第3話 神をぶん殴る

 焼き立てのパンの香りに包まれた。俺は手打ちのレジに勤しむ。身売りされたパン達をトングで優しく挟み、ビニールに入れて着飾る。嫁に送り出す父親の心境になることはなく、紙袋に詰めて客に手渡した。

 最後は笑顔で、ありがとうございました、と口にして一礼する。その繰り返しなのだが、一向に終わるような気がしない。レジに並んだ行列は大蛇のように店内でうねり、店の外にまで繋がっていた。硝子越しでは最後尾を拝むこともできない。

「ちょっと、早くしてよ」

 目の据わった主婦が大きな胸をぶるんと震わせて威嚇する。

 俺は笑みを顔に貼り付けて指を速める。摩擦で火が出そうだ。匠の技を見せ付けた。客の不満を封じ込めることに成功したように思う。

「何してんだ、早くしろ!」

「いつまで待たせるのよ」

 行列の中から心が凍える言葉を浴びせられた。全身にじんわりと汗が滲む。冷や汗なのだろうか。身体は異常に熱かった。

 俺は恨みがましい目を隣に向けた。二つのレジは空になっていた。二人同時に昼休憩に入っていた。

 あり得ない。なんでこんなことになるんだ。俺も休みたい。今なら永眠してもいい。

 それもない、と心の中でお断りしてレジに打ち込む。これはひとつの戦いだ。押し寄せる飢餓状態の者共にパンを食わせるいくさなのだ。挑む俺は単騎だが、勇名を馳せる為に駆け抜けてやる。

「やってやるぜ!」

 気合は十分。俺の心はこんなことで折れはしない。全作、星一桁の精神力を今こそ、発揮する時だ。

 レジを打つ手が燃える。炎に包まれた。脅威の早業にアグニの神が宿ったのだ。

 結果として、逆巻く炎が店舗をこんがりと焼いて大惨事となった。


 ガバッと上体を起こした。勢いで薄っぺらい掛布団が吹き飛んだ。部屋の中は薄暗い。夜の範疇はんちゅうと知って後ろに倒れ込む。

「ビビったぁ~」

 首筋に張り付いた嫌な汗を掌で拭った。掛布団を引き寄せて身体に被せた。瞼を閉じることに抵抗を感じる。悪夢の続きを見そうな気がしてならない。夢の中でもタダ働きは嫌だった。

 バイトまで時間がある。有意義な過ごし方を考える。目はちゃぶ台のノートパソコンを捉えた。

「……まあ、そうだな」

 掛布団を背負って四つん這いで向かう。二つ折りになって眠っていたノートパソコンの頭を引き起こす。起動して投稿サイトを表示した。連載中の自作を下から見ていく。書く意欲が湧かない状態で上まできた。

 俺は新しい小説の作成に乗り出した。

 何も書かれていない画面に向かって腕を組む。自分の頭の中を反映したような白い画面を漫然まんぜんと眺める。

 昨日の仙人の姿を思い出す。頭髪や顎髭が白い。着ていたボロ切れも白く、笑った時に見えた歯は眩い白さを放っていた。

 若者のくせに腰の重いヤツだ。記憶の中の笑みが俺を煽る。ふつふつと湧く感情に任せてキーを打つ。


『神をぶん殴る』


 小説のタイトルを見て俺は笑い返した。頭に浮かぶ内容を鼻息荒くして打ち込んだ。

 三時間弱の執筆が終わった。一話で五千文字を越えた。文章の推敲を済ませると新作として投稿した。連載の中に一作が加わった。

「バイトに行くか」

 ノートパソコンをスリープ状態にして立ち上がる。パジャマを兼ねたシャツの皺を引っ張って伸ばし、付いていた糸くずを払った。軽く左右の肩を回す。落ちていたジャケットを羽織って洗面台に向かう。寝癖は付いていなかった。適当に櫛を入れて部屋を後にした。


 赤く蕩ける空を眺めながらアパートに帰ってきた。

 ちゃぶ台には向かわず、小さな冷蔵庫を開けて冷えた缶ビールを取り出す。冷えた感じが好ましい。プシュッと開けて喉に流し込む。

 震えるような美味さを堪能してちゃぶ台に向かった。

「ま、期待してないけど」

 缶ビールを隅に置いてノートパソコンを起動させる。画面に連載中の小説が並ぶ。マウスを使って一番下に固定して更新した。

「マジか!」

 右上にある小憎らしい鐘に赤い丸が付いた。結果を一瞬で見る方法もあるが、それでは味気ない。

 俺はマウスの中央にあるホイールを回して順に見ていく。星の数に変化はなかった。

 残りは一作。神に悪態をく少年の話だけとなった。

「あれが……」

 信じられない気持ちが声になる。俺は生唾を呑んで結果を見た。星の数は三と表示されていた。最高の評価に仰け反った。膝が当たってちゃぶ台を揺らし、置いていた缶ビールが倒れて中身をぶちまけた。

「またかよ!」

 俺はシャツを脱いでノートパソコンに押し当てる。丹念に拭き取って様子を見た。

「焦らせるなよー」

 手際のいい応急処置のおかげで即死は免れた。濡れたシャツはコインランドリー行きのビニール袋に押し込んだ。代わりに水色のスウェットを着て二本目の缶ビールを手に取った。

 換気も兼ねて窓を開けた。窓枠に腰掛けて民家の合間に見える夕陽を見詰める。落ち着いたところで缶ビールを飲んだ。

 全作品の星は一桁で何も変わっていない。

 それなのにビールがとても美味い。口の中に広がる甘味が苦味をコクに変えた。

「なんだろうな」

 呟いた一言のおかげなのか。少し肩が軽くなった。


 作品の中で神をぶん殴る日は近い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の創作生活 黒羽カラス @fullswing

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説