連繋
「それじゃあ、俺が見ておくんで、先休んでてください。ちょっと寝たら逆に目が覚めちゃって」
上りの階段側、壁にもたれかかったルパートが言った。
「いや、いい。さっきまでダウンしてたやつに番は任せられんさ。しばらく寝ていろ」
「でも……」
思考のほうは本調子ではないようで、ルパートは口ごもってしまった。
「感覚と実際の身体への負担を一緒にするなよ。お前が思っているより疲れてるはずだ。横になって目を瞑るだけでいい、休んでおけ」
緊張状態に身を置き続けると、しばしば自身の疲労の度合いがわからなくなる。グリフィン自身も決して余裕のある状態ではなかったが、エリック・ダンバー捜索にあたって彼と縁のある者が離脱することは避けたかった。
「……んー、まあそこまで言うなら、お言葉に甘えて。でも疲れてるのはグリフィンさんも同じなんですから、無理しないでくださいね」
「……わかってるさ」
労いの言葉を背に地上へ向かおうとしたグリフィンの横を、急にルパートがすり抜ける。
「どこへ行く」
「寝る前に、その……。ここ、トイレありますかね?」
都市との文明レベルの差にまだ諦めがついていない様子だ。
「あるわけないだろ……。あー、でも一応人が使ってたわけだし、……まあ、肥溜め同然のものはあるかもしれんが」
ルパートはわかりやすく顔を歪めた。
「うわ、その辺で済ませますね」
「それがいいだろうな」
ダッシュで上階へと消えるルパートを見送りつつ、グリフィンも階段を上がった。
建物内は広さはあるが見晴らしもよく、侵入者が見張りの目をすり抜けることは難しいだろう。夜明け前めがけて放たれたあの三人の刺客とわざわざ時間差で追手を放つ行為の効果の薄さも考慮して、休憩室へ続く階段を見張りつつ、グリフィンは博物館を見て回ることにした。
“彼ら”の残した活動の跡には、一見したときには気付かなかった違和感があった。人の生活には数々のサイクルが存在する。この場所は、後付けされた壁掛けの松明やどこかから運んできたのだろうテーブルなどがあからさまな痕跡を残す一方で、食事や、睡眠、排泄などの生活の動線が確保されていないように見えた。
定住者はごくわずかで、あくまで集会所のように使われている可能性も考えたが、アクセスの悪さ、そもそも個々のテリトリーを守って暮らすメイネスの生活様式における内緒話の無意味さからして、その線は薄い。彼らがこの土地自体によほどの価値を見出しているなら別だが、それは現状の手がかりでは推測しきれない問題だった。
だが、この場で彼らの目的や素性を細かく調査すべきではないだろう。一行に残された時間や体力にも限界はあり、それが近付いている今優先すべきはあくまでセレネクールでの事件についてだ。
今夜のメイネスは風もなく、外には無音の暗闇が広がる。博物館から漏れる頼りない光が、周囲の建物のシルエットをおぼろげに浮かび上がらせていた。
グリフィンは博物館から敢えて外に出て、孤独の闇に浸りきる。コイレに辿りついてからずっと一人になる機会を窺っていた。この遠征の主目的である“彼女たち”との接触のためだ。
「そろそろ出てきたらどうだ、子猫ちゃん?」
グリフィンの出し抜けの問いかけにも辺りは無音の状態が続き、自身の靴音や吐息がいやにはっきりと聞こえ始める。
「お前に言ってるんだ。完全に隠れたつもりかもしれないが、影が出てる」
カプリーシズのもつ独特の気配についてはメイネスに入ったときから感じていたが、それを闇の中で捉えるのは不可能だ。この発言はブラフに過ぎない。
シエルの調査隊によって観測された範囲に過ぎないが、彼女たちはメイネスの中において、姿かたち・音・匂いなど、自身に関わるすべてを“消す”ことができるようだ。闇の中で外部からの接触など想定していないだろう彼女が自身の影を消し忘れる可能性は、彼女にとって無視できないもののはずだ。
くわえて、狭くはないメイネスの全域で根強く暗躍を続けている彼女たちには、広いエリアの同時監視を可能にするため単独行動を強いられるという弱点があった。
協議する相手もなくこのブラフに対応することには相当のプレッシャーがあるはずだ。対話とほぼ起こらないだろう戦闘について、グリフィンには低くない勝算があった。
「……何者なの」
感情を内に隠したクールな声音が、今までの嘘のような沈黙を切り裂いてグリフィンの耳に届いた。声がしたのは想定通り、背後からだ。
「セレネクール検視局の人間だ。カプリーシズの動向について聞きたいことがあってね」
グリフィンは振り向かずに答えた。
「答えることなんてないわ」
冷たく突き放す態度にも攻略の余地はある。隠密を絶対とするカプリーシズの彼女は“出てきた”時点でひとつ敗北しているのだから。グリフィンは落ち着いて、次の手を打った。
「連続する事件の計画と実行、お前たちだけでは不可能なはずだ。この件、誰が糸を引いている? それはカプリーシズにとって過干渉ではないのか?」
少しの沈黙。彼女が小さく息を吐くのが聞こえた。
そもそも、求めている情報を彼女がどれだけ有しているかの懸念もある。背後に広がる暗闇で何を思案しているのか、思いを巡らせつつグリフィンは発言を待った。
「……あなたが」
彼女はそこで言葉を切る。
「ああ」
「あなたがどれだけ信頼に足る人間なのか、教えて。あなたに話したことでお姉さまたちに迷惑がかかってはいけないの」
見張りを交代するまでの限られた時間で荒事は避けたかった。真摯な対応で事がスムーズに運ぶなら都合が良い。
「昔、構成員の一人と協力して危機を乗り越えたことがあったんだ。ここから西、マインザームで火事が起こったときだ」
身振り手振りを交えてグリフィンは語り始める。どこまで意味があるかはわからないが、相手にリアクションのタイミングを計らせるためだ。
「証拠は出せる?」
期待の色もなく問い詰めるでもない、空を漂うような相槌。
「無理だが、お姉さまたちの誰かに聞けばわかるだろうさ。……とにかく、その一件もあってカプリーシズの理念や使われる暗号に関して、ある程度理解はあるつもりだ。連続変死事件に関わっている間接的な証拠を見つけたとき、私は違和感を抱いた。組織に何か異変があったのではないか、とね。たとえば誰かになにか吹き込まれて派閥が生まれてしまったとか、組織の維持が難しくなって悪事に手を染める必要が生まれたとか。……推測だが」
「……そう」
「まだ何か疑問があるか? 些細なものでも構わない」
再び少しの沈黙のあと、彼女は答えた。
「……ないわ」
「わかった。じゃあ手身近に……」
並べた質問のカードを切る順が決まる前に彼女が口を挟む。
「わたしがあなたを信用するのは、その推理の流れがある程度正しいと感じたから。あなたの言う通り、カプリーシズには今、悪い風が吹いているの」
「ああ」
「わたしは末端だから、詳しいことはわからない。わたしたちが“お姉さま”を区別しないことは知っている?」
カプリーシズにおいて、名前は組織内の同格かそれ以下の序列の構成員への呼びかけのみに使われる。そしてその場合にも、本名ではなく愛称やコードネームを使うケースが多いと聞く。
「機密の漏洩を防ぐためだろう? 経験の浅い構成員が捕まったり組織を離れたりしたときにリスクを減らせるように。……個人的には、上位層の誰かの趣味も兼ねてるんじゃないかと思ってるが」
「……知りすぎているのも怖いわね」
「ならもっと慎重になるべきだったな?」
「仕方がないわ。ふふ、もう歯車は動き始めているもの」
想像よりお喋りの好きなタイプのようだ。できれば早めに本題に入って頂きたいが、饒舌でいてくれたほうが都合のいいこともある。
「話せる範囲でいい、聞かせてくれ」
「わかった」
言葉と言葉の間に訪れるわずかな沈黙。それらが完全な無音であるうちに片をつけてしまいたい。グリフィンは何とはなしに爪先で地面を叩いた。彼女が喋りだす。
「わたしたちはあくまでメイネスを住処として活動している。外に活動の場を広げたことはないの」
グリフィンも、メイネスに訪れるまでその名を聞いたことはなかった。
「組織の歴史は長いと聞いているが」
「わたしもよく知らないけど、相当長いはず。記録書、とても分厚いもの……。でも最近、外へ仕事に出ている人たちがいる」
「外か……。場所はわかるか?」
「いいえ。任務のあと必ずつけることになっている記録書にも記述がないの。知られて困ることでもあるのかしら?」
彼女は、同組織の人間への疑念を臆せず呈した。カプリーシズは相当に複雑な事情を抱えているのだろうか?
「どうだろうな。……なあ、こっちはお前たちがセレネクールでの事件に関わっている明確な証拠が欲しい。この事件とカプリーシズの内情について、内偵を頼めないか? 黒幕に繋がる手がかりがなければ警察は数に任せてメイネスを荒らし回ることになるだろうな」
疑念が転化した好奇心は時として原動力になる。グリフィンはそれをよく知っていた。
「脅しのつもり?」
「半分はな。だがお互いのためでもある。ここメイネスもお前たちも、余計な干渉を求めちゃいないだろ。事件がうまく解決すれば、カプリーシズにも安寧が戻るかもしれない」
もともと決定的な証拠が手に入らなくとも適当な誤魔化しで警察本隊をメイネス捜索へ仕向けるつもりだったが、彼女から確かな情報が得られるのなら話は早い。
「……わかった。情報はどう共有すればいい?」
「協力に感謝する。そうだな……、シエル通りの近くで合流なりできると助かるんだが」
帰還の際の待ち合わせ場所なら、いろいろと都合が良い。
「目くらましの場所ね……。でもそれは難しい。組織の決まりで、あまり持ち場を離れたり好き勝手変えたりできないから。このあたりで済ませられるのがいいわ」
シエル通りは定住地であるシエルとは離れた場所に命名された通りで、当時不安定だったメイネスの情勢を警戒しての目くらましの目的があった。この経緯まで正確に知っている者は少ないが、情報でカプリーシズの先を行くことは不可能に近い。
グリフィンが行きの馬車をそこに停めるよう指定したのはかつて助けを求めて来た難民のために敷かれたシエルにつながるルートが、一番安全だと判断したからだ。事実そうではなかったのは気がかりだが……。
「それなら博物館のどこかで……。いや、聞きそびれていたが、コイレに人の出入りはあるのか? あの博物館には人の痕跡があったんだ。うまく接触できない可能性もあるから不安要素はなるべく消しておきたい」
「あるかないかで言えば、あるわ。任務のことだから話せないことも多いけど、少し危険な連中。彼らの死角になっている場所があるから、そこで落ち合いましょう。場所は……」
口頭ではあるが彼女の説明はわかりやすかった。加えて、周辺のネイヴの縄張りも把握できたのは大きな収穫だろう。帰還までの二日間でどれほど成果が得られるかはわからないが、期待するだけの価値はあるはずだ。
「得られた情報は正しく使わせてもらう。必ずだ。では、いずれまた会おう」
「ええ、また」
グリフィンはその場を去り、博物館へと戻った。時間はあまり経っていないはずだ。人が出入りした様子がないことと、休憩室で三人の姿を確認してから、グリフィンは番を続けた。
しばらくして、脳内に睡魔がチラついてきたあたりで階下から足音が響きだす。
「グリフ、ルパートくんまだ寝てるみたいだから、ボクが代わるよ」
現れたのはジェイだ。メイネスで生まれ過ごしてきたジェイにとって短時間での疲労回復は得意分野のはずだ。その顔に疲労の色は見えない。
「そうか……、すまないな。ジェイは大丈夫か?」
「うん。余裕はあるかな。グリフは眠そうだね……、陽が昇ったら起こすから心配しないで」
「ああ、ありがとう」
階段を下りる。グリフィンは、静かに眠るアルバートと大いびきのルパートから少し離れたベッドに身を預けた。
まともな睡眠はずいぶんと久々に感じる。疲れ切った身体と鈍化した思考を投げだして、眠りに落ちるのに時間はかからなかった。
Rose's Caress Case 水野鋭利 @eri_mizuno
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