■第三話:求めても届かない物


「本日はどのような罪の告白をして頂けるのでしょうか?」


「えっと…その…」


 壁の向こうに居る女性はなにやら言いづらい事なのか、それとも言葉を選んでいるのかなかなか話し始めない。


 この場に来ている時点で目的は罪の告白。

 自分だけで抱えきれない過ちを誰かに聞いてもらう為、神に許しを請う為に訪れている筈なのだ。


 勿論神など存在しない…と、僕は思っている。

 だが、存在するかしないかでは無いのだ。

 神に許しを請い、そして神の代理として僕達が許しを与える。


 そして対象から罪の意識を抜き取り、それがゆくゆく僕らの食料となるわけだ。


 人は弱い。

 抱える物が大きければ大きいほど自分の中だけでは処理しきれなくなる。

 しかし、罪は罪。

 誰にも相談できない。


 そこで、この会社だ。

 株式会社懺悔カンパニー。ふざけた名前だが、分かりやすくもある。


 最初は一週間に一人ふらりと現れればいいくらいだったが、一年もするとここで罪を告白する事で救われる。どんな内容でも聞いてくれる。罪に問われる事も無い。


 そんな噂が街に広まった。


 ここへやってくる人々は、きっと神を信じている訳ではないだろう。

 大事なのはそこではない。


 自分の内に抱え込んで耐えきれなくなった罪をどこかで吐き出したい。

 だけど罪を償ったり捕まりたくはない。

 ここにくればその全てが解決する。


 そんな噂を聞きつけて、ただ自分の為に、自分が楽になりたいというその一心でやってくるのだ。


 本当に人間という生き物は愚かで卑しい。


 そんな自分の事しか考えられない連中がが沢山いるから僕等のようなはぐれ悪魔が人間と契約する事なく生きていけるのだから感謝しなくてはならないだろう。


 それは分かっているのだが…ここで毎日罪の告白を聞いているとやはり人間の身勝手で愚かで汚くて浅ましい底が透けて見えてしまう。


 生きて行く為にはこいつらが必要だが、到底好きにはなれない。


 いつぞやの幼女は別の意味で好きになれないが。

 あの幼女の場合は心が透き通りすぎていて僕にはキツイものがあった。

 あんな純粋無垢な生き物が来るべき場所じゃないのだここは。


「あの…やっぱりまた今度に…」


 こうやって、この期に及んで逃げようとする奴も多い。

 しかし、それで一体何が変わると言うのだろう。


「無論強要は致しません。貴女が自分の罪を告白し、楽になる為のお手伝いをさせて頂くだけですから。そのまま苦しい思いをし続ける事を良しとするのであれば…どうぞご退室下さい」


「えっ、あの…そんなつもりじゃ…」


 煮え切らない女だ。


「それとも、何か心配事でもあるのでしょうか?私共は貴女がどこの誰だろうと一切関知しません。ただ、ここは罪を告白し貴女が救われる為の場所です。仮に貴女が大量殺人鬼だったとしても、それは同じ事。少しでも罪の意識があるのであれば吐き出してしまう事をお勧めします」


「…少し、考えさせて下さい」


「構いませんよ。貴女が自分の意思で話してくれるまで、こちらはただただじっとお待ち致します」


 向こう側で小さく、「ありがとう」と呟くのが聞こえた。


 それから彼女が口を開くまで、二十分。


 正確には口を開くというより、くすくすという笑い声だったのだが。


「何かおかしな事がありましたか?」


「いえ、本当にただじっと待っていてくれるんだなと思いまして…なんだか、貴方になら全て話してもいいかなって思えてきました」


「貴女が罪を告白するのは神に、ですよ。私はただその仲介に過ぎません」


「まるで教会の神父様ですね」

 そう言ってまた彼女は笑う。


 よく分からない。

 何かおかしい事があっただろうか?


「ここは株式会社という体裁ですが、懺悔をする場所。つまり懺悔室…貴女の言う教会、そして神父に近づけているのであれば光栄ですね」


「私はどちらかというとそんな貴方がプライベートではどんな人なのか興味がありますけどね」


「私のプライベート、ですか?知る必要の無い事ですよ。それに知った所で楽しい物でもありませんからね。お互い最低限の接触だけで終わっておいた方が貴女の為です」


「お優しいんですね」

 また笑う。


 笑うな。

 何がおかしいんだ?僕にはちょっと理解できない。


「きっと、私は理解者に飢えているんだと思います」


「それでいっその事こいつでいいかとなってしまいましたか?焦って結論を出してはいけません。罪を告白し、貴女が清められたならばまたきっと新しい世界が開ける筈ですよ」


「そんな…ものでしょうか?」


「そんなものです」


 そこからさらに五分間の沈黙。


 今日は昼飯いつ食べられるかな。


 勿論悪魔の僕には毎日食堂でご飯を食べる必要は無いのだけれど、ルーミィのせいで習慣になってしまっているのだ。

 身体に栄養は行かなくても食堂のおばちゃんの作るご飯は心の栄養になる。


「決めました。話、聞いてもらえますか?」


「勿論。それが貴女の決めた事でしたら受け入れましょう。さぁ、貴女の罪を教えて下さい」


 彼女はぽつぽつと話し始める。

 途中で何度も言葉に詰まったり、迷ったりしながらも、途中で切り上げるような事はしなかった。



 彼女は一緒に住んでいる女性がいるらしい。

 ルームシェアというやつだ。

 ネットの掲示板で出会っただけの関係だったが、同じ家で暮らす以上最低限の理解は必要で、いろいろ話をするうちに仲良くなった。


 そして、家賃は半額ずつ。

 お互いのプライベートには口出ししない。

 もし恋人を家に連れて来る時は事前に了承を得て、もう一人はその間家を空けるようにする。

 そんなルールを作ってうまくやっていた。


 二人だけで遊びに行く事も増え、悩みごとの相談などもするくらい仲良くなった。

 毎日楽しく過ごしていたのだが…そんな日も長くは続かなかったそうだ。


 ある日、家に男が押しかけてくる。


 彼女は最初男が家に来た時に同居人を責めた。事前にちゃんと言っておいてくれないと困るよ。と言うと、その子も予想外だったらしく驚いていた。

 驚くだけならまだしも、家の場所も教えてないのに…と怯えだした。


 ストーカーというやつだろう。

 彼女は、怯える同居人の代わりにその男を追い返そうとした。


 勿論ドアは開けない。

 ドア越しに、男を説得するが、一向に帰る気配はない。

 そして段々と男の口調が荒くなり、ドアノブをガチャガチャ捻る力も強くなる。

 やがて、怒りに任せてドアを蹴り飛ばし始めた。


 二人は怖くなって警察に電話を入れる。

 警察に電話しましたから!とドアに向かって叫ぶと、諦めたのかドアの向こうから気配が消えた。


 二人は安堵し、抱き合うように震えていたのだが、今度はどこかでガラスが割れるような音がする。


 まさかと思い振り向くと、三階だというのにベランダの窓ガラスを割って男が侵入してきた。


 階段からベランダまでは一メートル程距離があったのだが、階段の柵の上に上り、ベランダまで飛び移ったようだ。


 まさか部屋に入ってくるとは思っていなかった二人は混乱し、部屋の中で違う方向にバラけてしまった。


 男は邪魔者を排除しようとしたらしく彼女の方へと向かってきた。

 何かよく分からない事を叫びながら。

 手には警棒のような物を持っていて、それを振り回し彼女に襲い掛かる。


 その時、同居人の女性が部屋にあった花瓶を男に向かって投げつけて、それが見事に頭に直撃した。


 そして…


 崩れ落ちた男は、もう目を覚まさなかった。


「…なるほど。つまり、貴女の同居人が、人を殺してしまった…と。そういう事ですか?」


「はい。私も共犯みたいなものなのに…彼女は私を助けるために人を殺して…そして私たちが呼んだ警察に連れていかれました」


「同居人が殺人を犯して捕まってしまったのは自分の責任だ、と思っているのですね。それが貴女の罪ですか?」


「…はい。私が代わりに捕まってあげればよかった…」


 ならそうすればよかったのに。


「彼が押しかけてきたのも自分のせいだから仕方がないよ。巻き込んじゃってごめんねって…私に泣きながら笑うんです。その笑顔を思い出すだけで…切なくて…」


「なるほど…。貴女という人は…」


 壁の向こうで、涙声と鼻をすする音が聞こえる。


「たいしたものです。なかなかそこまでは言えない。そんな風にできない」


「いえ…本当に、悪いのは私で…」


「そうでしょうね」


「…え?」


「何か勘違いしていらっしゃるようですが私がたいしたものだと言ったのは貴女のその役者っぷりですよ。なかなかそこまで役に入り込めるものではありません。女優か何かを目指してみるのもいいのでは?」


「…ど、どういう…意味ですか?」


「どうも何もそのままの意味ですよ。貴女があまりにさらりと嘘をつくので思わず褒めてしまいました。申し訳ありません。不謹慎でしたね」


 壁の向こうで女が戸惑うのが分かる。

 それも仕方ないだろう。

 でも僕には嘘を見抜く力があるのだからそんなでたらめを言ってもダメだ。


「残念ですが、神は…すべてお見通しですよ」


「そ、そんな…だって、そんなはず…」


「落ち着いて下さい。別に貴方をどうこうするつもりは有りません。神が事実をお見通しだろうと貴方に何か問題があるのですか?」


「か、神に嘘がバレてしまったら…天罰が…」


「ありません」


「警察に…」


「捕まりません。少なくともこちらは貴女がどこの誰でもいいのです。貴女が自分の意思で、罪を告白する事にこそ意味があるのですから」


「…申し訳、ありませんでした」


 彼女の頬には今度こそ本物の涙が流れていた。



 その時の僕には、彼女の流した涙は全部本物だという事に気付けなかった。


 嘘を見破る力はあっても、その涙が本当か偽物かまでは分からない。

 僕の能力なんて所詮その程度のものだ。



 壁の向こうの雰囲気が明らかに変わった。

 真実を話す気になったのかもしれないが、それでも重たい口はなかなか開かない。


「やはり、言いにくいですか?その男を殺害したのが自分だと」


「…っ。ど、どうしてそう思うのですか…?」


「貴女が自分から告白しやすいように少しお手伝いしましょうか。その男…田島…いや、誰でもいいですね。とにかくその男の死因は花瓶で殴られた事ではありません。勿論一因はあるでしょうが、直接の原因はその後に電気のケーブルで首を絞められた事によるものです」


「どうして…そんな事をご存じなんですか…?」


 彼女の声が少し警戒を含んだ物に変わる。


「神の御業…とだけ言っておきましょう」


「神様は、やはりなんでもお見通しなのですか…?」


 その質問には答えずに先を続ける。


「首を絞めたケーブルにはマニキュアが微かに付着していました。そのマニキュアの持ち主は貴女の同居人という事になっているので警察は貴女ではなく同居人の方を逮捕した。…ですが、実際は一か月ほど前に貴女が同居人からプレゼントされた物です。これ以上の補足が必要ですか?」


 神など存在しないしなんでもお見通しなんて事も無い。

 僕はただ、ミーシャが調べた警察の情報から答えを想像しただけだ。

 彼女が話し始めるのを待っていた間にマインから報告があったため、ある程度考察する事ができた。


 それだけの事なのだ。

 だから分かる事もあるが分からない事だって沢山ある。

 しかし、彼女の犯行である事さえ認めさせる事ができたのならば、後は…。


 壁の向こうで嗚咽が聞こえてくる。

 おそらくこれは本物の感情だろう。


「いえ、そこから先は…私から言います。神父さん…じゃないんでしたね。貴方の言う通りです。彼女が花瓶を投げた後、男は気を失いました。死んだと思ったんです。ですが、私たちがどうしようか悩んでいるうちに男が意識を取り戻してしまった。もう少し我慢すれば警察が来るのは分かってたんです。だけど、あの男は…私の同居人に恨みがあったらしくて本気で殺そうとしてきました。だから私はとっさに…」


「なるほど。同居人を守るために首を絞めたのですね」


「はい。本当は男が気を失っている間に部屋から逃げればよかったんです。でもその時は死んでいると思っていた事もあり、どうしよう、どうしようどうしよう…それしか考えられませんでした。結果的に、私が首を絞めて殺して…それなのに、彼女は私をかばって捕まりました。自分のゴタゴタに巻き込んだおお詫びだと言って…」


 その同居人も馬鹿な事をしたものだ。



「私も、あれからずっと後悔していました。自分で抱え続けるのも限界で…話せて少し楽になりました。有難うございます」


 いえいえどういたしまして。

 しかしこちらとしては本題はここからなのだ。


「吐き出す事は大事な事ですからね。人が抱えられる罪には限界がある。こうやって罪を告白する事によって人は前を向けるようになるのですよ。それで、貴女はこれからどうしたいですか?どのような、自分になりたいですか?」


「…それは、どういう?」


「これもサービスの一環です。罪人は罪を告白し、赦される。そして私共がその罪を、罪の意識を貴女から抜き取って差し上げましょう。そうすればもう苦しまずに…」


「嫌ですっ!」


 …っ。


 あまりに突然大声を出すのでびっくりした。


 いったい、どういう事だ?


「貴方は、私から罪の意識を無くして下さると言うんですよね?」


「はい。心配はいりません。貴女がそれを誓ってくれさえすれば…」


「だったら、やはり答えはノーです」


 彼女は何を言っているんだ。

 正直、こんなケースは初めてだ。

 ここに来る人間は罪の意識に耐えきれずにやってきて罪を告白する。

 それは楽になりたいからで、罪の意識を手放す事を拒んだ人間など今までに一人も…。


「私は…このままでいいです。彼女が帰ってくるまで、苦しみ続けます。きっと…それが私に出来る唯一の事だから」


「分かりません。罪を告白して頂いた事により、貴女は赦されるのですよ?赦しとは許し。罪を貴女から取り除く事で貴女は本当の意味で赦しを…」


「だからです。私は許されたくないんです」


 分からない。

 この女は何を言っているんだ。

 僕に分かるように説明してくれよ。


 マインにどういう事なのか尋ねても、返ってくる言葉は「ごめんなさい、分かりません」だった。

 マインが言うにはミーシャはなんとなく理由が分かったようだが、「あーちゃんには一生分からないと思うよ」だそうだ。


「どうして、赦されたくないのですか?」


「…私達は、本当はただの同居人じゃないんです。私は彼女を愛していました。あの子も私を愛してくれました」


 別に同性愛なんて珍しい事ではないだろう。

 今まで長い長い時を生きてきて、いろいろな時代、いろいろな場所でも同性同士の恋愛という物は存在した。

 それ自体を罪とする地域性や、時代の流れもあったが、それでも人は恋愛対象を異性以外にも求めた。


「だから…私は、私の代わりに捕まってしまった彼女の分も苦しまなきゃいけないんです」


 そこが分からないんだよ!


「分かりかねます。その同居人の女性は自らの意思で貴女の身代わりになったのでしょう?それに貴女が現状苦しんでいるのは変わらない。それなら少しでも楽になれる方を選ぶべきでは…?」


「十分楽になりましたよ。貴方に話を聞いてもらえたから…。これ以上は、甘えになっちゃいます。私が一人で楽になるなんて許されちゃいけないんです。この罪は、赦されちゃいけないんです」


 頼むマインでもミーシャでもいいからこの女の言ってる事を僕に分かるように通訳してくれよ。


「いろいろ話を聞いてくれてありがとうございました。本当に、助かりました」


 ふざけるなよ。

 こっちは何も分からないままだ。

 こんな状況で勝手に帰るつもりか?


「待って下さい。貴女がそれで充分だというのならそれで構いません。ただ、一つだけ教えてほしい。貴方が赦されたくない理由が私にはどうしても理解できないのです何故貴女が赦されてはいけないのです?」


 こんな私情、挟むべきではない。

 解ってる。

 だけど、どうしても聞かずにはいられなかった。

 この薄い壁の向こうにいる女は、僕にとって別の生き物すぎて言っている事が全く分からないのだ。

 人は醜く救えない生き物で、いつの時代も自分が楽になる事しか考えず赦しを求めているものだろう?


「分かりませんか…?」


「解りません」


「分からないのは…きっと貴方が誰かを愛した事が無いからです」


 愛…?

 僕が、誰かを?


「本当に有難うございました。ではもう行きますね」


 待てよ。

 まだ話は終わってないんだ。


「待ってくれ!」


 僕は、我慢出来なくなって箱を飛び出した。


「…どこへ行くつもりだい?」


 どこからともなく現れたルーミィが真面目な顔で僕の行く手を遮る。


「邪魔するなルーミィ。僕はまだあの女に聞かなきゃならない事があるんだ!」


「君の仕事は終わったよ。お疲れさま」


「くそっ!」


 今聞かなきゃ、聞けなくなってしまう。

 あの女が再びここを訪れる可能性がどれだけあるというのだ。


 それに、あの女のSNSを調べればマニキュアが同居人からプレゼントされた物だと分かる。

 犯人があの女だという事が馬鹿な警察にも分かるんだ。

 指紋は拭いたつもりだろうがマニキュアが擦れた後はそれくらいじゃ落ちていなかったのだろう。


 警察があの女に行きつくのもそう遠くない筈。

 余程ずさんな捜査でない限りあの女は捕まってしまう。


 だから、だから今しかないのに。


 それなのに、目の前のルーミィは



 どうあっても僕を通してはくれなかった。



「懺悔室を飛び出して相手を追いかけようとするなんてアリアらしくもない」


 うるせぇよ。


「あの女は…僕の知らない物を知っている。僕はそれが何なのか知りたいんだ」


 僕が持っていない何かを持っている。

 どうしてか分からないが僕はどうしてもそれの正体を知りたかった。


「そうか。でも…それはね、」





「君は知らなくてもいい事だよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

(株)懺悔カンパニー monaka @monakataso

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ