玉水の狐

赤魂緋鯉

玉水の狐

「ねえ近藤こんどう玉水たまみず物語って知ってる?」

「んー? 知らなーい。 何それ杵津きねつ


 夕日がオレンジに染める、放課後の誰も居ない教室で、女子高生2人が窓際でのんびりとくつろいでいた。

 2人は椅子を横にくっつけて座っているので、彼女らの距離は限りなく近い。


 アンダーリムの眼鏡をかけた、杵津と呼ばれた方は、長い黒髪と華奢な身体も相まって深窓の令嬢、といった雰囲気を醸し出している。

 一方、彼女に近藤と呼ばれた方は、地毛が潜性せんせい遺伝で金髪な上、耳にはピアス穴が空いていて、制服もやや着崩しているせいで、杵津とは正反対の印象を受ける。


「鎌倉時代のお伽話とぎはなしで、お姫様に恋をしたきつねが、迷惑をかけないように女の子に化けてそのお姫様の傍に仕えるって話」

「ふーん。んでそれがどしたの?」


 近藤はずっと携帯電話をいじっているが、杵津は杵津でずっと名作文学を読んでいる。

 お互いがそんな調子なので、お互いに相手が自分の方を見ていない事は気に留めていない。


「いやね? その話って、お姫様は狐ことが気に入ってずっとそばに置いてるんだけど、その恋心に話の最後の方までお姫様の方は気がつかないの」

「わー、切なっ」

「それで、そのお姫様が宮中に上がる事になって、狐は人に化けて仕えてるのが申し訳なくなっちゃうのね」

「うんうん」

「でも正体を明かした方が良いけど、怖がられたくないからって、自分から居なくなっちゃうの」

「ええ……。狐ビビりすぎじゃない?」

「いや。普通、傍に居る人が動物だったらこわいでしょ」


 私が狐だったら、近藤はどうする? と、眼鏡をクイッと上げながら訊く杵津に、


「えっ、モフる」


 ごく当たり前のように、近藤は杵津の方をちらっと見てそう即答した。


「……うん。近藤はそう言うと思った」

「それ褒めてるって思ってオッケー?」

「うん」


 杵津は少し口元に笑みを浮かべて、まあそれは置いといて、と言って話を戻す。


「本題に入るけど、近藤って好きな人居るじゃん」

「あー、居る居る」

「その狐みたいに、急にその人が居なくなるかもしんないから、ちゃんと早いこと告った方がいいよ、って言いたいわけ」

「じゃあ言うわ。……アタシ、杵津のこと好きなんだよね」

「……へっ?」


 聞き間違いかと思って、杵津は怪訝けげんそうな顔で近藤の方を見た。

 すると、自身のことをじっと見ている近藤の顔が真剣なので、杵津は聞き間違いではなさそうと察した。


「杵津、こんな男漁りでもしてそうなナリのアタシに、最初から普通に接してくれたじゃん?」

「まあ、近藤って見た目と違って良い人だし。一緒に居て楽だし」

「ありがと。で、アタシってさ、昔から男に興味無かったんだよね」


 この辺りから、近藤の顔が徐々に赤くなって行く。


「うん」

「周りのみんな、高校入ってから彼氏だの作ってたけど、羨ましいとは思わなかったんだ」

「そうなの」

「それでアタシ、女の子の方が好きで、その中でも……、……杵津が1番好きだってのに、最近気がついたんだよね」

「……それ、本気で言ってるの?」


 何が起こっているのか理解が追いついていない、少し間の抜けた顔で杵津は近藤にそう訊ねる。


「……こんなこと、冗談で言うわけ無いじゃん」


 耳まで真っ赤にしてそう返した近藤は、やっぱり嫌だよね……? と少し上目遣いをして言う。


「別に、嫌じゃ無いし……、むしろその……」


 やっと思考が追いついてきた杵津は、そう口ごもりつつ、熱のこもった近藤の目線から目を逸らす。


「私も、近藤のこと、好きだったし……」


 流し目気味に近藤の方を見る杵津は、ひそかに抱いてきた自らの思いを吐露したが、


「えっ、いつから――うわッ」

「ちょっ、きゃッ」

 

 それを聞いて、勢いよく身を乗り出した近藤がバランスを崩し、杵津を巻き添えにして床に倒れ込んだ。

 近藤は、杵津が頭を打たないように、とっさに彼女の後頭部に手を回して支える。


「……」

「あ……」


 杵津の眼鏡が勢いで吹っ飛んで、非常に端整なその顔と、近藤の少し彫りの深い陽気そうな顔が至近距離で向かい合う。


「……その、近藤がさ……、オタクみたいだ、ってからかわれてた私を助けてくれたとき……」



                    *



 現在から4年ほど前のこと。


 幼少期から身体が弱かった杵津は、他の子ども達とは離れて小説ばかり読んでいた。


『おーいオタクちゃーん。今日もそんなもん読んでんのかよー!』


 中学入学から程なくして、隣のクラスの図体はでかいが精神年齢の低い男子に、バカの1つ覚えの様に、オタクオタク、としつこくからかわれていた。


『……』

『おい無視すんなよ』

『……』


 面倒なのでそれを無視する杵津は、何の反応もせずに黙々と読み進めていく。


『せっかく話しかけてやってんだろ! 何か言え!』

『――ッ』


 そのことに腹を立てた男子が、手から小説をうばい取って彼女をり倒した。


『おいデカブツ! 女の子相手になにしてんだ!』


 偶然それを見た近藤は、その男子と腹を蹴られて倒れ込む杵津の間に、すご剣幕けんまくでそう叫んで割って入った。


『んだとおおおお!? 女のくせに生意気だ!』


 自分より背の低い近藤に反抗されて、ブチ切れた男子が彼女にも殴りかかろうとした。


『うっぎゃああああ!』


 それをサッと避けた近藤は、容赦なくその男子の股間を蹴り上げた。


『あばば……』

『生意気なのはお前の方だ。少なくとも、あの子はお前みたいに幼稚じゃ無い』


 じたばたして悶絶もんぜつする男子を見下ろして、近藤はバッサリとそう切り捨てる。


 女子に軽くひねられたのが恥ずかしかったその男子は、人が来る前に変な走り方でその場から逃げていった。


『大丈夫? 杵津さん』

『あっ、あの……。ありがと……』

『いいのいいの。アタシが勝手にやった事だし』


 自らへ手を差し伸べてニカッと笑う近藤に、杵津は彼女の顔を見上げつつ、その手を取った。


『アタシ近藤ってんだ。なんか困ったら、遠慮無く相談しなよ』

『うん……。近藤、さん……』


 そんな爽やかで優しい彼女に、杵津は一瞬で恋に落ちていた。



                    *



「それ、最初頃じゃん……。しかも初対面の話だし……」


 つまり、一目れ……? と覆いかぶさる格好の近藤は、杵津の頭をそっと下ろして訊ねる。

 下敷きになる杵津は、これ以上に無く猛烈もうれつに照れた顔でうなずいた。


「近藤に嫌われたくなくて……、ずっと言えなくて……」

「……あっ、だから杵津、さっきの話したんだ」

「うん……。それでその……、これからも、一緒に居てくれる……?」


 とてつもなく不安そうに、恐る恐るそう訊ねてくる杵津へ、


「当たり前じゃん。両思いなんだしさ」


 そう答えた近藤は、ゆっくりと立ち上がると、初めて出会ったときの様に杵津へ手を差し伸べる。


「だから、あんたはどこにも行かなくて良いの」

「本当に……?」

「うん。アタシの傍にずっといてよ。杵津」

「うん……。うん……っ」

 

 杵津は瞳を潤ませて何度も頷くと、そう言って少し照れの混じった笑顔を見せる近藤の手をとった。

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