そのバスちょっと待て

桑原賢五郎丸

第1話

 サイドミラーで後方の安全を確認した。

 見覚えのある学生が、カバンを振り回しつつ、何やら叫びながら走ってきている。

 このバスに乗らなければ遅刻なのだろう。しかしもう発車時間は過ぎているのだ。学生が乗り込むやいなや、おれはバスを荒々しく発車させた。


 他の乗客に迷惑がかかることを知ってから知らずか、その学生は毎日のように出発時間を過ぎてから走ってきた。

 いい加減にしろと思い、学生が乗り込む前にバスを発車させた。学生は走って追いかけてきた。バックミラーでその顔を見た時、笑いが止まらなかった。


 おれの仕事はバスの運転手である。であるからには、乗客を時間どおりに運ばなければならないのである。

 だが学生は被害者面をし、SNSとやらで「止まらないバス」としておれの行いを拡散したようだった。


 結果、発車時間を遅れてくる学生が増えた。怖いもの見たさというやつだろう。

 おれは期待に応え、遅れてきた学生どもを全て置き去りにした。バスを追いかけて走ってくる学生どもの顔を見て、おれはいよいよ笑いが止まらなくなった。やりがいすら感じたが、2日後に会社をクビになった。


 テレビが取材に来た。

「なぜ学生を乗せなかったんですか?」の問いに「毎回遅れてくる学生のために、他の乗客を困らせるわけにはいかない」と答えたところ、どういうわけか「乗客を乗せるわけにはいかない」と言ったことにさせられていた。


 知人のつてで、タレント事務所の運転手になった。

 担当する若手女性タレントは毎朝遅れてきた。撮影現場に間に合わせるために、その分スピードを出すことになる。これではおれの周りの車が危険な目に遭ってしまう。

 翌朝、やはりタレントは遅れてきた。タレントが乗り込もうとドアに手をかけた瞬間に、猛スピードで発車した。走って追いかけてくるタレントを見て、おれはハンドルを叩きながら笑い続けた。当日に事務所をクビになった。


 しかし一つだけわかった。おれはあの焦った顔を見るのが好きなのだ。当然乗り込めると思った乗り物に置いていかれ、慌てて追いかけるあのこっけいな動作を見るためならば、どんな危険も厭わない。


 そして今は就職活動をしている。

 面接先は電車で移動する距離ではなく、かといって歩きでは遠かったので、バスを使うことにした。

 おれも運転したことはあるが、このルートは何しろ狭いことで悪名高く、対向車が来るとバスの左側は電信柱にかすめるほどの距離になる。

 発車時間を少し過ぎていたが、まだバスは止まっていた。

 前部ドアから乗り込もうとしたところ、学生どもに抑えられた。おれが置き去りにしてきた学生どもだろう。ニヤニヤ笑いながらこちらにスマートフォンを向けて写真を撮っている。おれの胸から下はバスの外だが、学生どもが抑えているせいで身動きができない。


「発車します」


 笑いを含んだ運転手の声が車内に響き、急発進をする。

 おれは時速40キロで足を走らせている。乗客がこちらを見て笑い、運転手も笑っている。おれはおれの状況を確認し、笑いが止まらなくなっている。

 狭い道を走りながら、バスはますますスピードを上げている。電信柱につま先が当たる。つま先の感覚が無くなる。

 学生が笑いながら状況を話している。

 対向車が近づいてきているようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そのバスちょっと待て 桑原賢五郎丸 @coffee_oic

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ