第2話 五百円玉の破壊力

 そそくさと喫茶店を後にした。歩きながら今後の予定に頭を巡らせる。

 今日の俺は住宅街との相性が最悪のようだ。そこで駅前に活路を見出した。確かに人との出会いは望めるだろう。ただ、せかせかした印象があるので観察に徹した方がいいかもしれない。

 路地から路地に抜ける。パンを咥えた女子高生とぶつかることなく、目抜き通りに足を踏み入れた。

 小奇麗な服を着た人々が黙々と歩いている。その流れに俺も呑まれた。立ち止まることは許されず、強制的に一方へと運ばれる。息苦しい状況に囲まれて心の余裕を削られた。焦る理由のない自分が追われるように手足を動かす。

 手前の歩行者信号が赤に切り替わる。全員が立ち止まった。殺伐とした雰囲気が周囲から立ち昇る。革靴が苛立ちを音にする。隣のOL風の女性が険しい目でスマホを弄り出す。

 俺の目は横手の歩道橋に向かった。離脱するように階段を上がる。爽やかな気分となって頂上に立った。

 欄干に腕を置いて眼下の様子を眺める。車道の信号が黄色になった。

「……位置について」

 信号待ちの人々に目をやる。

「用意、ドン」

 その声に従って人々は飛び出した。我先にと各々のゴールに向かう。

 ささやかな支配欲を満たした俺の気分は急激に上向いた。排ガスとコーヒーが入り混じった空気を胸いっぱいに吸い込んで、少し咳き込んだ。

「いくか」

 言いながら足は前に出なかった。

 歩道橋の半ばに一人の人物が胡坐あぐらをかいていた。ボサボサの白髪で顎髭まで白くて長い。街中で仙人を見たのは初めてのことだった。

 途中で引き返すのは何となく気が引ける。俺は進むという行動を選んだ。歩き始めた時に気が付いた。仙人の前に円筒形の物が置かれていた。缶詰のように思える。

 俺は立ち止まった。仙人は身じろぎしないで佇む。缶詰の蓋はなかった。覗き込んでも何も入っていない。一円玉が側面に張り付いていることもなかった。

 ポケットという名の財布に手を突っ込んだ。紙幣と硬貨が入っていた。千円札ではあるが、これは少し惜しい。硬貨は五百円玉で迷いが生じる。

「少ないけど」

 俺は五百円玉を缶詰にそっと落とした。ちらりと仙人を見たが、感謝を伝える動作はなかった。白い石像のように、ただ、存在した。

「じゃあ」

 缶詰の底で光る五百円玉に別れを告げて歩き出す。

「私は神だ。願いを叶えてやろう」

「なんだって?」

 振り返ると仙人が立ち上がっていた。纏った白いボロは袈裟のように見えなくもない。

「若者のくせに耳が悪いのか。私は神だと言っている。願いを言え」

「はいはい、一日にご飯を六回、食べる人ね」

 軽く流した俺は思い付いたことを口にした。

「星をくれよ」

「わかった。全作にこれだけやろう」

 仙人は五百円玉を摘まんで見せた。唇を広げて笑う。見えた歯は磨き込まれたように白かった。

 鼻で笑って俺は歩き出す。下りの階段の手前まできて足を止めた。胸の中に生じた違和感が急浮上した。

「……全作って」

 横手を見たが仙人の姿はなかった。下の歩道にもいない。忽然と消えてしまったかのようだった。

 俺は激しく頭を振った。妙に強張りのある笑みで、ないない、と震える声で否定した。

 数秒後、俺は全力で走っていた。


 荒い息でアパートに戻ってきた。転がり込むように中に入った。

 散乱した物を蹴散らし、ちゃぶ台のノートパソコンを起動させる。中腰の状態で画面を睨み付けた。

「早く、早く!」

 表示された瞬間、荒々しく座った。マウスを使って更新する。星に変動はなかった。

「ウソかよ!」

 その時、左下に据えたメールボックスが反応した。目を剥いた俺はメールの内容を呼び出す。

 運営サイトからの通知であった。異常な星の入り方をしたことについて記されていた。不正ではないと明言されていて胸を撫で下ろす。

「本物かよ!」

 別の意味で怒鳴った。俺はキーボードに指を叩き付ける。画像検索を試みたが見つからない。

 一目でいい。異常な星の状態を見たい。どこか、どこかにないのか。

 辿り着いた先は匿名の掲示板であった。『薫家くんかニーソ』のペンネームのあとに五百の星が入った経緯が書かれていた。

 仙人の言葉の意味が初めてわかった。千円にしていれば星は千だったのか。

「惜しかったなー」

 俺はゴロリと横になる。安らいだ笑みが憤怒に変わった。頭を掻き毟りながら左右に転がる。駄々っ子状態に突入した。

「星じゃねぇよ!」

 星は過程であって目標ではない。小説家になる夢を優先して願えば、どうなっていたのか。

 後悔の波が押し寄せる。逃げられず、揉みくちゃにされた。苦しさのあまり、存分に転がった。そして海老反りとなった。痛みに耐えて原因を握り締める。

 またしても缶ビールであった。しかも生温い。

「調子に乗んな!」

 例外なく、フローリングの床に叩き付ける。またしても盛大に噴いた。その後、泣き笑いの拭き掃除に精を出したことは言うまでもない。


「……今日は、なんだったんだ」

 ぼんやりとした目で呟いた。妙に小奇麗な天井には染みがなかった。羊の代わりに数える願いは絶たれた。

「……ホント……酷い目に、あった」

 羊は必要なかった。適度の運動と言っていいのか。程良く疲れたことで難なく眠気が訪れた。

 俺はふんわりとして甘い眠りの中に埋もれていった。

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