第125話  闇と闇と、タルの中――ザ・シークレット・ダークネス



■登場人物紹介


ナイトランナー・コパヤシ  本名:小林 走夜 (こばやし そうや)


秘密ギルド『エガリテス』に所属する凄腕の暗殺者。

高規格転生武具の『次元迷彩輪』を駆使し、任務達成率100パーセントという驚異の暗殺実績を誇るが、性格はかなりお気楽な世渡り上手。

お金だいすき、お酒だいすき、お仕事バッチリこなします――という、筋金入り(?)のプロフェッショナル。

どんな危険な状況でも、冷静かつ臨機応変に対応することで生き延びてきたサバイバー。

実力者ぞろいのエガリテスの中において、地方支部とはいえ暗殺チームのリーダーとして活躍するほどの腕前を持つ。

第1部の最終話で初登場となるが、彼には『今後の活躍』を期待したい。


ちなみに高規格転生武具は『ハイスタンダード・ハービンアームズ』のことで、戦士や騎士、魔法使いや暗殺者など、全16種の職業に対応したおすすめの転生武具として、転生九柱神が用意している転生武具のこと。戦士と暗黒騎士、騎士と聖騎士は同じなので、全部で14種類が存在。


暗殺者 → 次元迷彩輪  インビジブラス

探索者 → 魔幻糸手甲  マギアード・モイライン

弓使い → 魔矢無尽機籠 アンリマイア


※作中に登場するギルドについて補足


リベレイターズ・サーティーン 解放者を自称する13人のみの最強組織

               傘下にエガリテスとフランテルの2ギルドを持つ

               メンバーの略称は『レイター』

               標語は自由


エガリテス          戦闘系の秘密ギルド

               リベレイターズ・サーティーンの手足

               暗殺や破壊工作を専門におこなう

               メンバーの略称は『ライザー』

               標語は平等


フランテル          メンバー数が1万人超の世界規模の超巨大ギルド

               リベレイターズ・サーティーンの下部組織だが

               一般メンバーは血生臭いことは何も知らない

               メンバーの略称は『ナイザー』

               標語は友愛



***




 夕日に染まる赤い雲が空一面に薄く広がり、ゆっくりと流れていく――。



 まるで燃えるような夕焼け空が、巨大な王都の上できらめいている。しかし、空や雲をいろど赤色せきしょくは、たった一つの赤ではない。それは世界に満ちる人々と同じように、天空のいたるところで個性的な色合いを見せている。


 あちらでは明るい赤に、暗い赤――。

 向こうでは澄んだ赤に、にごった赤――。


 同じ赤でありながら、赤い天は様々な表情を見せている。



 その光景は、まさに炎。


 そして、世界を覆い尽くす血の大河のようでもあった――。




「たぶん、この辺のはずなんだが……」



 人の気配のない裏通りを歩いていた男が、不意に低い声で呟いた。


 それは短い黒髪の中年男性だった。その男は薄汚れた石の道を進みながら、黒縁くろぶちメガネのブリッジを指で押し上げ、通りの左右に目を凝らしている。


 どちらにも2階建てや3階建ての老朽化した石の家が隙間なく並んでいるが、窓は一つもいていない。夕焼けの空の下、すでに辺りは薄暗いが、ランプの灯りは一つもなく、耳を澄ましても音は聞こえず、世界は完全に静まり返っている。


「やれやれ……。王都の中にこんな場所があったのか。これじゃあまるでゴーストタウンだが、隠れ家を用意するにはたしかに最適な場所かもな――」


 男は感心半分の呆れた息を一つ漏らし、何かを探すように歩き続ける。すると不意に、男はピタリと足を止めて、一軒の家のドアを凝視した。普通の人間には見えないが、その扉の表面にからだ。



「LⅰEF・セーフハウス――。ここか」



 男は再びポツリと呟き、道の左右をゆっくり見渡す。すでに夜の気配が漂い始めた石の道に、人影は一つも見当たらない。それを確認した男は扉を開けて、家の中に足を踏み入れた。


「誰もいないのか……?」


 石の家の中は完全な暗闇に包まれていた。音もなく、光もなく、人の気配は一切ない――。その何も見えない闇の中に男は無造作に歩き出し、指を鋭く打ち鳴らす。そのとたん、室内にあったすべてのランプに火がついた。


「ほう……。意外に広いな」


 柔らかなあかりに照らされた屋内を見渡しながら、男は部屋の中央に置いてあるテーブルへと向かっていく。


 その家の中央部分は2階まで吹き抜けになっていて、スペースはかなり広い。1階の壁際にはベッドとして使えそうなソファがいくつか置いてあり、薄汚れた石の床には酒のビンが何本も転がっている。


「生活感はあるが、まだ誰も到着していないみたいだな――」



「――いえ。とっくにいますよ」



 その瞬間、男はわずかに息をのんだ。


 家の中に人の気配はなかった。それは絶対に間違いない――。それなのに、すぐ近くから誰かの声がいきなり漂ってきたからだ。だから男は反射的に振り返った。するといつの間にか、奥の壁際に4人の男たちが立っていた。いずれも全身黒ずくめの、不気味な雰囲気をまとった男たちだ。


「……おやおや。この俺に気配をつかませないヤツが4人もいたか。『エル』はどうやら、かなりの凄腕を寄こしてくれたみたいだな」


「それはそうですよ」


 男が軽く肩をすくめて言葉を漏らすと、4人のうちの一人が前に出て口を開いた。


「今回は、何と言ってもゲームマスターからのご依頼ですからね。本部からの指示で、第1支部のトップチームを連れてきました」


「そうか。遠いところご苦労だったな。俺がこのクランブリン王国を担当している転生者管理官ミドルマン、ザジ・レッドウッドだ」


「どうも、お初にお目にかかります。自分が今回のチームリーダーに任命された、ナイトランナーコパヤシと申します」


「ナイトランナー?」


 黒縁メガネの男が名乗ると、黒ずくめの男も丁寧に頭を下げて自己紹介した。するとそのとたん、中年男性は再び軽く驚いた。


「ほぉ。おまえがあの噂のナイトランナーか。これはまた、けっこうな大物が来てくれたもんだ」


「これはこれは。ゲームマスターに名前を知られているとは光栄です。……まあ、とにかくどうぞお座りください」


 ザジよりも一回りほど若いコパヤシは、感じのいい営業スマイルを浮かべながら短い茶髪ちゃぱつをかき上げた。それからテーブルに近づき、椅子に座ったザジの向かいに腰を下ろす。するとコパヤシの後ろにいた3人の男たちも周囲に散って、壁や柱に寄りかかった。


「それでは、レッドウッドさん。早速ですが、話を始めさせていただきます――」


 コパヤシは椅子の上で背すじを伸ばし、丁寧な口調で話を切り出した。


「まず最初に確認させていただきますが、自分たちはエル――つまり、『リベレイターズ・サーティーン』の下部組織、『エガリテス』という秘密ギルドのメンバーです。ですので、『レイター』の方々とは比べものにならないほど弱いですが、それでもよろしいですか?」


「ああ。おまえたちでじゅうぶんだ」


 口にした言葉とは裏腹に、コパヤシの全身は揺るぎない自信に満ちている。そのコパヤシの態度を見て、ザジは満足そうにうなずいた。


「なにしろエルのメンバーは13人しかいないからな。ヤツらが来るなんて最初から期待していない。むしろエガリテスの特殊チームが派遣されたことに驚いているぐらいだ。こっちはてっきり、『フランテル』の誰かが来ると思っていたからな」


「いえいえ。それはさすがにありません」


 コパヤシは声にみを含めながら、控え目に手を横に振った。


「たしかにフランテルもエルの下部組織ですが、あっちは表のギルドです。人数こそ1万人を超えていますが、今回みたいな裏の仕事で使えるヤツはほとんどいません。こういう仕事は自分たち、エガリテスのエージェントである『ライザー』が担当させていただきます」


「そうか。それじゃあ、まあよろしく頼む。ナイトランナーのような凄腕の暗殺者には、簡単すぎる仕事かもしれないけどな」


「簡単かどうかはわかりませんが、どうぞお任せください。我ら一同、ご期待に沿えるよう全力を尽くす所存です」


 コパヤシは軽く頭を下げて、首にはめた黒い首輪を指でつついた。同時に周囲に立つ3人の男たちも、それぞれの黒い首輪に指を当てた。


「それではレッドウッドさん。仕事内容の確認ですが、自分たちのターゲットは誰ですか?」


「ああ。それは、こいつだ――」


 ザジはシャツの中に指を入れて、ネックレスの先についていた薄い金属板プレートをつまみ出した。そしてコパヤシの方に向けると、鏡のように滑らかな金属板プレートの前の空間に、一人の少女の映像と文字情報が浮かび上がった。



「おまえたちのターゲットはこの女――だ」



 金色の髪を肩まで伸ばした少女の顔をコパヤシに見せながら、ザジは淡々とそう告げた。さらに、周囲に立つ男たちにもシャーロットの画像をゆっくり向けて、言葉を続ける。


「詳しい事情は話せないが、この女は俺たち転生者と敵対する組織の関係者だ。おまえたちにはこれから24時間態勢で、この女を監視してもらいたい」


「なるほど……。その女子の背後にいる組織を調べるのが目的ですね」


 コパヤシは呟きながら一つうなずき、さらに問う。


「それでレッドウッドさん。監視の期間はどれくらいですか?」


「1か月だ」


 ザジは金属板プレートから手を放し、指を一本立てて答えた。


「結果が出ようが出まいが、監視は1か月で終わりにする。そして同時に、この女には死んでもらう。敵は一人でも少ない方がいいからな」


「了解しました」


 淡々としたザジの説明を聞いたコパヤシは、ニヤリと笑い、うなずいた。


「それでは速やかに監視を開始致します。そして1か月後に、その女子を始末します。――契約内容はそれでよろしいですね?」


「ああ。それが俺からの依頼だ。――だが、今日になって、ちょっとばかり事情が変わってしまったんだ」


「事情が変わった?」


 不意に困惑の表情を浮かべたザジを見て、コパヤシは首をかしげた。するとザジは短い黒髪をかき上げて、渋い顔のまま続きを話す。


「実は今日の午前中、そのシャーロット・ナクタンという女が誰かに襲撃されたらしいんだ」


「襲撃? それはつまり、他の転生者がその女子を殺したってことですか?」


「いや。襲撃犯の正体は不明だ。そして、俺が知る限り転生者は一人も動いていない――」


 ザジは首を横に振り、ネックレスのプレートをシャツの中に滑り込ませた。


「おまえたちは知らないだろうが、この国では最近、貴族や王族が立て続けに暗殺されていて、その犯人はまだ捕まっていないんだ。もしかすると今回もその犯人の仕業かもしれないが、詳しい事情はまだわからない。女が確実に死んだかどうかすらも確認が取れていない。そういう状況だ」


「そうでしたか。でしたら、自分たちがすぐに確認して報告致します」


「ああ、いや。おまえたちはしばらくここで待機していてくれ」


 コパヤシが提案したとたん、ザジはコパヤシに手のひらを向けて動きを制した。


「どうせ明日になれば女の生死は確実にわかる。それで死んでいたら問題はないが、もしも生きていたら別の問題が出てくるからな」


「なるほど、そういうことですか……。もしもその女子が生きていたら、ってことですね」


「そういうことだ――」


 コパヤシの推測に、ザジは思案顔でうなずいた。


「あの女が生きていたら、暗殺者は再び命を狙うに違いない――。そんなことは当然、この国の警備軍だって予想する。そしたらあの女の警備は厳重になり、こちらも監視ができなくなる。


 まったく、面倒な事態だよ……。


 よりにもよって、俺がおまえたちを呼び寄せたタイミングで暗殺を実行するヤツがいたとはな。どこのどいつか知らないが、こちらにとってはいい迷惑だ」


「まったくです」


 コパヤシはザジに同情するような笑みを浮かべながら、うなずいた。


「ですが、そうは言っても、世の中ってのは一本道ではありませんからね。陰謀なんて世界中のあちこちで渦を巻いていますから、複数の組織が同じ獲物を狙うということも、けっこうよくある話です」


「それはまあそうなんだが、おまえたちには悪いことをしたな。昨日の今日でわざわざペトリンから駆けつけてもらったのが無駄になった。だからこれは、俺からのびだ――」


 ザジは小さな革袋を取り出して、コパヤシの前に差し出した。コパヤシが中をチラリと見てみると、星模様の金貨がギッシリと詰まっている。


「おお、スター金貨をこんなにですか……。いや、ですが、自分たちの報酬はエルほうからすでにいただいておりますので、こういうお心付けを受け取るわけにはいきませんが、ありがたく頂戴させていただきます。――マジ、あざーっすっ!」


「「「あざーっすっ!」」」


 コパヤシは遠慮すると見せかけて金貨の詰まった革袋をガッチリと握りしめ、ザジに向かって深々と頭を下げた。同時に他の3人も腰を直角に折り曲げて、感謝の声を張り上げた。


「おやおや。こいつはまた、ずいぶんと礼儀正しい暗殺部隊だな」


 明らかに心の底から喜んでいるコパヤシたちを見て、ザジは思わずクスリと笑った。そして椅子からゆっくりと立ち上がり、言葉を続ける。


「それじゃ、今後の方針は7日以内に伝えに来る。それまでは有給休暇だと思ってくれ。……まあ、ここは珍しいモノなんて何もない地味な国だから、酒でも飲んでゆっくりするといい」


「了解しました」


 コパヤシもすぐに立ち上がり、出口に向かうザジの背中についていく。するとザジは扉の手前で足を止めて振り返った。


「ああ、そうだ。念のために言っておくが、勝手な真似は控えてくれよ?」


「その点は、どうぞご安心ください――」


 柔らかなランプの灯りを背中に受けて立つコパヤシは、世間擦れしたずる賢そうな笑みを浮かべてザジに答えた。


「自分は上からの命令には絶対に忠実です。ですので、全身全霊の全力で忖度そんたくさせていただきます」


「はは。忖度そんたくときたか。さすが、任務達成率100パーセントで有名な暗殺者、ナイトランナー。頼もしい限りだな」


 ザジもコパヤシを見ながらニヤリと笑った。それからすぐに扉を開けて、すでに夜のとばりが下りた暗い道へと歩き出す。


「――どうぞ、お気をつけてお帰りください」


 コパヤシは腰を直角に折り曲げて、遠ざかるザジの背中を見送った。そして扉を静かに閉めて部屋に戻り、元の椅子に腰を下ろす。その直後、コパヤシは左右の手のひらを上に向けて仲間たちを見渡しながら、いきなり喜びの声を張り上げた。



「ィィィィイッエーイッッ! お小遣こづかぁーいっ! ゲットだぜぇーっっ!」



 コパヤシが満面の笑みを浮かべたとたん、3人の仲間たちもあふれんばかりの笑顔で手を叩きながら口笛を吹き鳴らし、踊るような足取りでテーブルを取り囲んだ。さらに、ザジからもらった革袋の中身をコパヤシがテーブルにぶちまけたとたん、4人の歓声が石の家に響き渡った。


「うっひょーっ! すっげぇーっ! ナニコレすげぇーっ! にー、ごー、なな、じゅうの……50枚!


 ウホッ! 10万ルーンっ!

 日本円だと1000万っ!


 うおーっ! マジかぁーっ! お小遣こづかいが1000万って! やっべぇーっ! ヤバすぎてウンコ出ちゃぁーうっ! ッカァーっっ! ンンン~もぉっ! ホントもぉこれだからっ! ホントもぉっ! これだからぁーっ! 偉い人からのお仕事はサイコウだぜぇーっっ! イエーイっ! 足の裏なめさせろぉーっっ! ヒャッハーっっ!」


 コパヤシは目を輝かせながら金貨を再び革袋に流し込み、自分のふところに突っ込んだ。それから抑えきれない喜びを爆発させるように椅子を吹っ飛ばしながら立ち上がり、3人の部下たちに声を飛ばす。


「ぃっよーしっ! そんじゃあみんなっ! ゲームマスター様のお言葉は聞いていたなっ! 今夜はプァーッとっ! 朝まで忖度そんたくしちゃいますかっっ!」



「「「イッエースッ! そんたくっっ! ウィーラブッ! そんたくっっ!」」」



「よっしゃぁーっ! だったらさっさとっ! 酒場にゴーゴーっっ! 暗殺者アサシンだけにぃーっ!」



「「「「アサまでシン剣っっ!」」」」



 4人の暗殺者たちは口をそろえて声を張り上げ、一斉に笑い出した。それから派手に手拍子をしながら、浮かれた調子で踊り出す。



「「「「うう~うっ! ハイッ!


 はい・はい・はい・はいっ! さけ・さけ・さけ・さけっ!


 はい・はい・はい・はいっっ! さけ・さけ・さけ・さけぇーっっ!」」」」



 不気味な黒ずくめの男たちは、家中に陽気な声を響かせながら近くにあるランプの火を吹き消して、玄関に向かって歩き出す。そして先頭の男が扉を開けると、コパヤシは柱にかかっていた最後のランプの火を吹き消そうとした。



 しかしその瞬間――。


 猛烈な夜の風が家の中に流れ込んだ。



「――なにぃっ!?」



 その突風は、漆黒の影だった――。



 何か得体の知れない黒いかたまりが風のごとく家の中に飛び込んできたとたん、コパヤシは驚きの声を上げながらとっさに後ろに跳び退いた。


 2人の部下も反射的に素早く避けたが、先頭の男だけは間に合わなかった。扉をけた男は黒い影の突撃を受けて猛烈な速度で吹っ飛んだ。そして奥の壁に激突し――血反吐ちへどを吐いて即死した。



「クッ! 敵襲だぁーっっ!」



 部屋の中央で足を止めた黒い影をにらみながら、コパヤシは全力で声を張り上げた。それは人間大の魔獣だった。影のように黒い体に黒い爪。そして、炎のように燃え上がった黒いしっぽ――。まるで闇そのものが形を成したような、死の気配を振りまく不気味な魔獣だ。



「場所が悪いっ! 全員っ! パターンAで脱出しろっっ!」



 いきなり襲いかかってきた魔獣の正体・強さ・その目的、すべてがまるでわからない。しかし、考えている暇はない――。死体になった部下を横目で見たコパヤシは一瞬でそう判断し、部下たちに指示を飛ばした。そして首に巻いた黒い首輪に指を当てながら、精神を一気に研ぎ澄ます――。



転生武具ハービンアームズ! 次元迷彩輪インビジブラス――発動っ!」



 その瞬間、コパヤシの姿が完全に消え去った。



 続けて他の2人もコパヤシと同じ転生武具ハービンアームズを発動し、一瞬で姿を消した。石の部屋を照らすランプは一つだけ――。その淡い光の中、姿があるのは謎の魔獣と、男の死体が一つのみ。


 3人の暗殺者が消えたとたん、漆黒の魔獣は両目を見開き、耳を立て、周囲を見渡しながら匂いを嗅いだ。しかし、3人の姿はどこにもない。足音もしないし匂いもない。心臓の鼓動も呼吸音も聞こえない。生命いのちの気配は欠片もない。男たちはまさに、煙のごとく消えていた。すると魔獣は黒い尾でテーブルをなぎ払い、壁にぶつけて粉砕した。


 そして次の瞬間――。


 魔獣の全身から、無数の黒いトゲが一気に突き出した。


 そのトゲは全方位に鋭く伸びて、家の外壁を瞬時に貫通――。まるでハリネズミのごとくびっしりと、石の家は黒いトゲで埋め尽くされた。そしてその直後、3か所の空間から赤い血が一斉に噴き出した。



「ごぶふ……」



 それは姿を消した男たちの血だった。その血が石の床に流れると、3人の姿が再び現れた。しかしコパヤシの部下2人は、頭部を含む全身を黒いトゲに貫かれ、声を出す間もなく絶命していた。



「な……なんなんだよ……このくそでかい……黒猫は……」



 一人生き残っていたコパヤシは、石の天井に全身を釘付けにされたまま、眼下の魔獣を憎々しげににらみつけた。その直後、魔獣の尾が長いトゲに変化して、コパヤシの額を貫いた。



 その瞬間、ナイトランナーコパヤシは白目をいて、息絶えた。



 そうして4人の暗殺者を始末した魔獣は、口の周りをペロリと舐めた。それからすべてのトゲを体に戻す。すると、空中で釘付けになっていた3人の死体は音を立てて床に落ち、ゴミのように転がった。



 石の家は再び静寂に包まれて、黒い魔獣の影だけがランプの光に揺れ動く――。



 すると不意に、魔獣の影から無数の腕が現れた。影でできたその腕は、暗殺者たちの体から黒い首輪と銀のコインを回収し、魔獣の口の中に放り込む。そして転生武具ハービンアームズとゲートコインを飲み込んだ魔獣はゆっくりと振り返り、そのまま家の外に出ていった。



 しかしすぐに、魔獣は再び家の中に戻ってきた。



 漆黒の魔獣はゆっくりと、コパヤシの死体に近づいていく。そしてコパヤシの服を爪で切り裂き、小さな革袋を引きずり出した。それはスター金貨が詰まった財布だった。その革袋を魔獣は大きな口でパクリとくわえ、再び扉の方へと歩き出す。



 そして正体不明の魔獣は今度こそ外に出て、夜の闇に消え去った――。




***




 赤い夕焼け空の下、二人の少女が石畳の道をのんびりと歩いていた。



 一人はウエスタンハットをかぶった赤毛の少女で、もう一人は好奇心旺盛な目をした金髪少女だ。二人は石の建物が並ぶ細い通りを歩きながら、ソーセージを挟んだ長細いパンを満足そうに食べている。それは通りがかりの広場で売っていた惣菜そうざいパンだ。


「ねぇねぇヒナにゃん。このパン、すごぉ~く美味しいにゃん」


「ほんとだねぇ~。まさかこぉ~んなところで本格的なホットドッグが食べられるなんて、さすがに思いもしなかったよぉ~」


 革のロングコートをまとった少女はホットドッグをパクリと頬張り、幸せそうな声を漏らした。


「う~ん。やっぱり、ララちゃんと一緒にここまで来て正解だったねぇ~。ああ、久しぶりのファーストフード――。帰りにもう一個食べようかしら」


「アタシの方こそ、ヒナにゃんについてきてもらって嬉しいにゃん。それにヒナにゃんがいなかったら、ざっと数えて20回は死んでたにゃん」


「いやいやいやいや。通りすがりの救世主としては、それくらいの大活躍は当然にゃん」


 火那ひなはララの口調をまねて、にっこりと微笑んだ。


「それより、ごめんねララちゃん。私の用事が長引いたから、こんなに遅くなっちゃって」


「大丈夫にゃん。貴族のご馳走もすんごく美味しかったから満足にゃん。ほんっと、この国は美味しいものがいっぱいあって幸せにゃ~」


 ララはホットドッグの最後の一口を飲み込んで、赤い夕焼け空に両手を向けた。


「あ~、今日も一日、生き延びたにゃ~。あとはパパにゃんに会えたらカンペキだけど、パパにゃんのお店はどこかにゃ~?」


「たしか、ハーブのお店なんでしょ? だったらアレじゃない?」


 ララが通りの左右を見渡したとたん、火那が一軒の建物を指さした。ドアの横に小さな立て看板が置いてある店だ。するとララは弾むような足取りで店に駆け寄り、看板に目を落とした。


「えっとぉ……ハーブショップ・ハーメルン! あったぁ~! ここがパパにゃんのお店に間違いないにゃん!」


「そっかそっかぁ~。が、ララちゃんのお父さんがいるお店かぁ~」


 火那もララの隣で足を止め、


「あ~、でも残念。お店、閉まってるみたいだねぇ~」


「えっ? あ、ほんとにゃん」


 不意に火那がドアの横を指さしたので、ララもつられて目を向けた。すると『CLOSE』と書かれた板が下げられている。


「だけどまあ、中にいるかもしれないから、確認してみよっか」


 火那はドアノブをつかんで回した。しかしドアには鍵がかかっていてひらかない。何度かノックして声をかけても返事はない。窓から中をのぞいてみると、店内は薄暗く、完全に静まり返っている。


「う~ん、やっぱり留守みたいだねぇ~。どうするララちゃん。このドア、かる~くぶち破って中に入る?」


「ううん。今日はもう遅いから、またあした出直すにゃん」


 こぶしを握りしめながら物騒な提案をした火那に、ララは明るい笑顔で首を小さく横に振った。


「これでもうお店の場所はわかったし、今日まで16年も会えなかったんだから、あと一日ぐらい平気だにゃん」


「そっかそっかぁ~。ほんと、ララちゃんは健気けなげだねぇ~」


 火那は嬉しそうに目を細め、ララの頭を優しくなでた。


「それじゃあ、時間ももう遅いし、どっかで美味しいものでも食べて宿に帰ろっか。ララちゃんは何がいい? お肉? お魚?」


「今日は甘いものが食べたいにゃんっ! 大きな街のお楽しみにゃん!」


 訊かれたとたん、ララは即座に声を張り上げた。


「おっ、いいねぇ~。たしかに小さい町や村だとスイーツなんか売ってないからねぇ~。ぃよしっ! それじゃあ今夜は、スイーツだけのフルコースとしゃれ込むかぁ~」


「イェ~イ! だぁ~いさんせいにゃ~!」


 火那とララは両手を上げて、元気よく叩き合わせた。それから元来た道へと振り返り、星がまたたき始めた空の下を歩き出す。そしてそのまま、屋台や露店が並ぶ南の広場に向かっていった。




 その少しあと――。




 北の方から一人の男がゆっくりと歩いてきた。


 黒縁メガネをかけた中年男性――ザジ・レッドウッドだ。ザジはハーブショップ・ハーメルンの前で足を止めて、鍵を取り出し、ドアを開けた。そして薄暗い店内に入ったとたん、長い息を吐き出した。


「やれやれ……。やることが山積みで、飯を食う暇もないとはな……。まあ、さっきのナイトランナーはけっこう使えそうなヤツだったから、転生者に敵対する組織の調査はあいつに任せるとするか」


 ザジは短い黒髪を片手でかきむしり、疲れた顔でカウンターの中に入っていく。それから棚に置いてあった革の小袋を手に取って、中身をカウンターの上に取り出した。


「ありゃ。ゲートコインはあと2枚だけか。ったく、しょうがねぇなぁ……」


 わずかに回転して倒れた白銀のコインを見て、ザジは再びうれいの息を一つ漏らした。そして渋い表情を浮かべたまま、奥の部屋へと足を向ける。



 ビン詰めのハーブが並べられている表の接客スペースに比べ、奥の部屋は3倍以上の広さがある。その暗い空間の壁には三段重ねの長い棚が置いてあり、子どもの背丈のほどの樽がギッシリと並べられている。



 その棚の間をザジはゆっくりと歩きながら、指を鋭く打ち鳴らした。すると、一定間隔で置いてあるすべてのランプに火がともり、光と影が素早く伸びる――。



 分厚い石の壁に、石の床。


 そして、柔らかな光に浮かぶ、タル、タル、タル、タル――。



 ザジは硬い足音を響かせながらまっすぐ進み、長い棚の端に置いてある一つのタルを引っ張り出した。そして、そのタルを見下ろしながら低い声を漂わせる。



「ステータス・オン――」



 そのとたん、タルの上の空間に特殊な画面が浮き上がった。


 それは普通の人間には見えない空間映像だ。ザジはその画面に指を近づけ、暗証番号を入力する。するとかすかな機械音とともにタルの電子ロックが解除された。


 ザジは指を払って空間画面を消し去り、タルのふたに手をかけてゆっくりける。そのとたん、無数のきらめきが飛び出した。



 そのタルの中には、



「……そうだな。今回はちょっと多めに出しておくか」


 ザジはタルの中に手を突っ込んでゲートコインをわしづかみにし、革袋の中に流し込む。それを2回繰り返すと、革袋は限界まで膨れ上がった。


「ま、こんなもんか」


 ザジは革袋の重さを確かめてから、タルのふたをキッチリ閉める。すると再び機械音がかすかにうなり、電子ロックが作動した。それからザジはタルを元の棚に戻し、店の方へと歩き出す。



「……この王都クランブルの人口は、およそ100万人」



 ザジは歩きながら、低い声で呟いた。それから不意に足を止め、近くのタルを片手で叩く。


「そうだな……。1人につき4枚用意するとしたら、400万枚は必要になる。しかし今の生産体制では、やはりまだまだ時間がかかるか……」


 ザジの前と後ろには、膨大な数のタルが並んでいる。そして、それらのタルは、ただひたすら無言のまま、ふたがひらかれる日を待っている。


「……ま、使う時はあっという間だ。その日まで、もう少し眠ってな」


 ランプの光と影の中、ザジは邪悪な笑みを浮かべてそう言った。それから指を鋭く鳴らし、ランプの火をかき消した。


 再び暗くなった空間をザジはゆっくりと歩き出す。そして接客スペースに戻ったザジは、小さな革袋にゲートコインを20枚ほど詰め込んで、そのまま店の外へと足を向ける。



「さてと……。それじゃ、



 星がまたたく夜空の下で、ザジは面倒くさそうに頭をかいた。



「まあ、何というか、俺たち転生者にはからな。だから、こっちの世界をいただくしかないんだよ。……そういうワケで、できるだけ楽に殺してやるから、悪く思うなよ」



 ザジは遠くの星を見上げながら低い声で呟いた。



 それから北の方へと歩き出し、闇の中に姿を消した――。






 異世界戦記・転魔撃滅ガッデムファイア

 第1部 旅立ちの前夜――魔姫覚醒篇  (了)




***




あとがき




異世界戦記・ガッデムファイア 第1部を最後までお読みいただき、まことにありがとうございました。



第1部では、ネイン・スラートとシャーロット・クランブリン、そしてジャスミン・ホワイトことアイナ・ルーランの出会い。そして、それぞれの新たなる旅立ちが描かれました。



第2部の『ミラーレイクダンジョン大攻略・至宝錬金争奪篇』では、数百名の転生者とともに巨大なダンジョンに挑むネインの姿が描かれます。しかもその攻略パーティーには、最強組織と呼ばれる『リベレイターズ・サーティーン』のメンバーや、超神武装の奪取を狙う謎の女騎士など、ひと癖もふた癖もあるキャラクターたちが参加します。



そして、そんな四面楚歌の状況で、ネインは禁断の作戦を実行します。さらに、ハイペリオン・ガンスリンガーである火那に狙撃されたシャーロットや、旅の小説家ソルティーコウダ、べリス教会が命を狙う転生者バハムート、謎のままフェードアウトしそうな転生者ラグナロクなどが、それぞれの思惑で行動を開始します。



第2部の連載が始まりましたら、第1部と同じようにご愛読いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。



それまでお待たせするお詫び代わりに、前書きで触れました高規格転生武具、ハイスタンダード・ハービンアームズの名称を記載いたします。ご興味のある方がいらっしゃいましたら、どうぞご一読ください。



■高規格転生武具 ハイスタンダード・ハービンアームズ


戦士:機動魔鎧 (きどうまがい)

   アーグメイル

   各種の魔法効果を付与できる、防具型転生武具。

   重甲冑、軽鎧、布の服など、材質や形状は希望に応じて変更可能。


騎士:元始霊剣 (げんしれいけん)

   ゼロ・アルマ

   各種の魔法効果を付与できる、武器型転生武具。

   魔剣や聖剣の基となる。

   剣、刀、短剣、槍など、材質や形状は希望に応じて変更可能。


吟遊詩人:清明波動吟羽 (せいめいはどうぎんう)

     エウテリアース


探索者:魔幻糸手甲 (まげんししゅこう)

    マギアード・モイライン


魔法使い:撃発魔法輪 (げきはつまほうりん)

     マギアバースター


治癒師:聖光灯杖 (せいこうとうじょう)

    ヘリオスライト


薬師:携帯次元庫 (けいたいじげんこ)

   ペルストル


弓使い:魔矢無人機籠 (ましむじんきろう)

    アンリマイア


暗黒騎士:機動魔鎧 (きどうまがい)

     アーグメイル


聖騎士:元始霊剣 (げんしれいけん)

    ゼロ・アルマ


開拓者:聖杯魔印 (せいはいまいん)

    アルターグレイル


暗殺者:次元迷彩輪 (じげんめいさいりん)

    インビジブラス


死霊術師:死魂縛牢魔陣 (しこんばくろうまじん)

     デストルバイン


精霊師:精霊宿輪 (せいれいしゅくりん)

    サーバングル


錬金術師:恒久支援従属魔霊 (こうきゅうしえんじゅうぞくまれい)

     タスケイド


銃使い:斬鉄自在剣 (ざんてつじざいけん)

    カスタマイザー

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異世界戦記・転魔撃滅ガッデムファイア ~ 地球から来た転生者どもはすべて倒す! 絶対神の魂を宿した最強の復讐者が、魔炎をまとって敵を討つ超必殺・撃滅譚! 松本 枝葉 @reet

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