わたしが狐だったら
フクロウナギ
わたしが狐だったら
「センターの問題見た?今年も突っ込みどころ満載でさー」
彼女はそういうと、スマホを開き一節の文章をわたしに見せてきた。2019年センター古文「玉水物語」の現代語訳だ。
彼女はわたしと同じ学部の同期だ。ただでさえ男の方が多い学部で孤立ぎみだったわたしの隣に、彼女は誰よりもはやく居てくれた。「隣、座っていい?」講義室の後ろに独り座っていたわたしに、彼女がかけたその何でもない言葉を忘れることはない。
「狐が姫に恋をして女中に化ける話だって」
彼女は大学生活に慣れると軽音楽のサークルに入った。高校まで吹奏楽部で続けてきた音楽を大学でも続けたかったらしい。
一方、わたしは漫画研究会の一員となった。漫画で埋め尽くされた棚と、机の上に散らばった原稿用紙は、わたしにとって実家よりも落ち着ける空間であった。
「これが、巷で言う"尊い"ってやつかー」
彼女とわたしは全くといっても良いほど趣味が合わない。
彼女は漫画を読まないし、わたしは音楽なんてほとんど聞いたことがない。
スマホを閉じて講義に入ったら、彼女は玉水物語のことを忘れてしまうだろう。対照的に、今わたしは玉水物語の二次創作漫画を書いている。
「そうそう、センターといえばリスニングのあれ」
原稿用紙に姫の姿を書き入れているとき、わたしの頭の中には、彼女の姿があった。
いつの間にか、彼女はわたしの心の中を占めていた。彼女がいない日は、わたしのいる世界は音も色も薄れてしまう。何日か振りに彼女と会えたときは、わたしの心臓は喜びの脈を打った。
「あいつら、もっと良いデザインはなかったのかなー」
あぁ、わたしがあの狐だったら、姫に何を言っていただろう。
彼女はいずれ、他の誰かと付き合うことになるのだろう。しかしそうであっても、明日そうなっても、わたしは彼女に今以上の言葉を返すことはできない。彼女との関係を、わたしはこれ以上変えたくなかった。今こうして彼女の話しができているだけでも幸せと思いたかった。
「ねぇ、橋本はニンジンとキュウリ、どっちが好き?」
「いろにでて……」
「ん、今なんか言った」
「いや、なんでも」
わたしが狐だったら フクロウナギ @apupuna_unagi
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