第3話 天使の四次元ポケット

 あやさんが買い込んだ本を店の奥に下ろした後、食事をして部屋に戻る。

 天使は僕のベッドの上でうつぶせになっていた。翼が猫のしっぽみたいに、ぱた、ぱたと動いていた。


「何やってんの」

「あ、ああ。遅いから眠くなっちゃいました」

 彼女は顔だけあげて言うと、また突っ伏す。


「なんだか、懐かしい気がします。ここ」

 言うことが妙に人間っぽい。

「でも、女の子くさいですね、このベッド。うわー、やらしー」

 キューピッドが、やらしー、とか言うな。


「何も食べてないんだろ、お前。ご飯、持って来てやろうか」

 彼女は、ごそごそとベッドのうえに起き上がると、うーん、と伸びをする。


「ありがとうございます。でも私、小食なので。というかキューピッドですから、ご飯はいただかなくても平気です」

 ぼくは、ふとある人の事を思い出した。藤乃ふじのさん。今どうしてるんだろう。


「彼女とは高1のころ付き合ってたんだ。何かおごってあげてもあんまり食べなくてさ。聞いたら、子供の頃に大怪我して、内臓があちこち悪かったんだって。でも、高2の時、転校してしまってから、それっきり」

「はあ、自然消滅というやつですねぇ。その人のこと、もう少し詳しく教えてもらっていいですか」


 ちょっと頭を、お借りしますよ。

 そう言うと彼女は僕の頭に手をおいて、優しく撫で始めた。


「こうするとね、君の思い出が私に伝わるんです」

 見た目が小中学生くらいの女の子に頭を撫でてもらうのは、どうも落ち着かない。

 でも、この感じ。どこかで覚えがあるような気がするのは何故だろう。


「ほう、君はその人のこと今でも未練たらたら、こんなに大好きなのに。連絡もしてこなくて君に辛い思いをさせているなんて。いけない元カノさんです」

 僕は絶句した。なぜ、分かる。


「私、思うんですけど。君の運命の人って、その人じゃないですかね。いや、きっとそうですよ。そんな予感がします」

 一人頷いている天使。


「それなのに君は、新しい彼女さんで性欲を発散していらっしゃると。最低ですね」


 人聞きが悪すぎる。僕と斎原さいはらはそんな関係とは違うんだ。


 それはともかく、目的の相手さえ分からない状態なんだから、方法は一つ。

「とりあえず、一度その天上界だか、天国だかに帰れば?」


 仕切り直し、というやつだ。しかし。

「道が分からないのに、どうやって帰れとおっしゃるんですか?」

 しょうがない人ですねぇ、と呆れたように首を振る彼女。

 こいつ。いっそ、クビを締めて強制的に送り返してやろうか。


「あ、少し思い出しました。この世界で、何らかの結果を出せば、晴れて迎えに来てもらえるんでした。そんなことを聞いたような気がします」

 不穏な気配を察したのか、慌てて天使が言った。


「結果。そうです。『縁結び』ですよ。協力してもらえますよね」


 ☆


 僕たちは話し込んで、いつの間にか深夜になっていた。

 端的に言えば、僕と藤乃さんのよりを戻す事によって、こいつが天上界に帰還するための方法だ。現在の彼女である斎原では、新たにカウントされないらしい。

 

「キューピッドといえば、弓矢を持ってるじゃないか。あれを使えばいいだろ」

 僕がそう言うと彼女は、ぽっ、と顔を赤らめた。


「はあ、『恋矢れんし』ですよね。でもあれは、その、ですね。じつは男性器をモチーフにしていますので、みだらには使えないんですよ」

「みだに、な」

 僕は、さりげなく訂正する。


「そうです。特に私は清純派で通っていますから。天上界の新垣ゆ…って、ちょっと何するんですか。今、殴ろうとしたでしょ」

 ふざけるな。実名を出すんじゃない。

「みんな、一晩寝たら忘れるんじゃないですかね」

 うん。それは、もう忘れている人も多いかもしれないけれど。


「はい、じゃあ。……『キュー、ピッドの、矢』」


 どこから出してきた。それに。

「お願い。その口調もやめて。伝わってないかもしれないけど、著作権とか、よく知らないことで怒られそうだから」

「しょうがないな。の○太くんは」

「そういうところだから」


 でもこれ。

 弓矢というより、あからさまにボウガンだけど。もう、武骨な実用品そのものだ。

 こんなので心臓撃ち抜かれたら、恋の病以前に普通に出血多量で死にそうなんだけど。大丈夫なんだろうな。

 こいつも、あ、あれ。とか言ってるし。


「どうしたんだ、キューピッドの彼女」

「え、えへ。やっぱり止めませんか。少し気乗りがしないです」

「天界に還りたくないのか。それとも、そのボウガンに不都合でもあるのか。僕は別にいいんだぞ。縁結びなら、お前に頼らなくても近くの神社にお詣りした方が効果がありそうだしな」

「そんな冷たい言い方しなくても。まあ、多分そんな、たいした違いはないと思うんですけど。分かりましたよ、射ちますよぅ」


「待て、何で僕に向ける」

「いっそ、ひと思いに、と」

 僕を消すことで、何かをうやむやにしようとするな。


「もう一回ききますよ。ほんとにいいんですね」

「くどい、とにかくやってみろ」

 私はやめた方がいいと言ったんですよ、などとつぶやいた。


 彼女は、それを真上に向けて引き金を引く。

 青白い光の尾を曳き、一瞬で矢は見えなくなった。天井にも傷はない。本当に天界の道具なのだ。


「あー、やっちゃった」

「一体、お前が何を気にしているのか分からないんだが」

「いや、その。実はですね……」


 その時だった。

 僕の電話が鳴った。あわてて通話ボタンを押す。まさか、本当に?

「……藤乃さんなのか!」

 一瞬の沈黙。続いて低く抑えた声が、僕の耳に流れ込んできた。

「君の携帯には相手の名前が出ないのかな。それとも私の名前は意図的に消していたということ?」


 斎原だった。


「ま、それはいいよ。……君依くん」

 は、はい。

 すーっ、と息を吸い込む気配。


「勝手に私の夢に出てこないでって、あれ程言ったでしょ。もう、何してくれてるの! 明日、うちに来なさい。お説教だよ」


 あの。僕は一体、何をしでかしたんでしょうか。

「そ、そんなこと。言えるわけ無いでしょ、この変態。バカ、死ね」

 ぶつっ、と電話が切れた。


「どういうことだ、キューピー」

「キュ、キューピーじゃなくて、あ、その、えへっ。すみません」


「謝る理由を聞こうか」

 可愛く笑っても、今回はごまかされないぞ。


「間違えて、サキュバスちゃんの得物えものを持ってきちゃいました。たぶん、その方にはとんでもない淫夢が……」


 それはぜひ、夢の内容を知りたい。いや、それより。

「根本的に、狙う相手が違うだろ!」

 なんでよりによって、斎原なんだ。


 明日が怖すぎるよ!

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