■第二話:幼女なサイコパス



「またのご利用を心よりお待ちしております」





「アリア、ちょっといい?」



 今日は朝から立て続けに三人の罪人が来訪し、罪を告白していった。




 三人目の客を見送った直後、懺悔室の外から声をかけられる。


 本来来客中は懺悔室の中で対応する悪魔以外近くに来てはいけないのだが、そんな社内規定を無視して話しかけてくる奴などルーミィくらいしかいない。



「これから休憩なんだから食堂に居れば行きましたよ。分ってるでしょう?」



「んー。まぁね」




 全然気にしたそぶりも無いその声を疎ましく思いつつも懺悔室から出る。



「それで?いったい何の用ですか?それなりに重要な要件なんでしょう?」




「え?いや、別に。そろそろ終わる頃かなーって思ってね。この後一緒に食事でもどうだい?」



「だからこれから食堂に行くと…」



「いや、外でだよ」




 あぁ、そういう事か。



 悪魔という存在は、本来人間が食べるような食事を必要としない。



 悪魔は、人間と契約しその宿主から供給されるエネルギーを食料としてその存在を現世に留める。


 だが、この会社に在籍している悪魔の半数以上ははぐれ悪魔。特定の人間と契約する事なく、他のエネルギー供給システムを構築する事で生きながらえている。




 僕もそのはぐれ悪魔の一人だ。


 僕が契約しているのはこの会社であり、ここの社員としての契約。


 これは人間が会社と交す契約と全く同じ物で、まったく腹の足しにはならない。




 だが、僕等がこの会社で働き、罪人から罪の告白を聞く事により、人間から発生する罪の意識。つまり罪悪感を抽出し、蓄え、それを社員に給料として振る舞う訳だ。




 抽出された食料の管理は一括でルーミィが行っている。


 ルーミィの能力は『指定した物を隔離、管理していつでも取り出せる』能力。


 簡単に言うと、ルーミィの思い通りにどんな物でも別の空間に隔離し、いつでも取り出す事が出来るという事である。


 この能力の便利な所は、いったいどこに繋がっているのかルーミィ本人も解っていないその格納庫にある。


 ルーミィが長い時をかけて実験した結果、どうやらその格納庫に容量の限界は存在しない。


 勿論実際は限界があり、ルーミィがそれに至るまでの物量を格納した事が無いというだけかもしれないが、現状ほぼ限界は無いと思われる。


 そして、ルーミィは半年前に格納したスイーツなんかを取り出しては平気でペロリと平らげるのだ。




 つまり、その格納庫では時が停止している。


 その説明は正しくないのかもしれないが、結論を言えば格納されている間、それは一切劣化しないという事。




 本来人間から抽出された感情のエネルギーは直接、契約している悪魔、もしくは天使に流れ込み食料として処理される。


 もしその際、そのエネルギーを取り込まずに放置したとしたら、そんな形の無い物はやがてこの世界に溶けだして霧散してしまう。




 この会社で罪人から抽出した食料もそれにあたり、放っておけばすぐに霧散してしまうのだが、それをルーミィの力で一度格納し、蓄積して、必要な分を給料という形で社員に分配している。




 いつかルーミィが、この会社は僕で成り立っているような物だ、と言った事があったが…それも僕等悪魔が生きていく為のこの一連の流れに関係している。




 僕には嘘を見抜く力しか無い。


 自分ではそう認識しているのだが、何故か僕等のチームが抽出した感情のエネルギーはとても純度が高いのだそうだ。


 ルーミィはそれを僕の能力だと勘違いしているようだが、おそらくそれは違う。




 根本的に他の悪魔達とはアプローチの仕方が違うからだろう。


 僕個人の推論で、なんの根拠もない話だから実際は違うのかもしれないが、無理矢理吸い出す物よりも自発的に出して貰った方が純度が高い、というだけの話という気がする。




 上級悪魔やある程度有能な能力を持った悪魔達は僕等のような回りくどい方法を取らずに罪人から罪を告白させる事が出来る。


 それで生まれる罪悪感と、僕等のように嘘を見抜き、追い詰めた上で本気で後悔させ、自分の意思で罪の意識を手放す誓いを立てさせる。


 多分、だがこの過程で罪人が強く罪に対する意識を持つので、それが純度に繋がるのではないかと僕は考えている。




 仮にそれが実証された所で力を持った連中は回りくどいやり方を好まないし反感を買うだけなので黙っている。




「一緒に行くだろう?」




 そうだ。食事の話だった。


 僕等は基本人間の食事をとる必要は無いのだが、食べられないという訳ではないし美味しいものは美味しいのだ。




 そんな物必要ないと一切食べない悪魔も中には居るが、ルーミィのように趣向品として中毒になっているような輩もいる。


 喫煙者がたばこを辞められないように、ルーミィにとって外食という娯楽は辞められない物なのだ。


 僕は週に一度程度のペースでそれにつき合わされている。


 こちらとしてはルーミィの奢りなので構わないのだが、その誘いをする為に社内規定を破ってまでここに来る必要があっただろうか?




 それともう一つ面倒な事があって、ルーミィはこの会社にとって社長のような立場だ。


 実際はその上にもう一人いるのだがそちらはどちらかと言えばオーナーといったところか。




 そして、やっかいな事にエネルギーの管理、分配を一人でやっている上級悪魔のルーミィ様とやらは社内人気が異常に高い。




 そのルーミィが定期的に下級悪魔を誘っては外出するというので良からぬ噂が社内に蔓延っている。




 こちらとしてはいい迷惑なのだが、ルーミィは全く気にしていない。


 むしろ、この会社を立ち上げる前からの付き合いなんだから仲が良くて当然でしょ?と周りに笑って言うので、誰も僕らの関係について深く追及してこようとはしない。


 ルーミィを敵に回したら食料の分配上困るのはそいつだからだ。




 …なので、誤解はいつまでも解けずに、妙な噂だけが流れ続ける事になってしまった。




 上級悪魔と下級悪魔が仲良いというだけでも不審だというのに。




 ただ、会社立ち上げ以前からの付き合いというのは本当だし僕にとってルーミィは命の恩人なのだから無下にもできない。




 だから、こちらから出した条件が週に一度まで、だ。




「何難しい顔してるの?早く行こうよ~♪」




 その日はルーミィの強い希望により海鮮丼を食べに行った。


 僕は焼き魚は好きだったので、きっと海鮮丼も大丈夫だろうと思っていたのだが、あのオレンジ色の小さくてキラキラしてるまるいやつ。アレはダメだ。


 初めて食べたが口の中で潰れた瞬間なんとも言えない風味の液体が口の中に広がる。


 思わず声にならない悲鳴をあげそうになった。




 ルーミィはそのオレンジの小さい目玉のような奴がかなりお気に入りだったらしく、僕の海鮮丼からそれを全部奪っていった。




 もう絶対にあの目玉は食べないからな。


 吐き気がひどい。




 おかげでルーミィに弱みを一つ握られてしまった。




 食事から帰ってきて、午後の仕事をする為に懺悔室に入って暫く経つが、未だに少し気分が悪い。




 出来れば今すぐ懺悔室から出て歯を磨きに行きたいくらいだ。


 口をゆすいだら大丈夫だろうと軽く見ていたのが間違いだった。




 早く仕事終われ。


 今日はもう誰も来るな。




 ティロリロリローンティロリロリー♪




 …僕をあざ笑うかのような陽気なメロディーが流れる。




 僕は覚悟を決めた。


 この一人、この一人終わったら今日僕はもう働かない。


 文句をいう奴がいたらルーミィのせいだと言ってやる。





「あの…お話しを、聞いてもらえるんですか?」




 おいおい。


 流石にこれは初めてのケースだ。


 少し悩む。


 この小さなお客様にお帰り頂くかどうか。




 どうやら声の感じからして小学校低学年の女子だろう。


 この年代の子にまで噂が広まっているという事はこの会社も有名になって来たなと感慨深い物もあるのだが、悪戯の類じゃないだろうなという不安もある。




「えぇ、勿論。小さなお客様。貴女は、何か罪を犯したのですか?」




「はい。とっても、とっても悪い事を沢山してます」




「そうですか。それでしたら、私共がその罪の告白を受け止めましょう。嘘偽りなく話して頂けますか?」




 この対応が正しかったのかどうかは分からないが、罪を告白しようとしているのならば大人も子供も関係ないだろうという判断でそのまま続行した。




「分かりました。私、とっても困ってるんです。とっても悪い事をしているのに、ちっとも悪いって思えなくて困ってるんです」




 ヤバい。これは多分面倒な案件だ。


 僕の経験上やっかいな匂いがぷんぷんする。




「…と、いいますと?悪い事をしているのだという自覚はあるのに、それが悪い事だと思えないという事ですか?」




「そうなんです。みんなの話を聞いてると、絶対に悪い事なんだろうなっていうのは分かるんです。だから社会的?には悪い事。だけど、なんでそれが悪い事なのか分からなくて」




 これは厄介だぞ。


 特に相手が幼女ときてる。。


 純粋過ぎて逆にどうしたら理解を促せるのか分からない。




「なるほど。でしたら、貴方が犯した悪い事、というのを教えて頂けますか?」




「あ、はい。実は私、生き物を日常的に沢山殺してるんですけど」




「ちょ、ちょっと待って下さい」




「あ、はい。待ってます」




 小学生低学年が日常的に生き物を沢山殺している?


 この少女からは嘘の香りが一切しない。


 彼女は正直に罪を告白しているという事だ。




「いえ、大丈夫です。すいませんでした…続きをどうぞ」




「はい。私は最近この近くに引っ越してきて、昔は東北の方にいたんですけど、そっちではもっともっと沢山殺してたんです。だけどこっちに引っ越してきたらこっちじゃなかなか上手くできなくて。だけどたまにはちゃんと上手く捕まえて殺す事もできたんです♪」




 この、少女は…一体何を思っているのだろう?


 何を考えて、生き物を殺す事を嬉々として語っているのだろう。




 今回は僕にもさっぱりだ。


 僕の経験上人間って奴は罪を犯せば心のどこかで無意識のうちに罪悪感を抱くものだ。


 それがこの子には全くない。




 罪悪感を抱かない人種というのは確かにごく僅かだが存在する。


 生粋のサイコキラー。


 殺しを心から楽しむために行うような、自分の悦楽の為に殺しをしている奴は稀に罪悪感という概念が欠落している。




 だけど、この壁の向こうの幼い少女が、そんな奴らと同じ人種とは到底思えなかった。




 勿論この仕事に私情は禁物だ。




 相手がどんなタイプの罪人だったとしても僕は冷静に対応しなければいけない。


 それが仕事なのだから。




「聞いている限り、貴女は自分の罪を罪とは感じていないように思うのですが」




「はい。悪い事とは思ってません。私が生きて行く為にはどうしても必要な事だと思ってますし…だけど、学校のみんなは酷いっていうんです。価値観の違い?」




 価値観の違い、だけで済ますにはちょっとズレが大きすぎる気がする。




『アリアさん、聞こえていますか?』




 マインだ。助かった。




『聞こえてる。というか助けてくれ。ちょっと僕には荷が重いぞこれは』




『アリアさんがそこまで言うって事はよっぽどですね…。少しその子についてミーシャに調べてもらいます』




『頼む。なるべく早く』




『あっ、ミーシャがアリアさんに直接言いたい事があるそうなので繋ぎます!』




 珍しい。


 確かにマインの能力なら他者同士をテレパスで接続する事も可能だが、ミーシャが直接話しかけてくる事などかなり稀だ。


 余程の事実が判明したのかもしれない。


 出来るだけミーシャとは会話したくないんだが今回は仕方ない。




『あー。あー。てすてす』




『テストはいいから早く要件を』




『まったくあーちゃんはせっかちだなー。木綿のせっかちーふなのだぜー』




 木綿のせっかちーふってなんだよ。


 これだからこいつと話すのは嫌なんだ。




『意味が分からない。それとそのあーちゃんっていうの辞めろ』




『あーちゃんがダメならありあちゃんだな』




『うるさい黙れ早く必要な情報だけよこせ』




『もめんのせっか』




『せっかちーふはいいから早く。いい加減怒るぞ?』




 壁越しに聞こえてくる罪の告白に困惑しながらもそれなりな相槌を打って先を促す。


 それと同時に脳内でミーシャとのアホな会話をしなきゃならない。




 なんだ今日は厄日か…っ?




 そうだ。そもそも今日は一日悪い事ばかりだった。


 朝から立て続けに仕事尽くめになるわ休憩の食事ではオレンジ目玉にやられるわその後にサイコ幼女でとどめに頭のおかしい同僚。




 完全に厄日だ。




『ふっふっふー。あーちゃんはせっかちだなぁ。木綿のせっかちーふなのだぜ』




『それはもういいから!ミーシャが直接出てきたって事は重要な話があるんだろう?早くしてくれ』




『あっ、そーだったそーだったごめんなんだぜあーちゃん』




『もうなんでもいいから必要な情報くれ』




『やだ♪』




 …えっ?




『やーだっ♪』




「あの、聞いてくれていますか?私、それでみんなから仲間はずれにされるようになっちゃって…これって私が悪いんですか?」




『おい!ミーシャ!』




『やっ♪』




『お、おい…頼むから真面目にやってくれ!こんな事言いたくないがお前の助けが必要なんだ』




『わお…。熱烈なプロポーズてれちゃう♪その言葉が聞きたかったのだぜっ☆』




『じゃあ…』




『…だけど、教えてやらないのだっ!』




 こいつ…狂ってやがる。




『あっははははははははは!あーちゃんが慌てふためく所が見たかったのだぜっ♪満足!っつー訳で、んじゃがんばってねん♪』




『お、おい!嘘だろ?ミーシャ?おい、マイン!あのバカはいったい何のつもりなんだ!』




『あ、えーっと、はい。なんていうかその…今回の件はミーちゃんが動くまでもないから大丈夫だって…』




『あいつがそう言ったのか?』




 …どういう事だ?




「では学校では孤立してしまっているのですか?辛い思いをしましたね」




「そうなんですよぉ…どうしたらみんなに分かってもらえるのか…」




 よく考えろ。


 あいつは馬鹿だが仕事はちゃんとやる女だ。


 という事は、僕だけで解決可能だと判断した?




 今までの情報だけでなんとかなるという事だ。




 よく考えろ。




「あの、おかしいのは私の方なんですか?」




「少し質問させて下さい。生き物を殺すと言いましたが、それは楽しくてやっているのですか?」




「えっ?殺すのは別に楽しいとは思わないです。むしろ楽しいのはそれからというか…」




 殺して、から?




「普段は、生き物の命を奪う時どのような手順で行うのです?」




「えっと、まず捕まえます。そしたら鉈とかで思いっきり首をはね飛ばして…」




「わかりました、結構です」




 やっぱりただのサイコパス幼女じゃないか!
















「本日は当社をご利用頂き真に有難うございました。またのご来店を…心より…お待ち申し上げております」




 嘘です。


 二度と来ないで下さい。






「ミーシャ!ミーシャはどこだっ!」



「ひゃぁっ!あ、アリアさん…?」




「マイン、ミーシャはどこ行った!あいつ、ぶん殴ってやる!」




 お客さんが帰って僕はすぐにチームの待機室に怒鳴り込んだ。




 のだが、そこにミーシャの姿は無かった。




「マイン、あのバカがどこ行ったか知ってるか?」




「えっと…さっきアリアさんとの話が終わった後すぐどっか行っちゃいました。今日はもうおっわりー♪とか言って」




 くっそ。


 完全に嵌められた。




 明日出社したら絶対にぶん殴ってやる!






「やあやあアリアお疲れさま~」




 バン!




 勢いよく待機室のドアが開け放たれ、ルーミィがまるでミュージカル女優のように両腕を頭上に挙げ、つま先立ちでクルクル回転しながら入ってきた。




 また面倒な奴が…。




「る、ルーミイ様っ?はわわ…お、お疲れ様ですぅ!」




「やぁマイン。お疲れさまだったね。しっかしさっきのお客さんには驚いたよ。上級悪魔が担当していたら一瞬で終わる案件だったのにアリアも運が悪かったね」




 まったくだ。




「今日は朝から最悪だったよ」


「私と二人の秘密のお出かけも最悪だったみたいな言い方をするなよ」




「あ、アリアさんとルーミィ様って、やっぱりそういう…?」




「違う。説明するのも面倒だからルーミィの事は放っておけ」




 僕とルーミィの間に挟まれてマインがあたふたしている。


 彼女は典型的なルーミィ崇拝者だから仕方がないのだが、こんな時にここにミーシャが居ればミーシャにルーミィを押し付けられるのに。


 しかし今はそのミーシャが大問題なのだ。




 完全にあの女にしてやられた。




 確かに、今回の案件は単純明快。


 あの女は僕がテンパるのがさぞかし楽しかっただろう。




 あの幼女は、罪悪感なんて全く持ち合わせていなかった。


 足りないのはコミュニケーション能力。ただその一点だ。




 ミーシャは彼女の生い立ちを調べ上げて、いち早く今回のオチを見抜き、僕をからかったのだ。




 許すまじ。




「いやぁしかしああいう手合いも居るんだねぇ。確かにあれじゃ罪悪感を感じず楽しみながらって人も居るだろうね」






「…料理」






 そう。


 あの幼女はただ単に料理が好きなだけの幼女だった。




 ただ、実家が酪農をやっていて、鶏などを絞める事が日常的だった。


 魚釣りも親とよくやっていて、釣った魚をその場で捌いて持ち帰り家で料理をする。




 それが彼女の言う、日常的に生き物を殺していた、という事になる。




 確かに嘘は言っていない。


 言ってないけどさぁ…。




 もう少し何か言い方があるんじゃないのか?


 捌くとか絞めるとかさ。


 食べるために殺してるって事に気付けたらそこから誤解がとけるのはあっという間だった。




 でも、小学生の低学年だったらクラスメイトに鶏の首を落として血抜きをして…とか言ったらサイコ認定されてもおかしくない。


 それが田舎ならともかく都会に引っ越してきてからなら誤解を受けるのも分かる気がする。


 彼女には、都会の子供達は生き物を殺すっていう事に慣れていないので恐ろしい事のように感じてしまうんです。それは教師にも手伝ってもらって説明するか、料理の話はしてもその食材達を殺したり捌いたりする話はしないようにするかどちらかしかないですね。逆に言えばそれだけきちんとやればクラスメイトへの誤解はすぐに解ける筈ですよ。とだけ伝えた。




 今回はそれ以上の事できないよ。




 それにしたって稀に見るやっかいな客だった。


 結果的に、あの幼女は生き物を食べるために殺す罪悪感ではなく、生きる為に命を頂くという感謝の気持ちで溢れていたのだ。




 流石にそんな幼女から罪の意識を抽出する事は出来なかった。


 無い袖は振れないという奴である。




 存在しない物は取り出す事が出来ない。



 完全なただ働きだ。




 ただひたすらに疲れた。






 深いため息をつき、冷静になってきた所でふと気付いた事がある。




 あのミーシャが。


 僕の事をからかう目的で情報を渡さなかったのだとしたら慌てる僕を見ずに帰るだろうか?




 絶対に無い。




「ルーミィ。ミーシャから早退申請受け取った?」




「えっ?ミーシャ帰ったの?」




 なるほど。


 そういう事なら…




「ここだぁっ!」




 ボゴォッ




 僕は待機室内のミーシャ用ロッカーに思い切り蹴りを入れた。




 だが、僕の読みは少しだけ外れていたらしい。




「ひえぇぇぇぇっ!あーちゃんこわいわー!そんな怒る事ないじゃんよ!酷いんだぜ!」




 ミーシャは、自分のロッカーではなく、その隣のマインのロッカーに潜伏していた。




 僕がミーシャのロッカーをべっこりへこませた事に驚いて飛び出してきたのだ。




「なんだ、ミーシャ君、かくれんぼしてたのかい?」




「あ、どもどもお疲れなのだぜるーみっち♪そんじゃあたしは早退って事でよろしくなのだぜー!」




「逃がすかっ!」




「おっとー、そんなあーちゃんに一つだけいい事を教えてあげるのだぜ」




 ミーシャは逃げるのを中止してクルっとこちらに向き直る。




 予想外の動きにこちらも一瞬固まってしまった。




「…なんだよ」




「あの幼女が特に好きなのはイクラなんだぜっ☆」




 それだけ言うと「あばばばあばよーっ♪」っとよく分からない言語を叫びながら走り去った。




 …僕はミーシャの言葉に何か意味があるのかと考えていて追いかけ損なってしまった。


 今から追いかけても逃げきられてしまうだろう。




「イクラ…って、なんだ?」






 ルーミィが困惑する僕に歩み寄って、耳元で疑問の答えを囁く。








 オレンジ目玉⁉





 あんな物を食べさせたルーミィと、どうでもいい情報を捨て台詞として残していったミーシャへの怒りがぶり返す。








 あと吐き気も。

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