それでも僕は『豚』でありたい。

新月 明

それでも僕は『豚』でありたい。


勝ち負けをつけるものが嫌いだった。

争いが嫌いだった、戦いが嫌いだった、優劣が嫌いだった、順位が嫌いだった、競う事が嫌いだった、高め合うのが嫌いだった。

誰もが「頑張る」ことの大半が、僕にとって敵だ。


もともと、僕に才能なんてなかったんだ。

何でもないし、何にもなれない。そんなものしか僕は持ち合わせがないんだ。

それに気づかなかった小中くらいの頃は、多分楽しかったのだと思う。

けど、大人ってのはそう簡単になれるものじゃないってことに高校で気づいた。

辛いのはそれからだ。


いつだって、得するのは才能のあるやつ。

僕みたいな凡人はどこにだっているやつ、いわゆるモブ。


僕に配られる『才能』てふだはいつだって『役なし』なんだ。


ーーー


電車の駅のホーム。

人が並ぶ中に僕は紛れるように立っていた。

前から二番目。今日は珍しく早く起きたことで結構前の方にいる。

新聞なんて読むほど私に余裕はない。

スマホを開いてニュースを読む。そんなことで時間の流れを放っておいているのだ。

前に並んでいるのは綺麗な女性。

綺麗なせいか余計に気になってしまう。

僕なんかじゃ見合わなくてならない。

眼鏡をかけて冴えない30代後半の男。黒い髪の毛を少し短めに切り、背丈は170と少し。肩幅は人並みのサラリーマン。年収は600万少々。

それに比べて彼女は見た感じ20代後半の美人。黒い髪を肩まで伸ばし背丈は160後半。多分どこかのエリートなのだろう。スーツがよく似合う人だ。

ほら、釣り合わない。

聞いた感じからも釣り合うことなんてない。

僕はそんな人間だ。彼女はそれほどの人間だ。

こんなにも才能貧富がわかるものはあるまい。


僕はいつだって『役なし』なんだ。


僕は『豚』。いつだって『役なし』。

意味もなければいる意義もない。

才能なんてない。恵まれてない。ないないだらけのこの人生だ。

なんでこんなになってしまったのだろう。

いやなってしまったではなくならざるを得なかったのかもしれない。どうしようもない。やり繰りのしようもない。

一体どんな意思がこんなものを作り出したんだろうか。

………考えてもしょうがない。

それほど僕には何も『ない』のだから。


そんな時だ。

ぐっ、

背中を押された。

それと共に僕も前に倒れそうになってしまった。

さて、思い出して欲しい。

ここは前から2番目。そこも大切だがここは駅のホーム。

前の女性に手が当たり、彼女は線路に落ちそうになりながら振り返った。

「……え、」

あぁ、声も顔も綺麗なのか。本当に俺は何もないな。

そして、ここで一度瞬きをする。

あぁ、なんで彼女はこんなに持っていて俺は何も持ってないんだろうか。

こんな人は幸せなのか。いや幸せじゃないなんてわけがない。きっと恵まれすぎて嫌気がさすくらい幸せなんだろう。

こんな人の人生が今終わろうとしてる。なんて悲しいことだろうか。

そして、目を開くと。


僕の体が彼女の体よりも前に出ていた。


僕は彼女の手を引き、彼女を駅のホームに引き戻したのだ。

反動に僕が投げ出される。

……あれ?なんでこうなってるんだ?僕はなんで彼女の手を引いてるんだ?彼女の手にそんなに触りたかったのか?

いや、違うだろう。

そうか、僕は何もないから彼女が羨ましかったんだ。だから彼女の手を引いたんだ。

「持ってる癖して直ぐ様死ぬんじゃない」

そんな考えが直感的に僕を動かしたんだ。

あぁ、そうか。

僕はここで死ぬんだな。

なんか、パッとしない人生だったな。

いや、パッとするもハッとするも何も糞もあるわけないか。少しずつ体が落ちていく。

スローモーションになっている。全ての情景が。時間が。何もかもが。

そんな時、彼女の顔を見る。驚きに溢れた顔だ。

なんだ、彼女も人なんだ。

どうか生きてて欲しいな。幸せになって欲しいな。僕なんかとは違う才能に溢れた人なのだろうから。

僕よりも素晴らしい人生を過ごせるはずだ。

僕の分まで生きてくれたらそれでいい。

僕が最後に思ったのはそんな人任せで他人行儀な自分のこと。

そして電車が迫り来て、


ガシャんっ


僕の人生はあっけなく終わりを告げた。


ーーー


気づくと白い部屋にいた。

「……ここは、どこだ?」

死んだのだろう。ここは死後の世界。

なら、地獄なのか?天国ということはないだろう。

何も世間に貢献できずに死んでいるんだ。

天国なんて裕福な場所に行けるはずもない。

白い空間。それはただひたすらに。

音もなければ声もなく、物もなければ人もいない。

僕は何もわからず前に歩いた。

そうするとデスクがうっすらと見え始める。

木でできた社長室にあったような気がするそんなデスクだ。

随分と重々しい。木でありながら鉄よりも重い重厚感がそのデスクにはある。

少し書類やペンで散らばっているようだ。

「……おや、お客さんかな」

そんな声がどこからか聞こえた。

急な声に僕は驚いたが、その直ぐ後に見えないところから羽の生えた女性が出て来たのだからさらに驚いてしまった。

「初めまして。私は神様、なんて言うけれど神は神でも『死神』なんだよね」

羽の生えた女性は自らを『死神』と名乗る。

その向けられた笑みはとても美しく、一目惚れしたような感覚が僕の感情を侵す。

色々なものに呆気にとられていると『死神』は書類に目を通し始めた。

その書類には僕の顔写真が貼られており中身までは見れなかったが人生の履歴見たいなものが書かれているのだろう。

「うんうん。君はいたって真面目に生きてきたんだね」

「……真面目に生きるしかなかったんです」

「そうかもね。だけれどそれでも真面目に生きるのは何よりも難しいんだ」

『死神』は笑みを向ける。

「正しくあることはただあり続けるだけでは駄目なんだ。目を背けずに、捻くれたって歩き続ける力が必要だからね」

「そうなんですか?」

「そう。そして君はそれを最後まで貫いた!だから私は君を評しているんだよ!素晴らしいじゃないか!」

彼女はそう言いながら微笑んだ。

とても美しく、それは『死神』なんかではなく『神』と呼ぶに相応しいほど。

「だから、私は君に続きを演じて欲しいんだ」

彼女は僕に指をさしながらそう言った。

「……続き?」

続きって、何の続きだ?


「君の人生の続きだよ」


「……え?」

僕はその言葉を聞くと固まった。

人生の続き、つまり僕は

「な、なんで」

「いや、頑張っている人なのだから少しくらい長生きしたっていいだろう?しかも君は1人救ってるんだ。自分を引き換えにね」

『死神』はそう言いながら書類に記述を始めた。

「だから、君は天国でも地獄でもなく行きだ。是非とも与えられた余生を楽しんでくれ」

彼女はそう言いながら笑みを向ける。

「い、嫌です!なら、もっと恵まれた人間に生まれ変わらせてください!」

僕は必死にそう抗議した。

だが、彼女はむっとした顔で僕を見る。

「そんな欲任せな発言、許せると思っているのかい?それが許されれば役所はないんだよ」

「ならこのまま僕を死んだことにしてください!こんな人生要りませんから!」

「なんだ、君は与えられた命を要らないと言うのか」

『死神』は不機嫌そうな顔をした。

「そ、そうです、僕の人生はどうせ『豚』なんです」

僕はそう言った。

そうすると彼女は記述していた書類を封筒に入れて机にしまった。

「わかった。なら君は残りの人生を生きるべきだ」

「……どうせ、何もありはしない人生に対して何を楽しみに生きろって言うんですか」

僕は吐き捨てるように言った。

「ありもしないじゃない。あるかもしれないと考えればいい」

そんな言い分が通用すれば僕はこうなっていないんだ。

それくらいも理解できないのか。

僕の心に苛立ちが募る。

そうすると僕の体は足の方から順に光の粒子になり始めた。

「こ、これはっ」

「安心しろ、魂が本体に戻るだけだ」

「……なんで、なんでこんな人生に戻すんですか!」

僕は叫んだ。

しかし彼女は冷たい面持ちで答える。

「こんな人生なんて言われたら君の人生が可哀想だろう」

「違う!可哀想なんかではない!」

「可哀想だ。君を生んだ両親に君はなんて謝るんだい?」

「この人生を作り出したのは君たち神じゃないですか!何故こんな不幸を僕に与える!ふざけるなっ!」

僕の言葉は怒りも混じり酷いものになっていく。

「知るか。私はそんなの知らないよ」

突き放すような言葉。さっきまでの優しそうな表情は残っていない。

「それが本性か!」

「本性も何もない。私は君を叱っているんだ」

「……恨んでやる」

僕は歯ぎしりをしながらそう言う。

「ああ。恨むなら恨んでくれても構わないさ」

だが、彼女はそう言うと、


「安心するんだ。君は遠に自分を認められるようになっているよ」


不思議と彼女は笑顔になっていた。

そして、そこで僕の魂は肉体に戻された。


ーーー


目覚めると病院のベットの上にいた。

ナースは驚きを見せながら医者を呼びに走る。

体は思うように動かない。

どうやら全身を酷く打ちつけたらしい。

だが、多分後遺症が残る感じではないだろう。

感覚はある。ならば動くということだ。

そうすると医者が病室に入って来て私を見る。

「大丈夫ですか?意識はありますか?自分の名前や生年月日を言ってみてください」

医者は心底丁寧にそんな事を口にする。

「僕は吉田よしだ祐鯛ゆうだい。1986年9月12日生まれです」

自分の名前と生年月日を口にすると医者は何回か頷き今の状況を説明してくれた。

「君は約1週間近く眠っていた。正直に電車に轢かれて後遺症もない状態で生きているなんて奇跡だ。全身を激しく打ったが、それでも1ヶ月もしない間に退院できるだろう」

「そうですか。ありがとうございます」

僕はそう言って唯一動かせる首を回して天井を見上げる。

どうやら、僕は本当に生きているらしい。

あの『死神』は本当に僕を生き返らせたのだ。

迷惑極まりない。今すぐ死んでやろうか。

……いや、せっかく貰った命なのか。

どうせ期待も未来もロクにありもしない人生だが、適当に生きるしかない。

………だが、なんのために生きようか。

どうせ才能なんて無くて意味なんて無くて、つまらない人生の延長戦。

守るべき相手もいない。

なら、何のために生きればいいのだろう。

……わからない、何もないからこそ、わからない。

いや、才能なんてないから、こんな人生を生きなくちゃいけないのか。

僕の人生はあの女性を助けた瞬間に終わってしまえばよかったんだ。

延長戦なんて、くだらない。

こんなロクでもない人生。捨ててしまおうか……。

そんな事を考えていると初めに入ってきたのは家族だった。

両親と姉。3人は心配したんだぞと涙ながらに教えてくれる。

家族を守る為に死んでもいいかもな。

「ごめん、心配かけて」

僕はそんなことを言いながら3人と話をした。

次に来てくれたのは仕事の仲のいい同僚。

「おう。災難だったな」

そう言いながら最近の世間話をした。

仕事の為に生きるのは嫌だな。社畜にはなりたくない。

……いや、才能のない人間の行き着く先はそこかもしれないな。

それもそれで有りなのかもしれない。

そして最後に来たのは女性だった。

知り合いではない。しかし見覚えのある女性。私服でありながらしっかりとした服を着ている。

「あの、こんにちは」

病室に入ってくると一礼をされる。

私はもう体を起こせるようになり、だいぶ一般の生活をできるようになった。

「こんにちは」

僕は笑みを浮かべる。

「あの、覚えていますか……?」

綺麗な人だ。でも、どこか見覚えがある。

僕の人生の中でこんな綺麗な人に会ったことがあったろうか。

記憶の中にはあの時かばった女性しか……。


「……あ、」


「事故の時はありがとうございました」


そう、そこに居たのは僕が庇った女性だった。

「私は山澄やますみ彩月さつきです。本当に何でお礼を言えばいいのか……」

山澄さんはそう言いながらすごく申し訳なさそうな顔をしている。

「え、あ、いえ。僕は出来ることをしただけなので」

僕は驚いた。

何故ならこんな綺麗な女性が僕に対して頭を下げているのだから。

どうしよう、どうしようか。

頭の中が軽くパニック状態である。

「あの、ひとまずこれ、お礼の品……、です」

「あ、ありがとう、ございます」

山澄さんから品を受け取ると山澄さんは一瞬躊躇して、ベッド横の椅子に座った。

「あ、え、えー、と」

「あの、少しお話しでもしませんか?」

え?今、彼女はなんて言った?

お話し?僕と?こんな何もなしの『役なし』とこんな綺麗な女性がお話しを?

ありえない、嘘だろ?そんなことがあってたまるか。

これは、何かの夢だ。絶対に。

「あ、あの、大丈夫です……か?」

ハッと我に戻ると綺麗な女性の顔が目に入る。

「はっ、はい!だ、だだ大丈夫です」

僕の緊張が高まっていく。

山澄さんを見ると手で顔を扇いでいた。

そんな仕草すら綺麗だと思ってしまうのが彼女の魅力なのだろう。目をそらしながら顔を赤くしている。

そこから僕らは互いの話をしたり世間話をしたりした。そして、彼女は2日に一度くらい病室に来るようになった。

彼女は思っていた通り一流企業で働いていて頭脳明晰ずのうめいせきの素晴らしい人だ。

これが、才能を持つ人なのだとわかるほどに。

来るたびに山澄さんはお詫びの品と楽しい話をしてくれる。

僕もそれに応えようと色々な話をした。

山澄さんはとても楽しそうに話をしたり聞いたりしてくれる。

僕はそれが何よりも楽しく幸せだった。

本当に夢なのかと思うくらいに僕と彼女は釣り合っていなかった。

だけれど、それが現実と理解するたびに僕は申し訳なくなってしまうのだ。

こんな僕と山澄さんは楽しそうに話してくれる。

僕が助けたというだけで。僕が悪いのだ。

それなのに彼女は嫌そうな顔1つもしない。

なぜだろうか……。


いや、強いのか。

それすら才能の差か……。

なら、僕には何が出来るだろう……。

僕にはそれすら浮かばない。

それが、悲しくて哀くて、どうしようもなく辛くて。また今日も1人で思い悩んでしまうのだ。

そうして、いつの間にかリハビリも終わり退院することになった。

「……外の空気なんて久しぶりだな」

ボソッと呟きながら自分で地面を踏みしめると、1つ深呼吸。そして伸びをした。

こんなに、日常を嬉しく思ったのはいつぶりだろうか。

そんな余韻に浸っている時、

「あ、吉田さん!」

綺麗な声が僕の耳に入った。

振り返ると山澄さんがこちらに向かってきている。

「あ、山澄さん。おかげさまで無事に退院できました」

「おめでとうございます、はぁ、はぁ」

どうやら走ってきたようで息切れをしている。しかもスーツなのを見ると、仕事帰りだろうか。

あぁ、本当に優しい人なんだな。

僕なんかの為にここまでしてくれるなんて。

だけれど、今日で苦労をかけるのもおしまいだ。

……少し寂しくなるが、これでいい。

何故なら、僕は『役無し』で彼女は『役有り』なのだから。

本当に少しの幸せでさえ、僕にとっては美しいんだ。

だから、綺麗なままで「さよなら」だ。

「それでは、ありがとうございました」

僕は一礼してその場を去ろうとした。



「……あ、あの!吉田さん!」



背中の方から、山澄さんの声がした。

僕は、止まらずにはいられなかった。

彼女の声が耳に入ってしまう。

そうすると、僕はどうしても駄目なのだ。

「……どうしましたか?忘れ物でも?」

僕はなるべく感情を顔に出さないようにそう聞いた。

しかし彼女は首を振るばかり。

「あの、あのですね、吉田さんがよければ」

そうして彼女は全力で僕に言った。


「結婚を前提に、お付き合いしてくれませんか!」


………。

……………。

……………………。

……………………………………………………………え?


今、彼女はなんて言った?

結婚を前提にお付き合い?

いやいや、ど突き合いの間違いでは?

いや結婚を前提にって言ってますけど?

もしやケッコさんと言う人でもいるのかもしれない。

………そうか、もしかしたら「ケッコを先手にど突き合いをしてくれませんか」と言ったのか?

そうだ。きっとそうだ。そうでなくてはおかしい、おかしいじゃないか。

こんな、こんな、


こんな幸せなシナリオが似合う僕じゃない。


「……こんな僕の、どこがいいんですか?」

僕は口から勝手にそんな言葉が出ていた。

「何をするにも考えすぎで、理解能力も低いし、すぐ言い訳するし、ネガティブだし、頭がいいわけでもなければ、顔がいいわけでもないわけで、性格がいいわけでもない」

それを言ううちにどんどんと言葉が溢れてくる。

「ないないだらけのこんな男の、何が、何がいいって言うんですか?」

溢れた言葉は、自分への戒めのようだった。


「でも、貴方は自分の命すら投げ出す覚悟で人を救った」


山澄さんは僕の目を見てそう言った。

「……それは勝手にやってただけで僕の意思じゃ」

「勝手ってことは、自分の考えよりも先に人を守ろうってしたってことじゃないですか」

彼女は僕の言葉を肯定しながら真意を否定する。

「吉田さんは、私を助けてくれた。命の恩人です。誰がなんと言おうと、私の恩人です」

山澄さんは僕の方へ歩いてくる。

「生きてるって聞いた時、どうしようもないくらい嬉しくて、会って話したらもっと吉田さんしか見えなくなって、なのに自分のことは全然否定的で」

近くに来ると山澄さんは僕の顔をしっかりと見つめた。

「そうですね、たしかにないないだらけですよ」

最後に山澄さんは僕に向かってこう言った。


「だって、それだけ素敵な自分を認められんですから」


少し得意げに笑う山澄さんの表情がやけに可愛らしく写って僕は我に戻る。

「………いいんですか、損しますよ」

「はい。損なんてしませんし、吉田さんにも損させません」

損するなんて、軽いものではない。

もっと大変で苦になるようなことばかりだ。

………だけれど、もし、本当なら。

「その言葉は本心……ですよね?」

僕は最後にそう聞いた。

そうすると山澄さんは不満があるように頰を少し膨らませる。

しかし、すぐに彼女は深呼吸をして、


「吉田さん。もしよければ私と結婚を前提にお付き合いしてもらえませんか?」


強くそう言い、手を出した。

「……僕なんかで、よければ」

僕はそれに応えたい。

こんな『役なし』でも、役に立てるのならば。

そんなことを思いながら、僕は彼女の手を取った。


ーーー


そして、時は過ぎて僕も40代になり彼女も30代になった頃。

「……夢みたいだよ、結婚なんて」

僕は彩月さんと結婚する。

あれから順調に2人の関係は進展し、ゴールイン。

「夢じゃ困るけどね」

あれから敬語もやめて、お互いに名前で呼び合うようになった。

「……4年間、早かったね」

彩月さんはしみじみとそんなこと呟いた。

「確かに、すごく早かったように感じる」

それは僕も思っていたことだ。

こんな幸せが僕にくるなんて、思いもしなかった。


だからこそ、今でも怖い。

もし、この幸せが嘘だったら……。

今のままであることは、僕にとっては幸せだ。

だけれど、彼女は本当にそうなのだろうか。

そうして、今。

僕はこんな曖昧な気持ちでいいのだろうか。

本当に『役なし』の僕を愛してくれているのだろうか。

「……ねぇ、本当に僕でいいの?」

僕は最後に何度も聞いた言葉を口にした。

怖かった。幻滅されるんじゃないか。

また、僕は1人になってしまうんじゃないかと。

「……はぁ、何回言えば信じてくれるの?」

だが、彼女は呆れたようにしたがはっきりとこう言った。


「好きだよ。祐鯛さんが思ってるよりもずっと」

そう答えた。

「……なんで、好きなんだ?こんな不揃いな『豚』の才能てふだしか持ってない僕の事」

僕が聞きたいのは、その先だ。

面倒なのはわかっている。だけれど、曖昧な気持ちじゃ駄目なんだ。

「……ねぇ、祐鯛さんに足りないものって何だと思う?」

彼女は優しくそう聞いた。

「……何にもないじゃないか」

「違うよ。祐鯛さんに足りないものは1つだけ。だけど、それは何よりも大切なものなの」

なんだ?頭脳か?優しさか?強い意志か?

だけれど、彼女が言ったのはどれにも当てはまらなかった。


「それは、自分を褒めること」


彼女はズバリと言う顔でそう言った。

「祐鯛さんは、自分を否定してばかり。人を守ることができるのに、そんな他の人ができないことすら認められない」

彼女は僕に近づいてくる。

「何故なら、自分を褒めれないから」

そう言うと僕の前で彼女は立ち止まった。

「よく、自分のことを『不揃い』って言うけど」

そして、彼女は少し背伸びをして僕の頭を撫でながらこう言った。


「いいじゃない。不揃いってことは『同じものがない』ってことだもの。きっと役ありのカードよりも素敵よ。その方がね」


彼女は笑っていた。

「………ありがとう」

僕はそれしか言えなかった。

だけど、それでも感謝をしきれない。

そうすると、彼女は照れながら言った。


「だから……、来世まで幸せにしてね」


「………随分と、難しいことを頼むんだね」

僕はそんなことを言った。

「また、今の優しいままの貴方で私に会いに来て」

照れ笑う彩月さんに、僕はまた恋をする。


「……ああ。来世も、また君に」


「……結構恥ずかしいね、これ」

「そうだな」

僕らはまた、今日を笑い合うんだ。

そして、僕らの時は進んでいく。


ーーー


「やぁ、久しぶり。覚えてるかな?」

白い空間に、あのデスク。

座っているのは、綺麗な女性。

「はい。お久しぶりです。『死神』さん」

「結構年取ったね」

「ええ。おかげさまで」

僕は、あの後息子を1人残して89歳で下界を去った。

彩月さんに見送ってもらって、僕はここにいる。

「どうだった?君の残りの人生は」

彼女は悪戯に笑いながら言った。

「はい。とても、とても素晴らしいものでした」

あの時、この人が僕を生き返らせていなかったら。

僕は自分の人生を恨みながら死んでいただろう。

「………本当にありがとうございました」

僕は深く一礼した。

「いえいえ。真面目に生きる人に褒美を与えるのは私たちの仕事ですから」

「そうなんですか?『死神』って」

「うーん、仕事内容は他言厳禁なんだよね」

「で、なんで僕はまたここに?」

「あぁ、それは君に来世を選ばせるためだよ」

「選ばせ……る?」

何を選ばせるんだ?


「君の来世の待遇だよ」


……ということは、僕が来世でどんな人生を歩むかということか?

「でも、生き返らせてもらう前は『贅沢言うな』みたいなこと言ってたじゃないですか」

「うん。だけれど、90年近くもその誠実さを貫き通した。しかも君は人を1人救ってる。そんな人にはこれくらいの待遇は許されるんだよ」

彼女はまた微笑む。

「私は、真面目に生きる人。誠実に生きる人が大好きだ。だからこそ、救いたい」

そう言うと彼女は書類を差し出した。

「……これに、待遇を書けばいいんですか?」

「うん。そうすれば、君はすぐさま転生できるよ」

………そうか。

僕の待遇、一体どうしようか。

僕は何になりたい?

何をしたい?何をするべきなんだ?

だけれど、あまり考える前に僕の手は勝手に書き始めていた。

「……書けました」

「うん、ありがとう。書類をこっちに頂戴」

そう言われ、僕は書類を差し出した。

中身を見ると、『死神』は大層驚いた顔をする。

「……君は、これでいいのかい?」

そして、彼女は再度僕に聞いた。


「本当に『豚』役なしになるのかい?」


「ええ。後悔はありません」


僕はきっぱりとそう答えた。

すると、彼女は感心したように何回か頷くと笑みを浮かべる。

「なんで、こうなりたいの?」

「……僕は今でも自分を認められないままでいます。自分を愛せないでいます」

僕は今あるものをすべて吐き出した。

「だって、僕は自分を認められないから。認める力が足りてないから。ですが、」

そして、僕は彼女の目を見る。


「僕自身が愛せなくても、僕自身を愛してくれる人を愛せたら、僕自身を間接的に愛してることになるんです」


「……そうか」

そういうと彼女は判子を押してその書類を封筒に入れる。

「わかった。この書類を提出しておこう。きっと君は君の望み通りに転生できるよ」

「ありがとうございます」

そうすると、彼女は念押しに言った。


「……君が言うなら、別に才能に溢れた『役あり』フルハウスで転生させることもできるけれど、本当にいいのかい?」


彼女は最後にこう聞いた。

「……僕は、昔その選択肢を出されたら、きっと『役あり』の方を選んでました」

僕は本当の意見を口にする。

「けれど、今の僕はこう答えます。『役あり』フルハウスになれるかもしれない。『天才』ロイヤルストレートフラッシュになれるかもしれない。……けれど、」



「それでも僕は『豚』でありたい……とね」



「………そうか」

彼女は納得いったように僕を見送った。

「来世も会えるといいね。山澄 彩月に」

「ええ。名前が変わっていても、姿が変わっていても見つけ出しますよ」

その時の僕の笑顔はきっと今までの笑顔よりも清々しいものだっただろう。


「だって、約束しましたから」


そうして、僕はまた旅をする。

人生という大きな海を。

そして、君にまた会いに行く。

名も知らない君を、姿知らぬ君を、

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