第20話 異世界宮廷魔法師 対 ジャパニーズサラリーマン



 はっ

 どうしたってんだろ。オレ。


 ここにいるオレってホントにオレか?

 オレなのか?


 ──なぜそうしたのかわからない。


 

 オレが本気を出せば隠れた能力が覚醒して奇跡が起こるんじゃないか、なんてアホなことを考えたのかもしれない。

 それともオレのことを誰も知らない世界でなら、どんなにカッコつけようとも笑われることなどないだろう、なんて柄にもないことを思ったのかもしれない。


 どちらにせよ、異世界という非日常な環境がそうさせたことだけはわかる。


 自分の腹に手ぇ突っ込んではらわたえぐって巻物に叩きつける──なんて常軌を逸している。

 生きていないかもしれないが、明日のオレが今のオレの行動を振り返ったら卒倒するだろう。もしくは枕に顔を埋めてもんどりうっているかもしれない。 


 おまえなに考えてんだよ──と。


 でもオレにはそうすることしかできなかった。

 無力なオレにはなにかに頼ることしか──。


 逃げ出したいという感情なんてまったくなかった。


 レイオットさんを助けたい。

 一人でも多く村の人の命を救いたい。


 恩を返さずにこの場を離れたくないという義。


 そして、


 カノさんを殺し、村の人たちを切り刻んだヤツを皆殺しにしてやりたい。

 オレのドテッ腹に穴を開けたあのいけすかない小男をぶっ殺してやりたい。

 

 ──身が震えるほどに激しく滾る憎悪の念。


 そうするためにはオレはあまりにも無力だ。

 だから未知なる力に頼るしかない。

 巻物がアタリかハズレかなんて知らない。

 とにかく今の状況をひっくり返せるような、なにかが起こればそれでいい。


 片道切符とわかっていても、それに縋ることしか今のオレにはできなかった。


 





 くっそ!

 目が霞んできやがった!


 巻物が激しく光を発し周囲を昼間のように明るく照らしているが、その光すらぼやけて見える。


 そしてなんだか心地が良くなってくる。

 まぶたもどんどん重くなる。


 ──ああ。


 もういっそのこと、このまま眠ってしまおうか。

 

 温かさすら感じる光に包まれたオレは、そのまま地に突っ伏しそうになった。


 い、いや、駄目だ!

 最後まで見届けないと!


 脱力し、意識が飛びそうになるところを、回復魔法を行使し続けてどうにか堪える。

 頑張ってまぶたを開くと、四つん這いの腹から流れ出る血が視界に入る。

 それでも回復魔術をかけ続ける。

 腹の血を見た後なら鼻血なんて可愛いもんだ。


 遅かれ早かれこの身は朽ちる。

 ならば──


 もう後のことはなにも考えていなかった。

 今の一瞬だけ、せめてこの光が収まるまでは──。

 

 限界はとうに超えている。


 それでもオレは最後の力を振り絞って両足に力を込めた。


 突然の光に怖気づいているのか、敵集団はアクションを起こそうとしない。

 どこでなにが光っているのか皆目見当がつかないのだろう。

 攻撃に移ることを躊躇しているようだ。

 オレの極大魔法とでも思っているのか。


 へっ、いい気味だぜ。


 どうにか立ち上がることができたオレは、鉄臭い口内の血を吐き出し、光の中心に目を凝らした。


 なにが起こるんだ……


 戸惑っているのは敵だけでない。実のところオレも同じだ。




 光はいよいよ勢いを増し、渦のようにうねりだした。

 まるで光でできた竜巻だ。


「封印が解かれたということは、貴方様がチコ様でいらっしゃいますね」


 すると竜巻の中心部から女性の声が聞こえてきた。


 チ、チコ……?

 オレをそう呼ぶのはあいつしか……


「二千年の時を越えてようやくお逢いすることが叶いました──」


 続けて声が聞こえてくる。

 やはり声は竜巻の中から聞こえてきた。


「──わたくしはフェルベール様の命によりチコ様にお仕えする四精霊が一人、櫻と申します」


 意識が朦朧としていることもあって、なにを言っているのか理解できなかった。

 ただ、名前だけははっきりと耳に入った。


 さ、櫻とは……なんだか日本人みたいな……

 でも、ハズレか……


 声の主はどう聞いても若い女性だ。

 この窮地を覆すような力を持っているとは到底思えない。


「さ、櫻さん、早く逃げないと、あいつらが櫻さんにまで酷いことを……」


「酷いこと? とは?」


「……ほ、ほら、早く逃げ……」


 どうやら魔導書とはいっても、巻物は俺に力を齎すものではなかったようだ。

 火属性魔法でも習得できていたら、あの男に一矢報いることができたのに──実に無念だ。

 またビー玉か。


 くそ……


 オレは期待が大きく外れたことによる反動で力が尽きてしまった。

 フェイオさんを呼ぶ気力もない。呼んだところで……間に合わないだろう。


 ここまでか……


 ふっ、と膝が折れ曲がったかと思うと前のめりに倒れ込み、全身を硬い地面に打ち付けてしまう──かと思ったが、その直前に誰かの腕によってふわりと抱きかかえられた。


「チコ様!?」


 光の中から聞こえてきた柔らかい声が、今度はすぐ耳元で聞こえる。

 オレの身体を抱きかかえてくれたのは櫻さんのようだ。


 ビー玉じゃなかったのか……


 だが、もう目を開けていることも、声を出すこともできない。

 そのため、声の主の姿を見ることも、抱き留めてくれたお礼を言うこともできなかった。


「このお姿は!? お怪我をなさっているのですか?」


 さ、櫻さん……オレのことはいいからレイオットさんと逃げてくれ……

 早く……早く……


 ダメだ……眠い……

 

 オレの意識が宙を彷徨いだすと同時。


 全身がぬるま湯につかっているかのような感覚に陥り──


「チコ様! チコ様!」


 オレの懐かしい呼び名を叫ぶ声に、次第と眠気が覚めていった。

 

 あれほど睡眠を欲していた脳が、活動を始める。

 停止する寸前だった心臓が機能を再開し、ドクン、ドクン、と力強く脈を打ち始める。

 爪の先から頭髪一本に亘るまで、全身の細胞が息を吹き返す。

 

 初めての感覚だ。

 身体が再構築されていくことがわかるような、なんとも不思議な感覚。


 オレは死を回避したのか──?


 神の息吹。


 なぜかオレはそう感じた。

 奇跡を体感したオレはそう感じざるを得なかった。


「チコ様。申し訳ございません。わたくしは桔梗と違って回復系魔法があまり得意ではありませんので、これが精一杯のようです」


 回復魔法……?

 これが?

 オレが使っていた魔術とは大違いだ。

 自分で行使していないからかもしれないが、気だるさもまったく無い。

 精一杯だなんて、まるで極上のスパを満喫した後のような気分だ。


「……あ、ありがとうござい……ます……」


 掠れた声だった。

 だが、三途の川の淵から帰還したオレは、ようやく礼を言うことができた。

 そして目の前に舟渡しがいないことを願いつつ、ゆっくりとまぶたを開く。

 眩しい光に一瞬目を細める──が、その光が巻物の放っていた光だとわかると、今度はしっかりと目を開いた。


 すると、オレを覗きこむ黒い瞳と目が合った。

 吸い込まれそうな綺麗な瞳。

 光の竜巻を背景に、女性は慈しむような表情でオレを見ていた。


「礼など必要ございません。チコ様。──お加減はいかがですか?」


 女性は黒い髪をしており日本人のように見えるが、おそらく違うのだろう。

 日本人にしては美しすぎる。


「あ、あなたは……あの……」


 目の前の光景があまりにも幻想的すぎて、オレはしどろもどろになってしまった。

 すると女性はなんとも優しい笑みを浮かべて 


「チコ様にお仕えする四精霊が一人、櫻でございます」


 ──天使の笑みとはこういうことを言うんだろう。


 その笑顔を見られただけでオレはこの世界に来た甲斐があった。

 それにオレはその人の胸に抱かれている。

 死に損なった甲斐すらもあったってもんだ。


 いつまでもこうしていたいが、そう言うわけにはいかない。

 この光の渦が止めば、あいつらがまた襲ってくるだろう。



「櫻さん。ありがとうございます。いろいろとお話をしたいところではありますが、この場所は危険です」


 オレは礼を言って立ち上がると、


「すぐにあいつらが攻撃を仕掛けてきます。オレはあいつらに捉われてる知り合いを助けるので、櫻さんは急いで逃げてください」


 簡潔に事情を説明した。


「それではチコ様のお怪我はあの者らが……」


 櫻さんの長い黒髪がぶわりと逆立つ。


「さ、櫻さん……?」


「そうですか。あの者らが」


 獰猛な顔つきに豹変した櫻さんが、なにをしようとしているのか予想が付いたオレは、


「さ、櫻さん! 相手は大人数です! そのうえ強力な魔法を使います! 勝ち目はありませんから櫻さんだけでも逃げてください!」


 巻物から出てきたとなると、なんかしらの力はあるのかもしれない。

 だが、こんな華奢な女の人があいつらと戦うなど……


 櫻さんがなぜオレの味方をしてくれるのかわからないし、か細い女性を敵の前に立たせるわけにはいかない。

 それに櫻さんは回復魔法は得意ではないとも言っていた。

 

 次に誰かが大怪我をしたら──。


 作戦などないが、光に紛れてレイオットさんを奪えばどうにか逃げ切れるかもしれない。

 魔法を打たれて怪我をするかもしれないが、オレには回復魔法がある。

 櫻さんのおかげで体調は全回復した。いや、むしろこっちに来てから一番調子がいいくらいだ。

 だから多少無理をしても大丈夫だろう。


 などと考えていると──。


 え!?


 光の竜巻がふっと消えてしまった。


 タイミングからして櫻さんが消したのだろうか。


 すると何十人もの敵の姿が篝火に浮かび上がり──


「トモキさんっ!」


 その直後、レイオットさんの叫び声が聞こえてきた。

 

 良かった。

 レイオットさんも無事のようだ。


「なんでぇすかっ! 驚かせやがってぇ、ただの虚仮脅しでぇすか! んん? 女ぁが増えていまぁすねぇ! それも極上ではないでぇすか! 男の傷が回復しているのが気になりまぁすが……まあ構いませぇん! 女は傷付けないよぉに! 男はさっさと炭にしてしまいなさぁい!」


 当たり前だが小男もそこにいた。

 小男は気味の悪いイントネーションで部下に指示を出す。


「トモキさん早く逃げてっ!」


「あのお方がチコ様のお知り合いでいらっしゃいますね? そしてあの者が敵将……」


「そ、そうですけど、それより早く逃げて! 魔法が飛んでくる!」


 光が消えてしまった今、オレは魔法の一発を食らってでもダッシュで駆けるつもりだった。

 そしてレイオットさんを奪取する、と。


 だが、小男を睨み、この場から動こうとしない櫻さんを置いて走りだすわけにはいかなかった。


「櫻さん!! 早くっ!!」


「そういえば二千年も経ったのであれば、人族の術も少しは成長しているのでしょうか」


「さ、櫻さん! なにを呑気に──」


 そう忠告した矢先、オレめがけて放たれた魔法の一端が


 くっ!

 間に合わない!


 あの小男は櫻さんには手を出すなと言っていた。

 ならばオレがこの場から離れれば──


 オレが敵の魔法を引きつけようと駆け出した次の瞬間。


「──どわっ!」


 勢いがよすぎたのか足がからまり、ゴロゴロと地面を転がってしまった。

 それも七、八メートルは転がったか。


 だが、すぐさま姿勢を起こすと、


「櫻さん! 今のうちに逃げるんだ!」


 櫻さんに向かって大声で叫ぶ。


 そして、今までオレがいた場所に一直線に向かう焔の矢が──


 さっき食らったのはあれか!


 しかし、それはオレが元いた場所まで到達することなく、半分ほどの場所で爆ぜると消えてしまった。


 な、なんだ?

 今の違和感はなんだ?


「なにをしているのでぇす! 目障りな家畜を早く処分してしまいなさぁい!」


『御意!』


 オレが気になった違和感と向き合う間もなく、魔法師たちが詠唱を開始する。

 

 櫻さんはなんで逃げないんだ! 


 いい加減もどかしく思い、櫻さんを怒鳴りつけようとしたが──


「家畜……家畜以下の分際でチコ様を家畜などと……下等生物には相応の恐怖を味あわせて差し上げるとしましょう」


 櫻さんの全身から異様なオーラが発せられていたことに、オレは口を噤んでしまった。

 只者ではないことがド素人のオレでもわかる。

 ここで初めて櫻さんの装いを見たが、それは日本で言うところの巫女のような服装をしていた。

 巫女姿でありながら、なんとも妖艶な笑みを浮かべている櫻さんのギャップにゾクリと背筋を凍らせた瞬間、


 ──オレたちを囲っていた敵の中で大爆発が起こった。


「────!」


 腹の底が震えるかのような轟音に、オレは思わずその場にしゃがみ込んで頭を押さえた。


 て、敵の魔法が暴発したのか!?


 魔法の仕組みなどわからないが、そういうこともあるとなんかのアニメで見た。

 もしかしたらタイミング良くそんなことが起こったのかと都合のいいことを考え、そーっと顔を上げてみると──


 そこには地獄が広がっていた。


 村人たちが惨殺されていた光景もオレにとっては地獄だった。

 だが、いまオレが目にしているのはそれを越える地獄、超地獄だった。


 詠唱を唱えていた魔法師を含め、敵全員が火達磨になっている。

 真っ赤な炎に全身を包まれているのだ。

 だが、身体は妬け尽きてしまうことなく、いつまでも苦しそうにもがいている。

 もがいているのだが、声を出すことができないのか、叫び声ひとつ聞こえてこない。

 静寂が広がる闇夜の中、無数の火達磨が苦痛に顔を歪めながら踊り狂っている。


 まさに焦熱地獄──。


 まさか櫻さんがこれを……?


 ハッと見ると、美しく微笑む櫻さんが敵を焦がす焔の明かりに浮かび上がっていた。 


 それを見てオレは再度身震いする。


 間違いない。これは櫻さんがやったんだ──。


 こんな恐ろしい魔法を使えることに、そしてこんな魔法が存在することに恐怖した。


 本当に櫻さんは味方なのか……?

 もし敵だったら……


「な、なんという残酷な魔法でぇすか! こ、こんな魔法! こんな魔法見たことがありませぇん!」


 静寂を小男の叫びが引き裂く。


 小男は無事なのか!


 そのことにあれだけの魔法を防ぐ防御魔法でも使ったのかと一瞬身構えるが、


「最も下等な生き物であるあなたには更なる恐怖を与えます」


 櫻さんがそう言ったことで、小男をワザと生かしておいたのかと理解し、戦慄が走った。

 

 恐怖を与える──。


 そのことに否やはない。

 カノさんや村人の無念を晴らすためには。


 だが、あれほど清楚な櫻さんがそれをしてしまうとなると……


 それにあの小男はオレがぶっ飛ばしたい。

 厄介な魔法師がいなくなり、小男が一人になったから粋がっているわけではない。

 なぜだか身体の調子がすこぶるいいのだ。


 今のオレなら小男も血祭りにあげられるかもしれない、と思えるほどに。


 だからオレは櫻さんに向かって言った。


「櫻さん。そいつはオレにやらせてもらえませんか」


 一度は死んだ身だ。

 刺し違えてもいい。

 あいつはオレがヤる。


「チコ様! 無論です! つ、つい出過ぎた真似をいたしました。どうかお許しを」


 櫻さんがばつの悪そうな顔をする。


 お許しをって。いや、めちゃめちゃ助かったんですけど。

 恐怖を与えるっていっても、たぶんこの中で一番それを与えられてるのは俺だと思うし。


「櫻さんはレイオットさんをお願いしていいですか?」


「承知いたしました。わたくしにお任せください」

 

「か、家畜ごときがなにを! 帝国宮廷魔法師ガレフ様を相手に──」


 オレは今となっては微塵も怖さを感じなくなった小男を睨み、


「うるせえぞチビ。それがどうした。オレは日本のサラリーマン、トモキ様だ」

 

 なぜだか全身から湧き上がり続ける力を制御しながら、


「──あんま日本人舐めんな?」


 一歩、また一歩と小男に近寄っていった。



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魔法適性ゼロの転移者 白火 @seeds

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