教えてくれたのはその『少女』でした。

@hiroma01

第1話序

生きている意味がわからなかった。

嬉しいことも悲しいことも皆無だったこの人生を何必死こいて生きているのか。

生きている理由がないと同時に死ぬ理由もない。

簡単に言えば彼は何も持ってないのだ。


そんな中で、



彼は少女と出会った。



雨の中、まるで捨て犬のようにその少女はダンボールに入っていた。


会社帰り、傘を忘れた彼は諦めてこの大雨の中急ぐことなく歩いて帰っていた。

近道をしようと公園に入ったところで見つけてしまったのだ。


怯えた表情。

まずやらなければいけないことは警察に連絡することだろう。


だが、スマホを取り出そうと動かした手が止まった。



ボロボロのTシャツを着た少女は人間じゃなかった。


赤い眼、獣みたいに頭から生えている犬のような耳、そして少し開いた口からは牙が見えていた。

人間の少女のような獣だった。


「あぅ、あぅぁぅ…」

何かを伝えようとしているのだろうがさっぱり理解できない。


―――困った。



すると身体中に当たっていた雨が止まる。

頭上には傘が差し出されていた。


「どうかしましたか?」

そこに立っていたのは大学生くらいの若い女性。

こんな雨の中スーツを着た立派な社会人がしゃがみ込んでいるところを声をかける彼女の勇気がすごかった。


彼は無言で指をさす。

彼女は彼と同じように二度驚いていた。




昔から彼は人と接するのが苦手だった。

大学に行ってはみたものの周りと馴染めずすぐに辞めた。

今いる会社でもアイツは付き合いにくいと言われているらしい。

否、これまでの人生ずっと言われ続けてきた。

別に溶け込もうともしない彼はそんなこんなで27歳になっていた。

だからもちろん友達もいなければ彼女もいない。



もう一度言おう。

彼は彼女なんてできたことがない。



風呂場から聞こえてくる騒がしい声、彼はバスタオルで頭を拭きながら邪念を振り払っていた。

一人暮らしのこの家に出会ったばかりの女がいて、そして少女と入浴しているこの状況。


彼女は大学の帰りであの場に出くわしたらしい。

彼一人ではどうすればいいかわからなかったため彼女との出会いは助かったものと言える。


「何かこの子に着るものくれませんか~?」

「あぅあ~!」

一人何を言っているかわからないのがいるが、とりあえずタンスからTシャツ取り出して洗面所に置いた。




「ほら、耳まだ乾いてないよ」

「ア~」

ドライヤーから逃げようとする少女はまるで猫のようだった。

簡単にシャワーを済ませて居間に戻るとまるで親子のような光景が広がっていた。


お茶を淹れ三人分のカップをテーブルに置く。


「あ、すみません、ありがとうございます」

「…いや」

彼女は熱めに入れたお茶を息で冷ましている。

ぶかぶかのTシャツを着た見た目は4歳くらいの獣娘はジッと置かれたカップとにらみ合いをしていた。

どうしたらいいかわからないといった感じだ。


「熱いから気をつけて飲むんだよ」

「あぅ?」

両手でカップを持って飲み方を教える彼女。

同じようにしようと手で持って口に運ぼうとするが、思ったとおりのことが起きた。


「アァア!!」

「だ、だめだって!ゆっくり飲まないと!」

熱さに驚いてカップをひっくり返していた。

お茶の飲み方を知らない少女は一体何者なのか。



「この子、どうしましょうか…」

重要なところはそこである。

眼に耳に歯を見ればわかるように確実に少女は人間ではない。

警察に出せば間違いなくニュースになってしまう。


「どうしたらいいと思う?」

こんな状況、簡単に答えを出せるわけがなかった。

なのに彼女は悩みもせずに口にした。


「しばらくこの子を預かりましょう!」

すっかり懐かれ、そして懐いてしまった彼女はとんでもないことを言い出した。


「俺、仕事あるし」

「昼間は私が面倒を見るから大丈夫ですよ」

「大学は?」

「少し早い夏休みにしますっ」

まだ七月に入ったところだというのに大丈夫なのだろうか。

社会人である彼からは羨ましいかぎりだった。


「それと、名前どうしましょうか」

もしかしなくても少女のことを言っているのだろう。


「あう、でいいんじゃないか」

「あうちゃん!いいですね!!」

適当に言ったのを気に入ってしまった彼女。

見た目はキレイなくせにネーミングセンスはないようだ。

考えたのは彼なのだが。




ここに住まわせることに否定する気持ちはなかった。

ベッタリと彼女にくっつきながら眠る少女を警察に出すのは少し気が引けた。


一人暮らしの1LDKに住まわせるには狭すぎるがしかたない。


「俺のベッド使わせてやってくれ」

「この子と一緒に寝ないんですか?」

「それ犯罪」

すでに幼女と暮らすこの状況がもうアウトに近い。

少しテーブルをどければ一人分の寝るスペースはあるだろう。



「それではこれからは、7時頃に来ますね」

「あ、これ」

靴を履き替えて帰ろうとする彼女に合鍵を渡す。


「…」

「…」

それはもちろん彼にとっては勇気のいる行動だったが、昼間ここにいる以上必要にもなるだろう。

少女は彼女の受け取ったものを見ようと必死でジャンプしていた。


「簡単に女に合鍵を渡すんですね」

「あ…いや、これは」

「ふふ、冗談ですよ」

もしかしたら結構イジワルな性格をしているのかもしれない。


「じゃ明日また来るからね」

「あ?あぅ?」

彼女に付いていこうとした少女の服を掴む。


「大丈夫だからね」

「…あ~」

何かを悟った少女は寂しそうに下を向いた。


「それじゃまた」

「ああ」

扉を開けるが何かを思い出したかのように彼女は振り返った。


「遅れました飯田 舞です」

「え?あ、あぁ…小野 浩太だ」

「よろしくですっ」

そして舞は満面な笑みで帰っていった。



「…さて」

「あぅ?」

残されたのは無口な男と喋れない少女。

とりあえず最初の試練は晩御飯。

彼らと同じものを食べることができるのだろうか、という不安を抱きながら浩太は台所へと向かった。



「卵焼き食えるか」

「あう?」

お茶すらも知らない子が知るわけがない。

冷蔵庫から生卵を二つ取り出して台所に立つ。

何を隠そう、卵焼きを作ることは彼の得意分野とも言える。

とある調味料を入れることによって、まるで遠い実家に帰ったような懐かしい味へと変化する。

これは彼の祖母があみだしたレシピだ。



箸の使い方もわからなかった少女にはフォークを持たせ、彼は食べ方をジェスチャーで伝える。

一生懸命手を震わせながら口元へと運ぶ。


「ん~~!!」

よっぽどおいしかったのか、少女は慌てて次々食べ始める。

どうやら人間の食べ物でもいけるようだった。


「これは隠し味に生姜と…」

「あうっぁあぅ!」

「そして最後に出汁を入れるとこの味が出せる」

「ゲホ、あうあぅ!」

「これが、祖母から代々受け継がれている小野家の…」

そこで彼は一体誰に向かって話をしているのだろうと我にかえる。

少女は人の話も聞かずに必死で食べていた。



「…あぅ」

あうは空になった皿をジッと見つめながら寂しそうな声を出す。


「まだいるか?」

「あう?」

彼はまだ食べている最中だったが、席を立ち台所に立つと何をするのか察した少女は嬉しそうに彼の後ろにくっついた。


食べるだけ食べた少女は満足そうな表情で眠りについた。

起こさないように抱きかかえてベッドに寝かす。

食器を洗いながら彼は考えていた。


突然居候ができ、そして若い女性が毎日家にやってくる。

感情表現の仕方を知らない彼は今自分がどういう気持ちなのかわからないでいた。

嬉しいのか嫌なのかすら判断ができない。

ただあの雨の中、可哀想という気持ちだけは感じた。


―――人間ってその理由だけで動けるもんなんだな。

決して表情には出さず、彼は頭の中でそう呟いた。




朝、眼を覚ますとベッドで寝かせたはずのあうがいなかった。

彼が寝ていた掛け布団をめくってみるとぴったりと身体をくっつけて熟睡している少女がいた。

少しだけ腕が痺れている。


「おはようございます」

「来てたのか」

昨日会ったばかりの女性が台所に立っていた。

いい匂いが部屋中に漂っている。

七時はさすがに早いか、と感じたがそういうことだったようだ。


「悪い」

「いえ、とんでもないですよ」

少女を起こさないようにゆっくり腕を剥がし、朝の身支度を済ませる。

洗面所にいると舞の鼻歌が聞こえてくる。

見知らぬ男の家でよくもそこまで上機嫌になれるものだ。




「じゃあ」

「あっはい、いってらっしゃい!」

「あう?」

玄関で靴を履き替えていると後ろから小走りで舞とあうがやってくる。


「あうちゃん、いってらっしゃいだよ」

「あ~、あぅあっ」

「…あぁいってきます」

彼は無表情で少女の頭に手を置いて呟いた。



生まれて初めて家族以外に口にした言葉だった。

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