俺と茶綾の特撮メモリー ~Save the Girl ! ~

前田千尋

第1話 前編


「轟け! イナズマブレイク!」

 巨大な刀身から一閃の電撃が放たれる。五人のマスクで顔を被った戦士たちが巨大ロボットに乗り込んで、同様に巨大な敵に向かって最後の必殺技を決める場面だった。最高潮に盛り上がる、クライマックスシーンだ。

「「うおおおおお!」」

 テレビの前に張り付く二人の声が重なる。

 一人は齢十六の博人のもの。もう一人は今年で七歳になる茶綾の声だ。

 高校二年生の男子と、小学一年生の女児が同じ番組に熱中している。この二人が一年間追い続けた番組が、今終わろうとしているのだ。

「絶対に悪がこの世界を支配することはできない。君たちに、自由と平和を愛する心がある限り!」

 チームのリーダーであるレッドカラーの戦士が、画面の向こう側にいる観ている子供たちに対して語りかける。そして、画面はエンドロールが流れ始め、最後には『雷轟電撃隊 エレクターズ 完』の文字が映し出された。

「ねえ、ヒロにぃ、あれなんて読むの?」

 まだ分からない漢字が多い茶綾は、高校生である博人に質問をする。『らいごうでんげきたい』はとっくのとうに教えてあるので、恐らく『かん』が読めなかったのだろうと博人は考えた。

「『かん』って読むんだ。おわり、って意味だよ」

「おわり? もうエレクターズやんないの⁉」

 茶綾にとって、初めてハマッた特撮ドラマが『雷轟電撃隊 エレクターズ』だった。幼い彼女にはまだ一年間の放送スタイルというものが馴染んでいないのだ。

「そうだな。もう、エレクターズが観れるのはこれで最後だ」

「そ、そんな! やだよヒロにぃ!」

 茶綾は博人の服の袖を掴んでぐいぐい引っ張り彼を揺らした。半分泣きべそをかきながら、それでも純粋な心で作品の終了を悲しんでいる茶綾に、博人は密かに感動していた。博人は長らく特撮オタクというものをやっている。心と体が成長しても、特撮ドラマの持つ魅力に取りつかれ特撮に関わる作品を片っ端に観ている。変身アイテムやそれのコレクションアイテムの玩具も買っている。そんな自分を博人は誇りに思っていた。しかし同時に、純粋な目でヒーローを見ることはできなくなってしまったとも感じる。

 セットが貧相だと、予算がないのかななんて考えながら作品を観る。販促やその他諸々の大人の事情によって番組がダメになってしまった光景などを見ると、げんなりする。

 だから、幼い子供のリアルな反応は博人にとってオアシスのようだった。自分も昔はこんな風に純粋に特撮ドラマを観ていたのだと思い起こし、精神が洗われるようであった。

 茶綾と一緒に特撮ドラマを視聴することは何事にも代えがたい博人の幸せな時間だった。

「あのな、茶綾。確かにエレクターズはもうテレビには出ない。けど、レッドエレクターも言ってただろ。俺たちに自由と平和を愛する心がある限り、悪は現れないって」

「うん」

「だから、俺たちがエレクターズの意志を継いで、世界の自由と平和を守っていくんだ! 俺たちがヒーローになるんだ!」

「な、なるほど!」

 博人が立ち上がって高らかに声をあげると、それに反応した茶綾がすくっと立って右腕を高く天井に向かって突き出した。

「私がヒーローになる!」

「そうだ!」

「変身アイテムは⁉」

「えーっと……茶綾がつけてるヘアバンド、それがアイテムだ!」

「マジかヒロにぃ! で、変身の掛け声は?」

「うーんっと……チェンジ! スパーク!」

「チェンジ! スパーク!」

「そうだ! ほら凄いぞ。今茶綾はサーヤマン……いや、サーヤウーマンになった!」

「やったー! じゃあヒロにぃが怪獣ね!」

「お、おお。巨大ヒーロー設定なのね」

「サーヤ光線!」

「うおおー、やられたー」

「怪獣だから『ぎゃお~』!」

「ぎゃ、ぎゃお~」

「サーヤキック!」

 光線でトドメをさしたはずなのにまさかのキック。博人の腹に茶綾の勢いの良い横蹴りが入った。

「ぐほっ!……」

「かったー!」

「茶綾、死体蹴りはよくないよ……オレンジマンだけだ、そんなことすんの……」

「したいげり?」

「なーにやってんのあんたたち?」

 引き戸を開けて顔を覗かせたのは、博人の母親である美紀子であった。美紀子は二階の部屋でテレビを観ている息子と姪っ子の様子を見にきた。そしたら腹を抱えてうずくまっている我が息子と、ファイティングポーズをとっている姪っ子が目に映った。美紀子は高らかに笑い出した。

「なに笑ってんだよ母ちゃん?」

「いやあ、また博人が茶綾ちゃんにボコボコにされてるって思ってさ」

「……ひでえ親だ」

「晩御飯できたから、下に降りてきなさい」

「はーい!」

 茶綾が元気よく返事をする。そんな姿を見て、博人は「ま、いっか」と思ってしまう。

「……ごめん、痛かったヒロにぃ?」

 後ろを振り返り、未だ立ち上がらない博人を見て心配に思った茶綾は座り込んで博人の腹に優しく手を当てた。茶綾はハイテンションだった時に行った自分の行動に対して自責の念を感じやすかった。

「大丈夫だよ。まあ、今度からは気を付けような」

 博人は茶綾の頭に手を置いた。頭がこくりと頷く。博人は立ち上がり、茶綾は博人の腰に抱きついた。

「うお、どした茶綾?」

「ヒロにぃ、晩御飯の後に今度は『ドドンガー』観よ!」

 レンタルビデオ屋で借りた怪獣映画『ドドンガー』のことだ。

「わかった。一緒に見ような!」

「うん!」


 博人はこの時間が永遠に続けばいいと思っていた。


 しかし残酷にも、時は二人の間にも流れた。

 良くも悪くも、もう、あの時の二人ではなくなったのだ。





 *****





 篠田博人は先程からスマホを持つ手が震えていた。

 バイトの休憩時間中に、イスに座って確認しようとしながらも、ずっと自身のスマホのロックを解除出来ずにいる。

 べつに番号を忘れてしまったとかそういうことではない。単に指が動かないのだ。これから待ち受ける出来事に、どのような運命が待ち受けているのか知るのが怖いのだ。

 深呼吸を二度ほど繰り返した。腹をくくって、画面に指を置く。

 ロックを解除し、インターネットからホームページにアクセスする。一番上に、『トクサツシナリオコンクール 結果発表』とのタイトルがあった。博人は恐る恐るそのタイトルをクリックする。

『第2次選考通過作品』

 そこまで読んだ。

 その下を読むのが怖い。

 だが、ここでウジウジしていても始まらない。

 博人は目をかっ開いた。

 そこに、博人の書いた作品のタイトルはなかった。

「おうーのおおおおおおおおおおおおお!」

「うるせーバカヤロー」

 後ろにいた店長にシフト表が入ったファイルで後頭部を叩かれた。

「いたっ……くない。あ、店長」

「休憩中だからってな。大声出すな。店内にお前の声が響いてんだよ」

「すみません。つい結果に絶望してしまって」

「……またシナリオのコンテストに落ちたのか」

「はい……」

「お前もまあめげねえよな。これで何回目だ?」

「いや、今回ばかりは心が折れそうです……自信あったのに」

「自信あって落ちたって、そりゃお前……その、特撮だっけか。お前、特撮の脚本書くの向いてないんじゃないか」

 現在、博人に最も突き刺さり、ライフをゼロにする言葉が店長の口から放たれた。

「そ、それだけは言わんといてください……」

「俺も前にお前のやつ読ませてもらったことあるけどよ。まあ、構成が下手っつうか、設定も分かりにくかったしなあ」

「もうそこまでにしてください……お願いします」

「おう分かった。じゃあそろそろ仕事に戻ってくれ」

「ラジャ」

「ここは防衛隊じゃないっつうに」

 店長の呟きは虚しくも届かず、博人は沈んだ気分のまま商品の補充にまわるため店内に戻っていった。




 店の裏口から出て、上着のポケットから鍵を取り出し、自転車に差し込んだ。

 ママチャリだが、そこは想像力を働かせて格好いいバイクに乗っているのだと脳に言い聞かせる。するとなんてことでしょう。普段のなんてことない通勤がこんなにも楽しく……ならなかった。いや、いつもだったらなるのだが、今回ばかりは愉快な気分にはどうしてもなれなかった。

「はあー……」

 ペダルに足を置き、かったるい体を奮い起こしながら漕ぎ始める。

「いつまで、こんなことやってんだろうなー俺……」

 夜空を見上げながら博人は悲しげに呟いた。


 篠田博人。現在二十六歳のフリーターであら、夢みる特撮オタク。






 博人が帰宅すると、何やら母親である美紀子が電話で話し込んでいた。一体誰と話しているのか多少の興味はあったがそれよりも腹の空き具合の方が重要事項だったので、博人は真っ先に冷蔵庫に向かった。

 母が先に手をつけていたおかずを取り出し、レンジで温める。簡単なサラダだけ野菜を切って自分でつくった。

 あとは茶碗にご飯をよそって、順次に食卓に並べていく。

 時折、母がこちらをチラチラと視線を寄越してくる。意味は分からなかったが気にせず飯にありつく。

 リモコンに手を伸ばしかけたが、今は母が電話中であることを思い出し、手を引っ込めた。電話が終わったら録画していた『バルバイガー』の最新話を観ようと考えていた。

 ご飯を半分の量を胃に収めたあたりで、どうやら母の電話が終わったらしいことに気が付いた。声が止み受話器を置く音が聞こえたので博人がリモコンに再び手を伸ばしかけた、その時だった。

「博人! ねえ聴いて!」

 美紀子が博人の顔を覗き込むような勢いでローテーブルの前に座った。何やらえらく興奮している。

「どしたの母ちゃん」

「藍井ん家、明日からこの街に引っ越して来るんだって!」

「あおい……」

「まさかあんた自分の従妹のこと忘れたんじゃないでしょうねえ? 茶綾ちゃんよ、茶綾ちゃん」

「…………ああっ!」

「うわ、びっくりした」

「え、マジで⁉」

「マジよ」

「茶綾の家って、確か叔父さんの転勤で中国に行ってたんじゃ」

「あ、言ってなかったっけ? 藍井ん家一昨年から日本に戻ってきてるわよ」

「はああっ?」

 情報の嵐が吹き荒れているようだった。博人の知らない多くの事実が、コンクールの結果に沈んだバイト帰りの夜に次々と明かされていったのだ。

「そんで、今度は私たちの家の近くから通った方が会社に近いからって、こっちに来るんだってさ」

「そうだったのかよ……全部知らなかったよ俺」

「あらごめんなさい。悪かったわね」

「そうか。茶綾が来るんだ……」

「あんたたち仲良かったもんねー。一緒に特撮観てさー」

「ああ。楽しかったなあ、あの頃。茶綾も可愛かったし」

「我が息子がロリコンに」

「ちげーわ。でも、そうか……あれから十年くらい経ってるんだよな」

「そうね。もう茶綾ちゃんも高校生かしらね」

「高校生……」

 博人は制服を着ている茶綾を頭の中で思い浮かべてみた。

 これが意外と想像がつかない。

「明日ウチにも顔見せに来てくれるってよ。楽しみね」

「うん。やっべソワソワするな」

 十年振りに、仲の良かった従妹と出会う。可愛くなっているだろうか、まだ特撮は好きだろうか。期待と不安が入り交じる。

「でもなあ……」

 美紀子がため息をついた。

「何だよ?」

「茶綾ちゃん、今の博人見てどう思うかしらねえ……」

 その一言が、博人の心を急激に冷やしていった。

「……お、俺は未来の特撮のシナリオライターだから」

「そんな夢ばっかり言ってさー。現状コンビニのアルバイトじゃない。大学まで出て、周りの友達はちゃんと就職したのに、あんたは夢を追いたいって言って就活せず……」

「なんだよ、母ちゃんが許してくれたんだろ⁉」

「今になって失敗だったかなーって思うのよ。あんた何時まで経ってもデビューしないし」

 博人の中でイライラが沸騰していた。ただでさえまたもや落選したショックで彼の精神状態は決して穏やかなものではなかった。それでも何とか平静を装っていたのだが……堪忍袋の緒がきれてしまった。

「うっせえなあ! ざけんじゃねえよクソッ!」

「排泄物じゃないです人間です」

「バカッ! もう知らん!」

 しかし起こってもこうなるだけ。美紀子は人を苛つかせるくせに自分は飄飄としている。だからせっかくキレてみせても調子を崩される。

 博人は自室に入り扉を勢いよく閉め、内側から鍵をかけた。

 部屋のクローゼットを開け、ある物を取り出す。

 これは、博人のストレス解消法であり、同時に創作のインスピレーションを得る行為だった。

 自作したマスクを被り、これまた自作したスーツを着込む。

 またまた自作の変身ベルトを腰に巻き、これで準備完了。

 今、博人は自信が書いている脚本に登場するさすらいのヒーロー、『リュウセイ・メテオー』となったのだ。

「輝きのシューティングスター! リュウセイ・メテオー!」

 博人は目の前にいる敵に向かって叫んだ。


「な、何時の間に⁉」

「お前たちアークトリガーの企みは分かっている。ここが貴様らの死に場所だ!」

「ふざけるなー! やれー!」

「どれだけの数の戦闘員が挑んできても、俺は負けん! 行くぜ! スター・ゴー!」

 リュウセイ・メテオーがアークトリガーの秘密基地に乗り込んだ! 頑張れ僕らのヒーロー、負けるなリュウセイ・メテオー!


「ナレーションつけるなし……」

 美紀子は息子の部屋から聞こえてくる小さな劇場の音に耳を澄ましていた。





 翌日。

 博人はすっかり昨晩のリュウセイ・メテオー 即興劇場のおかげでイライラが解消でき、深い眠りについていた。今日はバイトもシフト入ってないし、このまま一日中寝ていてしまおうか。

 そう、心地よく布団にくるまれていたのだったが、その平穏は一つのインターホンによって失われた。

「はいはーい」

 母の美紀子が玄関に駆け込む足音が聞こえた。うっすらと瞼を開ける。

「あー、久しぶりー」

 美紀子の嬉しそうな反応に、博人は全てを思い出して、ガバリとその身を起こした。

 そう、今日は心地よく寝ている場合ではないのだ。重大な来客が襲来する日だったはずだ。

 博人は布団から転げ出て慌てて立ち上がり先ずはパジャマのズボンを脱いだ。次いでイスにかけてあったチノパンに履き替える。

 そのタイミングで美紀子は部屋に入り込んだのだった。

「博人ー、茶綾ちゃんたち来たわよ」

「分かった、今いく」

「あんた何時まで寝てたの? もう十一時よ?」

「わーったよ、ちょっと待ってって!」

 とりあえず長袖の洋服を着て、とっとと博人は部屋を出ていった。リビングに入ると、既に藍井家がローテーブルを囲んでいた。

「あ、ヒロくん?」

 叔母さんが、真っ先に声をあげてくれた。

「おお、博人君。高校生の頃と比べて逞しくなったんじゃないか?」

 叔父さんも。二人とも顔つきは微妙に変わっているしシワも増えてはいたが、それでも昔のイメージのままの、博人にとっての叔父と叔母であった。

「どうも……ご無沙汰してます」

「なんだ、かしこまって。ほら、俺が言うのも何だけど座って」

「あ、はい」

「ほら、茶綾、挨拶は?」

 博人は、ちょうど対面する位置に座っている、懐かしき従妹の顔を見た。

 驚いた。茶綾はすっかり『高校生』になっていた。ずーっと博人の中では小学二年生に上がる直前までの姿でしか思い浮かべることが出来なかった存在が、時間の経過した状態でテーブルの前に正座していた。

「ひ、久しぶり、茶綾」

 博人から声をかけた。最初、どう呼ぶべきか一瞬悩んだが、当時のままの呼び方が一番自然だろうと、なるべく昔の呼び方の口調を意識して言った。

 長くなった髪が微かに揺れる。茶綾は口を開いた。

「お久しぶりです、博人さん」

 ヒロにぃ、とは呼ばれなかった。

「う、うん。その、変わったね……」

「それは私も十五ですから。変わってなかったら変ですよ」

「そ、そうだよね。そりゃね」

 博人は、一番聴きたいことを口に出した。

「あのさ、まだ特撮好き? 俺はまだ好きでさ! 茶綾はどう? あれから……」

「あの!」

 茶綾は突然声を張り上げ、博人の顔をキッと睨んだ。

「私、もうそういうのから卒業しましたから」

 博人の顔が凍りついた。

「ていうか、まだ観てるんですか、そんなもの」

 

「いい加減、良い大人なんだから止めましょうよ」

 それは、博人の思い描いていた理想とは大分かけ離れた、とんでもない再会だった。


 藍井茶綾。現在十五歳であり、現実をみる女子高生。





 *****





「博人さんって、今何してるんですか?」

「引越しの手伝いをしてます」

「そういう意味ではなくて」

 藍井茶綾は、冷たい瞳で篠田博人を見つめる。

「今、どんな仕事をしてらっしゃるんですか?」



 博人はただただ困惑していた。困惑しながら、藍井家の引越しの荷ほどきを手伝っていた。

 茶綾が、あまりにも変わりすぎている。

 そりゃあ十年も経っているわけだし、尚且つ高校生とかいう思春期真っ盛りの小難しい時期であるのだから、多少の性格の変化はあって当然だと思っていた。

 しかし、現在の茶綾は昔の面影がほとんどないのだ。

 あの、天真爛漫でエレクターズやドドンガーやブラキオマンゼットに夢中になっていた茶綾が、彼女からはキレイさっぱり捨てられたようだった。

 だから、博人は居心地が悪かった。

 どう接すればいいのか分からないのだ。

 可能なら、今すぐにでも家に帰りたい。だが、そんなこと藍井家の前でできるわけがない。家には母がいるし。

「どうなんですか?」

「な、なんで俺の職業に興味が?」

「気になるからです。悪いですか?」

「べつの話題にしない? ほら、今やってるニチアサの話とか」

「私、そういうのもう観てないって、さっき言いましたよね」

 カチャンと、つんざくような音が響く。茶綾が食器類を棚に並べている最中に発せられた音だ。

「あ、ああ……そうだったね」

「人に言えないような身分なんですか?」

 突如博人の背中に巨大な槍が投げられたようであった。危うく持ち上げたダンボール箱を落としそうになる。


「……そ、そうさ! 悪いことをしているのさ」

「フリーターですか」

 え。


 博人は恐る恐る振り返った。茶綾の目線には想定内と呆れた感情が渦を巻いて宿っていた。

「叔母さんから聞きました。シナリオライターを目指しながら今はアルバイトしてるって」

(あ、あのババア! なんてことばらしてんだ!)

 博人の顔面はみるみるうちに青ざめている。

「変わってませんね」

「へ?」

 食器を全て出し終えた茶綾は次の荷物を取りにいくために――従兄をその場に放り去るように、リビングを出ていった。

「ずーっと、夢ばっか見てるんですね」

 そんな言葉を残して。



 夕方、日がかなり傾いた頃に博人は家に帰った。

 といっても、藍井家は隣に引っ越してきたので、距離はほとんどない。帰ったというよりも自分の家に移動しただけのような感覚。

 玄関で靴を脱いでいると美紀子が姿を現した。

「あれ、もうちょっと藍井ん家にいるのかと思ってたけど」

「ああ。一応夕飯一緒に食べないかと言われたけど、断った」

「なんでー?」

「……」

「どした?」

「……訊かないで」

「は?」

「俺に質問するなー!」

 博人は顔を伏せて猛ダッシュで廊下を走り去り、自分の部屋に消えていった。

「何よ、一体……」



 博人は、胸の内から溢れ出る感情を抑えきれなくなっていた。

 それは、絶望である。

 あの茶綾に再会できる。その思いがいともあっさり崩れ落ちたのだから。

 ショックだった。本当に。

 ヒロにぃと、呼ばれたかった。

「……ああ」

 博人は布団に寝転がって天井を見つめている。天井に映し出されているのは、成長した現在の茶綾と和やかに再会を喜び、久しぶりの特撮談義を交わしている映像だった。

 つまり、博人は現実逃避を始めた。





 *****




 あれから一週間が過ぎた。その日、博人は午前九時からのシフトだったため、朝の七時半に家を出た。

 電車で行けるが、自転車でも然程問題のない距離。博人は運動不足解消も兼ねてママチャリで通勤をしていた。

 そしたらばったり。玄関の扉を開けたら偶然にも茶綾が隣の家から姿を現した。

「お、おはよう」

 一応、挨拶をしてみる。だが、冷たいことに相手からの反応は一切ない。

(ちぇ、なんだよ)

 博人は少し不貞腐れた。

「今舌打ちしました?」

 制服姿の茶綾が扉の前に佇む博人に歩み寄ってきた。挨拶をしなかった癖に変なところに反応するものだ、この少女は。

「べつに舌打ちなんてしてないよ」

「あっそうですか」

 そして茶綾は立ち止まる。

「なに、学校行かないの?」

「博人さんこそバイトに行かないんですか?」

 なんだろう、この張り合い。

 しかし、博人はあることに気がつき、思わず茶綾をじいっと見つめてしまった。

「? なんですか」

 その視線に本人も気づく。

「いや……制服、可愛いじゃん」

 グレー気味なブラックのブレザーに、チェック柄のスカート。程よい大きさのリボン。清楚な中にあどけさが残っているような彼女の見ためにぴったりな服装だと博人は思った。

「え……やだ」

 褒められて嬉しかったのだろうか。

「キモい」

 違った。引かれていた。

「キモい、普通にキモい。うわー」

 とか言いながら茶綾は逃げるように鞄を前に抱えて小走りで駅に向かう道を進んでいった。

「き、キモくて悪かったなー!」

 博人は朝からこんな声を出したら近所迷惑だってくらいに思いっきり叫んだ。

「なんだよアイツ。ほんと何なんだよ」

 ブツブツ言いながら鍵をさして自転車を動かす。ハンドルを握り、サドルに跨がる。

「たくっ……ふう……変身!」

 小さく呟いてペダルを漕ぎ始める。

 こうして気分を切り替えていく。もう茶綾のことはしょうがない。諦めよう。何時までも過去に固執している自分がいけないのだ。

 今の博人には邪念が一切ない。全ては頭の中で展開されている妄想に神経が注がれている。

 丁度腰のベルトが風圧を受けているところだ。





 藍井茶綾は揺れる電車の中で、入り口付近に立ちながらため息をついた。

(何やってんだろう、私)

 十年振りに出会った従兄を心の底から拒絶しようとしている。それでいて彼に何かと絡む。そんな天邪鬼な自分が酷く理解出来なかった。

 藍井茶綾はもちろん過去を覚えている。かつて自分が熱く特撮にハマっていたことも、博人が大好きだったことも。

 父親の海外転勤によって日本を離れる時には、泣いていやでも博人にしがみついてついて行こうとしなかった。それで篠田家に一晩泊まったことすら、鮮明に記憶している。

 だが、茶綾は特撮を二度と好きになれないのだと自覚している。ヒーローなんていないのだと、知ってしまったから。

(羨ましいよ、ヒロにぃ。なんで何時まで信じられるの……?)

 車窓から流れ去る景色を眺めながら、茶綾はイヤホンを耳にさす。

 茶綾には、悪の組織が世界を支配することなんて比べものにならないくらいの、地獄が現実に存在していた。

『学校』という、地獄が迫っている。




 *****




「辛いと~か、苦しいと~か、疲れてもう」

「先輩、ブラキオマンガイズの主題歌歌いながら補充作業やるの止めません?」

 ペットボトルを棚にどんどん出していると後輩に注意された。

「小声だからいいじゃないか。しかもガイズの主題歌は働く人への応援ソングだぞ」

「いや、そういう問題じゃ」

「てか後輩よ。ガイズ知ってるんだな」

「そりゃあ、世代ですし」

「でもマニアックじゃね? だって他にちゃんとテレビ放送されてたダイチとかあるだろ」

「先輩、手が止まってますよ」

「あ、すまん」

「はあ~、しっかりしてくださいよもう」

 向こうから話しかけてきたのに何だろうこの仕打ち。

 早く専業シナリオライターになりたい。博人は心底そう思った。



 午後三時に仕事をあがり、家に帰った博人は自分の部屋に直行しノートパソコンを早速開く。Wordを起動して、次のコンテストに応募するための脚本を書き始めた。

 今回は怪獣映画の物語作りを意識した、日常に迫る非日常をコンセプトとしている。登場するのはもちろん怪獣と巨大ヒーローだ。大賞を受賞すれば映像化のチャンスを貰えるので、かなり張り切っている様子だ。

 前作の、リュウセイ・メテオーを主人公としたシナリオは上手くいかなかったが、今度こそは行けると、持ち前の根拠のない自信を発動する。そうでもしないとやってられないというのもあるが、兎に角博人はめげずにキーボードを叩いていった。



 今日はかなり書き進めた。なかなか調子がいい。筆がのっている。キリのいいところまで書き上げた博人は上書き保存のアイコンをクリックし、思いっきり背を伸ばした。

「くう~」

 気持ちよく伸びた後は、リビングに出て台所の冷蔵庫に向かう。中に入っているパックの牛乳を取り出し、マグカップに注いだ。

 一気に飲み干し、一息つく。

「ちょっと、夜風にあたってくるか」

 イカした台詞を意識して、博人は呟いた。



 なんとなく駅に向かって歩を進める。程よく涼しい夜風が肌にあたって心地いい。駅に近づくと周りが住宅街から商店街へと変貌していく。

 薬局の前まで来て、博人は歩みを止めた。

「あ……」

 見つめる先に、出来るなら会いたくない人物がいた。茶綾が駅から出てきたのだ。

「どうしたもんかな……」

 どこかに隠れるか、引き返すか、気にせずそのまま歩き続けるか。三択のうち、どれを選ぶか博人のノロマな思考が働き始めた。

(ありゃ)

 しかし、必死こいて頭を働かせる必要はないようだ。茶綾はそのまま博人から見て右の道へと曲がってしまい、姿を消した。

 博人は安心して歩き出そうとするが、ふと何かが引っ掛かった。

(そういや、今って十時だよな)

 スマホの画面で時刻を確認する。

「あいつ、帰り遅くね?」

 ひとりでに出た言葉。誰に対して言ったわけではないので、何人か反応した通行人が訝しげに博人を見た。だが、今はそんなことはどうでもいい。

「家に帰る道じゃねーし。あいつどこに行くつもりだよ」

 茶綾は博人の家の隣に住んでいるわけだから、真っ直ぐに博人が来た道を行った方が一番分かりやすいしその上近い。なのに駅から出てすぐ右の道に曲がったのは、普通ではなかった。

 博人は走り出した。茶綾が本当に何処かへ行ってしまう前に、彼女を見失いたくなかった。

 駅の北口へと続く階段の前まで来て、右を見る。茶綾の姿はない。

「茶綾っ!」

 博人は再び走り出す。自転車通勤のおかげかまだ息は切れずにいられている。道の右側にある様々な店のうちのどれかに、茶綾が入店していないかチェックしながら走っていた。

 と、博人の目があるものを捉える。自身の体に急ブレーキをかけ、前のめりになりそのままバランスを崩してコケた。

「……いてっ」

 顔面は守れたが肘が犠牲となった。少し擦りむいており血もでている。半そでがまずかったか。

「何してるんですか」

 博人の視界に、黒のソックスとスニーカーを履いた女性の足が現れた。見上げると、先程コンビニのイートインスペースでテーブルにうつ伏せになっていた茶綾が間抜けな従兄を見下ろしていた。

「……派手に転びました」

「それは見たら分かります」

 茶綾は特大のため息をつき、博人は苦笑いを浮かべた。















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