道具屋の監視人
koumoto
道具屋の監視人
その妙齢のエルフの女性は、入店したときから挙動が怪しかった。視線はうろうろと落ち着かず、商品を見る振りをしながら他の客をうかがい、手許も、はめられた指輪をいじっていたかと思うと、腕を棚に伸ばし、商品を手に取るかと思いきや、またしてもやめて、長い髪をかきあげ、尖った耳に触る。そしてまた、まわりをきょろきょろとうかがう。
この客はやるな、と私は見当をつけた。職業柄、怪しい者とそうでない者の区別は一瞬でつく。私の勘は、いままでのところでは、おおむね当たっている。筋がいいよ、おまえ、と店主にも太鼓判を押された。名誉といえるのかよくわからないが。
もっとも、このエルフのご婦人は、素人目に見ても怪しいのではないかと思う。高い
とはいえ、大事なお客さまだ。場違いに見えようが、こちらが詮索するのも余計なお世話だ。代金を払ってくれるのなら、相手が誰であろうと、種族が人間であろうとエルフであろうとゴブリンであろうと、こちらは感謝して売るだけである。代金を払ってくれるのなら。
そのエルフの女性は、やはり、やってしまった。やってくれないと、私の仕事は成り立たないわけだから、こんなことを言ってもおためごかしにしかならないかもしれないが、私はいつも、やってくれるな、やってくれるな、と念じてしまう。
そして、私の願いはいつも裏切られる。私の願望よりも、私の職業的な勘の方が、一枚上手だからだ。
その女性は勘定台に座っている店主の目を避けるようにして、扉へと歩いていく。やはり支払いを済ませる気はないらしい。店を出たところで、私は女性の背後から近づき、控え目だが断固とした口調で、声をかけた。
「お客さま、なにかお忘れではないですか?」
落雷にでも遭ったように、エルフの女性は振り返った。眼を見開いて、罪を満天下に知らしめるように、動揺しきっている。
「ちょっと、奥の部屋まで来てもらえますか?」
エルフの女性は、おとなしく、しずしずと従ってくれた。
机の上に、エルフの女性が懐中にくすねていた小瓶が置かれる。冒険家が、龍の巣穴から命からがら採取してきた、眠り龍の
「夫には……知らせてほしくありません」
椅子に座り、顔を伏せて、尖った耳を垂れさせて、懇願するように女性は言う。
「しかしですね、あなたがやったことは、軽微とはいえ、犯罪なんですよ。身内には伝えておくべきだと思いますがね」
「気の迷いだったんです……。夫には、知らせないでください」
頑なに、そう言い張る。この調子では、亭主の郵便刻印は明かしてくれそうにない。妖精たちに言付けを頼もうにも、郵便刻印がわからなければどうしようもない。そして私は、気苦労の多い尋問をしてまで、それを聞き出そうとは思わない。
「わかりました。それならそれで、構わないでしょう」
「え……? い、いいんですか?」
エルフの女性は、うつむけていた顔をあげて、驚いた表情を浮かべていた。自分でそう望んでいたはずなのに、私があまりにも諦めが早いので、女性は戸惑ったようだった。
「別に私は、あなたの罪をどうしても公にしたいというわけではありませんから。秘密を抱えるのはあなたですから、好きになさればよろしい。ただ、盗みは犯罪です。それだけは肝に銘じておいてください」
そう、万引き犯をとらえるのが私の仕事ではあるが、商品を返してもらうか、代金を払ってもらえるなら、それ以上どうこうしようとは私は思わない。ただ、ちょっとした説諭というか、盗みは悪いことだという、当たり前の事実を伝えさせてはもらう。無駄かもしれないが。
万引き犯をこの街の自警団に突き出す気は、私にはさらさらない。私は彼らに偏見を持っていて、自警団とは名ばかりのごろつき集団だと思っている。盗みは確かに犯罪ではあるが、だからといって、彼らの暴行まがいの尋問を受けさせるのはしのびない。店主もそのことは了承済みである。
それに、目の前のエルフの女性は、とても美しい容貌をしている。自警団に突き出せば、最悪の場合、
「で、どうしますか。商品はご返却なされますか。それとも買い取ってくれますか」
「ええと……。そうですね、買い取ります。お金には不自由していないので……」
不自由していないなら、なぜ盗んだのですか、と問いたくなるのを、私はぐっと抑える。そう訊いても、明瞭な答えは返ってきそうにない。なぜそんなことをしたのか本人にもわからない、という事例は多々ある。
なんらかの抑圧と関わりがあるのかもしれないが、他種族のご婦人の内面を解き明かすのは、私の仕事ではない。そんな能力もない。
「お買い上げ、ありがとうございます」
そういって、私は代金を受け取り、万引き犯からお客さまに昇格した、その大変に美しいエルフの女性を、丁重に見送った。
「だ……だけども、お、おれの村には、こ、こ、この毒消し草が、い、いるんだ……いっぱい、いっぱい、いるんだ……」
「ええ。もちろん、事情があるのはわかりますよ。しかし、料金を払っていただけないと、こちらもお渡しするわけにはいかないのですよ……」
私の前には、今度は年老いたトロールが座っている。万引きというにはあまりにも堂々と、商品をひとさらい
毒消し草、と彼は言っているが、あらゆる毒に効く植物なんてものはない。彼が盗もうとしたのは夜鳴きマンドラゴラ。たしかに一部の毒性は治療できるし、鎮静効果も期待できる。
「いっぱい、いっぱい、いるんだ……。こ、こ、鉱山を掘りにいく若いやつら、みんな、みんな、毒に侵されちまう……。し、死んだ、や、や、やつだっているんだ……」
なるほど、このトロールの村では、鉱山労働の従事者が多いのか。鉱山の劣悪な環境なら私も小耳に挟んだことがある。毒を持ったバジリスクが出没するというのに、トロールを指揮する人間たちは、なんの対応もせずに仕事の遅延を叱責し、トロールを次々と送り込ませているのだとか。そんな危険な仕事をしても、トロールに与えられる報酬はわずかな金額だという。
「か、金がないとだめだってことくらい、お、おれにも、わかってる……ば、ばかじゃないんだ、おれたちトロールだって……で、でも、か、金なんて、ない、く、食うだけしか、な、ない」
老いたトロールは吃りながら語る。トロールにとっては、大陸に広く浸透している共通語としてのバベル語は、ひどく喋りにくいらしく、訥弁の者が多い。それを馬鹿にする人間も、また多い。
しかし喋ることが
トロールは、いまだ差別や偏見の対象となっている。戦争中の話だが、敵方の捕虜を一斉に処刑し、遺体処理がトロールたちに任せられたことがあった。戦後になって、その不当な処刑を責められたとき、命令を発した人間や手を下したエルフは裁かれず、遺体を扱ったトロールたちに罪がなすりつけられた。どう聞いても胸くそ悪くなる話だと思うのだが、その話をしても、ぽかんとする人間が大半だ。それのなにがいけないのか、という表情。どうもトロールを材木かなにかと勘違いしているらしい。
「こ、この草、いっぱい、いっぱいいるんだ……苦しんでるやつ、た、助けるんだ……」
トロールは拳を握りしめてそうつぶやく。目の前のトロールは、体毛も薄く、ほっそりとしている。見るからに弱々しい。
一般論ではあるが、トロールはずんぐりとした体躯と毛深さを誇示する傾向がある。そうでないトロールは、仲間内でも見下されると聞いたことがある。
もしかしたら、この老いたトロールは、外でも内でも迫害されてきたのではないか。人間からはトロールだからとばかにされ、同族からはトロールらしくないとばかにされ。
いや、また悪い癖を起こしてしまった。あまりにも余計な勘繰りであり、妄想も甚だしい。客の素性や生い立ちなど、私には関係ないことだし、大きなお世話だ。私にとっての問題は、代金を払うか払わないか、それだけだ。
「そうですね……。では、物々交換ならどうでしょう? なにか、この毒消し草と交換できるものがあるなら、差し上げてもかまいませんが」
「こ、交換……? で、で、でも、おれのむ、村には、クラーケンの肉くらい、し、し、しか、余ってねえけど……」
「ではそれで構いません。今度、持ってこれるだけ持ってきてください」
「ほ、本当か……?」
年老いたトロールの表情が明るくなった。
クラーケンの肉は、臭いが強く、味の評判も芳しくないが……。まあいい。つてを頼れば、非常食としてでも、軍に買ってもらえるだろう。儲けなどは期待できないが。
「お買い上げ、ありがとうございます」
そういって、私は支払いの約束を取り付け、万引き犯からお客さまに昇格した、その大変に仲間思いの老トロールを、丁重に見送った。
「おいおい、たかが薬草だろ? 見逃してくんねえかな」
私の前に座っている人間の魔術師は、万引きをしたことなどまったく意に介さず、えらく横柄な態度だった。
「万引きは犯罪ですよ。商品の価とは関わりがありません」
「そうかいそうかい。だがね、俺はね、軍属の黒魔術師なんだよ。この店をひいきしてくれって、軍に口利きしてやってもいいんだぜ? 安価でありふれた薬草のひとつくらい、別にいいだろ?」
魔術師は悪びれずににたにたと笑う。
「大口の顧客は欲しいところですが、あなたの口利きなどは不要です。薬草ひとつだって、それを採取した人の苦労はありますし、報われるべきでしょう。些細な金額であるならなおのこと、ちゃんと支払っていただけませんか。代金を払うか、商品を返すか。どちらかにしてください」
「……なんだ、気にくわない態度だな。おい、あんまりなめた口きくなよ」
魔術師の手に刻印が浮かび上がり、炎が揺らめきだした。ひどく短気な男のようだ。
「もう一度だけ言います。代金を払うか、商品を返してから、ご退去なさってください」
「うるせえ!」
魔術師は、こちらに手を向けて、燃焼魔術を発動させた。こういう手合いなら、私も容赦なく対応できる。
私は素早く呪文を詠唱し、防御魔術を展開した。私と彼のあいだに不可視の壁が築かれ、その自称軍属の魔術師の燃焼魔術は、自らに跳ね返り、彼を燃え上がらせた。
「……………………え? ……な……な……なにが……?」
「代金を払ってくれますか?」
おそらくは、彼もちょっとばかり脅すだけのつもりだったのだろう。見た目としては派手な火勢だったし、服は多少焼け焦げたようだが、それだけですぐに火はおさまってくれた。
「……あ、あんたも魔術師だったのか。それならそうと、言ってくれよ……。で、でもなんで、こんな凄腕が、道具屋なんかに……」
「欲しいものがあるなら、正当な対価を払え。でなければ、とっとと消え失せろ」
私はつい、軍隊時代のような手荒な言葉遣いをしてしまった。なってない。私もまだまだ修行不足だ。人格は言葉から腐っていくものだし、こころはいくらでも汚くなれるものなのだから、せめて言葉くらいは体裁を繕うべきだと私は思っている。
その若い、見習いとおぼしい魔術師は、そそくさと逃げるように立ち去った。もちろん商品の薬草は置きっぱなしで、代金はもらえない。お客さまを一人、取り逃してしまった。
たまにこういう強行な態度を取る客がいるから、私のような軍隊くずれの店員も必要なのだろう。しかし、別に私は彼を憎んだりはしない。再びこの店を訪れて、こころゆくまで買い物を楽しんで、今度こそちゃんと代金を払ってほしいものだと思っている。
戦争のときに、あれほど殺してやりたいと憎んでいた敵たちにすら、家族があり、優しさがあり、子ども時代があると思い知らされたときから、私はもう、個人を憎むことをやめたのだ。
私が憎むのは、粗暴な集団と、劣悪な社会機構と、醜悪な言葉遣いだけだ。
万引きをする客たちは、種族も年齢も多種多様だが、それぞれに事情があり、生活があり、こころがあり、魂があった。それと付き合っていくのが、いまの私の仕事なのだ。
私は道具屋の監視人。頼むから、薬草代くらいはケチらずに払ってくれ。
道具屋の監視人 koumoto @koumoto
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