第2話 天使を押し入れに収納する

 一体、なぜこんな事になったのだろう。

 僕は、まさに天使のような瞳でこっちを見詰める少女、いやキューピッドを見ながら考え込んだ。

 きっとまた、いつもの週末が始まるとばかり思っていたのに。


 ☆


 今朝、僕は母親に叩き起こされたのだった。


東雲しののめ古本市?」

「そう、掘り出し物があるかもしれないから行ってくるね」

 西の神保町とも言われるこの東雲しののめ市。うちの母親は古書店『獺祭堂だっさいどう』の店主をやっている。ちなみに父親は単身赴任中だ。


「母さん好きだよね、フリマとか骨董市とか」

 ふふん、と得意げに笑うあやさん。君依文きみいあや、母親の名前だ。

「いやいや。これは、お仕事だよ。じゃあ燎里かがりくん、店番よろしくね。ああ、用事があるなら閉めておいてもいいよ。どうせ今日はお客さん来ないと思うし」


 さー、祐ちゃんに電話しよ。と言いながら部屋を出ていった。

 祐ちゃんというのは母親の妹だ。つまり、僕の叔母にあたる。この二人、顔はそっくりだが、やせて長身のあやさんに対し、小柄でぽっちゃりの祐さんという対照的な姉妹なのだ。よくこんな風に一緒に出掛けている。


 すぐにうちの軽自動車が、いそいそと出て行く音がした。


 ☆


 入れ違いのように、店先で声がした。


 サンダル履きで店に降りると、ちょうどお客さんが来たところだった。

 いや、お客さんとはいえないか。


「君依くん、お休みだからって自堕落な生活してちゃだめでしょ」

 学校の同級生、斎原美雪さいはらみゆきだった。

 僕は自分の姿を見直した。上下スエットで、ぼさぼさの髪。これは確かに、何を言われてもしかたがない。


「なんだよ斎原。こんな早くから」

「うん。一緒に古本市行かない?」

 お前もか。


「叔母さん達と行けばよかっただろ。うちのあやさんが迎えに行ったはずだが」

 斎原の母親は叔母の祐さんなのだ。僕たちはいとこ同士という事になる。


「買った本を積むスペースが無くなるとか言って、置いていかれちゃったよ」

 思い出して憤慨している斎原。

 とりあえず、部屋に入ってもらう。


「別に僕なんか誘わなくても一人で行けばいいじゃないか」

「何言ってるの。買った本を誰が持つのよ。本って結構重いんだから」


 斎原はベッドに腰かけて、僕の着替えが終わるのを待っている。

 スエットを脱いだところで、斎原を振り返る。

「あの、そんなに見られると恥ずかしいんだけど」

「普通は女の子の台詞だよ、それ」

 にやにや笑いの斎原。


 僕は彼女の横に座って肩を抱き寄せる。

「ちょっと、君依くん?」

 なにも言わず唇を重ね、しばらくの間舌を絡めあった。


「……待って、こんなつもりで来たんじゃないんだから」

 とろん、とした表情で斎原は言った。

「嘘つけ、母さんが出かけるのを待ってた癖に」

「ばれてたか、でも古本市に行きたいのは本当なんだけどな」


 ☆


 古本市の会場を一回りするだけで、結構な時間がかかった。

「やっぱり、来るなら午前中だったー」

 斎原は全力でがっかりしている。めぼしい本は売れてしまった後だったのだ。

「この私が、君依くんごときの誘惑に負けるなんて」


「それで、この量かよ」

 僕は本がぎっしり詰まったバッグを両手に持ち、呻いた。

 それから彼女を家まで送り届けて、僕は店に戻ってきたのだ。


 たしか、ここまでは現実だったはずだ。

 店に戻って、もう一度シャッターを開け、他の書店で買ってきたライトノベルを読んでいた。


 そこへ、ネコのノブナガがやって来て……。



「でもここに泊めるったって無理だぞ。周りの人に説明できないからな」

 僕がそういうと、彼女は右手の人差し指をピンと立てた。


「それなら大丈夫です。私って、あなたの運命の人からしか見えませんので」

 なんだ、そういう事なら少し安心した。

「まったく、母さんに何て言おうかと思っていたよ」


 お母さま?


 彼女は小首をかしげる。

「そういえば親子関係というのは、運命なんですかね」

 とんでもない事を言い出した。

「僕に訊くな。もしかして、母さんには見えるって事か?」


燎里かがりくん、ただいまっ」

 母さんの声がした。

「今日の収穫を下ろすから手伝って。いい本、いっぱいあったんだよ」

 声が弾んでいる。僕たちは顔を見合わせた。


「まずい、姿を消せないのか。天使なんだろ」

「え、どうやってですか。いや、それに私、天使ではなく……」


 そうだ押し入れがあった。


「ドラ○もんでは、もっと無いですよ、あの、ちょっと!」

 有無を言わせず、押し込む。スペースが空いていてよかった。


 戸を閉めた途端、部屋のドアが開いた。

「なによ、さっきから呼んでるのに」


 なんでもないですから、ほんと。

 僕は、冷や汗を拭った。


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