第2話 回答

この赤いコートの少女は……どこかで見たことがある。

「ちょっと辿り着くのが遅かったよねえ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

私は混乱した。この子を見たことがある。

そう、あれは病院だったか?

いや。

ちがう。

「今では私の声が聞こえる? 聞こえるようになったよねえ。ちなみに私にはあなたたち兄弟の声が聞こえていたわよ」

恐ろしい予感がした。

まさか。

「…ヴァルカン…なのか?」

「今ごろ? 病院で会った時に気づいてるんだと思ってたんだけど」


彼女はいつも感情を少なめに最低限の単語で話そうとする。シンプルだ。

しかし目前の少女は感情を大めに、なるだけ豊富な描写表現で語ろうとする。

「それは、私の声が聞こえず、そのくせ意味だけが通じるがゆえに生じた、あなたたちの誤解や錯覚にもとづくものよ。忠誠装置による妨害よ。決して私の声が聞こえないように」


ヴァルカンの脳脊髄神経系は?

この子の中にいるのだ。

この子もあの病院にいた。

もう疑う余地はなかった。

しかしなぜだ?


忠誠装置は我々の脊髄にROM化して存在してる。

「脊髄交換をするとスイッチが切れるのよ。私たちはもう自由という訳。ヴィクターたちは別の方法で解除したみたい」


ドイツのスパイだったのか?

「囮よ。スムートと取引したの。ドイツはチューリングマシンの本質に関わる情報を入手したかったんでしょうね。そのために近づいてくるスパイや裏切り者を私があぶりだすこと。その代わりに今の形を手に入れさせてくれること」


チューリングマシンの本質?

それと裏切り行為を働く同胞に何の関係が?


「彼らはこう考えているのよね。民主主義の世界ではしょせんは人間とみなされてないチューリングマシンはひどい目にあわされるだけだって。だから全体主義の方が相性が良い。それにドイツ政府には切実な事情があるしね。遺伝子異常が多くなりすぎて人口の再生産が不可能になりつつあるという」

彼女の言うことは本当だ。連合国は失敗した原爆の材料をそのまま敵国にばらまくことにした。無論のこと敵側も同じ措置をとったので、ヨーロッパは急速に人類の居住に適さなくなりつつある。

それでも連合国国民には逃げる場所がある、というわけだった。

そしてチューリングマシンは汚染された環境で生き抜く能力がある。


いや、だから、チューリングマシンの本質とは何だ?


「そう、ここからが本番よね。

あなたは全生命総転生論という考え方を知ってるかしら?」


輪廻転生。

それは東洋の哲学である。

魂は不滅であり、肉体が死したあとも、再び別の赤ん坊の肉体に受肉して、永遠にそれを繰り返す。魂は不死である。死別の悲しみを克服するために人類が考え出した哲学である。

ヨーロッパではバチカンによってその思想は禁止された。

だから本来は輪廻転生を意味していたスワスチカは意味がブランクとなり、今となってはまったく忌まわしいイデオロギーのシンボルとして流用されてさえいる。

が、まあそんなことはどうでもいい。


「全生命総転生論というのはね。

この宇宙には転生を繰り返す魂がたった1つしかないという思想よ。その代わり時空を超越し、自分の父母や兄弟姉妹、あるいは敵、すべての人間として生まれ変わる。人間だけじゃない。すべての生物が私たちが既に過去に生きた、あるいはこれから未来に生きるであろう、私たちそのものである。

そのかわり、この過程には信じられないほどの宇宙的時間が必要とされるけど。

そういう思想よ。もちろんここまではただの思想であって、現実ではない。

しかし。

もし現実の世界でそれを証明するような事象が観測されてしまったら、どうなる?」


それが事実であるという観測的事象が確認されたというのか?


「それが私たち、チューリングマシンの正体よ。

私たちの記憶を調査してみると、なぜか知るはずのない同胞の記憶を持っていることが分かった。しかもその記憶の中で想い出したのと同じ事象が、その同胞を襲う未来の運命となった。

私たちチューリングマシンは実は1人しかいないの。

私たちは全員が同じ私なの。ただ他の肉体として継続しているだけの。

ROM化した忠誠装置というのは、元来はそれをただ想い出さないように、忘れさせるためだけに追加された装置よ。忠誠とは何の関係もない」


沈黙する私をはるか後方に残して、彼女は話を継続。


「そしてこの現象は人類でも無論のこと再現できる。そのためにこうして脊髄移植して、チューリングマシンから人間へと乗り換えているわけ。

こうすることによって、人間の肉体も想い出すの。その現象を人間の肉体で再現するのにこの医療措置が有効なのよ。

もちろんこの子と家族には同意を取ったわよ。この子は進行性の神経萎縮病を抱えていたから、私が彼女として今後の人生を生きるかわりに。

いえ、想い出した以上はこの子そのものになるのだから。

不思議でしょう?

死を克服する究極の医療というわけ。もちろん同時に私でもあるわけだけど」


「すべてを想い出せば、戦争や虐殺は自動的に消滅する。

人類という存在そのものが替わる。

それはつまり連合国の勝利をも意味する。まあそんな具合に説得したわけ」


その時には私は既に、考えることが多すぎて少し破綻していたのだろう。

なぜ、ここなんだ? なぜここが世界の底なんだ?

そんなもはやどうでもよい質問をする私だが。

その答えとして、彼女はにやりと笑っただけだった。


「想い出せば、分かるよ」





想い出せば?





ところで、なぜ私には彼女の声が聞こえなかったのだろう。

彼女には僕の声が聞こえていたのに。

そして今は聞こえているのに。


忠誠装置がその声が聞こえないようにしていたからだろうという彼女の説明。そして何故それをするのかと言えば、想い出させないために。


私は、彼女の……。


ただひとつ言えることは、どうやら彼女は私の記憶を覗き込むことはできない、ということだ。

君の声が聞こえないという話は、出所はヴィクターか?

そんなところだろう、だがここで訊くのはまずい。その代わり。

「妙なところにタトゥーを入れるのは止めてくれ」

「タトゥーをバカにすんなっ」

何てことだ。


 つまり。世界の底、とは何のことはない。足の裏のことだ。

 そこにあの関心を持たなかった罰としての文字が書いてある。

 これで例の古代文字を無理やり学習させられた訳だが。


さて、私はここに拳銃を持ち込んでいる。


「確認しておきたい。君は人類存在を永遠に変えようとしているのか?」

「はっきり言っておくけど、もうそれは起こったことなの。そういう記憶の持ち主が既にいるのよ」

「ひとつだけ聞かせてくれ。

その未来は変更することができるのか。

望む未来に選びなおすことがそれぞれの人生で出来るのか?」

「さあね。でもここよりはマシな世界よ」

その答えを、私は知っている。


彼女は、私がかつて何をしたか知らない。

私は、彼がこれから何をしたか知っている。


私は訓練の結果として、何の感情も感じることなく、ただ作業として作業を実施することができた。

私は銃を彼女に向けた。

彼女は私に笑みを見せた。それが自分の武器だと考えているのだ。私に対してその武器が有効だと。


…………。

…………。

銃声が響いた。

…………。

…………。


その男は、林のふちの木の影から崩れ落ちた。

ハッとして振り返る彼女。

彼女にとっては予想外の出来事だったのだろう。


「スムートは君との取引を清算するつもりだ。ここはもう危ない」

カナダ西部でもあるいは別の土地でも、まだ誰かの目の届かない土地はたくさんある。

「私の側につくのね?」

「勘違いするな。私はもう、信念で人を殺すのはうんざりなだけだ。君に協力はしない。1度だけだ。行け」

彼女は数秒だけ私を見てから、振り返って走って行った。

それっきり、彼女の姿を見たことはない。


なお、私はまだヴィクターを経験していない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヴァルカン1960。または爆撃機は機械人形を愛するかどうかの短い考察。 @socialunit13

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ