捨てられたもの同士だから宿に飛び込む。
俺2号/結城 涼
きっかけ。
「……嘘だろ」
と、彼――ヴィルフリート・ヴァレンタインは頭を抱えた。
煌びやかなシャンデリアに照らされ、床をみれば見るも優雅な真っ赤な絨毯が敷き詰められている。
彼が腰かけたのはエントランスに置かれたソファ。ここから少し進めば、彼が退場したばかりのパーティ会場がある。
では、なぜ彼はパーティ会場を立ち去ったのかといえば、答えは簡単だ。
――ヴィルフリートはついさっき、婚約者を王子に奪われたばかりだからだ。
婚約者の名前はフリル。
伯爵家のヴィルフリートからすれば一つ格が下がる子爵家の令嬢で、それなりに幼い頃からの許婚だった。
決して美女とはいえないが、愛嬌があって可愛らしい態度。それでいて、野花のような健気さを良く思っていた。
……しかし、今宵、開かれているパーティにて、フリルは王子であるレイと婚約したと発表したのだ。
ヴィルフリートが事前に何かを聞いていたかと尋ねられれば、答えはいいえとしか言えない。
それまで婚約者だったはずのヴィルフリート。その彼も、ついさっきが初耳なのだ。
突如として姿をパーティに姿をみせた王子によって、あっさりと婚約者を失ったのだった。
「――どうしてこうなったのよ」
と、ヴィルフリートが腰かけたソファの後ろ。
背中をあわせて置かれたソファから、同じく苦悩している声が届いてきた。
すると二人はピタッと身体を止め、お互いを確認すべく振り返る。
「なんだ。貴方だったのね」
「……君だったのか」
二人はお互いの顔を確認した。
ヴィルフリートの目に映ったのは、艶やかにうねる美しい金髪に、気が強そうな瞳が特徴的な令嬢。真っ赤なドレスを優雅に着こなしている。
彼女は伯爵家の令嬢で、名をアイリーンという。
……二人は顔を合わせると、自嘲したようにため息を漏らした。
「負け犬同士。考えることは同じってことかしら」
「さぁね。あまり、負け犬だなんて自分で言いたくはないけど」
お互いがお互いに覚えがある。
というのも、以前から顔を知っていた――ということもあるが、それ以上に、今日の出来事が大きいのだ。
なぜなら、彼女も同じく、婚約者を失った者だからだ。
彼女の婚約者は王子。その王子は、ヴィルフリートの婚約者であるフリルとの婚約を発表した。
つまり、二人はお互いに婚約者を奪われた者同士ということだった。
「こんな辱めはないわ。これを負け犬と言わないで、なんて言えばいいのかしら」
「……やめておこう。これ以上自分たちを追い詰めるのは勘弁しておきたい」
すると、苛立ったアイリーンが棘のある態度でヴィルフリートに言う。
「そういう男らしさのないところに、フリル嬢は愛想をつかしたんでしょうね」
「君こそ。そういう女性らしくもない態度に、王子は嫌気を差したんじゃないのか?」
ヴィルフリートは反論する。
当然だが、彼も精神的な余裕に欠けているのだ。
いくら相手がご令嬢だからといって、彼には彼女を諫める感情が生まれない。
売り言葉に買い言葉。二人は険呑な空気を醸し出した。
「そう。女性に対しての気遣いもできない方だったのね。道理で、私の婚約者が奪われるわけね」
「なるほどな。君はただのじゃじゃ馬だったというわけだ。道理で、俺の婚約者が奪われるはずだ」
「……喧嘩売ってるのかしら?」
「お互い様だろ?」
上流階級らしさに欠けた、なんとも幼稚な言い争いを繰り広げる。
しかし、彼ら二人にとってはどこまでも本気だ。
婚約者を奪われたことに対しての、感情をぶつける相手がほしかったのだった。
「はぁ? 私が貴方に喧嘩を売ってる? なに言ってるのかしら。私が言ってるのはただの真実だわ」
「だったら俺も同じことだ。今も君は、自分自身の価値を露呈しているのだから」
「……山羊を相手に自らを慰めてでもいそうな貴方に、そんなことは言われたくないわね」
下世話な罵りをされ、ヴィルフリートの心は強く揺さぶられる。
あぁ、どうしてだろうか。どうして俺がこんな目に合わなければならないのだ。婚約者を奪われたばかりだというのに、罵りを受けていることに猛り立って彼女をみる。
「ならば君は、山羊以下の
ヴィルフリートも返す言葉で罵った。
普段の彼は、好青年という言葉が良く似合う学園生。
こうした暴言を口にするとは、自分自分でも思わなかったほどだ。
きっと、婚約者を失ったという事実に、想像以上に心を病んでしまったのだろう。
アイリーンのことを罵りながらも、彼は内心で心の弱さを自己嫌悪する。
「い……いったわね!?」
顔を真っ赤に紅潮させ、アイリーンが立ち上がる。
露出された首元や豊かな胸元も赤く染まり、彼女が興奮しているのがわかった。
「あぁ! 言ったさ! 貴様も同じようなことを口にしたんだからな!」
少し長めの茶髪を揺らし、ヴィルフリートがアイリーンを指さした答えた。
二人の騒々しい様子に、パーティ会場の者達が遠巻きに眺める。
ただでさえ話題の二人だというのに、この行いのせいで、二人は更に注目を集めたのだ。
「そ、そそそそ……そこまでいうんだったら……証明してあげるわよ!」
「あぁ、いいぞ! 俺だって証明してやるよ!」
周囲の者は考えた。どうやって何を証明するのだろうか、と。
すると、二人は唐突に静けさを取り戻したと思いきや、
「ほら、早く行きましょ!」
「望むところだ」
と、やり取りをつづけ、速足でエントランスから出て行ったのだ。
それからの二人はお互いの家の馬車に乗り、夜の都の、とある施設に向けて馬車を走らせたのだった。
◇ ◇ ◇
やってきたのは高級宿。
貴族が使うようなところで、設備や家具は一級品。
寝室には隣接して浴室が配置され、ベッドに腰かけたヴィルフリートへと水の滴る音が届く。
それから少し経つと、浴室の扉が静かに開かれる。
「――灯り」
「あ、灯り……?」
「だから……明るくて恥ずかしいから、早く消してっていってるのッ!」
扉から顔だけ晒したアイリーン。
彼女に言われ、ヴィルフリートはベッド横の灯りを消す。
「あぁ……消したけど」
「……最初から消しておいてよ。貴方まで私を辱めるつもり?」
こう答え、アイリーンがしずしずと姿をみせる。
そうはいっても、薄暗い寝室では、彼女の姿は良く見えない。
タオルを身体に巻いており、裸体を晒しているというわけでもなかった。
「それじゃ、早く確かめちゃいましょ?」
「い、いや。ここまで来て言うのもあれなんだけど、本気かよ」
「どこまでも男らしくないのね。伯爵令嬢にここまでさせておきながら、土壇場で逃げるつもり?」
アイリーンがベッドに腰かけた。
長い金髪がヴィルフリートに触れ合うほど近くに腰かけ、風呂上がりの火照った二の腕が押し付けられた。
……すると、ヴィルフリートは彼女の女らしさに緊張をもよおす。
(でも、俺だけじゃないのか?)
というのも、ヴィルフリートがあることに気が付いたからだ。
それは隣に腰かけたアイリーンから伝わる、小刻みな震えに他ならない。
ヴィルフリートを先導するかのように宿の一室にやってきた彼女だったが、ここにきて、震えを身に宿していた。
「お前……身体が震え――」
「ッ――!」
身体の震えを指摘しようとした刹那。
アイリーンは強く身体を押し付け、ヴィルフリートの身体をベッドに倒した。
くらくらするような彼女の香りに包まれ、胸板には柔らかな何かが押し付けられる。
倒された時に足が絡まり合い、二人は転がるように横になった。
「お、おい! 急に危ないだろ!」
ヴィルフリートはアイリーンを諫める。
「うるさいわね! 私みたいな女を前にして、なんでそんなに冷静なのよ! ……私に魅力がないとでもいうつもり!?」
しかし、アイリーンは不満げに言葉を口にした。
顔はヴィルフリートの胸板に隠され、その表情を窺い知ることはできない。
だが、その声までも震えを得たように聞こえてくる。
そんな二人の横には、ついさっきまで彼女が身体を隠していたタオルが落ちている。
「そんなこと言ってないだろ! だから、どうして急に暴走するみたいに――」
その時だ。ヴィルフリートの唇に、アイリーンの唇が押し付けられる。
温かく柔らかく、時折混じる彼女の吐息が心を惑わす。
ヴィルフリートが強制的に蕩けさせられていた時、突然、彼の頬に水滴が舞い落ちた。
「……おい。いきなり口づけしておいて、なんで泣いてるんだよ」
それはアイリーンの涙だった。
彼女は涙を流しながらも、ついばむように口づけを重ねる。
しかし、ヴィルフリートは隙をみて顔を離すと、彼女に対してその理由を尋ねる。
「あ……あなたこそ……男のくせに、情けない……!」
彼女はそういって、ヴィルフリートの目元を指で拭った。
無意識のうちに、彼もアイリーン同様に涙を流していたのだった。
彼女はこの事実に気が付くと、泣きながら笑ってヴィルフリートをみる。
「――なぁ。俺もやっぱり、負け犬だってことなのか?」
「だからそう言ってるじゃない。私も貴方も、二人とも同じ負け犬なんだから」
語り合い、隙が出来れば口づけを交わす。
それは何十秒も、何分も、時間の感覚が薄れるほど続けていた。
アイリーンはヴィルフリートの頭に腕を回し、ヴィルフリートはアイリーンの背中に手を回す。
「女を悦ばせるのが巧いのね」
蕩けた表情でアイリーンが口にする。
「始めてだけどな。才能はあったのかもしれない」
ヴィルフリートは開き直った。
経験が無かったということを隠さず口にし、アイリーンの褒め言葉に喜んだ。
「そういうお前も」
「アイリーンよ」
「……そういうアイリーンも、男を悦ばせるのが上手いみたいだ」
王子にでも仕込まれたのだろう。ヴィルフリートは苦笑するのだが、
「そう。なら私も才能があったのかもしれないわね」
こう答え、彼女もこれが初めての経験だとヴィルフリートに語る。
二人はそうした巧拙で罵り合っていたというのに、お互いにそうした経験はない。
この事実に顔を合わせ、本心から楽しそうに笑い声をあげた。
「……悔しい」
彼女は突然、ヴィルフリートの胸元に顔をうずめた。
「私は王子の妻になるべく育った。それでも、残飯みたいに捨てられたの。これはなに? 私の存在価値を全否定されたのよ?」
唇の初めてを、そう詳しく知らない男に捧げたという事柄。
彼女の精神状況が落ち着いていないのは当たり前なのだ。
行きずりのように宿屋に足を運び、恋仲の男女のように身体を重ねている。
この不思議な状況の中、彼女は心境を吐露しはじめる。
「俺は奪われた。ずっと妻になると思っていた女性を、あっさりと、突然に奪われた」
そこで、許婚だった彼女のことを思い出す。
王子と立つ彼女の表情は晴れやかで、決して嫌気があるようには思えなかった。
となれば、つまり、彼女は自分の意思で王子の隣に立っていたということ。
ヴィルフリートの心が砕かれたのは言うまでもない。
「俺たちは浅はかだろうか。こうして、捨てられたもの同士でベッドを共にしている」
「浅はかね。これが浅はかじゃないのなら、この国は娼婦と男娼の国になるから」
二人は自らをあざ笑った。
そうでもしなければ、この特別な状況に整理がつかない。
目元を紅く染め、腫れぼったくしながらも、得も言われぬ笑いを感じる。
「でも、浅はかでもいいじゃない」
彼女は自信満々に語る。
「私たちが浅はかなら……
王子による婚約発表は、それはもう見事な盛り上がりだった。
捨てられた二人の心境を考慮することなく、多くの貴族が二人を祝福したのだから。
「そう、だな」
「主観でしかないの。だから、浅はかという言葉に意味はない。最後に決めるのは当事者たちなんだから」
「……違いない」
二人は解釈の違いをすり合わせると、今度は唇をすり合わせる。
お互いの感触を楽しみ合い、少しばかりの余裕が生まれだした頃だった。
相変わらず不思議な状況に変わりはないのだが、二人の間に、とある感情が生まれだす。
――依存だ。
ここまでしてきた数えきれない口づけは、数多くの意味を持つ。
慰め、心の支え、人の温かみ、唇を伝って、多くの感情を共有し合った。
すると不思議なことに、彼こそが、彼女こそが、自分にとっての大切な人なのではないか?
という錯覚に溺れて行くのだ。
……と、ヴィルフリートが内心で考えていた頃。
アイリーンが不敵に笑った。
「ねぇ、私の感情をあててみて?」
「……暴走か?」
「違うわ。これはね、恋に近い何かなの」
「お前、何を馬鹿なことを言って――」
「だから、アイリーンよ」
アイリーンが人差し指を伸ばし、ヴィルフリートの口に押し当てる。
そのまま体を起こすと、ヴィルフリートを仰向けにさせ、自らの身体を乗せた。
「平気?」
私は重くないだろうか。アイリーンは尋ねた。
「平気じゃないって言ったらどうなるんだ」
「不貞腐れるに決まってるでしょ。馬鹿なの?」
はぁ、とヴィルフリートがため息をついた。
今の発言はただの冗談だ。アイリーンは軽く、このまま寝られても不都合はない体重をしていたのだから。
「道筋はどうあれ、貴方は私の――」
「ヴィルフリートだ」
彼女の真似をして言葉を遮る。アイリーンはキョトンとした顔をみせた。
「……ふふっ。ヴィルフリートはそれまでの経緯はどうあれ、私を受け入れてくれたでしょ?」
果たして、これを受け入れたと形容していいのかは難しい。
彼女が口づけをしたのは突然で、ヴィルフリートは成すがままだったのだから。
とはいえ、その後はヴィルフリートからもアイリーンを求めたのは否定できないだろう。
「表現するのが難しい」
「そ。ならいいわ。私が勝手にそう感じたってことにしてあげる。
言いたいことを、ヴィルフリートなりに整理してみた。
それはつまり、
「傷の舐め合いに価値を見出した。とでもいいたいのか?」
「――お互いが寄り添える何かがあった。素敵な事だと思うけど」
暗がりに目が慣れ、二人はお互いのことを強く視認している。
一糸まとわぬ姿とはいえ、恥ずかしさよりも精神的な解放感が勝っていた。
「言いたいことが分からない。泣くほどの想いを王子に抱いていたというのに、君……アイリーンはどうして、こんなにすぐ気持ちを切り替えられる?」
「それが恋ではなかったからよ。王子は素敵な方……
そりゃそうだ。ヴィルフリートは納得する。
なにせ、こっぴどく捨てられたばかりなのだから。
「でも、ただ義務的に私は私のするべきことをしてきただけ。王子の妻となるため、そのために容姿を磨き、身体を磨き、勉学に励んできた。ここに恋があったかと言われれば、私は頷いたりはしないもの」
「そりゃ……ひどい話だ」
「政治的な婚約にそれを求める方が酷でしょ」
だが、彼女の涙の説明が付かない。
ヴィルフリートはそれを尋ねる。
「泣いていた理由はなんでだよ」
「今までの私が否定されたからに決まってるでしょ。これまでの人生、全てに意味がなかったということになるんだから」
すると、ヴィルフリートはなるほど。と納得した。
言われてみれば、確かにその通りだった。
「ヴィルフリートは? 貴方はあの令嬢に恋をしていた?」
「……わからない」
「わからない?」
言われて考えてみても、ぱっと恋してたとは感じられなかった。
彼女のことを可愛い女性と思っていたことや、彼女が妻になるのだろう――という想いは強かったが、それまでだ。
そこに恋愛感情があったかは難しい。
「じゃあ、恋愛感情は無かったってことにしましょ」
「おい。人の感情を勝手に決めつけるなよ」
「いいでしょ。その方が、これからのことに都合がいいもの」
アイリーンはそう言って、ヴィルフリートにもう一度口づけをする。
そして、これからのことに都合がいい。その理由を語ったのだ。
「――傷をなめ合う。それって、少しだけ甘美に思えないかしら」
新たな恋を――いや、初めての恋を始めないか、と。
呆気にとられたヴィルフリートは、まばたきを繰り返してアイリーンをみる。
アイリーンの唇は固く、彼女が緊張しているのだと感じさせる。
この告白にも、彼女なりの勇気が必要だったのかもしれない。そう思ったヴィルフリートは、わざと鼻で笑って答えるのだ。
「相手がお前なら……そう悪い話じゃないかもな」
この場に置いては、真摯に答えるよりも、こうして
ヴィルフリートは答えると、おもむろに手を伸ばしてアイリーンの頭を撫でる。
「そう。それならよかったわ」
くすぐったそうにしたアイリーンは、ヴィルフリートの手に、猫のように顔を押し付けた。
じゃれつくように身体をくねらせると、楽しそうに笑ったのだ。
馴れ初めは酷い。アイリーンは自らの身体を軽んじて、心の傷を慰めようとしたのだ。
だが、ヴィルフリートが彼女を受け入れ、お互いに特別な何かを感じ取ったのだから、そんなことは既に些細なことだ。
それこそ、二人の恋は二人のものなのだから。
「じゃあ、お互いに親を説得する必要があるのだけど……」
どうするべきか。迷った様子でアイリーンが口にする。
なにせ、二人はお互いに伯爵家。子供同士の想いだけでどうにかなるものではない。
それに加えて、両家にはちょっとした問題があった。
「……大臣を輩出した私の家に」
「将軍を輩出している俺の家、か」
文官の名家に、武官の名家。
表立って仲が悪いということは無かったが、決して仲がいいということもない。
お互いの主張が食い違うことが過去に何度もあったのだ。
「まぁ、大丈夫だろ。既成事実があるんだから、色々とな」
「……あぁ。そういえば私たち、何も気にしないでこの宿に来たんだものね」
捨てられたもの同士だから宿に飛び込む。 俺2号/結城 涼 @ore2gou
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