最終話

 慌ただしい朝食を終えると夏南は、美冬をリハビリの名目で彼岸堂から連れ出した。彼女が彼岸堂を遠く離れるのは、龍にわれた夜と龍を倒しに行った夜を含めて三度目だ。事件解決にクルトから集まりを通して龍に殺された被害者達が、アベン墓地に埋葬されたと聞いた夏南は一人で墓参りに行こうとしたが、昨日美冬にそのことを伝えるとどうしても一緒に行きたいと言ったので、こうして今二人で墓地へ向かっている。

 本当の目的を知らないリリムとイルタは無理矢理着いて来ようとしたが、前者は表に待っていた正導教会の神父が強引に馬車に乗せられヤルド地方にある本部に強制送還、後者はシィにこの後診察の予定があるだろうと怒られ彼岸堂に残った。

 シィにも墓参りの話をしたが彼女は同行を拒否、事件関係者というだけでの墓参りは陳腐な感傷、死者は許してはくれないぞと胸の内を見透かされた一言をぶつけられただけだった。

 故郷では大規模な龍討伐作戦後には、必ず死者を弔う合同慰霊祭を執り行っていた。この国にはそんな風習はなく、今回の事件では個人でも表立ってやることはできない。せめてもの墓参りだが、何処かに今回の結末の許しを乞う罪悪感があったのだだろ、もしその感情を胸のしまえないなら今日は美冬に任せるしかない。

「夏南、ロンディニウムで何かお祭りでもやってるの?」

 暗澹たる物思いにふける夏南とは対照的に、隣を歩く美冬は好奇心に突き動かされるまま周囲に視線を飛ばしては、琴線にふれた物をまるで童女のような輝きを湛えた網膜に焼き付けていく。

「このエファイ通りはこの街を東西に走る大通り、人でいうところの大動脈だ

この時間はいつもこれくらい人が居る、ちなみに聖タフレント祭りのときは、道路にも人があふれて眩暈がする程だった」

 3ヶ月程前に2人で話した話題を思い出して切り出すと、驚いた顔をこちらに向けた。

 外に出られると言っても彼女一人では、未だに恐怖が勝り足が竦むという。きっと一人で人ごみの中に立つ自分を想像してしまったのだろう。ここは早く次の話題に話を変えたほうがいいだろう。

「そういえば・・・・・・」

「夏南も人が多いところ苦手なのですね

早く一人で街を歩けるようになって、今度は私が夏南を祭りに連れていきます」

 眩暈という大袈裟な表現を使ったのがあらぬ誤解をした美冬が、拳を握りしめて期待して待っててと目で訴えて来た。違うと言いところだが、一人で外出すると決意を新たに出来たようなので放っておこう。頷いて返すと満足したのか、美冬はまた通りを行く人や周囲の建物へと視線を飛ばすことを再開、猫じゃらしに反応する猫みたいだな、少し恥ずかしいが見ていて飽きない。

 会話が途切れたので、隣を歩く猫に倣って目の前に広がる光景に目を向ける。

 エファイ通りは、南を流れるテムス川に沿ってロンディニウムを東西に延びる人と物流が常に流れる血管の一つだ。煉瓦やコンクリート作りのビルや商店が軒を列ね、それに挟まれるように歩道と馬車や車が流れる道路が敷かれている。観光地でもあるの景観を崩さぬよう建築物の形状は条例で制限されており何処か似たように見えるが、500万人を越える人口を有する街の人種も文化も多種多様な住人がそれを背景に歩くと不思議と絵になるので見ていて飽きることはそうそうない。

 二人がそうやって歩いていると、すれ違った老夫婦がこちらを見てにっこりと笑うと、この街に始めてきた時は私たちもああだったねという会話を残して後方へと消えていった。

 夏南と美冬は互いの顔を見て、顔を真っ赤にして苦笑いを浮かべる。

 人生を狂わす程の重荷を背負わなければ、きっと1年前にこうして恥をかいて思い出にできていたのだろうか。

 益体もない想像を頭の隅に浮かべながら歩く夏南の前に、乗合馬車の停留所が現れた。目的地のアベン墓地は、ロンディニウムの北部に位置している。夏南1人なら散歩として歩ける距離だが、家に籠りっぱなしの美冬の体では片道でもきついだろうと思い、今日は馬の力を借りることを決めていた。

 エファイ通りの交通量はこの街で1,2を争うほど多く、夏南と美冬は10分も待つことなく直ぐに馬車に乗ることができた。美冬を先に座背に乗せた後、あからさまに嫌そうな目を向けてきた御者に殺気交じりの視線を返して置く。墓参りに行くということで夏南は黒のスーツに身を包み、美冬はグレーのスカート姿、故郷の風習に習い抑えた色合いの地味な恰好選んだのだが、御者にしてみれば金の無い余所者に見えたのだろう、いつもなら流すところだが美冬が不快な思いをしないように釘をさしておいたのだ。

 馬車は何事もなく北へ向かって走り出す。

 窓際に座った美冬は案の定、硝子に張り付くようにして流れる景色を食い入るように見ている。大人びて見えてもまだまだ子供だな、久ぶりに目にする美冬の姿に夏南の頬が緩みかける。他に4人の人間が馬車に乗っているが、2人を田舎から出てきたばかりの人間と見たのだろう、興味とも哀れみとも目で一瞥するとそれ以上踏み込んでくることはなかった。

 馬車は一流ホテルに国営劇場、そして高級ブランド品を扱うブティックが軒を連ねるセントラ通りを北上、アレサンド公園を抜けマズロ坂を登りアベン墓地へと続く道の停留所へと止まる。他の乗客は既に下車しており、2人が降りると馬車元来た道を急いで戻っていった。料金を渡された時に嫌味を言ってやろうとしたところ、手を顔や歪むほど強く握られたとあれば逃げ出したくなるのも仕方がない。

「馬車の人、悲鳴を上げてませんでしたか?」

「お酒の臭いがちょっとしたから、多分二日酔いで気分が悪くなったんじゃないのかな」

 料金を渡した際に気づいたアルコール臭に託けて、夏南は当たり障りのない推理を披露、美冬は心配な顔で顔をして頷いた。

外の世界には差別が存在する、隠し通すことはできないだろうが、せめて今日だけは久しぶりに太陽の元この街を歩ける幸せを汚すような真似は誰にもさせたくはない。

「夏南、もしお酒を飲むならほどほどにしてね」

 龍の遺伝子を移植された夏南の体は、アルコールを分解はするが吸収せず体外に排出する、酒を飲んだとしても酔うことはできないのだがここは素直に頷いておく。

「前に一口飲んだら正直不味かったよ

美冬もあの不味さを一度味わった方がいいぞ、無論大人になった後での話だが」

 要らぬ心配のお返しに軽い冗談を飛ばす、美冬は被害者を増やそうとする夏南の魂胆に呆れ笑いを浮かべたが、話の意図に気付くと俯いて押し黙った。

「墓地に行く途中でに花屋がる

死人の眠りを妨げないような、落ち着いた色の花を選ぶのを手伝ってほしい」

 夏南は美冬の手を握るとアベン墓地へと続く歩道を歩き始めた。

 美冬は20歳になる前に、成長した結晶によって体を破壊されて死ぬ運命にある。だからだろう、20歳を越えた先にあるものを望むことはおろか、想像することも拒む。故郷を捨てた罪悪感か抱いた希望が砕け散ることに怯えているのか分からない、否定したいところだがどんな言葉も彼女の心に光を射すことはできなかった。

 やはり結晶を取り除く確実な方法を示すしかないだろう、それまでは彼女の沈黙に耐えるしかない、少なくとも美冬を救う方法を期待して龍へと挑み空振りした自分には、重い空気を吹き飛ばす為の冗談すら口にする資格は無いだろう。

 見えない壁を挟んで寄り添いながら歩く2人、ピルス通りを無言で進み一軒の花屋に立ち寄ると、ユウリン科の白い花束を一つ購入した。

 会計の際、2人の間の空気に気付いた店員から「送られた人はきっと喜んでくれますよ」と声をかけられると美冬は笑って答えた、作り笑いだ、見ていた夏南は目を背けたくなった。

 花屋を出て少し歩くと、アベン墓地へがある丘へと続く道の前へとやっと着いた。舗装されていない地肌剥き出しの道、それが草花が咲き乱れる草原を断ち切るように、丘の頂上まで延びている。時刻はもうすぐ12時、太陽は1日で一番高い場所に昇りその強い日差しは目の前の道を照らしている、太古の昔全ての罪を背負って自らの処刑場へである丘へと歩いた聖者も、きっと一歩踏み出す前に立ち止まったのだろうか。

 裁かれるのは全てが美冬を救ってからだ、それまで俺は絶対に死ぬわけにはいかない。

 夏南は美冬と共に坂を進み始めた。

「ずっと戦っていたの、この街に来てから今まで」

 美冬が沈黙を破った、それはこの1ヶ月いつか来るだろうと覚悟していた内容だった。

「他に仕事になりそうな特技なんて持ってなかった

せめて人の役に立ちたいとその方法を探したら、普通の人間が避けるような危険な事に行き着いただけだよ」

 冬の終わりに太陽がはしゃいでいるのだろう、夏南の額が僅かに汗ばむ。

「お父さんから英才教育を受けてたし、それに龍を1人で倒せる程の力持ち、その気になれば色んな仕事に就けます、夏南なら」

 そう言うと美冬は夏南の手を振り払い、数歩前に出て振り返った。

「そうしたら、きっとこの街で新しい人生を見つけられます

恋人も見つかるかも、あ、リリムさんなんてどうです彼女・・・・・・」

「俺は自分の人生も大切な者も捨てたとは思っていない」

 言い逃れをする犯罪者に浴びせるような鋭い声が口をついてでた、それを浴びせられた美冬が驚きの表情で固まる、無理もない彼女にこんな態度を取ったことは一度もないのだから。

 龍との戦いで自分の想いは伝えたつもりだったが、やはり互いに向き合っている時に言わなければいけなかったのだろう。

「お前と一緒に居る為なら俺は何だってやるつもりだ

20まで生きられないならそんな運命はぶっ壊す、結婚できないのなら出きる場所まで海だろうが山だろうが、乗り越えて辿りついてやる」

 夏南は一歩踏み出すと美冬の縮こまった体を両手で優しく包む。

「急に未来を怖がるなと言っても無理だろう

だから今は俺を信じてくれるだけでいい、それとも俺はそこまで頼りないか」

 結晶を取り除く方法の手がかりさえ掴めない自分が、彼女を落胆させるのではないかと何処かで尻込みして、今まではこんな真っ直ぐに言葉にすることはできなかった。きっと龍との戦いで、自らが見出だした結末を手に入れ、その責任を引き受けることでやるしかないと腹が括れたのだろう。後は美冬が受け入れてどうかだ、拒まれ彼女を失うとしてもやり遂げるつもだが。

「頼りないです」

 夏南は我が耳を疑った、僅かだが自身の行いに自信を持っていたのだろう、彼女の言葉は胸に深々と突き刺さった。

「無茶してはいつも怪我をして来るし、それを隠しているつもりでしょうが演技が下手で誤魔化しきれてません

それに今回の事で、変に強い責任感から手に余ることまで勝手に背負うこともわかりました」

 美冬の口から罵倒の言葉が矢継ぎ早に繰り出される、一つ一つ自覚があるだけに耳が痛い。これは愛想を尽かされたのかな、そんな考えが一瞬脳裏を過る。しかし、そんな予感を振り払うかのように美冬の腕が背中に回された。

「こんな人と一緒に居られるのは私くらいしか居ないでしょう

夏南が死ぬまで近くで監視いたします、覚悟してくださいね」

 耳元で言葉とは裏腹の濡れた声が響く。

 夏南は思わず泣きそうになった、ようやく受け入れてくれたのだ、自信の運命に立ち向かう相手として。

 2人は人が通るまで抱き合い続けたのであった。


 アベン墓地はロンディニウムにありながら、まるで生者達の世界から切り離された異界に思える程の静けさを湛えて、夏南達を迎え入れたのであった。

 平日の正午という時間に訪れる者は殆どなく、見渡す範囲に片手で数えられる程の人しかいない。

 入り口から続く道を夏南と美冬は並んで歩く、互いの手は既に離れている。

 まるで恋人同士が包容で昂り合ったかのような熱は2人の胸から既に去り、龍との戦いで成した結果を報告する為に赴く緊張感に満たされていた。

 教会が2つに別れる前から存在するこの墓地は、現在ロンディニウム市宗教法人科の管轄のもと、旧教の名残を残す独自の運営が行われている。2人が歩く先の礼拝堂は、幾度かの改修を受けてもまるで貴族屋敷のような華やかな旧教会当時の趣を残している。しかし、途中で道を左に曲がった先、墓地の端にポツンと建っている合同慰霊碑がある霊廟は、正導教会に引き継がれたシックな北部の意匠、人が足を踏み入れるのを拒むように厳格な佇まいをしている。

 夏南と美冬は開かれた扉の前で一度立ち止まると、互いに頷き合い霊廟へと足を踏み入れた。

 建物の中は誰もいない、木造の古びた床が2人分の重みを受けて軋む音がはっきりと聞こえる程、霊廟は静謐に満ちていた。ここには身元不明者や身寄りの無い者、そして犯罪を犯して処罰された者達が眠っている、故に訪れる人は少ないと聞いている。寄付に寄る補修も後回しにされてしまっているのだろう、入り口から見て左右に木製の椅子が並びその先に神父が立つ祭壇あるが、どれも床と同じく経年劣化で変色してみすぼらしかった。

 ある種の規範から外れた者達に対するこの街の態度が、この霊廟そのものに現れているような気がした。

 夏南は覚悟を決め祭壇に向かって歩き出す、美冬もそれに続く。2人は神父が立ち聖声書を読み上げる台を回り、祭壇の前に立つ。祭壇は二つに宗派が別れる前の旧教の様式で、聖者の木製の像の両翼に同じく6体の使徒の像が並び13聖座を形作っていた。

 慰霊碑と言っても便宜上で、個人の名が記されたものも死者が眠ることを表す印もそこには存在しない。しかし、弔う人の名を口頭で教えられた神父が儀式をして、死者の魂が13人の聖者と同化し浄化され安らぎを得た、故にこの祭壇に祈れば死者に届くのだという。夏南は信仰を持たない、戦場に神など居らず当てにした者から死んでいった、目の前の祭壇を死者を軽んじる茶番と切り捨てる気持ちは確かにあるが、死んでいった者達と面と迎える場所がここしかなかったので、今こうして美冬と並んで立っている。

 祭壇の前に置かれた献花台が見える、湿気を含み茶色く変色紙に包まれた枯れた花が1、2と並んでいる。墓地を管理する聖職者が掃除を忘れたのか、捨てるタイミングを見誤ったのかは分からない。美冬が躊躇いがちに手にした花束を、朽ちた花束の隣にそっと置いた。

 夏南は故郷の風習に従い手の平を胸の前で合わせると目を閉じた。見えないが美冬も同ことをしているだろう。この墓参りで死者に言うべきことを2人は一度も互いに話してはいない、それはきっと個人で背負わねばならないものだからだろう、もし聞いてしまえば自分にも非があったと言い出してして、相手の責任を肩代わりしかねない。

 故郷を追われ歪んでしまった龍はこのこの手で殺した、イルタは多くの人に必要とされているので救われ、この先人間として生きていく。

 夏南は胸中で犯人が迎えた結末を死者へと告げる。

 これで良かったのか、その言葉は付け加えない。

 見方によれば一度死刑が執行され息を吹き替えした、罪は既に裁かれているので死刑囚はそのまま釈放されたに等しい、納得できない者は必ず居るはずである。

 長い、長い、沈黙の後、夏南は瞼を開ける。

 闇に馴れた目に採光用の窓から太陽光が差し込み、思わず眉をひそめる。

「終わった?」

 気づくと、横から美冬が心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。

「終わったよ、幾つかはね」

 含みを持たせた返事をすると、美冬が感慨深そうに頷く。

「帰ろう

生きている俺たちにはやることがある」

「私に内緒でまた何かなさるおつもりですか

今度は事前に言ってください、今度は始めから協力いたします」

「これまでと同じだ、結晶を取り除く方法を探す

腹が減ったので彼岸堂に帰ったら、何か作ってほしい」

 夏南は胸を張って告げると、美冬は呆れた顔をした後、何処かうれしそうに頷いた。

 

2人は死者への報告を終えると、祭壇に背を向け霊廟の入口へと歩き出した。

夏南はその途中で突然足を止めた、隣を歩いている美冬も同じく立ち止まり、何事かと兄の顔を覗き込むと、そこに強敵に挑むような緊張した表情が張り付いていた。

敵、龍は倒したのでもういない、まさか里から追手!

美冬は半歩足を引くと、上着の内側に素早く手を潜り込ませたがそこに符は無く、自らの立場を忘れ丸腰で外に出た己の浅はかさを呪った。

「そんなに固くなるな

少なくとも美冬に危害を加えるような相手じゃない」

夏南は美冬のこわばる肩に手を置いてそういうと、霊廟の入口に向かって「俺たちはもう帰る」と声を張り上げた。

すると、人影が一つ開かれた扉の死角から姿を現した。女だ、美冬と似たような恰好に身を包んでいるが、頭から爪先まで黒一色で統一されていた。ミーリの親友のユイと名乗った女性が、突然目の前に現れ夏南は内心驚いた。

彼女は逆行を背にしていたが、以前会った時よりも白い顔で、明らかに憔悴している。

集まりが慰霊碑に親友を葬ったのは、いつも通り刑事であるクルトが独断に近い形で行い、ある種の被害者で構成されている集まりは見て見ぬ振りをしたことは簡単に想像できる。

クルトの行動が漏れたのだろうか、それとも彼女も集まりの人間なのだろうか。ここを管理する神父の1人は、集まりの人間で5年以上クルトと懇意の仲であると、クルト本人から聞いている。そんな人間が警察関係者との信頼関係と引き換えに、一介の娼婦へ情報を漏らすとは考えにくい。

それならユイも集まりの人間なのかというと、それの可能性も極めて低い。後で調べたがユイとミーリの元締めは、刑務所の出入りを繰り返している犯罪組織のリーダーであった。現在進行形で犯罪組織の構成員を集まりが仲間に認めたとは思えない。

身寄りの無い人間がこの街で葬られる場所で一番有名なのは、このアベン墓地で夏南達が今居る霊廟だ。

ユイはミーリが葬られた可能性が一番高いこの場所に、ただ墓参りに来たと見て間違い無いだろう。

夏南は肩の力を抜いた、それを察した美冬が上着の中から手を出し戦闘態勢を解除する。

「ミーリさんならここに眠ってる

警察の知り合いに聞いたから確かな話だよ」

 親友の行方が気になり眠ることもままならなかったのだろう、ミーリの魂をここに眠るらせるように依頼した人間については話せないが、それ以外は口止めされてはおらず、夏南は隠さずに伝えることにした。ユイなら濫りに口外することはしないだろう、友人の眠りを妨げることを好むとは思えない。これで僅かでも彼女の不安を払拭できたのだろうか、しかし目の前に立つユイの瞳は、夏南の言葉が引き金となり、疲れとは違う薄暗い輝きを静かに宿した。

怒りだ、八つ当たりなどではない、明らかに目の前に立つ自分へ向けた確固たる意志を漂わせている。

 剣呑な雰囲気を察した美冬が、2人の間に割って入ろうとしたが片手で止める。ユイの怒りは俺だけに向けられている、下手に割り込んで美冬に飛び火させたくはない。何より、彼女の怒りは正当なものだ、今回の事件でユイに怒られる以外の行動をしたとは言えないことだけは確かだ。

「あの娘が死んだら、あっさり他の女に乗り換えるんだ」

 ユイが美冬を睨んで吐き捨てた、口ぶりから察するに娼婦連れで死者に手を合わせに来たと思われたようだ。2人の事情を知らず、心当たりのない悪意を向けられ狼狽する美冬。夏南は美冬を庇うように前に出る。

「同郷の遠い親戚だ、ミーリの墓参りに付き合ってくれている」

 ユイは何も言わず、頷くこともしない。

 ただ、こちらを向ける視線の冷たさを増し、嘘つきと軽蔑しただけであった。

「あの娘はね、大分前に東洋人の客にこっぴどく殴られて、それ以来東洋人を避けて、客としても取ってなかったのよ

あなた、何者なの?」

 あのミーリの部屋での2人で話した時から疑われていた。

 夏南は小さく息をのんだ、探られている気配は感じていたが、行方不明の親友を心配する一心からだと考え大事に見なかった。

 集まりの事を知られてしまったのだろうか?

 最悪の場合、薬や術識を使っての記憶消去をしなければならないが、特定の記憶だけを消すのは難しく、下手をするとミーリの記憶を消すことになりかねない。

「何でも屋だよ、この街で荷物運びから訳アリの依頼まで幅広くやっている」

 嘘ではないが真実からは少し遠い自己紹介を返す。

「私たちの元締めを探るよう、警察から依頼されでもしたの?

「警察に親切な知人が居るだけだよ

あの時は別件であの部屋に行った、ミーリの友人を騙ったことはすまないと思っている」

 捜査の為には時に嘘をつかねばならない、だがそれは事件解決の為とはいえ相手を傷つける行為だ、決して正当化はされないものだと夏南は考えており、この謝罪は当然のものだと思っている。

 例え、相手の怒りに油を注ぐことになろうともだ。

「別件ってなによ

あんた、まさか、あの子の両親から連れ戻して来いとでも言われて来たの

 残念ね、ミーリはもう帰れな・・・・・・」

「俺は連続失踪殺人事件を追っていた

ミーリ達を殺した犯人の身柄を拘束する為にだ」

 夏南は真相を偽ること無く口にした、背後で美冬が息をのむ気配がしたが、振り替えってここは任せるように目配せをしておく。

 ユイがこの件を深追いして集まりや警察の企みに気付くとその身に危険が降りかかってしまう、ならばこの場で自分が終わらせたと伝えるのがベターな選択と言えるだろう。

「ミーリを殺した犯人に会ったの?」

 夏南は頷く、ユイは一瞬呆けた顔をすると、次の瞬間には怒りに顔を歪ませ夏南に駆け寄ると胸ぐらを乱暴に掴んだ。

「そいつはどこに居るの! 何であんたが犯人を追っていたの?

犯人はあんたの身内ね、そうでしょう! 言いなさい、八つ裂きにしてやるんだから!」

 悲鳴にも似た女の叫びが霊廟に響き渡る。

 ユイは掴んだシャツを力任せに前後に揺らすが、夏南の体は微動だにせず、やがてボタンが一つ弾け床に転がった。

「君は犯人を殺すことはできない

この街の司法では犯人は裁けない、だから俺がこの手で殺した」

 夏南は感情を殺した声で事実を告げると、驚いたユイは手を放すと後ろへ数歩下がった。突然、殺人を告白されたのだから無理もない。

「そいつはこの街で証拠を残さず、自分の欲望の為に人々をてにかけていた

このままでは俺の大切な人がこのままでは殺される可能性があったんで、犯行現場を押さえてから始末した」

 夏南の告白にユイの表情から怒りが一瞬にして消えると、怯えた表情を浮かべて唇を震わせた。

「殺し屋なの?」

「違うと言いたいが、ある種の生き物にとってはの話だ

少なくとも、今回の件に関しては人は殺していない」

「な、何を言っているのよ・・・・・・」

 化け物や術識の存在は混乱を避ける為に、どこの国でも原則として秘匿されている。一般人であるユイにとって、犯人と言えば人しか思い浮かべることが出来ないだろう。詳細は話せないが、犯人がどうなったかは誤魔化さずに話す必要がある。

 何せ、彼女も依頼者の1人なのだから。

「犯人は記憶を全て消された上、今は別人として人々の為になる仕事をしている

罰として人格とその後の人生を奪った、だから殺したと言った」

「そ、そんなことできる筈がない!

犯人が同郷の人間だったからって、庇ってるんでしょう!」

 ユイが叫んだ、理解の範疇を越えることを聞かされ混乱したのだろう、思いついた推理を根拠に夏南を糾弾した。無理もない、事情を知らなければ夏南も同じことをしたのだろう。真実に向けられるはずのその怒り、自分が受け止めなければならないだろう、互いの為に。

「俺たちを東洋人と言ったあなたなら聞いたことがあるはずだ

独自の掟が有り、怪しげな薬や術を使うことを」

 ユイが息を呑んだ、軽蔑の眼差しが理解の範疇を越えた存在に対する断絶のものへと一瞬で変わる。夏南が言ったことは、この街で東洋人というだけで付いて回る根も葉もない噂である。だが、誇張された記事や噂話でしかこの国の外を知らない市井の人々にとっては、東洋人の口から肯定する言葉を聞けば一瞬にして事実となってしまう、夏南はそれを逆手に取ったのであった。

「犯人は本当の名前も故郷も奪われた、この世には存在しないも同然だ」

 そこまで言うと夏南は一旦言葉を区切る。

 次の一言は自分とユイの間に確実に断絶を産み出す、もう傷ついた彼女に声をかけることすら許されなくなるだろう。

「犯人をどうにかしてほしい

あの時のあなたの願いは、もう2度とかなわない」

 沈黙、夏南は最後にユイから復讐という手段が奪われたことを告げた。ユイは怒りに震え、夏南を殺さんとばかりに睨んだ。犯人が自分の手の届かないところで別人となり、復讐されるべき罪の記憶を持ってはいない、これで満足しろと言われればこの反応は誰だって目の前の男を殺したくなるだろう。

 ユイが動いた、夏南はその場から一歩も動かない。パン、乾いた音が一つ霊廟に響き渡たった。ユイの手が夏南の頬を叩くがその顔は微動だにしない。

 夏南とユイは互いに視線を絡ませたまま睨み合う、触れれば爆発しそうな空気に美冬はたじろぎ動くことができない。

「自分の都合で私のことに首を突っ込んできた、あんたを私はゆるさない

2度と私の前に出てこないで!」

 ユイはそういうと夏南の頬から手を離すと、祭壇へ向かって歩き出した。

 思わずユイの背を追おうとした美冬を、夏南は片手で制止する。人には、他人によってどうこうできない悲しみを背負ってしまう時があるのだ。

「帰るよ、美冬」

 夏南は美冬の手を引いき霊廟を後にする。

 外に出ると背後から女の嗚咽が聞こえてきた。

 夏南は振り返らない、もう彼女に出来ることなど何もないのだ。


「これであの方は親友を殺した犯人ではなく、兄さんを憎んで生きていくのですね」

 アベン墓地から街へと延びる坂の途中で、美冬が寂しそうにぽつりと漏らした。

「龍が犯人と知って、そっちの世界に首を突っ込むよりは安全だ」

 今のユイとのやり取りから夏南の意図を察したのだろう、その声にはわざと相手の逆鱗に触れたことに対する叱責は感じられなかった。

「やっぱり、兄さんは凄いな

先生と二人で龍を倒して、その責任まで背負えるだなんて

わたしは・・・・・・」

「ストップ

龍を倒したのは俺と美冬で、先生は結界を張るのと後始末をしただけだ

それに龍討伐初陣にしてあの動きは凄いぞ、あまり自分を卑下するな」

 美冬の肩を肩で軽く小突くと、彼女は遠慮がちに頷いて応えた。

「お前が居てくれたから、龍から医者としてのイルタを分離するかどうかの決断ができた

俺一人だったら、この街から名医を一人奪うところだった、ありがとう」

 気恥ずかしさを押し退けて、夏南は感謝の言葉を口にした。

 龍を追う日々は続く、死ととなり合わせの人生、伝えるべきことは伝えられる内に伝えなければ、死ぬ時に後悔したくはない。

「これからも兄さんは、龍や化け物と戦い続けるのですね」

 美冬が一呼吸置くのが気配がした。

 何を言おうとしているのか、薄々気づいているが止めはしない。

「これからは私もお供いたします」

 美冬は夏南の隣を歩きながら、まるで世間話をするような声で言った。虚勢だ、夏南は僅かに聞き取れた語尾の震えに気く。ここ数日、何か思い詰めているような顔を時々見せることがあったが、予想通りこれから共に戦うと言い出した。

 今回の事件で自身の身が未だ安全ではないと気付いて、シィ女史の庇護の元に留まってくれることを期待しない夏南ではない。だがそれは完全ではない、今回のように美冬が驚異が偶然接触する機会は0にはならない。危険を排除するなら、結晶を取り除くまで美冬をどこかに閉じ込めるしかない、それをしては彼女を檻に再び閉じ込めることになってしまう。

 今となっては唯一肉親である自分がそれを強要すれば、美冬の心を閉ざして2度と人としての生を謳歌する道は断たれてしまうだろう。

「分かった

これからは死ぬも生きるも一緒だ」

 何処にいても危険なら、手の届く場所に居て貰うのが一番だ。

 元より絶対守ると誓った相手だ、誰にも殺させはしない。

「はい」

 美冬の小さい返事、この会話の最中互いに顔を一度も見ることはなかった、きっとこうなることは二人とも予知していたのだろう。

「思いだしました!

兄さん、戦っている最中わたしに何か言おうとしていたことがあった筈です、あった筈ですよ、ね」

 美冬が突然、大きな声を出して忘れていた話題を掘り起こした。

「えっと、あれはだな・・・・・・」

 強く迫られ、夏南は誤魔化すことも忘れてしどろもどろになった。

 あれは自分が足を引っ張っていると思い始めた美冬に、必要だと自分の気持ちを伝えようとしただけで、こうして戦いを経て精神的に美冬が強くなるとは考えていなかった時の台詞だ。

「えっと、その、大切な話なんだ

今夜、俺の部屋に来てくれ、その時言うよ」

 混乱した脳が弾き出した言葉が口から飛び出した。夜に女性を部屋に誘う、冷静に考えればとんでもない台詞だ。まってくれ今のは無し、そう言おうとしたが・・・・・・。

「は、はい」

 慌てて訂正しようとした夏南が横を見ると、頬を赤く染め俯く美冬を目にして何も言えなくなってしまった。

 図らずとも、初めて公私を共にするパートナーを手に入れた夏南であったが、前途はまだ多難であり向き合わねばならない問題は数多く残されている。

 そんな男の心境など知らぬ存ぜぬとした顔で、ロンディニウムの空に昇る太陽はただ一人燃え続けるのであった。

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異国龍水譚 @jjj111111

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