最終話 サヨナラの翼

 翌朝、斎原から謝罪の電話が掛かってきた。

 どうやら、冷静になったら自分の理不尽さに気付いたらしい。


 だが、最後に。

「言っておくけど。君が夢に出てきたからといって、私がいつも君の事を考えてるなんて思わないでよ。もう、全然違うんだからね。むしろ、考えまいとするとしつこく出てくる、あの鬱陶しい感じと同じなんだから、君の存在は」

 結局、また怒られた。


「なるほど。これは面倒くさそうな方です」


 押し入れから顔を出して、僕たちの話を聞いていた天使、いやキューピッドが、うんうんと頷いている。


「分かってくれるか」

「よく分かりますよ。でも、じゃあなんで、そんな人を彼女にしているんです」

 真っ向から、斬り込んでこられた。


「だから、彼女とかそんな関係じゃないんだってば。斎原は、遊びなんだ」


 ひぃーっ、と彼女が変な声をあげて壁際まで後ずさる。

「私、そんな台詞を平気で言う人、初めて見ました。ゲスです、ゲスがここにいます。もう、女の子をもてあそぶ性犯罪者じゃないですか。通報しますよ」


「待て、勘違いするな。遊びだと思ってるのは斎原の方だ」

「は、そうなんですか」

「いや。遊びというのは語弊があるな。僕を利用している、と言ったほうがいいかもしれない」

「どっちにしても、彼女さんの印象は一気に悪化しましたが。どういうことです、利用するとは」


 これはなー、話せば長くなるんだけれど。小学生の頃まで遡るよ。


「現在、ぼくは斎原の従僕と呼ばれている。それについて、詳しい話を聞きたいか」

「あ、だったらいいです。また今度にします」

 慌てて彼女が言った。僕を哀れむ表情だった。


 斎原の名誉のために言っておく。斎原は生徒会長も務めた真面目な優等生だ。決して軽い女ではない。彼女は古書に関して特殊能力を持っていて、僕と接触することでその能力が増大する……のだけれど、それはまた別の物語になるだろう。


 いずれにせよ、失敗には違いなかった。

「君さえよければ、ですけど。ずっとこのまま、ここに居てあげてもいいんですよ」

 天井を見上げながら、彼女は言った。


 確かに、たった一晩過ごしただけなのに、妙にこの部屋になじんでいるし。それも悪くないか。


「って、そんな訳にいくか! 絶対、天界に還ってもらうからな」

 どんな手を使ってでも。


「なんだか不穏な空気を感じますね。あの、犯罪はだめですよ。それに私、地上で死んだら、次は地獄に落ちちゃいます。それは勘弁して欲しいです」

 やはりだめか。


「私、不器用だし飽きっぽいから、石積んだりとか苦手なんですよ」

 さい河原かわらだろ、それ。


 ☆


燎里かがりくん、起きてる?」

 いきなりドアが開いて、あやさんが顔を出した。今度は彼女を隠す暇もなかった。


「さあ、。朝ごはんだよ、おいで」

 僕は思わず、キューピッドの方を見た。彼女は半分口を開けたまま、文さんを見ていた。母さんが呼んだのは、僕と、しおり姉さんの名前だった。

 僕が大好きだった栞姉さんの。


 僕の表情に気付いた母さん。ぺろっ、と舌を出す。

「つい、栞も呼んじゃった。何でだろうね」

 部屋の中をぐるりと見回した。


「変だな、栞ちゃんがいるような気がしたんだよ。はは、誕生日だから帰ってきたのかな。栞ちゃん」

 ベッドにちょこん、と座った彼女は黙ったままだった。じっと母さんを見ている。


「じゃあ、早くおいでね」

 母さんが部屋を出て行った。僕は、キューピッドの顔をじっと見詰める。

「……食事、行っておいでよ。それから話そ」

 彼女は、静かな声で言った。


「僕の姉さんだよ、栞って。ずっと病気してて、8才のとき亡くなったけど。今日が誕生日だったんだ」

 そう、なんですか、と小さな声で彼女は言った。

「君のこと、見えてなかったけど、いるのを感じてたみたいだな。母さん」

 はい、とやはり小声で彼女は答えた。


 僕は、彼女の前に座った。

「頼みが、あるんだ」

 彼女は顔をあげた。


「もう一度、僕の頭を撫でてくれませんか」

 彼女は優しい目で、うなづく。


「僕が泣いていると、いつも頭を撫でてくれたんだ。ベッドの上から」

 嗚咽を押し殺し、僕が言う。彼女の小さい手が、頭の上に置かれた。


「いつまでも泣き虫なんだね、かがりくんは。お姉ちゃん、心配だよ」

 彼女は、栞ちゃんの口調そのままに、泣きじゃくる僕の頭をずっと撫でてくれた。


 その手が、ふと止まった。

 僕は彼女の顔を見上げる。

 彼女は服のどこからか、一枚の紙を取り出した。

 しばらくそれを見詰めたあと、安堵とも、哀しみともつかない、深いため息をもらした。


「自動的に再発行されたみたいです」

 お別れの、チケット。天界行き。


 ひらひら、と舞う綿毛のような羽を残し、彼女は消えた。

 サヨナラさえも言わずに。


 ☆


 結局、彼女が本当にしおりちゃんの転生した姿なのかは、はっきりしなかった。


「まぁ私達って、その人が見たいと思う姿に見える、という所がありますから」


 別れ際に、そんな台無しな事を当のキューピッドが言っていたからだ。

 最初に頭を撫でられた時、僕が持っていた栞ちゃんのイメージがキューピッドに映り込んでしまったのかもしれない。


 でも、それでも。僕は……。


 ☆


 僕は斎原の家にいた。


「そうか。私も会いたかったな。その天使、じゃなくてキューピッドに」

 私の恋路を邪魔しかけた奴に。


「斎原、それは」

「冗談だよ。安心したんじゃない? 栞ちゃんが元気そうで」

「あれが本物ならね」


 斎原は僕の胸をこぶしで突いた。

「君が本物だと思えば、本物なんだよ。信じていいんじゃない? わざわざ、君の前に現れたんでしょ。しかも、自分の誕生日の直前に」

「僕の部屋で、懐かしい感じがするって言っていた」


「ほらね」

 この世界では、いろんな事が起きるんだね。私の知らない事ばっかりだ。

 斎原はそう言って、手にした本を閉じた。


 END


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古書店に天使なんて似合わないと思ってた 杉浦ヒナタ @gallia-3

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