ある老人の死

猫目 青

ある老人の死

 ラサ、よくお聞き。

 お前たちロボットには三原則が適用されている。

 第一にロボットは人の命を守らなければならない。

 第二にロボットは第一の条項に反しない範囲で人の命令に従わなければならない。

 ロボットは第一、第二の条項に反しない範囲で、自分の身を守らなければならない。

 でも、ロボットは人の死をどう捉えるのかな? それはロボットであるお前にしかわからない。

 実のところね、人の死は肉体的なものではないんだよ。その人の魂が死んだとき、その時こそ人は完全なる死を迎えるんだ。


ある老人の死

 

 とある老人を介護していたヒューマノイドが殺人容疑で逮捕された。

 ロビン刑事は、そのヒューマノイドの取り締まりをしている。古風なメイド服に身を包んだ女性型ヒューマノイドは、大きなアーモンド形の眼をぱちくりと瞬かせて、ロビン刑事を見つめていた。

 初老のロビン刑事には年頃の孫がいるが、ちょうど眼の前のヒューマノイドは孫のエリザと同じぐらいの年恰好をしている。そんな彼女が、腐乱した老人をベッドに寝かせたまま延々と本を朗読していたというのが、今回の事件の顛末だ。

 通常、ロボット三原則第一項により、ロボットたちには人命を優先するプログラムが仕込まれているはずだ。彼女は死に伏したブライエン紳士を救うこともせず、彼が死亡しても延々と本を朗読し続けたのだ。

 腐乱した主人の死体の前で、ずっと。

「君は、星の王子さまがどうもお気に入りのようだね」

 彼女が大切に持つ絵本を見つめながら、ロビン刑事は口を開く。ロビン刑事の言葉にヒューマノイドの少女は肩まで伸びたくせっ毛をゆらしながら、膝の上に置いた絵本を見つめた。

 緑のローブを纏った金髪の少年が、紺色の表紙の中でサーベルを地面につき叩ている。クシャリとした彼の髪はどこか愛嬌があって、彼のつぶらな眼は見るものに彼の個性を端的に伝えていた。

 彼女はいたずらっぽくアーモンド形の眼を細めて、口を開く。

「夜の星を見て、あの星の1つにぼくが住んでいて、そこでぼくが笑っていると、君は考えるだろう。だからぜんぶの星が笑っているように思える。君にとって星は嗤うものだ!」

「王子さまの言葉が、ご主人様とどう関係あるんだい?」

 皺の寄った眉間にことさら皺を寄せて、ロビン刑事は少女に尋ねていた。不思議そうに眼をしばたたかせ、少女はロビンを見つめるばかりだ。

 少女が語った台詞は、死に際の王子さまが共にいた飛行士乗りに自分の魂は不滅であることを語る一節である。サンペグジュペリが戦乱のパリにいる友達のために書いたというこの絵本は、砂漠で遭難した飛行機乗りと、小さな星からやってきた王子さまとの交流の物語だ。

恋人である薔薇と喧嘩別れをした王子さまは、愛とは何かを学ぶために地球に降り立つ。彼は仲良くなった狐から、恋人である薔薇のもとへ戻るように勧められる。そして彼は自分の故郷である星へと還っていくのだ。

 重く、重力に逆らうことができない自身の体を捨てて。

 少女の台詞は、その王子さまが死の間際に飛行士に語った台詞だ。自分は星へ帰る。だから、空を見あげればそこにぼくがいると王子さまは飛行士を励ますのだ。

「ここにご主人さまがいます……。ここに生きてらっしゃいます」

 彼女は目を伏せ、愛おしそうに絵本の表紙にいる「王子さま」をなでてみせる。

「君にとって、ブライエン紳士は星の王子さまだったのかな?」

「ご主人さまは私を狐だと仰いました。薔薇は奥様。愛しい奥様が私の中に生きているとご主人さまはおっしゃったのです。私は王子でもあるとご主人様は言いました」

 彼女の唇が薄く笑みを刻む。なるほど、その可憐な桜色の唇は薄い薔薇の蕾を想わせる。言いえて妙だとロビン刑事は思う。

「ご主人様は仰いました。奥様もこの中にいらっしゃると。自分にとって、王子さまの愛する薔薇は奥さまそのものだと。そして奥様もまた、この中に自分がいるとご主人様にお伝えになり、地球を旅立たれたそうです」

 そっと彼女は星の王子さまを抱き寄せてみせる。夢見るように彼女は眼を瞑り、言葉を続けてみせた。

「私がお話を読み続ける限り、そこに自分はいるとご主人様は仰いました。飛行機乗りの自分は、王子さまである私を見守るのが役目だと。だから、私が死んでも物語を聞かせておくれと、ご主人様は言いました。そうすれば、ご主人様は死なない。ずっと、ずっと私と一緒にいるんです。私の中にご主人様はいる」

 眠るように眼を瞑る機械の少女を見て、ロビン刑事は何も言うことができない。彼女は肉体的な死でなく、精神的な死を人の終わりと判断しているようだった。有機物質でない無機物質の彼女に、心が宿っているとでもいうのだろうか。心は脳が作り出す現象と言われているが、彼女は人の魂そのものについて語っている。

 人が作り出した人形の中に魂を内包した心が生まれているのだ。星の王子さまの物語は彼女の魂そのものを育て、その内側に最も親しい者すら住まわせている。

 自分が活動する限り、彼女は主人が自分の中で生き続けると信仰を抱いているのだ。

「でも、君の主人は死んだ。少なくとも、肉体的な死を迎えているよ」

 ロビン刑事の言葉が、信仰の世界にたゆたっていた彼女を引き戻す。

 夢から目覚めた機械の少女は、長い人工の睫毛をしばたたかせて、力なく俯いた。

「ご主人様が仰いました。私に永遠の命を与えておくれと。そうして私は、ご主人様に永遠の命を授けたのです。私とご主人さまは王子さまを通じて結ばれ、私の中で一つになった。永遠に、二人が離れることはありません」

「つまり、ブライエン紳士を殺していないと?」

「私はご主人様を永遠にしました。そこには、死すらありません」

 正面を向いた彼女の眼は、決然とした光を宿していた。それは太陽の光にも似た温かさを持ち、ロビン刑事の心を包み込む。

 もはや、刑事はこの無垢なる機械の少女を、人殺しにすることはできなかった。ブライエン紳士は自ら死を選んだのだ。少女に魂という概念を与えることで、彼は彼女の中のロボット三原則を見事に塗り替えてみせた。

 肉体的な死を眼の前にする人を救うのではなく、人の本質。魂の救済そのものを彼女は人を救うことと捉えたのである。

 それは、機械である彼女が人で言うところの信仰心を持った事象の発覚であり、彼女自身がブライエン紳士の機械の聖女であったとい事実の発覚でもあった。

「君は、ブライエン紳士を殺していない。無実だ」

 ロビン刑事が口を開く。自分の犯した罪の潔白を聞かされた聖女はしかし、どこか寂しげな笑みを浮かべて彼の判決を聴いていた。そんな少女に、ロビン刑事は微笑みながら言った。

「私の孫も君と同じぐらいの年頃なんだ。もしよかったら、星の王子さまを孫のエリザに聴かせてくれないかな? エリザは君のことが好きになるだろうし、君のご主人様のことはもっと好きになるだろう」

 ロビン刑事の言葉に、少女の眼は光を帯びる。そんな少女に、老いた刑事は一つ頼みごとをしてみた。

「できれば、君の朗読を通じて、私もブライエン紳士と会ってみたいんだ」

 薔薇の蕾のごとく少女の頬が赤らむ。機械の聖女は立ちあがり、静かに朗読を始めた。

 静かに高らかに少女の声が取調室に響き渡る。この言葉を聴きながらブライエン紳士は長い眠りについたのだ。自分もいずれはそうなりたいとロビン刑事はふと思う。

 行く当てのない機械の聖女を家族にしよう。そう、ロビン刑事は眼を瞑りながら決めていた。




 

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