第2話 後編

 黙ってアイスコーヒーをストローで吸う茶綾と、ぶつぶつと疑問を投げかけながらソフトクリームの形をしたラクトアイスをなめる博人の姿が、駅近くのコンビニエンスストアのイートインスペースにあった。

 二人はガラスの壁越しに見える、道を行き交う人々を見つめている。

「なあ、茶綾。どうして真っ直ぐ家に帰ろうとしなかったんだ?」

「……」

「しかもなあ、お前。何も買わずにイートインスペースに居座る奴があるか」

「……」

「コンビニでバイトしてるとな、客として利用していた時に気づけなかったことに気づくようになるんだ。あー、こういう奴はめんどくさい客だなーって」

 ドンッ! と、アイスコーヒーが入ったカップがテーブルに勢いよく叩きつけられた。茶綾はそのまま博人を鋭い目つきで睨み、静かな怒声を放った。

「何ですか、私に小言を言いたいだけですか⁉」

 ひっ。

 思わず下から上に震えが伝う。何時どんなところでこんな狩人の目を会得したのだろうかこの少女は。

「ち、違うよ。俺はただ……」

 ただ……。その続きの言葉が博人の口からはでなかった。言いたい言葉自体は頭の中に浮かんでいる。けど、それを表に出してしまうことが、何だか恥ずかしい気がしていた。

「もう、いいです。コーヒーごちそうさまでした」

 茶綾はガタリと席から立ち上がった。

「あ、茶綾」

「もう、私に構わないでください」

 学生鞄を肩にかけ直して、その紐を強く握りしめるようにして茶綾は去っていった。博人の目にはその一瞬の間にあるものを捉えていた。

(あいつ、鞄に傷作って……)

 ちょうどチャックの近くから真ん中ほどまでにかけて、カッターか何かの刃で酷く傷つけられたような跡を確認したのだった。

 胸に湧き出たざわつきを感じながら、博人はコンビニを後にした。




「なあ後輩、どう思う?」

「どう思うって言われても……やっぱり、学校で何か問題抱えてるんじゃないですかそれは」

「そうなるよなあ」

 バイトの休憩時間がたまたま後輩と重なっていたので、博人は試しに昨日の傷について話してみることにした。知りあいの子が、鞄に傷を作っていた、という話に置き換えて。

「なあ、俺はどうすればいいものだろうか?」

「まあ、その子の親御さんに相談するのが一番の対処法じゃないですかね。事情をよく知らないので踏み込んだことは言えませんが」

「そうだな。先ずはそうしてみるよ。ありがとう、後輩」

「いいっすよべつに。大したこと言ってませんし」

「ところで、さっきから何をスマホで観てるん?」

「秘密です」

「ほう……」

 あまり人様には知られたくないものを視聴しているのだろうか。しかし過酷なコンビニ労働の貴重な癒しなのだとしたら、下手に言及はしない方がいいだろう。趣味は人それぞれだ。そう、博人は自身のスマホで西映公式チャンネルで配信されている『戦国部将隊テンカトリーズ』を観ながら思った。

「あ、そろそろだな」

 ふと、壁にかけられた時計を観た博人は休憩時間が終わりに差し掛かっていることに気付いた。テンカトリーズはED映像の途中だが、動画を止めてスマホをロッカーの中にあるリュックの外側のポケットにしまう。休憩終了後はレジを担当する予定なので、その通りにレジに向かった。

「佐伯さん、休憩どうぞ」

 博人が来るまでレジを担当していた女性店員に声をかける。

「あ、わかりました。お願いします」

 佐伯さんは律儀にペコリと頭を下げて、優しい笑顔を浮かべながら裏の入り口へと消えていった。茶綾も佐伯さんみたいになっているのかなと、博人は考えていた時がある。しかし現実はイマドキの雰囲気に染まった、正に思春期真っ盛りの現役女子高生となっていた。ただ、その茶綾がどうやら学校で何らかの問題を抱えているらしいことを博人は知った。純粋に、従兄として心配の念が募る。

 レジに客がやって来たので、博人は考え事を止め意識を仕事に戻した。

「お預かりします……」

 博人はその時、客の姿を見て一瞬体がびくりと反応したのを感じた。

 目の前に立っていたのは、かつての博人の同級生であるアキラだった。

「お、もしかしてお前」

 アキラも気付いた。博人は相手の姿をその目に捉える。片耳に二個のピアスをつけ、髪の毛は薄い赤で染まっている。履いているGパンにはじゃらじゃらとしたアクセサリーが付いていた。

「博人か⁉」

「ど、どうも……」

 さっさと会計を済ませようと、相手の顔から目を剃らして商品を打ち始める。

「おいおい。こっち見ろよ」

「お会計は792円になります」

「無視すんなよ。つまんねーな」

 アキラはブツブツ言いながら財布を取り出した。

「なあ、まだ特撮とか観てんの?」

「……」

「おい、こっち見ろよ」

「早く帰れよ」

「チッ、相変わらずだなお前」

 アキラはレジ袋をかっさらい、舌打ちを残してレジ前から去っていった。

 博人は彼が出ていった自動ドアを眺めていた。

 かつて、博人が高校生の時の天敵、それがアキラだった。




 部屋の天井を眺めながら、敷き布団の上に寝っ転がっていた博人は、悶々と悩んでいた。

 茶綾の家に行くべきかどうか。

 叔母さんに会って、娘さんが学校で何か困っているようだということを、上手く伝えられるか自信がなかった。なんだか、どもってしまって失敗する未来しか見えないのだ。

「あーちくしょう!」

 博人は跳ね起きて叫んだ。久しぶりに嫌な相手と出会って、気も苛立っていた。何故、アキラの野郎がこの街にいるのか。それが気掛かりとなっていた。

「あいつ、北の国に旅立ったんじゃないのかよ……」

 博人の知るところでは、アキラは高校卒業後に北海道の大学に進学したはずだが……それで気分が清々し、心底ホッとしたのを今でも覚えている。

「あー、あいつまたうちの店に来ないだろうなー」

 博人は再び仰向けになった。

 高校生の頃の記憶を、思い返していた。

 博人はそれなりにクラスには馴染んでいた。博人と同様、特撮が好きなクラスメートと友人になり、彼と他の似た趣味を持つ者同士と繋がるようになって、オタク仲間を作り上げていた。決して教室の中で大っぴらに胸を張れるような立場ではなかったが、特に誰からも弄られることもなく、皆それぞれ互いのグループ内で仲良く日々を過ごしていたので、大した問題は起きなかった。

 そんな平温な日々をぶち壊したのが、転校生のアキラだった。

 彼は転校してくるなり瞬く間にクラスに馴染み中心人物になっていった。アキラは人を惹き付けるカリスマ性と明るさを有していた。クラスメートの殆どがアキラの言うことに首肯く。そんな中、然程アキラの行動に魅力を感じていなかったのが、博人を中心とするオタクグループだった。

 アキラは自分に靡かない博人たちを嫌った。全て自分の思い通りにならないと気が済まなかった彼は、オタクグループをクラスの最下位集団とするため、彼らを非難し始めた。

 アニメやゲーム、映画や特撮。そんなものに夢中になって自分自身の生活をおざなりにしている奴らなんて、頭のおかしい人間だと周りの生徒に吹聴し、博人たちを皆で貶そうと提案したのだ。

 博人たちはそれ以降、他のクラスメートからクスクス笑われるようになったり、物を隠されるようになった。太っていたアニメオタクの仲村君は、「サンドバッグー!」 などと言われふざけた生徒から殴られたり蹴られたりされた。

 その都度、オタクグループのリーダー的存在であった博人が助けた。博人はアキラの攻撃に負けじとオタク仲間を救い、抵抗していった。その内、アキラと博人は互いのグループの主導者として張り合うようになった。

 二学期の期末テスト明けのある日。回答用紙が返されるだけの登校日に、事件は起きた。

 午前中だけの授業が終了したその後、何かと苛められやすかった仲村君のバッグが盗まれ、その中身が全てライターの火によって燃やされたのだ。大切にしていた、好きなキャラクターのクリアファイルも形をなくした。

 博人の怒りが頂点に達した。

 翌日、終業式を迎えた朝。博人は教室に入ってアキラの姿を確認すると、そのまま勢いをつけて殴りかかった。アキラの口から血が飛び散ったが、構わず殴り続けた。

「ふざけんな!」

 博人は叫んだ。

「好きなものを好きでいて何が悪い! 俺達が何かしたか⁉ なあ! ふざけんなよ!」

 アキラは敢えて抵抗することなく、黙って頬を差し出していた。

 暫くして担任が教室に姿を現した。教師の横には二人の女子生徒がいた。騒ぎを沈めるため急いで呼んできたのだろう。

「何やってんだお前たち!」

 男性教師は二人を引き離した。

「一体どうしたってんだ」

「篠田がいきなり殴ってきたんです」

 アキラがすぐに答えた。

「なあ、皆そうだよな?」

 博人が何か言う前に、アキラはすかさず周りに同調を求める。アキラに従っていた生徒は口を揃えて「そうです」「篠田が急に……」などと言い始めた。仲村君をはじめとする博人側の生徒たちは、うつ向いているばかりだった。

「違います先生! 確かに、俺は殴りましたけど、昨日コイツが仲村君のバッグを――」

「篠田」

 担任は博人の顔を睨みつけた。

 その表情は博人を硬直させるのに充分な気迫があった。

「今すぐ職員室に来い」

 博人は腕を捕まれて担任に連れていかれた。

 アキラは教室を出ていく博人を見ながら、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 担任が博人の言うことに耳を貸すことはなかった。

 アキラの発言を信じ、徹底的に博人を責め立て、反省文を書いて終業式が終わった後にクラスメートの前でアキラに謝るよう命じた。勿論、終業式には出れず、その間に博人は反省文を書くことになった。

 博人は書きたくなんかないと、最後まで言い続けたが、終業式が終わる直前に無理矢理ペンをもたらされて「すみませんでした。」と一行だけ書かされた。

「全く、この程度で済むなんて本当は有り得ないんだからな! さあ、教室に行くぞ。皆待っている。そこでしっかり謝るんだ」

 担任すらアキラの支配下にあった。アキラは担任が完全に自分に味方してくれることを見越して、わざと抵抗せずにいたのだ。

 博人は泣き出した。悔しい思いが溢れだし止まらなくなっていた。

「殴られたアキラの方がよっぽど泣きたいんだぞ! お前が泣くな!」

 博人は唇を噛み締めた。悔しいけど、挫けちゃダメだ。俺は正義のヒーローだ。自分が信じる正義を突き進んだ。だから、その結果だから……耐えろ。ヒーローだって、苦悩するものだろ?

 そう、自分に言い聞かせて博人は廊下を歩いた。







 茶綾は酷く落胆していた。

 またここでも同じだった。

 前にいた学校と何ら変わらない。やはり自分はこういう運命の下に生まれた存在なのかと思い始めていた。

 教室の、茶綾の机には沢山の落書きが書かれている。「死ね」だの「消えろ」だの、典型的な悪口が群をなしていた。ご丁寧に油性ペンで書かれているため、消そうと思っても消せない。

「ねえ、あんた」

 席の前で突っ立っていた茶綾の隣に、一人の女子生徒が姿を現す。彼女はこのクラスの女子カーストのトップであり、茶綾を率先して苛めているグループのリーダーでもある。

「今日の放課後、私に付き合ってよ」

「……なんでしょうか」

「私の男友達が久しぶりに会いに来てさ。今夜その友達とカラオケに行くことになって」

「私なんかが行っても、意味ないんじゃ」

「だから言ったろ」

 彼女は茶綾の肩を掴んで自らに引き寄せた。

「あんたに拒否権なんてないって。いいから来いよ、黙って」

「……わかりました」

「うんじゃ決まりねー」

 彼女は軽やかな足取りで茶綾の元から去っていき、自分のグループの輪に戻っていった。間もなくして、彼女らはクスクスと笑い合った。

(ビリビリ……ガンバ……ビリビリ……ガンバ……)

 茶綾は静かに好きな曲を脳内再生し始めた。この曲は、かつて博人と一緒に夢中になって観ていた、『雷轟電撃隊 エレクターズ』のオープニング主題歌である。

 挫けそうになった心を、救うための歌。しかし、今の茶綾にとって、こうして好きな曲を頭の中で流しても余計に虚しくなるだけであった。


 この世界にヒーローなんていやしない。


 分かっているのに、悲しくなるだけなのに……『ビリリ! エレクターズ!』は流れ続ける。

(明日は君が……ヒーローだから……)

 茶綾は真っ黒な机を前にして、ゆっくりと椅子に座った。





「母さん」

 自室から居間に出てきたが、美紀子の姿はそこにはなかった。しばらくしてから「母は今日はパートの日だ」ということを思い出し、博人はため息を吐いてから何となくローテーブルの前に腰を下ろした。

「よっこらせ……」

 こういう言葉が出ると、だんだんおっさんになってきたなと、博人はつくづく感じていた。自分がこうなるのだから、そりゃ従妹も成長するよなとも思うようになった。

 とりあえず美紀子に相談してみようかと考え、居間にやって来たものの肝心の相手はいつの間にやら外出してしまっている。夕方の時刻であるため、部屋は薄暗い。窓から仄かに朱色の光が差し込んでおり、なんとも気だるい雰囲気が充満していた。

 博人は立ち上がり、冷蔵庫に向かった。中から昨晩バイト帰りに買った無糖の炭酸水が入ったペットボトルを取り出し、一気飲みする勢いで口につけた。

「っぷは」

 実際は飲み切ることはできなかったが。胸からこみ上げてくるガスの塊と暫しの間戦ったその後で。

「……外に出るか」

 もやもやの解消法、散歩を行うことに決めた博人は玄関に向かって歩きだした。




「お、可愛いじゃん」

 アキラは茶綾を見てニヤリと笑みを浮かべた。

「でしょー」

 アキラと交友関係のある彼女はふざけた調子で答えた。

 アキラと茶綾と彼女の三人は駅前のカラオケ店の裏側に存在する路地裏に立っていた。茶綾はカラオケ店の前まで連れて来られたが、そのまま店に入るかと思いきやこうして路地裏の方に行くことになり、そこにアキラが壁に寄りかかって待っていたのだ。

 路地裏の細い道を抜けた先に道路がはしっており、その脇に一台の自動車が停車しているのが茶綾の立っている位置からちらりと見えた。

 茶綾は、ずっと嫌な予感がしていた。冷や汗が止まらなかった。

「じゃ、いいんだな」

「いいよ。好きにしてもらって」

 そのやり取りが交わされた直後、茶綾の腕にアキラの手が伸びた。




(久しぶりに歌うか……)

 駅前のカラオケ店を眺めながら、博人はそんなことを考えていた。散歩して行き着いた先がここだったわけだが、ここ最近歌っていなかった特撮ソングを、思いっきり熱唱したい気持ちが博人の中に込み上げてきていた。もやもやを晴らすためにも、「男なら~」とサビで弾けたかった。

「よし、入るか」

 自動ドアの入り口に向かって一歩踏み出したその時だった。

「離して!」

 微かに、そんな声が聞こえた。最初は空耳かと思ったが、その声色は博人にとってある少女を連想させた。

「茶綾?」

 声のした方へと歩き出し、カラオケ店とその隣の建物の間の狭い路地を覗いた。その直後「やめて!」という声が耳に届き、博人は何か恐怖に近い感情を抱きながらも、勇気をもって奥へと進んだ。

「茶綾!」

 路地が曲がっている。その道なりに歩んでいくと、その先に肩をがっしりと太い腕に捕まれて、今にも連れ去られようとしている従妹の姿があった。

 博人は驚愕した。一気に背筋が凍っていくのを感じた。茶綾を身動きとれなくしているのは、アキラだったからだ。

(あいつ! なんで……?)

 声が出なかった。アキラの腕が次第に茶綾の胸に伸びた。仲間が待つ車に連れ込む前から我慢出来なかったのか、いやらしい手付きが茶綾を襲った。事前にアキラから金を受け取っていた彼女は、噴き出しながらその場を去ろうとしている。

 博人の体が一瞬棒のようになった。

 トラウマが甦った。

 現在のアキラと同じくらいに太かった男性教師の腕。元々細身な博人にはないがっしりとした体のパーツが、博人を強制的に連行させて自由を奪った。

 散々悔しい思いをさせられた。正義が強大な力に押し潰される光景を実体験した。周りに自分の味方は誰もいない。叫んでも、誰も耳を貸してくれない。だんだん己が間違っているのではないかと、周りが実は正しくて、おかしいのは自分の方なのではないか、そんな風に錯覚し始めることも身をもって知った。

 博人は、帰ろうとしていた。

 回れ右をして、足が勝手に動いていた。

 無理だ、どうせ、出来ない。

 今回も、正義は通用しない。

 俺が何やったって、全部ダメになるんだ、きっと……。


『バカヤロー!』


 博人は、「え、」と思わず気の抜けた声を漏らした。顔を上げると、彼の目の前に立っていたのは――


「リュウセイ・メテオー……?」


 博人の自作した、ヒーローだった。


 博人は辺りを見回した。すると、周りは真っ暗になっていることが分かり、自分がどこにいるのか、いつの間にこんなことになったのか意味不明な状況になっていることに気が付いた。


『博人、君の勇気はそんなちっぽけなものだったのか』

「だって……」

『君は俺を主役に、ストーリーを書いた。そこで俺に吐かせたセリフ、描いたテーマ。あれらは何だったんだ⁉ 思い出せ、自分の信条を!』

「そんなの……全部ムダだよ」

『なに?』

「……本当の正義なんて、ないんだよ! そんなのは無くて、あるのは『力』だけだ! それが弱ければ屈服するしかない! そうなんだよ!」

『何を当たり前のことを言っている!』

「……はっ?」

『正義なんて、そんなものはこの世界にはないさ、何時だって』

「な、何を言って――」

『あるのは、愛だけだ!』

「え……」

『特撮ヒーローは、愛を守るために戦うんだ。家族、恋人、友情、仲間、そして平和……それらはすべて、愛で出来ている』

「……」

『愛はすなわち人と人の繋がりだ。その繋がりを、断ち切ろうとするのが悪だ。特撮ヒーローは、その悪と戦うんだ』

「それはお前の持論? どこで、そんな……」

『どこって、君の考えだよ』

「なっ……⁉」

『君が俺のストーリーに込めたテーマじゃないか』

「……」

『まあ、展開は雑だし、登場人物に然程魅力はないし、大体星をモチーフにしてるのに物語や設定にあまり反映されてないし、正直もっと上手く書いてくれよと思ったよ、一キャラクターとして』

「うう……それは」

『ただ……さっき言ったように、込められたテーマ自体は嫌いじゃない』

「……メテオー」

『自分で気付いていなかったんだな。君はもう、変わっている。新しいヒーロー観を、持っているんだ!』

「お、俺は……」

『さあ、立ち向かえ博人! 愛する従妹を救うんだろう! 恐れず、進め! スター・ゴー!』



 ふわっと、深い霧が晴れたようであった。

 気が付くと博人は路地裏に立っており、リュウセイ・メテオーの姿はなかった。

 博人は振り返った。そして、駆け出した。

 去ろうとしている彼女の横を通り過ぎ、アキラの腕に掴みかかった。

「その手を離せ!」

「ばっ⁉ お前!」

 アキラは驚いた表情を浮かべたが、彼以上に思わず目を見開いていたのは、茶綾だった。

「な、なんであなたが――」

「茶綾はなあ、俺の従妹だ! 大事な大事な、俺の大好きな従妹なんだよ!」

「はっ?」

 茶綾の顔が一瞬で赤く染まった。

「その汚い手で触んじゃねえ!」

 博人の腹にアキラの強烈な蹴りが入った。

「ぐほっ⁉」

「ひ、博人さんっ!」

 博人は崩れ落ちるように腹を抱えて踞った。

「イキッてんじゃねえよカスが! 高校の時のこと忘れたか⁉ お前は俺に勝てないんだよ、分かったか!」

 アキラは急いでこの場をずらかろうとし、茶綾をより強く抱き締めて自動車の方に向かった。ワゴン車のドアが開け放たれ、待ちくたびれた仲間が顔を出した。

「……負けるか」

 博人はゆっくりと立ち上がった。

「負けるもんかー!」

 強く地面を蹴って、博人は弾丸の如く駆け出した。茶綾が車の中に入れられてしまうその前に――最早それだけを考え、他の思考はすべて削ぎ落とされていた。

「おい、早く車出せ!」

「ちょ、おま、後ろ」

「は?」

 走った勢いのまま博人は大きく跳び跳ねた。汗だくで、殺気にも近い鬼のような形相になり、歯を剥き出しにしながらアキラに飛び付いたのだ。その見ためはヒーローというよりむしろ怪人だった。

「うわー! なんだよコイツ!」

「茶綾を離せー! 茶綾を離せー!」

「クッソ! キモいんだよお前!」

「知るかー! いいから離せー!」

「なあ、ちとヤバくね?」

 アキラの仲間が周囲を気にし始めた。

 騒ぎを聞き付けて、通行人がワゴン車の周りを囲みつつあった。只事ではない事態の雰囲気を察してか、何やらケータイで電話をかけている仕事帰りらしき女性の姿もあった。

「まずっ、警察呼ばれてるってあれ!」

「アキラ、そいつは諦めて一旦逃げようぜ」

「な、できっかそんな! もうアイツに金払ったんだぞ」

「そんなこと言ってる場合じゃねえべ!」

 間もなくして、サイレンの音が近づいてきた。

「ほら、ヤバイって!」

「……ちくしょうっ!」

 アキラは茶綾から手を離した。そして未だしがみつく博人を無理矢理引き剥がし、ワゴン車の中に入っていった。

 スライド式のドアが強引に閉められ、車は急発車してその場を去った。

「さ、茶綾……」

 博人は道路の端に座り込む茶綾に近づいた。周りにいた人たちからも、三人ほど駆け寄ってきた。

「博人さん……あの」

「良かった!」

 博人は茶綾を寄せて思いっきり抱き締めた。

「ちょ、な、なんですか!」

 茶綾は博人を思わず突き離した。博人は後ろに持ってかれた重心に逆らえず、危うく後頭部を打ちそうになった。

「うおっと!」

「あ、すみません!」

 茶綾は博人の手を取ろうとしたが、その前に。

「大丈夫」

 博人はそう言って、自らその身を起こした。肘を地面について起き上がり、正座するような姿勢になって茶綾に向き合った。

「良かったよ、本当。未然に、防げて……」

「その……ありがとう、ございました。助けてくれて」

 駆け寄ってきてくれた女性が茶綾の側に座ってハンカチを渡した。茶綾はお礼を言って受け取り、涙を拭いた。

「ううん。俺は、自分の、やりたいことをやっただけだから、べつに」

「え?」

「茶綾を救いたいっていう、俺の願いだよ」

「相変わらず気持ち悪いですね」

「ええ~」

 茶綾は溢れでる涙を流しながら、嬉しさと悲しさと、安心と……様々な想いが混じった声で、言った。

「でも、ありがとう、ございます……本当に、怖かった……怖かった……」

 側にいた女性が茶綾を優しく抱き締めた。茶綾は女性の体に身を預け、一気に決壊したように声を出して泣き始めた。

 一台のパトカーが、ようやく姿を見せた。






 あれから、半年が過ぎた。


 アキラは茶綾を襲ったこととは関係のないところで、事件を起こして警察に逮捕された。アキラは裕福な家庭に生まれ、常如何なる時もトップに立って生きるよう父親に教えられていた。そうして自分の優位性を保つためのありとあらゆる策を講じ生きていたわけだが……アキラが大学に在学中に、父親の会社が倒産した。アキラは大学を中退せざるを得なくなり、泣く泣く地元に戻ってきた。彼は成熟させていたものの内、他者を蹴落とす残虐性だけが肥大化していった。やさぐれ、地元の不良グループとつるむようになった。そしてたびたび強姦行為を仲間とともに行っていた。

 あげくの果て、違法薬物に手を出し――それが親にバレたことから通報され逮捕された。


 茶綾のイジメは、学校側が認知することになった。

 茶綾を苛めていたグループの生徒たちは教師から厳重に注意されたが、茶綾は学校に通える気がしなくなっていた。

「私、どこ行ってもダメな気がする」

 茶綾は博人についてもらって、両親に正直な想いを語った。茶綾の窮地を救ってくれたということで、博人は蒼井家に夕食の招待を受けていた。その時に、茶綾は話を切り出した。

「学校が変わっても、同じだった。私、何だか苛められやすい体質みたいで」

 茶綾はおどけて言ってみせたが、両親は笑わなかった。

「だから……怖いんだ。どうしても、学校に行ける気が湧かなくて」

 茶綾の父が、口を開いた。

「無理しなくていいんだよ」

 茶綾は顔を上げた。

「学校に通わなくたって、いいさ。学校以外にだって、人生のやりようはいくらでもある。それよりも……茶綾が、幸せに生きていけること。それが一番なんだから」

 茶綾は父の言葉を受け止めて、泣いた。


 茶綾は、十個の駅ほど離れた距離にある、フリースクールに通うようになった。


 博人は……相変わらずコンビニのアルバイトを続け、シナリオを書くことを続けていた。

 少し変わったことは、博人の書いたシナリオがコンテストの特別賞に選ばれたことだった。

 愛をテーマとし、旧来の正義を批判した作品『アイバトラークロス』。その挑戦的な作風が評価されたらしく、まだまだ粗はあるものの光る部分はあると批評を受けた。

 だが、それで映像化の権利を貰えるわけではなく……次のコンテストに向けて、更なる高みを目指して頑張ってくださいと最後に言われて授賞式は終わった。

「はあーっ……自信あったのになあ……」

 市民会館の入り口付近のロビーで、ソファーに座った博人は呟いた。自販機で買ったペットボトルのコーヒー飲料を口につける。

「それ毎回言ってない?」

 振り向くと、茶綾がソファーの後ろに立っていた。

「あ、来てくれたんだ」

「今日は学校に行ってたし、駅も近かったからたまたまだよ、たまたま」

「たまたまでも嬉しいよ」

「……はあ、はいはい」

 茶綾は回りこんで博人の隣に腰をおろした。

「でも、賞貰えたんでしょ?」

「映像化されなきゃ意味ねえ。映像化されたらその後もシナリオの依頼が来るようになるんだぞ」

「どうして素直に授賞を喜ばないの」

「いや、そりゃ今までのこと考えたら嬉しいけどさ……やっぱ悔しいよ」

「ふーん……そっか」

「……」

「私は面白いと思ったよ、ヒロにぃの脚本」

「え?」

「アイバトラーなんちゃら、良かったと思う」

「マジか⁉」

「エレクターズよりは数倍つまらないけど」

「そ、それは茶綾……過去の名作と比べてくれるなよ……」

「ごめんって。ほら、元気出して! 次のシナリオ書くんでしょ!」

 茶綾は博人の背中をバシバシ叩いた。従妹の屈託のない、素直な気持ちが無性に嬉しくなった博人は落ち込んでいた気分を吹き飛ばすように立ち上がった。

「よっし、頑張るわ、俺!」

「そうだよ、頑張りな」

「茶綾、好きだ」

「流れでふざけたこと言ってんじゃない!」

 茶綾は博人の頬をつねった。痛みに顔をしかめた博人を見て、茶綾は笑いだした。二人とも、笑顔だった。


 大丈夫そうだな。

 柱の影からこっそり二人を見ていたリュウセイ・メテオーはそんな風に思い、暫くして消えていった。




















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俺と茶綾の特撮メモリー ~Save the Girl ! ~ 前田千尋 @jdc137v

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