最終話「エピローグ」

 シモラーシャは横たわる老師オードの身体に覆いかぶさって泣いていた。

「どうして、どうして……」

 ジュークとマリー、ドーラは彼女の痛々しい姿を見つめ立っていた。

「老師様だけだったのよ。魔法の塔であたしを理解して下さったのは。本当の家族のように接して、優しくしてくれた……」

 彼女はおもむろに身体をオードから放すとジュークを振り返った。涙でクシャクシャになった顔を拭おうともしない。

「誰なの。誰がこんなことしたの!」

 彼が殺したとでも言わんばかりに声を荒らげる。ジュークは辛そうに目を伏せた。彼女は立ち上がり、彼に近づいていった。あんなに星の王子様と慕っていた彼だったのに、今や彼女はそんなことも忘れてしまったかのようだ。

 彼女はジュークに詰め寄る。

「何故黙ってるの。ジューク」

 彼は目を閉じたまま首を振った。

「言えません」

「どうしてっ!」

 彼はゆっくりと目を開けた。

「話せばあなたは……」

 辛そうに彼女の目を見つめる。

「あの人たちを殺してしまう」

「当たり前よ!」

 彼女は吠えた。

「老師様をこんな目に合わせて、のうのうと生きるなんて許さない!」

「そういえば、あの女邪剣士たちはどこに行ってしまったんでしょおかねえ」

 マリーがタイミングよく呟いた。

 それを聞きつけたシモラーシャは、バッとマリーを振り返った。

「リリスとリリン!」

 ジュークは非難するようにマリーを見た。マリーは知らん顔を決め込んでいる。

 彼女は再びジュークを振り返った。

「あいつらね」

 シモラーシャはジュークが何も言わないのでますます確信を持った。

「許さない。絶対見つけ出して殺す」

 彼女の目は殺気に満ちている。

「どうせ邪教徒は死ななきゃまともにならないんだもの」

「彼女たちは邪教徒ではありません!」

 ジュークが慌てて彼女の言葉を否定した。

「え……?」

 シモラーシャは怪訝そうに眉を寄せた。

「どういうことなの」

「洗礼を受けた邪教徒とは違い、彼女たちは風神の花嫁として迎え入れられるはずだったらしいのです。だから見逃してあげてください。きっといつか自分たちの間違いに気づいて悔いる時がくるでしょうから」

 だがシモラーシャは不服そうだった。

「でもやっぱり私は許せない。今度会ったら絶対殺してやる」

 ジュークは悲しそうに顔を曇らせ、もうそれ以上何も言わなかった。そんな彼らの周りを風が螺旋を描き天へと吹き上げていく。

 まるで主人を見送る葬送曲のように、それはヒョォォォォ───とわびしく鳴いていた。


 そんな彼らを、極寒の地から一人の艶めかしい女性が見つめていた。言わずと知れた竜神スレンダだった。

「全く、坊やには失望したわ」

 彼女は氷の宮殿のソファに横たわって、宙空に映し出した魔法の塔の様子を見ていたのだ。その彼女が唐突に笑いだした。

「ま、多分こうなるんじゃないかと思っていたけどね」

 彼女の傍らには子供の竜が寄り添って寛いでいた。スレンダはその竜を愛おしそうに自分の身体に寄せ、鱗に包まれた体躯を優しく撫でている。

「本当は別にどうでもよかったのよ」

 彼女は心なしか悲しそうだった。

「あの子もほんと馬鹿よね」

 竜が、クウと泣く。それに優しく微笑むと再び思いを馳せる。

「昔っからそうだった。からかうと異常にむきになるんだもの」

 一変して彼女はクスッと笑う。

「からかう私も私よね。でもそうでもしなきゃ退屈でしょうがないもの」

 また竜の子を見つめる。

「神なんて……因果なものよね」

 彼女は子竜の喉元を撫でた。グルグルと気持ち良さそうに喉を鳴らしている。

「私はもともと気まぐれであの御方の下に身を寄せた者。丁度その頃、あの戦いが起こってしまった」

 スレンダの浅紅色の瞳が燃える。

「はっきりいって、いい迷惑だったわよ。封印はされるわ、能力は減らされるわ……散々だった。だから私はあの御方をむしろ憎んでいると言ってもいい」

 少し声を荒らげたため子竜がキュウーンと心配そうにスレンダを見上げた。彼女はそんな子竜を安心させるため、笑いかけてから溜め息をついた。

「一番あの御方を愛していたのはあの子だけだったかもしれないわね。盲目の愛って、あの子のためにあるような言葉だわ」

 スレンダはフワリとソファから降りて子竜を抱き締めた。そのままの姿で彼女は目を閉じた。

 彼女の瞼の裏には在りし日の栄華の極みの情景が映し出されている。憎んではいるが抗いようもなく惹かれてしまう暗黒神であるあの御方の美しい微笑み。

 それに寄り添う美貌の貴公子は、憎らしいほど泰然とし、悠揚に構えて銀の髪を輝かせている。そして、可哀想なカスタムを冷厳な面を向けてからかう。

 馬鹿な子ほど可愛いと言うが、彼女は確かに彼を妙に憎めなかったのだ。死に絶えてもういないと諦めていた彼女に竜を見つけ出してくれたのも彼であるから。もし今度のことが成功していたら、彼のことも少しは見直したのかもしれない。

「ほんとに馬鹿な子……」

 彼女の閉じられた瞳からポロリと涙がこぼれ落ちた。

「それでも、お前を私に与えてくれた人だから……今だけは彼のために……」

 彼女は子竜のまだ柔らかい身体に顔をうずめて、背中を震わせた。ひっそりと泣く彼女を心配するように子竜はキューン、キューンと鳴き続けていた。


 その子竜の鳴き声も届かないここアクアピークでは、シモラーシャたちは魔法の塔を後にしたところだった。

 ここを離れる時、ドーラは生き残った子供たちと僅かに残った師範数名とで彼女たちを見送った。子供たちは案外たくさん無事だった。かなり有望格の子供たちが多くいたらしいのだ。

「シモラーシャ」

 見送りの時、ドーラは言った。

「お前たちは先に『煙草と煙亭』に行っててくれ。オレは生き残った者たちと一緒に死んだ連中を埋葬してからまた行くよ」

 ドーラは笑った。

「なんかオレってこんなんばっかだな。これから死体片付け人って言われるようになったらどーしよ……」

 しかし、彼の表情はちっとも楽しそうではなかった。

 師範も子供たちも悲しみにうちひしがれていた。それも仕方のないことだろう。彼らの心の支えであった魔法老師オードが亡くなってしまったのだ。しかも、魔法の塔創設者の秘密までも彼とともに失われてしまったのだから。

「なに辛気臭い顔してんのよ!」

 シモラーシャは叫んだ。一番辛かったのは彼女であったろうに、未来の魔法剣士たちに向かって雄弁した。

「これからは、あんたたちがしっかりしなきゃなんないのよ。自分たちで決めて、自分たちで新しい魔法の塔を築いていくの。古臭い慣習だの、しきたりだのこの際だから取っ払いなさい」

 シモラーシャは拳を握りしめた。

「あんたたちが主役なんだから!」

 彼女の励ましに、彼らは俄然元気が出てきたようである。

「励ましと言うんでしょおかねえ。焚きつけてるだけのような気がしますが……」

 マリーは溜め息をついてそう呟いた。


 それから彼らは山を降りていった。

「ジューク!」

 突然シモラーシャが、ジュークの前に土下座した。

「どうしたんですか……?」

 些かびっくりしてジュークは彼女を見つめた。

「さっきはごめんなさい!」

 シモラーシャはバッと顔を上げた。

「生意気なこと言っちゃって……反省してます」

 しかしジュークは首を傾げた。

「何のことでしょう」

「いやだあ。ほらあ、リリスとリリンを殺すって言ったことよ」

 シモラーシャは頭をかきながら言った。

「ああ……あのことですか」

 ジュークは頷いた。

「あたしさぁ。頭にカァ───っと血がのぼると、ひとつのことしか考えらんなくなっちゃうのね」

 シモラーシャは照れて赤くなっている。

「よくよく考えて、ジュークの気持ちも考えなきゃって気がついたの」

 マリーはニコニコとシモラーシャを見つめている。

 そうなのだ。これがシモラーシャの好ましいところなのである。

 ジュークは驚いたように目を見開いて彼女を見つめていた。彼はその目を細めて微笑んだ。

「もういいんですよ。シモラーシャさん。立ってください」

「怒ってない?」

 下から不安げに見上げるシモラーシャ。

 ジュークは頷いた。

 彼女はホッとした。パッと立ち上がる。パンパンと紫のマントの埃を払った。そんな彼女をジュークは優しそうに見つめた。

「それでは、あなたがあの二人を殺さないように私が見張っていましょう」

「え……? それって……」

 シモラーシャが驚いて目を見開いた。それを見て更に微笑むジューク。

「これから暫くはあなたと共に旅をしなければならないようですから」

「えぇぇ───っ!」

 彼女は驚きの声を上げた。

「いよおぉぉぉ───しゃっ!!」

 彼女はくるりと振り返って、勝ちどきの声を張り上げた。

「これで回復魔法は手に入れたし、あたしは無敵の上に更に無敵になったわ。これで世界の魔族を一掃するあたしの野望が達成しやすくなるっ」

 彼女はいても立ってもいられなくなったらしく、ダッとばかりに走りだした。

「そうと判ったらお腹空いちゃったあ。あたし先に行ってるねー」

「シモラーシャ!」

「シモラーシャさん!」

 慌てて名前を呼ぶマリーとジュークに彼女は手を振り振り、あっと言う間に姿を消してしまった。

「全く、彼女ときたら……」

 頭を抱えるマリーに、ジュークは親しげに声をかけた。

「マリーさん。これからよろしくお願いします」

「ふん。あんまり馴れ馴れしくしないでほしいね」

 マリーは鼻息を荒くした。

「僕ははっきり言って、君のことは目障りなんだからね……でも、ま……」

 マリーは不承不承ではあるが、ジュークを認めることにしたらしい。

「君の回復魔法は是非とも必要だしね」

 マリーはコホンと一つ咳払いした。そしてジュークに向き直った。

「ま、一つよろしく」

「はい」

 ジュークは嬉しそうに頷く。マリーは照れくさそうに顔を前に向けると歩きはじめた。

「さあ。僕たちはゆっくり行きましょおかねえ。いろいろ君には、お聞きしたいこともありますし」

 ジュークは微笑みを崩さず、マリーの横を同じく歩きはじめた。

 日光の届かない森の中の小道である。だが、マリーの明るさとジュークの美しさで、彼らの所だけがパァ──っと輝いて見えていた。


 次の日。

 日光が高いところから照りつける中。ボロボロになった青年が『煙草と煙亭』に辿り着いた。

「ドーラ!」

 そう、朝まで働き続けたドーラが漸くやって来たのだ。フラフラになりながら入ってきた彼を、女将ターニャが迎え入れた。

「まあまあまあ。大変だったねえ。さあ、取り敢えず水を一杯飲みな。すぐ食事の用意するからね。それまで身体でも洗ってきな。泥だらけじゃないか。」

 ドーラはターニャの持ってきた水を一気に飲み干し、グラスを渡すとキョロキョロ辺りを見回した。

「女将さん。シモラーシャは?」

「ああ、シモラーシャなら今朝ここを発ったよ」

「えぇぇぇぇ───っ?」

 ドーラの悲鳴にも似た叫び声に彼女はびっくり仰天。

「ど、どうしたんだい。急に」

 彼は脇に置いていた大剣を担ぐと慌てて出ていこうとした。

「どこ行くんだいっ!」

「後を追うんだよっ」

 怒鳴るドーラ。

「ちっきしょおぉぉ、あいつぅぅ! 約束したじゃんか、話し合うってぇ───!」

「あっ、ドーラ!」

 ターニャが表に出た時には、既に通りの向こうを物凄い勢いで走り去る彼が小さく見えるだけだった。

「シモラーシャアァァァァァ───!」

 叫び声だけが聞こえる。

「待っとれぇぇぇぇ────!」

 だんだん小さくなっていく。

「オレはあきらめないぞぉぉぉぉぉ───!」

 そしてあっと言う間に、ターニャの視界から彼は見えなくなってしまった。彼女は暫く呆気に取られて、ドーラの消えた方角を見つめていた。

 すると、ドドドォォォ───っとばかりにドーラが引き返してきたのだ。彼はターニャの前に立ち止まると怒鳴るように叫んだ。

「あいつらどっちの方角に行った?」

 物凄い形相である。

「東の方へ行くって言ってたけど……」

 ターニャは半ば無意識に指さした。ドーラは最後まで聞かずに、またしてもズドドドドドォ───っと走り出した。さっきとは反対方向である。

「絶対追いつくぞぉぉぉぉ────っ!!」

 彼の雄叫びだけが通りを谺していった。


 その頃、アクアの近くの森の中を歩くシモラーシャと二人の美貌の男たち。

 彼女はちょっと立ち止まって首を傾げた。

「どうしたんですかあ」

 そこに声をかけるマリー。

「うーん。なあーんか忘れてるよーな気がするんだけどお……」

 彼女の言葉にそっと微笑むジューク。だが彼は何も言わなかった。マリーも空惚けて言う。

「何にもありませんよお。気のせい、気のせいですってばっ」

(冗談じゃない!)

 これ以上人が増えるのは勘弁してくれと、彼は言いたかったに違いない。

「ま、いっか」

 彼女はすっきりとした顔をするとズンズンと歩き始めた。その後をニコニコしながら付き従うマリーである。

 彼らのもとに木漏れ日が届いていた。これからどんどん暑くなっていくだろう。


 ここは魑魅魍魎巣くう魔法の世界、いつ何どき人々を襲うかもしれない魔族がウジャウジャいる。それでも彼らには、全くの脅威にもならない。

 これから彼らには何が待ち受けているのだろう。それは誰にも判らない。

 シモラーシャはもとより、光輝神官であるジューク、そして音神マリスであるマリーにさえも。

 そんな彼らを今まさに覗いているかもしれない、魔族が───

 ほら、そこに────!



                初出 1998年8月13日

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光の乙女 谷兼天慈 @nonavias

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