プリズム

小野木 もと果

プリズム


 えること。


 それが、何よりも大切とされている、SNSの中。


 中身なんてどうでもいい。


 それが、私の暮らしている世界。



◇◇◇



真希まきー、撮るよぉ」



 スマホを構えた有美ゆみが画面の中で最上級の作った顔で微笑んでいる。

 私も慌てて、かわいい顔をしようって思ったけど、途端に分からなくなる。

 かわいい顔ってどういうのだっけ。どうしたらいいんだっけ。



「真希ってホントに写真写り、悪いよね」


「そーかな?」



 その、写真写りの悪い私の顔を、有美何の躊躇ためらいもなくSNSにアップする。

 タグは、『親友』『仲良し』『今日も一緒』だ。



「有美、いっつも唐突に撮るから、変な顔にもなるってー」


「だって、真希ってどれだけ時間使っても、いっつも同じ顔じゃん」



 有美はズケズケと言う。いつもの事だ。彼女の口癖は『私、毒舌だから。ごめんね?』だ。

 口を開いたついでに『ごめんね』と言っているだけで、本当に悪いとか思ってる訳がない。そんな気がする。


 私たちは、幼稚園からの幼なじみだ。思い返せば、有美はいつも私の横にいた。

 それは "親友で仲良し" だからだと思っていた。でも先月、有美の本心を知ってしまったんだ。



『私を上の中だとすれば、真希は中の中って感じ? ハートだって、私は真希の十倍以上あるじゃん?』



 彼女が好きな俳優の話をしていたら、有美からそういう言葉が出て来た。有美は私のことを下の存在だと思っているらしい。


 私だってSNSはやっている。食べ物とか、風景とか、気に入ったものをスマホで撮影して載せるために。

 ハートをくれるのは、有美とクラスメイト数人。でもそれで満足している。そう思っていた。――先月までは。



「あ! 放課後、カフェ行かない?」


「えー。また映える感じの会するの?」


「そうそう! だってね? ハート、五百個増えたんだよ! すごくない? いっそ一万くらい欲しいじゃん!」



 彼女はSNSに夢中。現実よりも、スマホの中の盛った別人の方が大切らしい。

 有美は高校までくっついてきた。仲良しだから『同じ高校行こうよ』と言われたんだと思っていた。でもきっと、そうじゃない。


 彼女にとって、私は無害なのだろう。ランクが下だから、比べられても有美が勝つ。街を歩いていても、声をかけられるのは有美の方だ。私じゃない。


 男ふたりだったら、私は大体、連れの気の弱そうな方に話を合わせてもらう。

 彼もきっと、私とおんなじように、やりたくない事をやっているんだろうな、と同情する。


 やりたくないなら、やらなきゃいい。そう思うでしょう?

 でも現実は、そんな簡単にはいかない。私だって、有美を利用しているんだから。

 取りあえず "自称・毒舌" の有美の側にいれば、私が攻撃されることはない。


 多分、有美もみんなも知らないけど、私は結構ズルいんだ。



◇◇◇



 放課後、いつものカフェにやってきた。

 一番安いアイスコーヒーを頼んで、私たちは喫茶店に居座る。


 有美のカバンの中から、次々と "映え道具" が出てくる。鏡とメイクセットに造花、よく分からない瓶。何でも出てくる。



「有美さ……カバン、重くないの?」


「重いよぉ! でも映えないと!」



 家でやってればいいのに――そう思う。

 そんなことを私が考えているなんて、微塵みじんも思っていなさそうな有美が、撮った写真を加工し始める。


 私は何気なく見ている。

 無頓着むとんちゃくな振りをしているだけで、ちゃんと見てるんだ。彼女が、自分の目だけ大きくしていることを。比較するために、隣に人間が必要なんだよね。


 大丈夫、ちゃんと知ってる。



◇◇◇



 冬休みに入った。

 バイト帰り、私は夏にナンパされた男たちの、気の弱そうな方と待ち合わせをしている。


 彼は田所くんといって、私の二つ上の大学一年生。何となく、スマホ上だけでやり取りを続けていたけど『お茶でも飲まない?』と誘われた。


 多分だけど、彼はものすごくいい人だと思う。

 いつだったか『女の子を口説くなんて、キャラじゃないし、本当はやりたくなかった』と言っていたっけ。まあ、何というかすごく模範的な発言。


 私のSNSアカウントに一番にハートをくれる人物が、今では有美から田所くんに変わっていた。

 どうしてなのか、彼は私のことを気に入っているみたい。だから、今日誘われたのかな、なんて考えながら立っていると、少し遅れて彼が現れた。



「真希ちゃん! ごめん、待たせて! なんか……会うのは久しぶりだね」



 彼は照れたように言う。こうして改めて見ると、別にカッコ悪い訳じゃない。

 何だか、よくいる爽やかな人って感じ。



「こんにちは。お久しぶりです」



 そういえば、このデートの事は、有美には言っていない。

 あの子、地味にやきもちを妬くから。



「どこ行きたい?」



 田所くんが、自分の髪をガシガシやりながら私をちらりと見る。



「んー。どこでもいいかな」



 別に、彼を気遣って言った訳じゃない。本当にどこでもよかった。



「おれさ、景色を写真に撮るのが好きなんだよね。真希ちゃんもよくそういう写真、上げてるよね」


「そうですね。夕陽が好き」


「おれも! 気が合うね!」



 風景の撮影が趣味なら、夕陽が好きなんてよくある事なのに、田所くんは子どものように笑う。このひと、純粋なひとなんだろうな。



「私も田所くんの写真、結構好き。昨日アップしてた場所って、この辺ですか?」


「そうだよ! 行く? でも内緒にしといてね。ひとりになりたい時によく行くんだ」



 そんな場所を私に教えてよいのか、と戸惑いながら頷くと、彼は私の手を掴んだ。



「こっち」



 キャラがどうのこうの、と言っていた割に積極的だよね? そう思いつつ、私だってちょっとは恥ずかしい。

 でも見上げた田所くんの顔は多分、私よりも赤かった。


 彼が連れて行ってくれた川辺に座って、差し障りのないことを話す。お茶をするっていう話はどこに行ってしまったのか。

 分からないけど、まぁまぁ楽しい。そうしているうちに、夕方になった。

 見上げた空が、燃えるように赤い。



「空、真っ赤だね。これって雲のせいかな?」



 田所くんに問いかけると、彼は少し考えて、沈みゆく太陽を指差した。



「真希ちゃん、あのお日さま……あの光に波長があるのって知ってる?」


「……波長?」


「そう、色によって波長がちがくて。青とか緑とか赤とか……それぞれ長さが違うわけ」


「……はぁ、長さ」



 二つ歳上だと、光の波長とやらについても詳しくなるのかな、と彼の目を見る。



「ほら、物理でやらなかった?」


「……やったような、やってないような」


「あはは。まあ、興味が無いとね。とにかく太陽の光でも同じで、その決まった波長があるんだ。夕方になると、空が赤くなるのは、発光源である太陽の位置が変わるから」


「あ、そっか。沈むもんね」


「そうそう。だからこう、角度が変わって、赤い光が通りやすくなる。だから夕焼けが出来る」



 身振りを交えて、田所くんは解説を続ける。

 彼の話が止まったところで、私は「ねぇ」と口を挟む。なぜそんな事に詳しいのか、知りたいと思ったんだ。



「……田所くんって、そういうの好きなの?」


「好きっていうか……なんか面白くない? 地球のメカニズムっていうか、宇宙っていうか」


「ふぅん……。宇宙かぁ、遠すぎてよく分からないなぁ。えっと……? 赤の波長はいつでもあるけど、普段は見えてないだけってことだね」


「そうそう。赤は波長が一番短いっていわれてるんだけど、波長が短いせいで、普段は大気の層に邪魔されて……ってこんな話、つまらないね」


「ううん」



 私がそう言うと、苦笑いを浮かべていた彼は、意外そうにこちらを見る。その頬が、夕陽に照らされて染まって見える。



「面白いよ?」



 それは嘘じゃない。

 分からないけど、つまらなくはないから。



「そういう話、うちらの周りでは聞かないもん。授業でやったのかもしれないけど……覚えてないや」


「おれだって忘れてるよ。なんかさ、おれ文系だけど、そういうのってちょっと憧れる。かっこよくない?」



 そう言ってから、田所くんは無邪気に笑いかけてくる。今日、彼はずっと笑っている。

 人柄の良さというか、純朴さというか――彼は正真正銘の "いいひと" なんだろうな、と思う。

 夕陽も落ちた帰り際、田所くんがずっと浮かべていた笑顔を引っ込めて、私の肩を叩く。



「あのさ」



 そう言ったきり、彼は全然、次の言葉を言おうとしない。フリーズしてしまったスマホみたいだ。

 「どうしたのー?」って私が茶化すと、彼は真剣な表情で口を開いた。



「あの……付き合ってくれませんか」


「……え」



 びっくりしたような表情を浮かべはするけど、まあ……こうなることは何となく、予測はしていた。

 彼が私のことを気に入っているのは分かっていたし、そういうつもりがなければデートに誘うこともなかったんだろうな、と私はうつむいたまま考える。



「すぐじゃなくてもいいから。答え」



 今どき、真面目なんだなあ――そう思いながら彼の顔を見つめ返す。

 田所くんは、私の事をどんな人間だと思っているのだろうか。

 ひょっとして、"自分と同じく、純粋な人物だろう" とでも考えているのかな。


 でも、私は決して、彼みたいに純朴な人間ではない。

 彼はそれを知らないんだ。



◇◇◇



 ある日、家に帰った私はベッドに寝転ぶと、スマホを覗き込む。

 有美が、大盛りの自撮りをアップしていた。取りあえず、そこにハートを送ってから、私はアカウントを切り替える。



 そう。

 私はもうひとつ、アカウントを持っている。



 有美にランク付けされた日、本当に真希という女子高生が "中の中" なのかを知りたかった私は、普段の自分とは違うアカウントを作った。

 サブ――というか、裏アカウントくらい、作ろうと思えば誰だって作れる。

 女子高校生のたしなみと言ってもいいくらいだと思う。それくらい簡単に、そのアカウントは作れてしまった。


 そして、しばらく考えた私は、架空の人物をプロデュースすることに決めた。

 家中のライトを目一杯に当てて、やり過ぎなほどの化粧をして、自撮りをしまくったんだ。

 何十枚、撮影したか分からなくなるくらいだった。だけど、どうも派手さに欠けた。

 化粧じゃ足りない。多分、そういうことだろうと思った。


 結局、写真を直接いじるアプリをダウンロードした私は、どうにか真希の気配を残した美少女を作ることに成功した。――私にはきっと、加工のセンスがある。


 何でそんなことをしたか? 悔しかったから?

 ……どうだろう。


 ただの人間である有美が、同じ人間である私を採点する、っていうのは、どうにもこうにも、おこがましいことじゃない?

 もしも、ハートの数がひとの優越を決めるというのなら、いいわよ、勝負してあげる。そう思ったの。


 私はきっと、悔しかったんじゃない。

 ……怒ってたんだ。ものすごく。

 

 怒りのパワーはすごかった。頭の中に色んなアイデアが勝手に浮かんできたくらい。

  "私ではない私" の設定は、都内の高級住宅街に住む、お嬢様。ハンドルネームはレミ。

 色々趣味を持っていて、一番好きなのはスキューバダイビング。

 ハワイに年に数回行って、のんびり過ごす。

 ペットは犬が二匹。犬種はサルーキーってことにした。


 別に、豪華なものと一緒に自撮りしなくても、結構な人数が釣れた。

 自撮り以外の画像は、適当に海外のサイトから拾ったものを使った。

 有美と違って、個人情報は一切流していない。自撮りの背景はいつも同じ、白い壁。


 レミのアカウントは、一か月経たないうちに、そこそこの反応が来るようになった。 

 この "真希の気配を残した、私ではない別人" は、いとも簡単に有美を抜き去ったんだ。


 私は、そういうの、好きじゃなかった。盛るとか。だけど、やってみて分かった事がある。


 他人は、真実なんかどうだってよいという事。

 そして、褒められるのは意外と楽しい、という事。


 私はSNSを閉じると、何だかおかしくなって笑う。何てバカバカしいんだろう。変な世界。


 その "褒められる楽しさ" に取り憑かれて、人生が狂った人がいるっていうじゃない? 有美もその道を歩むのなら、好きにしてくれていい。どうぞご勝手にって気分。


 ──ごめんね。私、そんなにいい子じゃないんだよね──


 そう思うと、そろそろ有美の格付けの失礼さを、突きつけてやろうと決めた。彼女のアカウントの "ユミ" だって、原型はとどめていない。あれは私の知っている有美じゃない。その点ではおあいこだ。

 別にあくじゃないはず。


 有美が言うように、アクセス数や、ハートの数が全てだというのなら。


 そうだよね?



◇◇◇



「ねぇ、有美」


「んー?」



 私たちは、いつもの喫茶店で、氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーを飲んでいた。

 先ほど撮った写真の加工に夢中な有美が、生返事を返してくる。



「あのね、話してないことがあったんだよね。あ、その前にちょっと撮っていい? 私もたまには親友のタグ使おうかな」


「うん! いーよー」


 カメラを見ていつもの "作ったかわいい顔" を浮かべた有美を画面越しに眺めながら、私は申し訳なさそうに呟く。


「さっきの話なんだけどさ、私……裏アカあるんだよね。毎回一万くらいハート付くの」


「えっ……」


 驚きで彼女の顔が歪んだタイミングで、シャッターが切れる。

 いい感じに面白い顔。


「ちょ……どういう……? 一万って?」


「なんか、先月から始めてみたんだけどね。ほら、有美がいつもかわいく加工して載せてるじゃない? 私、いっつも有美に "ホントの私よりかわいく" してもらってたからさ。自分でもやってみよっかなって」


「……」



 言葉を失う有美を見て微笑むと、私はレミのアカウントの編集画面を見せる。このアプリはハートの総数が分かるようになっているんだ。同じものを使っている有美は、見慣れているはず。



「ほら。結構ハート付いて、驚いてるんだ」


「……ホントだ……」


「タグって『親友』だっけ? あと、なに?」



 私が問いかけると、有美の顔がさっと青くなる。



「ちょっと待っ……? さっきの写真、そのアカに載せるの?!」


「載せるよ。有美だって、いつも私の写真、勝手にアップしてたでしょ?」


「えっ! ダメ! 待って!」


「なんでー? いいじゃん。いつもの有美だよ」



 投稿ボタンをタップする振りをすると、動揺しているらしい有美が硬い表情で、私のスマホを引ったくって、床に叩き付ける。



「やだなぁ……冗談だよ。自分の顔、そのまま上げるわけないじゃん」



 私が言い放つと、有美が脱力してソファーに座り込んだ。

 そして、その引きつった顔のまま、私を見上げる。



「私がいつまでも、何も言わないと思ってた? 私は毒舌じゃないけど、言わせてもらうね」



 スマホを拾い上げると、埃を払って覗き込む。画面にヒビが入っているけど、まだ動く。

 途中になっていた投稿画面から私と有美のツーショット画像を削除する。

 念のために。もし誤動作で投稿でもしちゃったら、笑えるから。



「私、別に有美より格下じゃないからね。もちろん、上でもないけど」


「……」


「知ってると思うけど、私も有美もフツーのひと。だって、そこまでかわいくもないでしょ。ちょっとハートが付いたとしても、それは有美に対してじゃない。有美が作った別のひとに、だよ」


 私が一気にまくし立てると、呆然とした表情の彼女と目が合う。

 いつも何も言わない私が突然、色々言ったんだもん。びっくりするよね。


「別の……ひと」


「そうだよ。別のひと。……あと、今後一切、私の写真を黙ってSNSにアップしないでね? 最低限のマナーだよ?」



 いつもの "毒舌" が、なりを潜めた有美を見下ろして、彼女のスマホを取り上げた。

 「あっ」という、小さな声が聞こえたけど、そんなの知ったことじゃない。



「私の写ってる投稿、消すね。怒ってるとかじゃないんだよ? これからはホントにやめて欲しいんだ。分かる?」



 私が次々と投稿を消すと、SNSアカウントは、すっからかんになった。

 思っていたよりも、有美は私との写真ばかり投稿していたことになる。

 いくら都合良く考えても、その事実が真希と有美が "親友で仲良し" だからではないことに気付いてしまった私は、何だか切ない気持ちになった。



「ねぇ、聞いてる?」



 少し強い口調で言った私に向かって、有美は黙って頷く。



「あのね、友達じゃなくなりたい、とかじゃないんだよ? 私の希望は、私の写真を勝手に載せないこと。簡単でしょ」



 悪いけど、私の顔は私のものなの。何も言い返さない友だちごっこも、今日でお終い。

 もしも有美にまだ、私と友達を続けるつもりがあるのなら、私の言いたいことは分かるはず。


 ないとは思うけど……もし分からないなら、有美は別の "格下" の友だちを探してもらうことにしよう――そう思う。

 都合のよい "横にいてくれる人間" を探して、よそに行くべき。だって私はもう、我慢できないから。



「ごめん……」



 有美が弱々しい声で呟く。私は笑顔で有美にスマホを返しながら言う。



「いいよ! もう投稿しちゃったものは仕方ないからね。私たち "別に有名じゃない" から、大丈夫だと思うよ!」



 有美はただ、私の顔を見ている。まさか勘違いしてたのかな、自分が有名だって。



「そういうわけで、私は帰るね」



 カバンを掴んだ私は、言うべき事を思い出して「そうだ」って、有美を振り返る。



「さっきので、スマホの画面が割れちゃったからさ。弁償してくれるとうれしーな」


「……うん」



 笑顔で手を振る私につられたのか、肩を落としていた有美が、静かに手のひらを見せる。



「じゃあ、また明日ね」



 吐き捨てて、喫茶店を出る。私はもう振り返らなかった。心から清々せいせいした。明日から、自撮り地獄が消えるのかと思うと嬉しいんだ。


 だから、言ったでしょう? 私、結構ズルいんだって。



◇◇◇



 翌日、登校すると、有美が怖々と謝ってきた。スマホの修理代も払ってくれるらしい。

 ハートが付くようになって、舞い上がっていた――半泣きでそう言った彼女は続けて「ごめんね?」と呟く。

 いつもと違って、本当に謝ってくれているみたいだ。


 有美に悪気があるとは思っていなかった私は、予定通り、彼女に「ケンカするつもりはなかったんだよ?」と告げた。

 そして「せーの」で、お互いの盛ったアカウントを削除した。


 これからも彼女と友達でいられることが分かって、私はホッとする。

 別に、嫌いになったわけじゃないんだもん。それは嘘じゃない。



◇◇◇



 ところで、田所くんから毎日話しかけられている。だけど、私は無視をしていた。

 私のようなズルい子は、彼みたいな純朴な人間とは釣り合わない。

 だけど、あまりに鳴り続ける通知音に、私は少しだけ彼の発言を確認したくなる。



『突然、あんなこと言ってごめん。少しでも、考えてくれたら嬉しい』



 そんなような事が書いてあった。

 既読を付けてしまったからには、スルーはし辛い。私は一回だけ打ち返す。



『私は田所くんが思ってるような、いい子じゃないんだ、ごめん。裏アカで盛るような女なの』



 しばらく間を開けて、彼から返信が来る。

 怖いけど、読まないのも心臓に悪い。



『もしかして裏垢ってレミってひとの? オススメに出てきた……あれ、真希ちゃんでしょ? でも今探したら見つからない。もしや幻……?』



 私はとても驚いた。

 何で気付いたんだろう。あれはほとんど、私じゃなかったのに。



『また、会えないかな?』



 そう受信したトークルームを眺めて、私は悩む。

 お願いします! と土下座しているスタンプを見て、私はふっと笑ってしまう。


 アレを見ても、私と付き合いたいなんて、変な人。

 単純に興味が湧いて、私は彼に再び会うことにした。



◇◇◇



 待ち合わせは、田所くんが教えてくれた、あのフォトスポットという事になった。

 やはり、少し遅れて彼がやってくる。



「やー、また遅れて申し訳ない」


「あれ……なんで、私って分かったんですか?」



 当たり障りのない話はもういらない。だから私は、単刀直入に聞いてみる。

 太陽が沈む前に、それを知りたかった。

 ――なぜだろう、分からない。



「あー、いや……あれね。言ってから、やべーって思ったんだけど」


「うん?」


「あの……変態だって思わないで欲しいんだけど……。耳にホクロあるじゃん、真希ちゃん……」


「ほ……」



 それは盲点だった。そんなもの、私だってよく見た事ない。

 というか、一体どこにあるんだろうか。



「いや! 違うの! おれ……こう、照れ隠しで目が泳ぐっていうか。ね?!」



 確かに、田所くんはナンパの時から挙動不審だった。更に挙動不審になっている田所くんを横目で見たあと、私は初めてデートをしたあの日のように空を見上げる。



「あー。あの……真希ちゃん?」



 呼ばれて振り返ると、田所くんがグイと手を突き出していた。

 彼の手のひらには、透明な三角のプラスチックのようなものが乗っている。



「これ、あげる。窓際に置いておくと綺麗だよ」



 無理やり渡されたそれは、思ったよりも重たい。

 ガラス……なのだろうか?



「プリズムって覚えてない?」



 確かに、これは見覚えがある。中学の時、理科の実験で使ったはずだ。綺麗に虹が出来て、いい感じだった。

 仕組みとかは何となくなまま、未だによくは分かっていない。



「こんな高そうなの、貰えないよ」



 気が付いたら、私はそう言っていた。田所くんは「いやいや、高くない。全然」って笑ってるけど、どう見たって高そうだ。私は困ってしまって、手の中のプリズムを見下ろした。



「……でもやっぱり……」


「いや、それは受け取って欲しい。でさ。真希ちゃん、前に自分の事『いい子じゃない』とか言ってたじゃん? おれ、それって違うんじゃないかなと思う。それが、今まで話してきたおれの率直な気持ち。……なんかこの子、テキトーに返して来てるなーってのは感じたけどね。そこも含めて、好きだなって」



 田所くんは ”正真正銘のいいひと” の顔のまま、そう言った。

 さっきまでの挙動不審さが嘘みたいだ。ああいうひとだけど、やっぱり私よりは大人なんだよね。


 私は何も答えずに、彼から貰ったプリズムを、空にかざしてみる。特に変化がないのは多分、光が足らないせい。もう、陽が沈みかけているから。


 そして、何だか滑稽こっけいな一か月だったな、と思い返す。

 どれだけ気を付けていても裏アカはバレるものなんだ、というのが最後の学習だ。


 今日の空の夕焼けはすっかり遠ざかってしまった。

 夜の始まりの藍色と、夕方の茜色が混ざるその空を、私はやっぱり見上げてしまう。


 私や、私を取り巻く環境は、きっとこの三角形から出る虹みたいに、色んな色に変わっていくんだろう。


 このプリズムは、私の宝物になる。きっと。




―終―

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プリズム 小野木 もと果 @motoko_kanbara

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