彼女に見た既視感

詩野

彼女は登場しません。

 バーチャルYoutuberという新しい流行。毎日のように新人がデビューし、それに関する呟きをTLタイムラインで見ない日はないほどだ。

 そんな流行の波中、私が彼女を知ったのはSNSだった、と思う。

 特別に目を惹かれたわけではない。ファーストコンタクトの記憶は曖昧である。

 投稿、更新、完結、新刊、重版、デビュー、常に多くの報告で溢れるTLに彼女が時折混じる。

 一度、二度、三度と彼女の呟きが目を滑っていき、いつからか私は彼女がどういう存在であるかを認識した。


 ラノベ好きVtuber。

 その外見だけでは想像出来ない肩書。

 気まぐれにSNS用に編集された動画を一度再生する。


 聴き心地の良い声音とこなれているとは言い難い話し方。

 しかし伝わってくる「ラノベが好き」という感情。

 彼女の動画は愛に溢れていた。同時に奇妙な既視感を覚えた。

 何故だろう、初めて見たはずなのに。

 今となってはありふれたVtuberの一人でしかないからだろうか。違う気がする。

 リンクから動画サイトへと飛ぶ。再生。終了。


「……小娘め」


 既視感の正体が掴めないまま、再生を終えた後で思わず口をついて出たのはそんな言葉。

 私が彼女に向けた最初の感情は、苛立ちだった。


 本棚を見やる。紹介されていた作品の一つが納められていた。

 内容は覚えている。彼女が未読者への配慮から濁していた部分にも心当たりがある。

 この作品について語れ、と言われれば今すぐにも語れるだろう。

 けれど違う。まるで違う。

 私の瞳は輝かない。私の肩は震えない。私の心は動かない。

 私と彼女とでは見えている世界が、物語が、違う。


 それ以上は何も言わず、何もせず、パソコンを閉じた。

 ベッドに寝転がり、枕に顔を押し付けてくぐもった叫びをあげる。

 頭から彼女が離れない。

 彼女の熱の入った声が、楽しそうな顔が、伝わってきた好きが、頭にこびりつく。

 心がささくれ立ち、ごろごろと転がっている内に気付けば眠りに落ちていた。




 ◇




 いつからだろう。

 物語を見る目が変わったのは。

 面白さに瞳を輝かせていた時があった。感動に肩を震わせていた時があった。魅せられる夢に心を動かされていたはずだった。


 学生時代、自転車を漕ぐには少し億劫になる距離の本屋に毎日のように通っていた。

 平積み陳列などされていない、POPの一つもない、棚には一冊ずつしか納められていないような田舎の本屋の一角を右往左往していた。

 決して多くない小遣いで、バイト代で、どの本を手に取ろうかと頭を悩ませていた。

 刊行されているシリーズ物に手を出そうか。いや今の手持ちでは途中までしか買えない。

 なら新作物いくつか買おうか。いやいや今はどっぷりと一つの物語に浸かりたい。

 そんな風に悩みに悩んで、何冊かを購入し、家に帰っては読みふける。

 そんなことを繰り返していた。

 入荷が遅いのか、発注が遅いのか、本屋の本棚は私が買うと暫く空いたままになる。

 どうにかお金を捻出して本棚の空きを増やして、来店する度に中々埋まらないその空きを眺めて、ここからここまでは私が空けたのだと優越感に浸っていた。


 いつからだろう。

 物語を見る目が変わったのは。


 面白い。私には書けない。

 感動する。私には書けない。

 夢がある。私には書けない。

 本になった物語がある。私には書けない。


 物語への羨望は作者への嫉妬に変わっていた。




 ◇




 目が覚めたのは日付も変わろうとしている時間だった。

 寝直すにも眠気は飛び、けれどパソコンに向かう気力は起きない。

 本棚を見やる。本の並びは変わらない。空きもなく敷き詰められたまま。

 感情のままに喚き散らした後だからか、少し頭はすっきりしている。

 未だにちらつく彼女の姿にため息を吐いて、一冊の本を手に取った。

 内容は覚えているけれど、寝物語にはちょうどいい。


 ページを捲る。そう、こういう出だしだった。

 主人公が登場して、ヒロインが現れて、物語が始まって。

 ページを捲る。そう、こういう展開だった。

 キャラクターたちが動いて、物語が動いて。

 ページを捲る。そう、こんな物語だった。

 ページを捲る。そう、こんな展開もあった。

 ページを捲る。そう、こんな台詞も出てきた。

 ページを捲る。そう。

 ページを捲る。

 ページを捲る。

 ページを、


「ああ、くそ」


 掠れた声で吐いた悪態。


「……悔しいなあ」


 震える声で呟いた。


「面白えなあ……」


 吐き出された悪態の分、空いた心に物語が入り込む。

 吐き出した嫉妬の分、空いた心に羨望が蘇る。


 あの頃のようには戻れない。

 悔しさは拭えない。

 けれどズレていたものがかちりとはまった気がした。

 面白いから悔しい、ではない。

 悔しいけど面白い。

 ついて出る悪態は止めどない。

 ページを捲る手も止まらない。


 かつて読んだはずの物語がまるで違って見えた。

 そうして気付けば一冊を読み切って、あとがきまで読み終えた後でふと気付く。

 彼女に見た既視感、その正体に。


「ああ、そうか」


 耳は揺れないし、聴き心地は良くない。

 だけどこなれていない話し方と「ラノベが好き」という気持ち。

 それはまるで、かつての私と同じじゃないか。




 ◇




 今日もまたTLタイムラインにはいくつもの報告が溢れている。

 投稿、更新、完結、新刊、重版、デビュー。私が混じるのはまだまだ遠そうだ。

 その中で流れてくる、彼女の名前。

 相変わらず楽しそうで、しかし話し方はこなれてきた。


「……この狐娘め」


 その変わらない姿に少しの嫉妬を込めて、笑って一人呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女に見た既視感 詩野 @uta50

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ