、僕の方が! 君に気をつかわせてたのは……僕の方なんだ……!!」


 たまに顔を逸らして、回避していたけれど、


 彼女の顔を見て、10分。


 また、彼女の死の光景が脳裏に移る。


「嫌だ……!」


 電車。


 ──死んでほしくない。



「影無くん……」


 引きちぎれた身体。脳漿と血濡れの線路。



 ──死なせたくないっ!



「カラオケ……すごく楽しかった」


 知りたいんだ。


「デュエットだって……よかったって言ってくれてすごく嬉しかったし……!」


 聞きたいんだ。見ていたいんだ。君を。

 優しくて、面白い朝倉さんを。


「──観覧車に行こうって言ったのだって!!」


 僕は朝倉さんと、もっともっと、



 もっと、一緒に────!!!!!


 いつのまにか、僕は席を立ってじっと朝倉さんの揺れる瞳を見つめていた。


「僕は席替えの時から──ずっと朝倉さんのことが気になってた」


 次に僕が言ったのは、ずっと……これまでずっと心に封じていた素直な疑問で。



「どうして……朝倉さんは、僕なんかを気にかけてくれるの?」



 ずっと聞くのが怖かった。

 笑われるんじゃないか、嫌われるんじゃないかって、ずっと彼女を信じていなかった。


 けど、今だけは。

 そんな恐怖は吹き飛んでいた。


「────影無くん」


「……はい」


「もしかして、明日。心臓の手術とか……あったりする?」


「…………」



 たぶん、ここでほんとうの事を言っても混乱させるだけだろう。



「うん。そんな、感じ……かな」


「……そう、なんだ」


「治る可能性の低い、手術なんだ。……失敗したら、もう……」


 本当は……君なんだ。

 けど、明日君が死ぬなんて、とても……僕には言えなかった。


 それが……絶対避けられないってことも。


 朝倉さんは僕に背を向けて、観覧車の窓を覗きこんだ。


「ここからなら……見えるかな」


 彼女のどこか、僕には見えない、どこか遠くを見ている顔が、とても印象的だった。


「……朝倉さんって、不思議です」


「それ……あなたが言う?」


 クラスでの大人しい朝倉さん。カラオケでのノリのいい朝倉さん。


 そして……今観覧車で見せている、彼女の過去の謎をチラつかせるミステリアスな朝倉さん。


 さまざまな面を──彼女は持っている。


「わたし達、似た者同士だったんだね……」


「……」


「わたし、実は昔ここが弱かったんだ」


 朝倉さんは僕の方を振り向いて、自分の胸元にゆっくりと手を置いた。


「今は月に一回の検診と、お薬だけでいいんだけどね」


「そ、そうだったんですか」


 また、だ。


 朝倉さんと、十年前救えなかったあの子が重なる。重ねて……しまっている。


「あっ。見えた。影無くん、あそこ見て」


 僕は再び席に座り、彼女が指す窓の外に目を凝らす。彼女が指す指の先、そこには────



「…………え……?」



 十年前、あの子と出会った公園があった。




「手術の日の直前に……あそこでわたしは遊んでいたの。死ぬ前に、一人でも砂場でお城を作りたかったから」



 ──ちがう。そんなはずはない。


 心の中で必死に僕は首を横に振った。



「そしたらね、影無くんに似た目つきの子が、たまたま一緒の公園にいたの」



 ひっきりなしに鳴り続ける警鐘に、開いた口が塞がらない。



「その子、わたしが『遊ぼうっ』って言ったら。なんて返したと思う?」



 絶対に僕が今思っているようなことはありえない。偶然。ほんの偶然だ。



「……『おしろ、つくるの?』だよ? まだ五歳なのに自分のやりたい遊びを押し付けずに。


 まるで、こっちが最期にしたかったことがわかってるみたいに言ったんだ。今から考えると、ほんと……不思議だったなぁ」



 あの公園には何度も行ったし、それに五歳児の記憶だ。


 誰と遊んだかなんて、全員の顔や素性を覚えているわけがない。



「砂のお城を一緒に作って……完成するまで、彼も一生懸命、わたしを手伝ってくれて。……優しい男の子だった」



 十年前のあの女の子が、朝倉さんだなんて、



「完成したらね、わたし泣いちゃったの。『もうあなたと遊べないっ』って。耐えられなくて、その理由も全部その子に話しちゃった。


 ……バカだよね。五歳の子に……分かるわけないのに」



 ────絶対に、そんなことはありえない。




「その子は、こう言ってくれたの。


 ──── 『あきらめないで。また、遊ぼうっ』


 ……って」




 その瞬間、暖かいものが目から頬へ伝わって、地面へ落ちた。


「同じ言葉を……あなたにも送るね」


 彼女の口から、二度目の言葉が僕の耳へと還っていく。



 ────僕の、言葉だ。



 僕があの子に……十年前の朝倉さんに送ったのと、同じ言葉だった。


「その子と影無くんがその子に似てるせいかな……わたし、実はずっと影無くんのことが、気になってましたっ」


 照れ臭そうに、彼女は頰をかく。


 彼女曰く、カラオケを機に、僕がどんなものが好きなのかを知ろうとした、とのことだ。


 僕の好みを……彼女なりに知ろうとしたのだ。

 結果はデート付きの大成功だったわけだが。

 今、思い返すと、なんだかこそばゆい。



「影無くん……目を閉じて?」



 彼女の言うとおり、僕は目を閉じた。

 バクバクと、再び心臓の鼓動が早くなる。

 うるさいから、いい加減に黙ってほしい。


 すると、しばらくして軽い布のような感触が手の上に伝わった。


「目……開けていいよ」


 ゆっくりと目を開けると、僕の手の上には、



「……あげる。手術の時も、高校入試の時も……大事な時、わたしはいつもそのお守りを持つことにしてるの」



 十年前、彼女にあげたお守りがあった。使い古されていて、ボロボロの状態で。おもりを覆う布には、何度も縫い直した跡があった。



「……さすがにもう、ボロボロだけどね。へへ」



 気がつくと、床には僕の涙で小さな池ができていた。


 観覧車もすでに入り口で止まっていた。気がつかないうちに回って、終わっていたのだろう。

 あたりはすっかり月明かりの照らす夜になっていた。


「……もう暗いし、帰ろっか」


「……お守り、ありがとう。大切にするよ」


 彼女が置いたお金は、返した。

『また学校で会う約束も』彼女とした。


「手術……がんばってね!」と言い残して、彼女は帰っていった。


 そして、駅と自宅とで別れる道で僕らが別れてすぐ。



「………………影無くんっ!!」



 彼女は息を切らせて僕の方へ戻ってきて。



「──────また……学校で!」



 涙をいっぱいにしたその目で、笑っていた。

 ぎこちなくて、なにかあれば崩れてしまうような、脆い笑みを必死に浮かべて。



「……うん、またね。朝倉さん」



 彼女の笑顔に答えるように、僕も彼女に負けないくらいの笑みを浮かべた。


「……!! うんっ!!」


 堪え切れなくなって、涙を流しながら嬉しそうに頷いた彼女が────すごく印象的だった。



 ***




 十年前のあの子が……朝倉さんであるか。


 僕はまだその事を飲み込みきれていなかった。


 信じる僕と、まだ疑う僕。


 心は半分に分かれていた。


 ……看護師さんには、『あの子は死んだ』と確かにそう言われたからだ。


 手を開き、手の上にある彼女のお守りを見つめる。


 十年の時を経て、僕の元へもどってきたかもしれないお守りと、


『また、遊ぼう』


 十年の時を過ぎて、ようやく守れたかもしれない約束。


 彼女と本当に別れて帰路に着いた僕は、歩いている間、ずっと手の中にあるお守りを握りしめていた。


 ……強く。

 絶対に落とさないように、強く。


 そして……僕は誓った。



 朝倉さんが十年前のあの子でも……そうでなくても、そんなの関係ない。



 ……運命なんて、クソくらえだ。






 ────絶対に、朝倉さんは死なせない。





 ***




 翌日の7時。


 例の駅は各駅しか止まらないので、6時には家を出ることになったが。


 僕はこれからやってくる朝倉さんを、彼女の最寄りの駅で待ち伏せていた。



 彼女の死の原因を、無くすために。



 僕の予知が正しければ、この時間、このホームで。


 彼女は不運にも誰かに押し飛ばされ、線路に落ちた結果、特急電車に轢かれて事故死する。


 僕はひっきりなしに辺りを見回して、早めに彼女が来ていないか確認する。


 人混みはあるが、今のところ彼女が来ている様子はなかった。


 一応、駅員さんにも確認はとった。

 この時間帯で人身事故が起こりませんでしたか、という異常極まる質問だったが。


 僕はちらりとホームの電子時刻表を見る。

 最速であと2分。あと2分で特急列車が来る。


 1分、1秒と時間が経つたび、僕の不安は広がっていった。


 本当に……彼女を救うことができるのかと。


 十年前、『彼女』の心臓が止まることは避けられなかった。


 やはり、避けられぬ死を見ること。

 それこそが僕の運命ではないのかと。


 すると、力強く握っていたはずのお守りが足元に落ちた。緊張のあまり、腕が麻痺してしまったのかもしれない。


 幸い人混みは動かなかったので、お守りを拾おうと僕は手を伸ばした。


『あきらめないで、影無くん。


 ────また、遊ぼうっ』


 お守りを拾って頭の中に流れたのは、観覧車での……朝倉さんの、言葉だった。


『────また、学校で』


 涙をいっぱいにして、本当は僕と永遠に別れるかわからなくて、彼女も、きっと不安で一杯だったはずだ。


 それでも、彼女は……笑ってくれたんだ。


「それでも男かよ……僕が彼女に答えなくてどうするんだ」


 数秒前の自分をぶん殴りたくなった。

 なにが、避けられない死だ。


 あの時は、たまたまそうだっただけだ。

 今は違う。助ける。絶対に死なせない。



 最後の最後まで、僕は朝倉さんのことを諦めたりしない。絶対に絶対に。


 そして、また明日も学校で会うんだ。


 おはようって。



「急げ急げーーっ!! 遅刻だぁーっ!」



 元気で、それでいて澄んだ声。

 ホームへ続き階段から、僕の望む人物はやってきた。


「朝倉さん……不思議の国のウサギかよ」


 彼女の生死がかかっているというのに……

 僕はつい笑ってしまった。彼女の新しい一面を見れて、嬉しくて。


 だが、安心してはいられない。


 すぐに彼女の近くへ行かなくては。


 僕は人混みをかきわけて、朝倉さんが並んだ列の近くへ向かう。


 途中、変な人に突き飛ばされたが、どうでもいい。朝倉さんの生き死にがかかっているんだ。


 こんなの屁でもない。



 ようやくあと一歩のところまで近づけた。


 あともう少し。もう少しで手がとど、




「────邪魔だ!!」



 大声を出して、何者かが最前列にいた朝倉さんを突き飛ばした。


「あっ、ごめんな────」


 瞬間、朝倉さんは線路の上で宙を舞った。

 突き落としたのは、



 さっき僕を突き飛ばした変なオッサンだった。



「あっ──────」



 瞬間、僕は自分でも驚くぐらいのスピードで彼女の元へ走った。


 停止ブザーなんて、僕の頭にはなかった。



 プアーッと間抜けな音を立てた死の元凶が、


 ──すぐそこまで迫っていたからだ。




『特急列車〜特急列車がー参ります。お並びの方は白線の内側へお────』



 なにかが、僕の中でキレた。




「下がってない奴がいるんだよ!!!!!


 どけぇぇぇぇぇぇっっっっ!!!!!!!」




 人混みが何事かと、モーゼの滝のように割れる。


 彼女に手が届くまで、あと数歩。


 僕の目には、絶望の色に染まった彼女の表情が離れなかった。


 10分経っていないにもかかわらず、彼女の未来予知が、延々と頭の中で繰り返し流れる。



「あさくらさぁぁぁっぁぁぁぁんんっ!!!」



 僕の右手は、彼女の腕を、



「かげなし……くん……?」



 ────掴めなかった。




「あぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!!!」




 ***




 けたたましいサイレンの音と共に、特急列車は通り過ぎた。



 周りの声が、耳を素通りする。

 息を切らし腰を抜かした自分のかすれ声が聞こえる。


 僕はゆっくりと、自分の手の中を見つめる。


 僕の左手は、お守りを離さないように握っていた僕の左腕は、



「かげなし、くん」



 しっかりと、彼女の身体を抱き寄せていた。


「あれ……? 手術は?」


 死ぬ寸前だったというのに、なんて場違いな一言なんだ。自分の心配よりも僕かよ……。


 僕はつい、笑いそうになったけど。



「う……うぅ……あさくら……さん……!」



 喜びの方が、爆発した。



「わっ……!! ちょ、ちょっと影無くん……!?」



 抱き寄せて、彼女の温かみをより実感した。

 …………生きてる。


「生きて、る」


「……えっ」


「あさくらさんが、生きて、いきてるんだ……死んでないんだ……!!」



 僕の涙は彼女の制服を徐々に濡らしていった。

 雨粒が川に溶けるように、染み込んで。


「よかった……ほんとうに……よかった……!」


「……影無くん。あぁ、そっか……わたし」


 状況を整理し始めたのか、驚きの表情が緩み、少しづつ彼女の表情に笑みが戻る。


「影無くん」


 朝倉さんに……名前を呼ばれるのが、好きだ。



『──手、震えてたから』



 朝倉さんの手の暖かさが好きだ。



『──似た者同士だったんだね、わたし達』



 朝倉さんの声が、好きだ。



『──カラオケは無理だけど、できれば一緒に帰るだけでもしたいなって思ったの』



 朝倉さんの暖かい優しさが、好きだ。


『神デュエット! イェーイッ!!』


 元気一杯のあなたが、好きだ。




「本当に……ありがとう」




 精一杯、今日を生きている、あなたが好きだ。



 ……そして、




「わたしを──助けてくれて」




 朝倉さんの笑顔が────僕は、大好きだ。




「学校。……一緒に行こっか」




 ***



 学校が終わった後、僕はついた嘘の清算をしに、かつて彼女が通っていた病院へ来た。


「手術……頑張ってね」


「うん。行ってくる」


 朝倉さんと別れて、僕は病院の入り口に立った。来るのは……10年ぶりになる。


「……」


 ここに来たのは、嘘を突き通す為だけじゃない。



「……あら、あなたは……」



 10年前の、僕の知らない真実を、問いただす為に。





 ***




「本当に……驚いたわ。まさか、あなたがここに来るなんて」


「10年ぶりです……看護師さん」


 彼女は、朝倉さんの死を伝えてくれた看護師さんだ。10年も立ったからか。当時20代後半だった彼女の顔にも、少しシワができていた。


「いま、変なこと考えなかった?」


「……え? い、いいえ!? 別に!!」


 声が上ずってバレバレだった。我ながらみっともない。


 とぼけるように僕は、彼女に出してもらったお茶をすする。


「今日ここに来たのは……」


「わかってる。……あの子のことでしょ?」


 そう。僕が救えなかったはずの女の子の話だ。

 看護師は微笑を浮かべて、事の真実を伝えた。




「彼女の心臓────動いたの」



 その言葉を、10年前に聞きたかった。

 看護師は頭を下げて謝った後、話を続けた。




 ***



 僕は病院の回廊を通りながら、頭の中で先ほどの看護師の話を反芻させていた。



『外で一緒だったでしょ? ……朝倉涼子さんと』


『……はい』


『やっぱり。窓の外から見えたから……もしかしたらと思った』


 見えていたのか。


『二人とも見間違えたわ。前にあった時はこんなに小さかったのに』


 そう言って看護師さんは手で物差しを作っていた。このくらいだったかなと。


『10年前ですよ?』


『……ふふ。けど立派になったわね。幸雄くん、なんだか、たくしましくなった気がする』


 ……そんなことはない。

 相変わらずたいして筋肉のないナヨナヨとした身体だ。


『そんな筋肉ないですよ?』


『やぁね。心の問題よ。身体なんて若いんだから今から鍛えればいいの』


 そう言ってバシンと背中を後ろから叩かれる。気合い注入のつもりかもだが、痛い。


『涼子ちゃんも……あんなに綺麗になっちゃって』


『中身はたいして変わってないと思いますよ』


『ふふっ……たしかにそうかもよね。どんなに綺麗になっても……涼子ちゃんは、涼子ちゃんだもの』


 看護師さんは、手元から一枚の写真を取り出した。



『この仕事をやってると……人の生死の境界が曖昧になってくるの。幼い子が病気に負けて………亡くなるのも、少なくないわ』



 悲しい顔をして出したのは、10年前、五歳の時の朝倉さんの写真だった。写真の中の朝倉さんは、とても幸せそうに笑っていた。



『朝倉さんは……貴方のおかげで助かったのよ』



 僕は耳を疑った。



『朝倉さんは……手術中も、麻酔で寝ている間も、その小さな手に握ったお守りをずっと離さなかったの』



『……邪魔にはならなかったんですか』



『いいえ。逆よ。病気と闘うには、私たちの腕だけじゃないわ。


 ……一番大事なのは、患者の生きる意志』


 看護師さんは語った。話せる間も、彼女は断固としてお守りを手放そうとはしなかったと。



『────やくそくしたの!! 「おまもり」をはなさないって!!


 そしたら……そしたら、かならず、かならずあのこがむかえにくるって!!!』



『心臓が再び動き出したのは……あなたがここに来てしばらくしてからだったわ』



 手が動いて、緩んで離しそうになっていたお守りを、握りなおしたという。



『あなたが来てないって泣き出しちゃった』



 来るタイミングが……悪かったみたいだ。

 ……そんなアホな。ただ待っていればよかったというのか。




『──けど……あなたが約束通り来たから、あの子も回復できたんだと、私は思うわ』



 ***



 そうしている間に、出口が見えてきた。



『涼子ちゃんと、幸せにね?』



 最後の看護師の言葉に、素っ頓狂な声をあげてしまったことは、墓下まで胸の内に秘めておくことにした。



「────早かったね。手術」



 そこには、したり顔で僕を待っていた、朝倉さんがいた。……ちょっと怒ってる?


「ええと……あのぉ……」


「言ったでしょ? 嘘、見抜くの得意だって」


 バレてた……。


 いつからだ?

 反応からして、昨日の夜あたりだろうか? いや、今朝からだろう。


「特に男子の嘘は、ねっ」


 そう言って朝倉さんは僕の鼻を小突いた。

 満身創痍ということもあって、身体はヘタリと地面に吸い付く。


「ちょ……ご、ごめん! チョンって触れただけだったんだけど……」


「いいよ。嘘ついてた罰。他に罰則は?」


 朝倉さんは少し考える素振りを見せると、



「罰として、あそこのクレープの代金を出してもらいますっ。……割り勘で」



 つまり、一緒に食べたい……ということでいいのかな。



「やっぱかなわないな。朝倉さんには」



「ふっふん。このわたしの目はごまかせないぜいっ! ほら、はやく! クレープ屋まで競争しよっ!」



 まったく……元気になりすぎだよ。看護師さん。

 でも……僕だってやられっぱなしで終わるわけじゃない。



 勘の鋭い朝倉さんなら、薄々気づいているかもしれないけど。




「────迎えに来たよ。朝倉さん」




 クレープ屋まで走ろうとした朝倉さんの足がピタリと止まった。


 そして、彼女は信じられないものを見る目つきで、こっちを見た。



「うそ……」



「────10年。待たせて、ごめん」



 僕はゆっくりと一歩ずつ。棒立ちになっている彼女の元へ近づいていった。



「ひさしぶり。……影無、幸雄です」



 ふるふると、彼女の瞳が揺れていって。



「わ、わたしこそ……!!」



「遅くなって、ごめん」



 彼女は目一杯の笑顔を見せて、




「朝倉……涼子です…………!!」




 僕は朝倉さんとの、10年前の約束を果たした。




 ***





 未来予知者がいるとする。



 その人はどこまで、どのように未来を見れるのだろう。


 その問いに、僕は……『今際の際の光景』のみ、と答えられる。


 なぜなら、僕は知っているからだ。


 近所のおばあさんが老衰で亡くなることも、一緒に遊んだ友達が病気で亡くなることも。


 そして、


「こほっ、こっほ」


「大丈夫? おばあちゃん」



 ──隣の席のおばあさんが、もうすぐ老衰で亡くなることを知っているからだ。


 そう、一昨日見たおばあさんだ。


 おそらく、そう長くない。

 これは僕にもどうにもできないことだ。


 けれど、


「──きみ、席空いてるよ。座る?」


 僕は、やれることはする。


「いいんですか……? 次で降りますから、大丈夫ですよ?」


「……男ですから。それに、おばあちゃんが隣にいないと、なんだか可哀想ですから」



 おばあさんは、遠慮がちに僕に尋ねたが、少しでも孫と一緒に過ごしたいのも事実らしい。

 大人しくしてるんだよ、と子供に注意すると、お礼を言って孫を座らせた。



「きみ、おばあちゃんのことが好き?」



 子供はコクリと頷いた。


「大好き」


「そっか……。仲良しなんだね」


 とても……いい子だな。


「おばあちゃんを大切にね」


「うん! いっしょうたいせつにする!」


 ……どこで覚えたのだろうか。子供はおばあさんの方を振り返って、



「おばあちゃん! もっと! もっとあそぼうね! ながいき……してね!」



 そうおばあさんに言った。おばあさんは……少し涙ぐんでた。


「そうかい……そうかい。……じゃあ、おばあちゃんもがんばらなくちゃ」


「おれ、おばーちゃんにおよめさんみせたげるから! まてて!」


「おやおや……もっとがんばらなきゃねぇ……」



 そんな暖かい会話をして、二人は次の駅で降りていった。


 人が少なくなり、電車の面積が広くなった気がした。



 ……先程から、ツンツンと誰かが背中をつついている気がする。



 気になって僕は後ろを振り返ると、




「────おはよっ! 影無くんっ!!」



 僕の大好きな笑顔が、そこにあった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『影無くんの未来予知。』 ゼロん @zeron0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ