また失敗しちゃった

澤田慎梧

また失敗しちゃった

「ねえねえ美楽ミラちゃん! ……新しいパパ、欲しくない?」


 朝食の席で母の絵莉エリから投げかけられたその言葉に、美楽は人生で何度目か分からない深い深いため息をこぼした。

 「またか」と。


 羽鳥はとり絵莉と美楽の親子は、母一人娘一人のいわゆる母子家庭だ。

 父親は、美楽がまだ小さい頃に死んでしまっていた。海外での仕事中、とある過激な宗教団体の起こした事件に巻き込まれて、命を落としたのだという。


 以来、絵莉は夜の仕事をしながら女手一つで美楽を育ててきた。

 相当な苦労もあっただろうに、愚痴一つこぼさずに自分を育ててくれた母親を、絵莉は尊敬していたけれども……一つだけ、どうしても許容できない欠点があった。


 ――絵莉は、非常に惚れっぽいのだ。


 絵莉が大人しく喪に服していたのは、ほんの数年の間のみ。彼女は次第に、新しい恋人を強く求めるようになっていった。

 そしていい男が見つかる度に、美楽にこう尋ねるのだ。「新しいパパ、欲しくない?」と。


 最初は美楽も「母も寂しいのだろう」と思い、気を遣って「お母さんが選んだ人ならいいよ」と答えていた。

 けれども……最初の恋人も、その次の恋人も、その次もその次も、全くうまくいかなかったのだ。すぐに駄目になって落ち込んで。それでもいつの間にか立ち直って、また新しい恋を探す。

 娘の美楽の目から見ても、絵莉は恋に貪欲すぎるモンスターであった。


 だから――


「もういい加減、諦めたら?」


美楽はついつい、冷たい答えを返してしまっていた。


「もぉ~う! 美楽ちゃん冷た~い!」

「いつもいつもすぐ駄目にしちゃってたら、冷たくもなるわよ。どうせ今度だって、すぐに駄目になるに決まってるもの」

「ええ~? 今度は~、きっと大丈夫だから~!」

「なんでそんなに自信満々なのか、本当によく分からないわ……」


 そう呟いた美楽の口から、再び深い深いため息がこぼれる。

 「そもそも、そのぶりっ子口調を止めてほしい。いい歳なんだから、もう少し落ち着いてくれないかしら?」と心の中で漏らす美楽だったが、彼女のその願いは当分叶いそうになかった。


 絵莉は、中身だけでなく見た目も若い。

 どう多く見積もっても二十代にしか見えず、中学二年生の美楽と一緒に街中を歩いていても、姉妹に間違われるくらいだ。

 白く透けるような美しい肌の持ち主で、顔にはシワもシミも殆どない。その美貌が衰えることは、当分の間ないだろう。


 そんな妖艶な魅力を持つ絵莉に言い寄られて、その気にならない男は少ない。

 それがまた、絵莉の若作りな性格を加速させるのだ。


「とにかく! 今度の週末に家に連れてくるから! ちゃんと愛想よくしてね? 美楽ちゃん」

「……分かったわよ。精々邪魔はしないから、どうぞご勝手に」


 駄々っ子相手に諦めた母親のように、美楽はため息混じりに了承した。

 これでは、どちらが母でどちらが娘なのか、分かったものではない――。



「はじめまして、美楽ちゃん。早坂と言います。その、お母さんとは……」

「あ、わきまえてますので、お気遣いなく。こんな母ですが、よろしくお願いします」


 そして週末、羽鳥親子の自宅マンションに絵莉の新しい恋人がやって来た。

 早坂と名乗った男は、美楽の想像よりも大分若かった。恐らくは二十代半ばくらい。歳で言ったら、絵莉よりも美楽と近いだろう。

 思春期の娘の新しい父親候補としては、流石に若すぎる。

 愛想笑いを浮かべつつ、美楽は早くも暗澹あんたんたる気持ちを抱き始めていた。


「早坂さんはね~、消防士さんなのよ! たくましいでしょう?」


 そんな娘の気持ちなどお構いなしに、絵莉は見るからに浮かれていた。

 確かに、美楽の目から見ても早坂は魅力的な男性に見えた。がっちりとした体格だけどギリギリ暑苦しくはなく、どこかシュッとした雰囲気がある。

 顔はやや童顔。白い歯が眩しい、そこそこのハンサムだ。物腰も柔らかい。


 けれども、今まで絵莉が家に連れて来た男達だって、そこそこ以上のいい男ばかりだった。

 それでもみんな上手くいかなかったのだ。今回だって分かったものではない。

 浮かれる母をよそに、美楽の心は氷点下に達しつつあった――。



「へぇ、絵莉さん達のご先祖はヨーロッパの方から日本へ移住して来たんですか? どうりでどこか顔立ちが西洋人っぽいはずだぁ」

「ええ、ルーマニア辺りの出身だったらしいのよ~。でも、争い事だか何だかで故郷を追われて、日本へ逃げてきたのね~」


 夕食の席では、お酒が入ったことも手伝ったのか、絵莉と早坂との間で会話が弾んでいた。

 お互いの出身地の話から始まって、今は絵莉達の先祖の話に移ったらしい。

 美楽はと言えば、相変わらず愛想笑いを浮かべながら、心を完璧に凍らせていた。アルコールの入った大人を相手にして、楽しいことなど一つも無いのだ。


 その後も二人の「楽しいおしゃべり」は続き、気付けば夜の十一時を過ぎてしまっていた。


「あれぇ、もうこんな時間ですか!? いけないいけない。終電の時間もありますから、そろそろお暇しますね?」

「あらぁ早坂さん。別に泊まっていってくれても構わないのよ?」

「ええっ!? でも、それは流石に……」


 早坂がチラチラと美楽の方を見る。流石に中学生の娘がいる家に泊まるのは気が引けるらしい。


「あ、私のことはどうぞお構いなく。部屋に鍵もついてますし、特に気になりませんから」

「ほらほら~。美楽ちゃんもこう言ってるから~。泊まっていこうよ~早坂さ~ん」


 言いながら、早坂に腕を絡める絵莉。

 ちなみに、羽鳥家は2LDKのマンションなので、客が泊まるスペースはリビングくらいにしかない――絵莉と美楽、それぞれの自室以外には。

 絵莉としては、早坂を自室に引き込む気満々なのだ。


 結局、早坂は泊まっていくことになった。

 美楽は手早く風呂を済ませると、リビングでイチャイチャしている二人をよそに自室へと引きこもった。

 鍵をかけ、ヘッドホンで音楽を聴きながらベッドに潜り込む。

 絵莉が恋人を連れてくると、いつもこうなるのだ。手慣れたものだった。


 ――今夜、絵莉は早坂と一線を越える。それはまず間違いない。

 しかし、問題はその後だ。過去の恋人達も、こうやって家に招き、夜に一線を越えて……そうして全部駄目になってきたのだ。

 果たして、早坂の場合はどうなるのか?


(ま、今回も駄目でしょうね)


 心の中でそんな呟きを漏らしながら――しかし更に奥底では一縷の望みを持ちながら――美楽はゆっくりと眠りの淵に落ちていった。



 ――翌朝。美楽は、ヘッドホン越しに聞こえる誰かが扉を叩くドンドンという音で目を覚ました。

 机の上の時計を見やると、まだ朝の五時半だ。


「美楽ちゃ~ん! 起きて~!」


 ドアの向こうから聞こえるのは、絵莉の声。非常に情けない、助けを求めるようなその声音に、美楽は「またか」と思いながらゆるゆると起き上がると、扉を開けた。

 そこには予想通り、なんとも情けない、泣きべそをかいた母親の姿があった。


「美楽ちゃ~ん……また、駄目だった~!」

「……そう」


 寝起きの気だるさも手伝ってか、美楽はそっけなく返事をすると、泣きじゃくる絵莉をよそに彼女の寝室へと向かった。

 開け放たれたままの扉から様子を窺うと……そこには半裸の早坂が立っていた。


 美楽はそのままズカズカと寝室に入るが、早坂は何の反応も示さない。その瞳は虚空を見つめたまま瞬きひとつせず、口はだらしなく半開きになっている。

 ――明らかに普通の状態ではなかった。


 早坂の首筋を見やると、彼の首の左側には赤黒い傷が二つ穿たれていた。

 



 ――羽鳥家はいわゆる吸血鬼の一族だ。

 そのルーツはルーマニアにあり、数世代前に迫害を逃れて日本へと渡ってきた。


 吸血鬼と言っても、日の光の下でも普通に暮らせる。無暗に他人の血を欲しがる訳ではない。ニンニクや十字架も苦手ではない。繁殖方法だって人間と全く変わらない。

 人間と大きく異なるのは、不老の身体を持つ点。そして、夜に血を吸った相手を自分の「使い魔」に出来るという点だった。


 「使い魔」になった人間は自我を失い、血を吸った吸血鬼とその血族の命令だけを聞く操り人形となる。

 主たる吸血鬼が命令しなければ、一切の自発的行動をしなくなってしまうのだ。肉体は生きているが精神は死んでいる、ゾンビのような状態だ。


 しかしごく稀に、「使い魔」にはならず、自我を保ったまま「吸血鬼」の仲間入りを果たす人間がいる。

 どういった人間がその素養を持っているのかは不明だが、羽鳥家に伝わる言い伝えでは「強い精神か肉体を持つ者」がそうなるのだという。

 実際、絵莉の数世代前の先祖の一人は元人間であり、「新しい仲間」として吸血鬼一族に迎えられたのだとか。


 夫の喪が明けてから新たな伴侶を求め始めた絵莉だったが、日本国内の吸血鬼はもはやごく僅か。彼女の夫となれるような年齢の吸血鬼は存在しなかった。

 人間の夫を迎えることも考えたが、吸血鬼と彼らとでは生きる年月が違い過ぎる。不老の吸血鬼と違って、人間の一生はあまりにも短い。

 老いて死んでいく夫の姿を見送るなど、絵莉には耐えられそうもなかった。


 だから彼女は伝承にすがった。

 自分が恋した男ならば、もしかすると「使い魔」にならず吸血鬼の仲間入りをしてくれるのではないか?

 そんな甘い考えを抱いたまま、結局は十人以上の男達を再起不能にしてしまった。


「……まったく、処分に困るだけなのに。こりないお母さん」


 哀れな早坂の姿を眺めながら、美楽が誰ともなく呟く。もはや彼は、自分の意思で笑うことも泣くことも出来ない。

 一応、知識自体は残っているから「いつも通りの日常を過ごせ」と命令すれば、しばらくの間はそつなくこなすだろうが……これ以上、成長も変化もしないのだ。次第に無理が出てくるし、違和感に気付く人も出てくるだろう。


 可哀想だが、最終的には事故に見せかけて自殺してもらうか、失踪してどこかの山奥にでも籠ってもらって、そっと死を待ってもらうしかない。

 間違っても、自分達に疑いが向かないように、細心の注意を払って……。


 そもそも、美楽の父親だって、海外の親戚が不用意に生み出してしまった「使い魔」の処分を手伝いに行ったところを、「教会」の連中に見つかって殺されてしまったのだ。

 そういう意味では、絵莉の行動は不用心過ぎる。

 日本では「教会」の勢力が弱いとはいえ、見つからないという保証はどこにもないのだから。


「美楽ちゃ~ん、ごめんね~?」

「謝るくらいならはじめからやらないで。もう隠ぺい工作の片棒担ぐのはうんざりだから。いい加減諦めてね? お母さん」


 手厳しい言葉にうなだれる絵莉。

 美楽は、そんな母親の姿を見ながら「自分は恋などせず一人で生きていこう」と心に誓った。


 ――しかし、その誓いは数年後に破られることとなる。美楽は、ある人間の青年と恋に落ちてしまうのだ。

 その恋の顛末が一体どうなるのかは……また別のお話。



(了)

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また失敗しちゃった 澤田慎梧 @sumigoro

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