最終話 ホンノウジに散る
いつの間にか、コタツでうたた寝をしていたらしい。
目覚めると、あたしの脇に寄り添うようにノブナガが丸くなっていた。
「こんな所で寝たら風邪をひくぞ」
ノブナガは、例によってイイ声で言った。
あたしが寒くないように、くっついてくれていたんだ。このネコ。
「そんな訳があるか。わしはネコじゃ。ネコは寝たい所で寝るものだ」
「あたしの横で寝たかったんだね。と言うことは」
ノブナガは、ぷいと横を向いて尻尾をかじり始める。
「うわ、照れちゃって。可愛い」
「お主の柔らかい脇腹が、丁度良い布団代わりだと云うだけだ。勘違いするな」
「素直じゃないなぁ」
よしよし、と頭を撫でてやった。
ノブナガは鬱陶しそうに頭を振った。
「仕方あるまい。お主の身体の中では、そこが一番肉がついておるのだ。こう、ぷよぷよ、とな」
「それは、素直過ぎる」
だったら胸だって、……いや。まぁ、確かに、そんなにないけれども。
突然、どこからともなく強烈な異臭が漂ってきた。
「く、臭っさ!」
おい、ノブナガ。お前だろ。
「あんた、何、人の顔の前でオナラしてんのっ」
ノブナガは遠い目をして、部屋をみわたしていた。
哀愁を湛えて、ふっとため息をつく。
「おい、ノブナガ。しらばっくれてんじゃないよ」
「へっ?」
へっ、じゃない。確かに屁だけれども。
何でネコのオナラってこんなに臭いんだろう。
百年の恋も冷めるというものだ。
「百年の恋?」
自分で言って驚いた。
なんで。誰が恋してるというんだ、こんなやつに。
それ以前に、こいつネコだし。
確かに声は格好いいし、行動力も素敵だし。ネコにしておくのは勿体ない、でも。
「なんだ。顔が赤いぞ。風邪をひいたのではないか。だから言わぬことではない」
一体、この胸のときめきは、何だ。
そして、恐れていたその日がやって来た。
ある日、学校からの帰り道。携帯が鳴った。
母親からだった。
「大変、ノブナガが!」
あたしは、言われた動物病院へ全力で駆けた。
病院の処置台の上には、茶色のトラ猫が横たわっていた。
足がすくんで、それ以上近づけなかった。
「……どうしたの、ノブナガは?」
やっと、それだけ言った。
「あの新しい本屋さんの前で、トラックに」
目の前が暗くなった。
やっぱり、本能寺だったんだ。
「子猫を、助けようとしてたんだって。近所の人が言ってたよ」
「それ、うちの『コゴロー』なんです。申し訳ありません」
子猫を抱えた女性が頭を下げた。
ああ、誰かと思ってたんだ。その子なのか。ノブナガが助けたのは。
「いえ、だってネコですよ。そんな、他のネコを助けたりしませんよ」
母親が軽く笑う。
笑うなよ、こんな時に!
「違うよ! ノブナガは、…ノブナガは人間です!」
思わず、あたしは叫んでいた。
「ノブナガは、……人間なんです」
やっと、今頃になって涙が溢れてきた。
「ねえ、しずく。どうしたの。あんたも頭打った?」
怪訝そうな母親の横をすり抜け、処置台の前に立った。
「お前、最後まで格好良かったよ……」
恐る恐る手を伸ばし、冷たくなったノブナガの身体を抱きしめる。
冷たくなった?
いや。まだ暖かいぞ。それに、ぴくぴく動いてるし。
「にゃう」
ノブナガは一声、鳴いた。
「ああ。麻酔が切れましたね」
獣医さんが、何事も無かったように言った。
結局ノブナガは、トラックに踏まれた尻尾の骨が折れた以外は打撲で済んだらしい。
毛利さんと言う、子猫を連れた女性は何度も謝りながら、病院を出て行った。
ああ、毛利さんだからコゴローなのか。迷探偵の。
でも本来の探偵の名前は、明智小五郎。明智だ。
そして明智といえば、光秀。
やはり、織田信長は本能寺で死んだのだろう。
それ以来、ネコのノブナガは人の言葉を話さなくなった。
あの格好いい声を聞くことはもう出来ないのだ。
だけど、ふと思う。
この半月ほどの出来事は、本当にあった事なのだろうか。
みんな、あたしの頭の中の妄想だったのではないか、と。
でも、もうノブナガは答えてくれない。
思い出だけを残して、信長も去っていった。
そうして、普段の生活が戻ってきた。
☆
そのまま、一ヶ月ほど経ったある朝。
「おい、起きろ。蘭丸!」
枕元で声がした。あたしの大好きな、格好いい声が。
「あとはホージョーを倒せば、天下布武は完成だ。蘭丸よ、オダワラまで案内せい」
あたしはベッドに跳ね起きる。
なんと向こうの世界の信長は、本能寺を生き延びて、天下統一に
ノブナガは、どこか照れくさそうに、身体を舐め始めた。
おわり
ある朝うちのネコが織田信長になっていたんだけど。 杉浦ヒナタ @gallia-3
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