第3話下
彼にとってこの地は未知なる世界、今後も縁のない場所だと思っていた。
そもそも娯楽施設を利用したことがない。
あるとすれば学生の時に修学旅行で行ったくらいだろうか。
「麦わら帽子飛ばさないようにな」
「あぅ?」
遊園地の受付で券を買い、ゲートをくぐった所であうの帽子に付いているゴムをしっかりと結ぶ。
気がつけば人間ではない少女との外出にも慣れてきていた。
「何乗りましょうか!」
「なんでもいいよ」
ただ絶叫マシーンだけは身長が足りていないため乗ることは不可能だろう。
そんな中であうがジッと見つめていたのは、家族が楽しそうに遊んでいるゴーカート。
母が運転し、横で子供と父が大笑いしていた。
「あれはあうにはまだ…」
「大人二枚、子供一枚ください!」
「あう」
「…」
舞はこういう時すさまじい行動力を発揮する。
普段は大人しいが、もしかすると何か複雑なストレスでも抱えているのかもしれない。
「いきますよ!」
「あう!」
「あ、運転俺じゃないのね…」
彼はあうを膝に乗せ助手席に座っていた。
真剣な眼差しを正面に向けハンドルを握る舞。
「小野さん、アクセルって右ですか?」
「…あう、しっかり捕まってなさい」
「あぅ?」
そこから数分地獄にいるようなカーチェイスが繰り広げられた。
一日で全てを回ることはできなかったものの、あうと舞は満足そうに手を繋いで歩いていた。
暗くなった遊園地内はとてもキレイなイルミネーションで彩られている。
出口に向かってる時すごい人だかりができている場所を見つける。
一日の最後の見世物のパレードをやっているみたいだ。
「わぁすごい!」
まるでファンダジーの世界にいるような光景が広がっていた。
「あぅっあう!」
あうが必死で飛び跳ねているが当然見えるわけがない。
そのすぐ横で父親に肩車してもらっている少年がいた。
「…あっう?!」
したこともない、されたこともない肩車をするとあうは驚いてふらついていた。
だが目の前に広がっている光景を見たあうは口を開けて見入っていた。
「…」
「どうした」
パレードではなくこちらを見つめていた舞に気がついた彼。
その表情は穏やかなものだった。
「いえ、よかったねあうちゃん」
「あっあうあう!」
まるで家族のようだった。
きっとその言葉を舞に伝えると、彼女はこう言うだろう。
『家族ですよ』と。
だが彼にはその家族というのをちゃんと理解できていない。
どういったのが友達で、恋人で、家族なのか、を。
あうが小野家に来て一ヶ月くらいは経っただろうか。
まだうまくはないが自分でちゃんとフォークやスプーンを持って食事がてきるようになっていた。
どれが食べていいものか、
何をしたら怒られるか、
舞のお手伝いまでもするようになった。
当たり前になりつつあった日常。
彼は忘れていたのだ。
少女は人間ではない、ということを。
ある日、あうが高熱を出して倒れた。
病院にも連れて行けず、子供用の解熱剤を飲ませたが効果がなかった。
彼は一度も使うことのなかった有給休暇をフルで利用させてもらった。
「あぁうぅ…」
タオルを取り替えているとあうが何かを伝えようと言葉を発していた。
「すぐよくなるよ」
「あぅぅ…」
台所では舞が夕食を作っている。
彼らと同じものだと吐いてしまうため、おかゆを食べさせるようにした。
何とかそれだけでも口にしてくれるのが救いだった。
一週間が経った。
あうの容態はよくならない。
驚いたことに舞が彼の自宅に医者を連れてきた。
こんなこともあろうかと、決して口外しない医者を探していたという。
「驚きました、本当に人間ではないのですね」
診察の終わった医者は玄関で浩太と舞に結果を伝える。
「寿命です」
「…え」
その言葉を聞いて彼は驚きを隠せなかった。
人間で言えば4,5歳くらいの見た目をしたあうの寿命。
医者は深く頭を下げて帰っていった。
対処はないらしい。
魚が水のないところで生まれてしまったように、あうもそういった環境の中で誕生してしまったのだ。
何者かもわからず、どうすることもできない詰んだ状況。
「…小野さん」
「少し考えてみる」
眼を真っ赤にした舞の肩を叩いて口にするが、何をしたらいいか検討もない。
感情を必死で押し殺して笑顔を作りあうのもとへ戻っていく舞。
「…あぅ」
常に無表情なはずの彼の様子が違っていることに気がついたあう。
熱くなった少女の頭に手を当てて、
「大丈夫」
そう伝えた。
次の日から会社に行くフリをして駅の近くにある図書館に行くようになった。
動物の本。
妖怪の本。
都市伝説の本。
これまで縁のなかった書物を片っ端から読んでいった。
治す方法があればよし、なければ彼が今何をすべきかを見つけるために時間を使った。
結果が出せず諦めかけていたある日。
関係なさそうな過去の出来事が書かれた本をたまたま開いた。
ここから電車でしばらく行った先にある村がダム工事で沈んだという話。
村人は当然他の街へと移住。
そしてその村には祭られていた神がいたらしい。
寺のような場所に飾られてある古い絵画の写真を見て彼は驚いた。
獣のような耳を頭から生やした少女の絵。
似ているなんてものではない、あうそのものだった。
疑いたくても、あの存在自体が非現実なためその余地はなかった。
少女はもちろん自分が神だなんて理解できていないだろう。
彼はコピーを取って急いで帰った。
「小野さん!」
スマホを持った舞が玄関先で大声をあげていた。
嫌な予感がした。
あうのもとへ行くと汗を大量にかいて苦しそうにしていた。
舞は彼に連絡しようとしていたところだったようだ。
「これを」
持っていたコピーを舞に渡し、それを見た彼女は涙を流すのを我慢するため下唇を噛んでいた。
どうすればいい。
彼の頭の中ではその言葉しかでてこない。
このまま死を迎えるのを見ているしかできないのか。
「…あぅぅ」
横になりながら彼の服を掴むあう。
彼は少女が何を伝えようとしているのかわからないことが悔しかった。
だがそれが彼の心を動かせた。
「行こう」
「…それって」
少女がもといた場所に。
もうない村を見てつらいかもしれないがそれしか思い浮かばないのだ。
「あうちゃん着替えさせます!」
エプロンを外してタンスからあうの私服を取り出す舞。
彼は押入れの中にある封筒に入ったお金を財布に入れて準備する。
スーツのままだがそんなこと気にもしなかった。
夜道、あうを背中に乗せて歩いていた。
長い電車の中では必死であうの看病をしていた舞。
着いた目的地は改札口がないほどの田舎、家なんて見当たらない。
バス停を見つけるが朝に一本あるだけですでにやっていない。
しかたなく彼らは地図を頼りに歩き続けた。
「…うぅ~」
「もう少しだ」
背中で苦しそうにしているあう、本当に連れてきて正解だったのだろうかと不安が過ぎる。
真っ暗の中救いだったのは月明かりがとても眩しく照らしてくれていることだった。
息を切らしながら到着した場所は本当に村があったのかと疑問になるほどのただの湖だった。
「あう着いたぞ」
「…あぁぅ?」
眼を開けたあうは広がる光景をじっと見つめていた。
どこか懐かしげなものを見ているような声を漏らしている。
ここが本当にあうの故郷なのかはわからない。
なんで存在してしまったのかもわからない。
―――ただ何かをしてやりたかった。
「あぅ」
背中に乗せていたあうが頭を擦り付けながら強く抱きついてきた。
「あう…何が食べたい?」
「あぅあ」
「…どこ行きたい?」
「あぁ~」
「何がした…い?」
気がつけば大量の涙を流していた。
背中にいる少女に気づかれないよういつもの口調で伝えようとするが、思うようにいかない。
生まれて初めて悲しみというものを知った。
楽しかったからこそ、幸せだったからこそ失う悲しみが込み上げてきたのだ。
全てあうがくれたものだ。
もっといろんなことをしてやればよかった。
もっと喋りかけてやればよかった。
愛を知らず、無表情で無愛想な自分自身を彼は恨んだ。
「…あぅあ、あぅ…あぅ」
辛そうに何かを伝えようとしているが理解できるわけがなかった。
そっと背中に重みを感じる。
後ろから舞が優しく彼ごと抱きしめていた。
「…大丈夫だよ、ちゃんと叶ったから」
そう涙声で呟いていた。
いつだって舞はあうの事を理解してくれていた。
あの時、大雨の中で彼とあうを見つけてくれたことに心から感謝した。
あうが消えた後も、浩太と舞はその場を、その光景を眺め続けた。
人通りの多い駅前に彼はいた。
約束の時間から30分も早く着いてしまったようだ。
目的地を探していると後方から彼を呼ぶ声がする。
「小野さんっ」
「ずいぶん早いな、30分前だぞ?」
どうやら舞は彼よりもずいぶん前から到着していたようだ。
「小野さんこそ」
「まぁ俺はやることがなかったからな」
別に何かをするためにこうして待ち合わせたわけじゃない。
そして彼女には合鍵を持たせたままでいる。
「いい仕事ありそうですか?」
「うーん、候補はいくつかあるかな」
公園で歩いていると彼の近状を聞いてくる。
以前いた職場を辞め、今は毎日職探しに追われている。
「介護の仕事ですよね?」
「ああ、近場であればいいんだけどな」
介護職は人手不足らしく結構な募集があるため、その中から通勤や給料面で思案している。
人付き合いが苦手だった彼は少しずつ変わろうとしていた。
そしてその時の感情を表情で表せれるようになった。
「あ、この辺でお昼にしましょう」
ベンチに腰掛け、手に持っていたカバンから弁当箱を二つ取り出す舞。
「悪いな、飯田さんにはいつもいつも作っ…」
感謝の言葉を口にしたつもりだったが舞は不満そうにしていた。
「いつになったら名前で呼んでくれるんですか?」
「そ、それは…」
そもそも彼女を苗字で呼ぶようにしたことすら初めは勇気がいったのだ。
だが舞は意地でも下の名前で呼ばせようとする。
「ま…まだそこまでは成長していないというかなんていうか…」
「ふふ、冗談ですよ、でも楽しみにしてますね」
いたずらをした後の子供のような表情を浮かべながら舞は彼に弁当箱を渡した。
恐らく彼専用で買ったのだろう青い弁当箱の蓋を開ける。
やはり彼女の料理はすごい。
その中に入っていた卵焼きを見て彼は少女を思い出した。
そういえば出会った日に作ってやったな、と。
整った形の卵焼きをゆっくりと掴んで口に入れる。
あの日以来涙を流すことのなかった彼の眼が潤みだす。
持っている箸が小刻みに震えている。
隣に座っていた彼女は自分の弁当箱を置いて立ち上がる。
背中を向けて少し歩き、足を止める。
「…これは」
祖母から代々受け継がれている小野家だけが知る懐かしい味の卵焼き。
何故彼女がこの味付けを知っているのか。
誰にも教えていないのに。
ただ一人を除いては。
『…大丈夫だよ、ちゃんと叶ったから』
あの時彼女は少女が伝えようとしていた言葉を理解したのではない。
―――知っていたんだ。
そうだ、これまでもずっとそうだった。
気持ちのいい風が吹き、ゆっくりと舞は振り返る。
「大変だったんですよ、そのレシピを思い出すの」
大粒の涙が零れ落ちる。
こんなにも人に思われていることに耐え切れなかった。
何事にも関心を持とうとしてこなかった自分の過去を思い出しながら泣いた。
そうだ、
少女を救ったように、彼もまた『少女』に救われていたのだ。
教えてくれたのはその『少女』でした。 @hiroma01
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