誑惑
案内されて辿りついたのは、手狭な印象を受ける休憩室だった。奥に見える扉からはさらに続く地下への階段が見え、この部屋が地下フロアとの中継地であることが窺える。
等間隔に並べられた年季の入ったベッドは長年放置されていたことを鑑みても状態が悪い。弱々しいロウソクの火と黒味の強い建材も相俟ってお世辞にも寝心地がいいとは言えなさそうだが、背に腹は代えられなかった。
「ルパートを頼む」
「うん、任せて」
横たわるルパートの顔色は、先ほどと比べれば幾分かマシに見える。単に疲労からきた不調の可能性もあるが、靄の正体にまだ不明な点が多い以上油断はできない。
「それで、アルバートさん」
グリフィンは頭の中で質問を並べながら切り出す。向き直った瞬間の彼の顔には、わずかながら憂慮が見えた。それが何処から生まれ出たものなのか、平静な眼差しは語らない。
「お聞きになりたいことは多いでしょうな」
それが誰だとしても、何処だとしても。主家に汚名を着せることのないように振る舞われる完璧な執事像。このメイネスにあってすら崩れない姿勢には不気味ささえ感じられた。
「ええ。貴方のために危険を冒してここまで来たんですから」
グリフィンは努めて表情を変えないままで、取調べを始めた。
「……まず初めに、エリック・ダンバーは現在セレネクールで発生している連続変死事件において、我々の捜査に何度も介入するばかりか、私と本部長との話をその場で聞いていたかのようにメイネスへ先回りした。彼の情報源について、ダンバー家の執事として知っていることはありますか」
ルパートたちからは少し離れて、ベッドに座ったグリフィンはひとつ目の質問をする。隣のベッドに対角で腰掛けたアルバートが、迷いのない様子で答えた。
「いえ、何も」
清々しいまでに簡潔な否定。表情から読み取れるものは何もなく、残るのはただ猜疑の心だけだった。
この問いから明確な答えを得られるかどうかはもともと不安の残るところだったが、それでも一切の隙のない態度が心労を加速させる。
「わかりました。では、もっと身近なところから……。貴方がこの場所、コイレを潜伏先に選んだ理由は何でしょうか」
「心当たりがあらばこそ、ここへ辿り着けたと思っていたのですが……」
「それでも、貴方の口から聞くことに意味があります」
柔らかな微笑を浮かべたのち、アルバートは語りだす。
「大火の起こる遥か前の話です。私はここで暮らしていました」
シエルで聞いた話と一致する情報だ。グリフィンは無言のまま、二の句が継がれるのを待った。
「……廃都となってから人の寄り付かぬ場所になったことは知っていました。土地勘もありますから、隠れ潜むには相応しかった、それだけのことにございます」
「それは……」
違和感があった。
この周辺に“暮らしていた”のなら、居住地ではなく博物館を選ぶだろうか?
アルバートはここを彼らの根城であると言っていた。あの男たちが博物館へ向かって迷いなく進行していたことと併せて考えると、アルバートがここで彼らと一度遭遇していた可能性は高い。にも拘わらず場所を変えずここに留まったのは何故か?
「ここまでは、シエルで貴方の友人だという男から聞いた情報とも一致しています。コイレを選んだ理由はわかりました。その中でわざわざ、立地的に目立つこの博物館を選んだ理由をお聞かせいただけますか?」
「そうですか、ウィスラーはそこまで話しませんでしたか……」
あくまで穏やかな表情はそのままに、老執事は続ける。
「ここが一番、馴染みのある場所だからですよ。貴方様は私が何らかの意図を持ってこの博物館を選んだと考えておられるのでしょう。ですが、以前の私の生活についてはグリフィン様や今回の事件には関係のないこと、どうかお気になさらぬよう……」
名家の使用人一族たちに思い当たるルーツのない彼の経歴が気にならないわけではなかったが、これ以上の詮索を許してくれる雰囲気ではなさそうだ。グリフィンはひとまず彼の言葉を信じることにした。
「……わかりました。次に、あの黒づくめの一団の素性についてですが、貴方が把握していることを教えてくださいますか。ここが彼らの根城だと知っていて、窮地に陥った我々に適切なアドバイスができた貴方は、すでに彼らとの接触をしているはずですね」
念入りの問いに対し、アルバートの返答は淀みない。
「ええ、ええ……。おそらくご想像の通りかと思いますが、セレネクールを発ちここへ到着した際にひと悶着ありました」
「というと」
「馬を繋いでから、私は建物内の偵察に臨みました。いくら人気のない土地と言っても、安全確認は欠かせませんから。カフェテリアでインクの乾ききっていないメモ書きを発見してからは、より集中して巡回にあたったつもりでした。ですが……」
アルバートはここで言葉を切る。性分か、取調べという特殊な状況がそうさせるのか彼の語り口は丁寧で、事実の咀嚼や相槌の間を意図的に与えられているような気がする。
「気付かれてしまった?」
「はい。物音には気を配っていたはずですが、いつの間にか囲まれてしまいました。敵意をむき出しにする彼らに談判の余地はなく、こちらも抵抗するしかありませんでした」
「見たところ外傷はないようですが」
大柄のアルバートに一層の威厳を加える黒の礼服には、比較的最近ついたものと思われる多少の土汚れ以外には縫い目のほつれすら見当たらなかった。
「最初の不意打ちにこそ肝が冷えましたが、大した連中ではありませんでしたので」
誇るでもなく、当然のように答えるとアルバートは続ける。「……ただ、ひとつ気になることがあるのです」
返答の代わりにグリフィンは肩をすくめた。
「返り血です。いえ、返り血はあくまで要素の一部なのですが……。彼らを倒して私は確かに血を浴びたはずなのです。このスーツが赤黒く染まるほどに」
「その染みが、消えたとでも言うつもりですか」
「ええ。信じていただくほかありません」
染みが定着化する前に適切な処置ができれば、この環境下においても血の染み抜きは不可能ではない。だが、貴重な資源である水を使い、嘘をついてまでこの状況を作る理由はあるだろうか。
「奴らのことは殺したのですか、追い払うにとどめたのですか」
その問いに、アルバートはわずかに顔を歪める。痛いところを突かれた、というふうではない、起こった現実を処理し切れていないかのような、困惑。
「殺しました。……殺したはずです。四人、一人残らず」
真剣味の増した声色から窺えるのは、やはり後悔や
「死体は」
おそらくこれが核心だろう。観念するように、秘密を打ち明けるかのように、アルバートは端的に言った。
「消えました。一晩のあいだに、跡形もなく。確かにそこにあった死体や血痕、コートの血の染みに至るまでが、です」
「……なるほど」
予想通りの返答ではあった。目的不明の集団や靄に加えて、さらに勘案すべき要素が増えるのは不愉快だが、無視できる問題でもない。
「驚かれないのですね」
「いちいち大騒ぎしていてはキリがありませんからね。そのとき、赤い靄は?」
「いえ、現れませんでした」
「ふぅん……」
靄の性質や発生状況の不安定さ、消える痕跡については頭に留めておく必要がありそうだ。領事館で遭遇した靄は、翌朝になってもその爪痕を色濃く残していたし、その後の残存もブレニフが確認している。これはアルバートの証言とは反対の現象だ。
「それから、あの集団の素性や目的についてですが……」
考え込むグリフィンへ向けて、老執事が口を開く。
「ええ」
「仄暗い中でしたので定かではありませんが、彼らの顔立ちはグラスター人のそれに見えました。それと、先述したメモ書きは回収してあります。尤も、単体で意味を成すものではないようですが……」
「なるほど……」
連合国が成立する以前、大陸を東西に隔てていたうちの片方、グラスター公国。未だ交流が盛んとは言えない彼の地からの来訪者とすれば、目的もますます謎めいてくる。
次いでグリフィンは、アルバートから渡されたそれを観察した。
厚みのある白紙に印が散りばめられている。使われているのはバツ印や矢印などごく一般的なもので、その配置は一見するとランダムに見える。その中で、右上部に置かれた棺のようなピクトグラムが目を引いた。
「これは、どのようにして置かれていたのですか」
考えられる最もシンプルな用途は地図に重ねて目印として使うものだが、縮尺や場所がわからない以上これだけで判読するのは無謀だ。
「カフェテリアの机に開いたまま置かれていました。あの部屋はそのままにしてありますが、机の上にはほかに何もなかったはずです」
「……わかりました。未だ不明な点は多いですが、まずは本来の任務とエリックさんの捜索を優先します。彼の動向に心当たりはありますか? 貴方が出立を強行した理由が、情動だけでないといいのですが」
「ええ、今更このようなこと、信じてはいただけないでしょうが……」
予想外の切り出しに怪訝に思いながらも、グリフィンは無言の首肯で促した。
「姿を消した坊ちゃまに追いつくべく逸るままにお屋敷を飛び出した、これならば主を案じた衝動として理解できましょう。何かしらの見込みがあったのなら尚更です。ですがそうではない引っ掛かりを感じるのです。まるで、知らぬ間に身体が馬を駆り、私をここ、コイレへ連れてきたかのような……」
そう言うアルバートの表情は、困惑の一色だった。突飛な発言だという自覚はあるようで、その目は伏し目がちに逸らされた。
「本部長を説得し、使用人たちに仕事を割り振っていたあいだ、貴方にはその自覚がなかったということですか?」
返ってきたのは、グリフィンの問いとは少し外れた答えだ。どうしても話したい心情があったのだろう、グリフィンは努めて語気を穏やかに訊いた。
「ああ、いえ……、おぼろげにはあったかもしれませんな。……私も、耄碌してしまったのかもしれません。どうか忘れてください」
あっさりと意見を翻し、弱々しい笑みを浮かべたアルバート。捜査本部で聞いたロイの懸念はこのあたりにあったのかもしれない。彼の言う引っ掛かりがどのようなものであったにせよ、当時冷静でなかったのは間違いないだろう。
「ええ。忘れろ、と仰るのでしたらそうします。ですが、貴方の直感が正しい可能性もあります。この事件は我々の常識が通用するものではないようですから、どうか気に留めておいていてください」
「……わかりました」
「最後に確認をしておきますが、エリックさんが訪れそうな場所に特別な心当たりはない、ということでよろしいですね?」
取調べを重たい空気で終えないため、少しでも和らげるように軽いトーンで確認を取った。
返答は予想通り、具体的な場所について心当たりはない、というものだった。その後、明日以降はシエルの人々と協力して捜索を進めるプランを共有し、取調べは終了した。
「あっ、お話終わりました?」
アルバートとの会話にはそう長い時間は使わなかったはずだが、すっかり回復した様子のルパートがこちらへ歩み寄る。
「ああ。具合はもういいのか?」
「ちょっと横になってたらすぐ楽になりました。なんか……、毒が抜けたって感じですね」
事実、声色はうざったいぐらいに跳ねている。
「シエルへは夜が明けてから出発するつもりだ。念のためそれまで寝ていろ。休めるときに休むんだ」
休めるときに休むというのはシエルにおける鉄の掟だ。主にブレニフが提唱し、半ば怠ける口実に使われているが、それがまかり通っているのは事実としてこの理念がシエルの人々の命や危機を幾度も救ってきたからだ。
それを身をもって知っているジェイは、すでに奥のベッドで丸まり寝息を立てている。
「俺はまだいけますよ。休息の必要性の話だったら、もっと優先すべき人がいますし」
そう言うとルパートは、人懐こい笑顔でアルバートへ駆け寄る。
「アルバートさんはずっと気を張ってて疲れたでしょ? 俺とグリフィンさんで交代で番をするんで、朝まで休んでていいですよ」
「ああ、そうさせてもらう」
アルバートは素直にそれに応じ、ベッドに身体を預けた。
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