第124話  転魔撃滅機構――エリオン・エリミネイト・コード



 小高い緑の丘のふもとに、一本の大樹が太い根を下ろしている。その木の影から一人の男が姿を現した。


 それは黒いハーフマントを羽織った短い黒髪の少年だった。少年は暖かな風が吹く青い空の下、ひと気のない広大な平野を黙々と進んでいく。


 そこは視界の端から端まで緑の芝生に覆われた大地で、滑らかな石が無数に整然と並んでいる。それらの石はすべて、誰かの名前が刻まれた墓石だった。そしていくつかの墓石の前には、色とりどりの花束や、かわいらしい人形がそなえられている。


 少年は顔から表情を消したまま、静寂に包まれた墓地をゆっくりと進んでいく。そして、はるか北にある教会へと続く石の道を横切ってから、足を止めた。そこは、少女の名前が彫られたばかりの墓石の前だった。



「メナさん……」



 少年は低い声で少女の名前を呟いた。多くの花束が供えられたその真新しい墓石には、メナ・スミンズという名前が彫られている。


 少年は芝生の大地に膝をつき、持参した小さな花束を墓前に供えた。



「……オレもいつかそっちに行きます。その時までの、お別れです」



 少年は自分の胸に手を当てて、目を閉じた。



 そして、大切な仲間であった少女のために、祈りを捧げた――。




「……さて。待たせたな」




 少年は立ち上がり、ゆっくりと振り返る。するといつの間にか、少年の背後に一人の少女が立っていた。それはソフィア・ミンス王立女学院の制服に身を包んだ、長い黒髪の少女だった。


「別れは済んだか、ネイン・スラート」


「ああ――」


 淡々とした少女の言葉に、少年はうなずきながら歩き出した。


「おまえの方も、用事とやらは済んだようだな。ジャスミン・ホワイト」


 腰に白い剣をげた少女の横を通り過ぎながら、ネインはさらに言葉を続ける。


「メナさんの葬儀は終わったが、シャーロットが顔を出さなかった。もしかすると遅れてくるかもしれないから、場所を変えよう。今のオレには、シャーロットに合わせる顔がないからな」


「いいだろう」


 ジャスミンはやはり淡々と返事をし、ネインの背中について歩き出す。


 ネインは元来た道をまっすぐ戻り、そのまま緑の丘を登り始める。そして丘の頂上で足を止めて、南に広がる王都を眺めながら口を開いた。


「さて――。それではジャスミン・ホワイト。返答を聞かせてもらおうか。おまえたちべリス教会が集めた異世界種アナザーズについての情報を、オレは受け取ることができるのか?」


「――その前に、最後の確認だ」


 ジャスミンは長い黒髪を風になびかせながらネインの隣に並び立った。そして石の都に顔を向けて、問いかける。


「両親を殺し、妹をさらった犯人を探すこと。そして、我らの世界に土足で踏み込んできた害虫どもを一人残らず倒すこと――。それがおまえの目的だと聞いている」


「そうだ。オレはそのために生きている」


「ならばなぜ、余計なことに首を突っ込む」


「余計なこと……? それはシャーロットのことか?」


 訊かれたとたん、ネインは思わず困惑顔でジャスミンを見た。しかしジャスミンは目を合わせることなくさらに言う。


「おまえは害虫どもとの戦いに備え、力のある魔女と契約した。それについては何の問題もない。しかし、シャーロットの件はどういうことだ。他人の事情に首を突っ込み、無駄な時間と労力をついやしてどうする。サイラス王の形見の品をシャーロットに渡したところで、害虫どもとの戦いには何の意味もないはずだ」


「いや、オレはそうは思わない」


 いら立ちがにじんだジャスミンの言葉を聞いたとたん、ネインは即座に言い返した。


「たしかにあのカメオをシャーロットに届けることは、異世界種アナザーズとの戦いに直接の関係はない。だが、オレがこのさき異世界種アナザーズと戦い続けていくためには、どうしても必要なことだったとオレは思っている」


「必要なことだと……? 理解できん。説明しろ」


「べつに難しい話ではない」


 冷たい声で訊き返したジャスミンから、ネインは目を逸らして小さな息を吐き出した。


「たしかにオレは異世界種アナザーズへの怒りと憎しみに突き動かされ、ヤツらを一人残らず殲滅せんめつすることだけを考えて生きてきた。……だがしかし、この5年間、暗殺者として多くの人の命を奪ってきたことで、オレの中には怒りと憎しみ以外のモノがあることに気がついたんだ」


「怒りと憎しみ以外のモノ?」


「そうだ。見ろ、ジャスミン・ホワイト――」


 ネインは右手をまっすぐ伸ばし、巨大な王都を指さした。


「この世界には多くの人たちが生きている。そして多くの人が悩み苦しみ、傷つきながら生きている。オレは今日まで多くの人たちのなげきを聞いて、その命を奪ってきた。だからわかる。この世界には、悲しみがあふれているんだ――」


 ネインはいったん口を閉じた。その黒い瞳は、はるか彼方にたたずむ石の城を見つめている。


「オレはサイラス王のなげきを聞いた。このクランブリンという国のために心を砕いて生きてきた男が、自分の娘を育てることができなかったと泣いていたんだ。謎の病気のせいで全身に走る痛みに耐えながら、娘のために彫り続けてきたカメオを握りしめて泣いていたんだ。


 その姿を見て、オレは思った。


 そのカメオをオレの手で、何があろうと、どれだけ時間がかかろうと、サイラス王の娘に渡したいと思ったんだ」


 ネインは青い空をあおぎ見た。そして、胸の中で燃え盛る熱い想いを言葉に変えた。


「その時にようやくわかったんだ。


 オレは何をしたいのか。

 何のために生きているのか――。


 オレはたしかに異世界種アナザーズを倒すために生きてきた。しかし、オレの本当の目的は異世界種アナザーズを倒すことではなかったんだ。オレの本当の目的は、オレが本当に望んでいることは――


「守る?」


「そうだ」


 話を聞きながらジャスミンは怪訝けげんそうに眉をひそめた。その隣でネインは力強くうなずいて、言葉を続ける。


「家族を奪った異世界種アナザーズに対する怒りと憎しみで、オレは戦いの道を選んだと思っていた。しかし、本当はそうじゃなかった。


 オレは、


 異世界種アナザーズはたしかに憎い。そしてそれ以上に、ヤツらの振るう暴力がもっと憎い。


 だからオレは、異世界種アナザーズを倒したいと思った。それは、この世界に生きる人たちを、ヤツらの理不尽な暴力から守りたいと思ったからだ。


 だからオレは、サイラス王のカメオをシャーロットに届けたいと思った。それは、この世界に生きる人たちの優しい心を守りたいと思ったからだ。


 だからオレは、戦っていけるんだ。この世界に生きる人たちを守りたいという思いがあるから、オレは異世界種アナザーズと戦っていけるんだ」


「なるほど……」


 ネインの話を黙って聞いていたジャスミンは、不愉快そうに顔をしかめて口を開いた。


「つまりおまえは――困っている人がいたら助けてあげたい。そういう思いがあるからこそ、害虫どもと戦っていける。だから人助けはムダではなく、むしろ自分にとっては必要なことだ――。そう言いたいわけだな?」


「そうだ」


「そうか。ようやく理解できた。――ならば、


「欠点? それはいったいどういう――って、うおおっ!?」


 唐突なジャスミンの言葉に、ネインは思わず首をかしげた。しかし次の瞬間――驚きのあまり両目を限界まで見開いた。


 なぜならば、なぜかいきなりジャスミンがしゃがみ込み、ネインの足首を両手でつかんで立ち上がったからだ。さらにそのままネインの体を2回、3回、4回、5回と全力で振り回し――青い空に向けて勢いよく放り投げた。



「――うおおおおおおおおおおおおおおーっっっ!?」



 ネインはびっくり仰天して目を丸くしながら空中高くぶっ飛んだ。


 春の陽気が漂う緑の丘の頂上で、黒いハーフマントが風を切り裂きながら宙を舞う――。


 なぜかいきなり飛翔体と化したネインは、猛烈なスピードで丘の斜面に投げ出された。さらにそのまま、はるか下のふもとまで転がり落ちて、動きを止めた。



「い……いったい何を……」



 まさに青天の霹靂へきれきが急転直下のごとく、全身に激しい衝撃を受けたネインは、芝生の上に倒れたままわずかにうめいた。


 ジャコン・イグバとの戦闘による疲労が回復していないネインの顔面は血の気がせて青くなり、体中に走る痛みで指先一つ動かせない。そんな丸太のように転がったネインの上を、黄色い蝶が踊るように飛んでいく。



「――話が長い」



 緑の丘をゆっくりと降りてきたジャスミンが、ピクリとも動けないネインの手前で足を止めて、低い声でそう呟いた。


「な……なんの……ことだ……」


 ネインは芝生の大地に横たわったまま、制服姿のジャスミンに目を向けた。するとジャスミンは、まるで虫けらを見るような目つきのまま淡々と言い放つ。



「ネイン・スラート。おまえの欠点は、ことだ」



「なん……だと……!?」



 その瞬間、ネインは愕然がくぜんとして目をいた。


 ジャスミンが口にした言葉の意味は理解できる。しかし、どうしてそんなことを言われるのかさっぱり理解できなかった。だからネインはふらつきながら体を起こし、何とか芝生の上に座り込んだ。そしてジャスミンをまっすぐ見上げて訊き返す。


「ジャスミン……? おまえはいったい何を言っているんだ……?」

「だから、話が長いと言っている」


「悪いが、意味がよくわからない。もう一度言ってくれないか?」

「だから、話が長いと言っている」


「もう一度言ってくれないか?」

「話が長い」


「もう一度言ってくれないか?」

「話が長い」


「もう一度言ってくれないか?」

「くどい。あんまりしつこいとぶっ飛ばすぞ」


「いや、もうすでにメチャクチャぶっ飛ばされているんだが……」


「だからそれは、おまえの話が長いせいだと言っているのだ」


 ジャスミンはおもむろに胸の前で腕を組み、軽くあごを上げてネインをにらんだ。


「いいか、ネイン・スラート。おまえがシャーロットにカメオを届けたのは、この世界の人々を守りたいという想いから生まれた行動だ。そしてその想いは、害虫どもを倒すための原動力になっている――。おまえの主張はそういうことだ。


 だったら、ひと言でそう言えばいいだけのことだ。


 それなのに、下らんことをいつまでもネチネチ・ネチネチとしゃべり続けて、バカかおまえは。バ・カ・か・おまえは」


「ネチネチって……」


 ほとんど吐き捨てるように言ったジャスミンを見て、ネインはポカンと口を開けた。


「……いや、ジャスミン。おまえホント、なに言ってんだ? オレはおまえに質問されたから、言葉を尽くして説明しただけだ。それのいったい何が悪い」



「すべて悪い。私は気が短いんだ」



 ジャスミンは目に力を込めて言い切った。



「いや……気が短いって、そんな堂々と言われても……」


「黙れ。気が短くて何が悪い」


「いや、それはふつう悪いことだろ……」


「またおまえは、ネチネチと何を言っている。女々しいぞ、ネイン・スラート」


「なん……だと……? このオレが……女々しい……?」


 再び吐き捨てるように言ったジャスミンの言葉を耳にして、ネインは果てしなく唖然あぜんとした。


 ソフィア寮で生活していたジャスミン・ホワイトという女生徒は、いつも上品な笑みを浮かべ、穏やかな物言いをするお嬢様だった。しかし、いま目の前にいるジャスミンは、ネインに対し、ネチネチだとか、バカだとか、女々しいとか、次から次に暴言を浴びせかけていて、まるで真逆の性格だ。そのあまりにも大きすぎるギャップのせいで、ネインは思わず頭の中が真っ白になった。


「ジャスミン、おまえ……。それが本当の性格なのか……?」


「話が長い」


「いや、今のはぜんぜん長くないだろ……」


 ネインの問いかけに、ジャスミンはあからさまにそっぽを向いて言い捨てた。そのとたん、ネインは大きな息を吐き出した。それからゆっくりと立ち上がり、ハーフマントの汚れを手で払う。


「まったく……。どうやらおまえは、ずいぶんと猛々しい性格だったみたいだな、ジャスミン・ホワイト」


「当たり前だ。私の胸の内には、燃え盛る怒りの炎が宿っている――。それはネイン・スラート。おまえになら理解できると思ったのだが、どうやら見込み違いだったようだな」


「そうか。だが、おまえが本当に見込み違いだと思っているなら、オレの前に顔を出さなかったはずだ」


「勘違いするな。ここに来たのは私の意思ではない。任務だ」


 ジャスミンは腰の白い剣をさやから少し引き抜いて、剣の根元に刻まれた円十字をネインに見せた。それはベリス教のシンボルであり、ジャスミンの身元を保証するしるしでもあった。そのしるしを見つめながら、ネインはジャスミンに問いかける。


「だったらその任務を果たせ、ジャスミン・ホワイト。ベリス教会が集めた異世界種アナザーズについての情報を、おまえはオレに渡すことを認めるのか?」



「いいや、認めない」



 ジャスミンはネインの目をまっすぐ見つめ、きっぱりと言い切った。



「ネイン・スラート。おまえは今までに遭遇そうぐうした害虫どもをすべて打ち倒してきた。その意志と戦闘力は認めよう。だがしかし、おまえは害虫の一匹に同情した。あのジャコンという泉人族エルフに対し、おまえはあわれみの気持ちをいだいた。そんな甘い感情を持つ人間に、害虫どもを一匹残らず殲滅せんめつする覚悟があるとは思えない。だから私は、おまえのことを仲間だとは認めない」



「……そうか。ならばおまえに用はない」



 ネインもジャスミンを見つめ返し、淡々と言い切った。



「おまえたちべリス教会が集めた情報はたしかに欲しい。しかしおまえがその情報を渡さないと決めたのなら、オレはその意志を尊重しよう。オレとおまえの歩く道は違っても、目指す先は同じはずだ。だから――死ぬなよ、ジャスミン・ホワイト」


 ネインはジャスミンに向かってゆっくりとあごを引いた。


 それは、別れの挨拶だった。おそらく、ジャスミンと会うことはもう二度とないだろう――。ネインはそう思いながら、長い黒髪の少女に背中を向けた。そして黒いハーフマントをひるがえし、王都に向かって歩き出す。



「……待て」



 不意にジャスミンが低い声でネインの背中を呼び止めた。



 ネインは足を止めて、ゆっくりと振り返る。



「なんだ」


「我らベリス教会が集めた情報を、おまえに渡すことを私は認めない。しかし、渡さないとは言っていない」


「やれやれ……」


 その瞬間、ネインは思わず渋い顔で肩をすくめた。


「どうやらおまえも、けっこう話が長いみたいだな、ジャスミン・ホワイト」


「黙れ」


 ジャスミンも苦々しい表情を浮かべ、淡々と言い放つ。


「私の任務は、ネイン・スラートという人間の本質を見極めること――。大賢者ユリア様は私にそう指示をくだし、。その評価基準とは、


「なに? 評価基準が男……? それはつまり、おまえの相談相手という意味か?」


「そういうことだ」


 わずかに首をかしげたネインに、ジャスミンは不満そうな顔でうなずいた。


「おまえがジャコン・イグバという害虫を倒したあと、私はその男に会いに行った。そして丸一日かけて話し合った結果――はあ……」


 話の途中でいきなり大きなため息をついたジャスミンを見て、ネインは思わずクスリと笑った。


「……なるほどな。おまえにとっては不本意ながら、その『評価基準』という男は、オレに情報を渡すことを認めたわけか」


「結論を言えばそういうことだ。そして私もその意見に同意した。ゆえに、今この瞬間から、ネイン・スラート――おまえを『』の一員として認定する」


「AEC?」


「エリオン・エリミネイト・コード――。転魔撃滅機構という組織のことだ」


 ネインが疑問に眉を寄せたとたん、ジャスミンは腰の白い剣をゆっくりと引き抜いた。そして剣先けんさきをネインの方にまっすぐ向けて、言葉を続ける。


「我らベリス教会は、異世界から侵入してきた転生者のことを『転魔エリオン』と命名した。それは『転生する魔物』という意味だ。そしてAECとは、その転魔エリオンどもを撃滅するために組織された特殊戦闘部隊のことだ」


「それはつまり、その戦闘部隊にオレも加われと言うのか?」


「おまえに拒否権はない。これはもはや決定事項だ」


 ジャスミンはネインに剣を向けながら一歩踏み込んだ。


「AECはベリス教会だけの組織ではない。害虫どもを倒す意志と力を持つ者だけで構成される、我らの世界を守るためのつるぎなのだ」


「なるほど。つまり、異世界種アナザーズの……いや、転魔エリオンの情報をもらうには、形だけでもその組織に加わる必要があるということか」


 ネインの言葉に、ジャスミンはわずかにあごを引いた。その仕草を見て、ネインも腰の短剣をゆっくり引き抜く。そして数歩前に出て、ジャスミンの白い剣に真紅のナイフを軽く当てた。


「――いいだろう。今日からオレは、おまえの仲間だ」


「勘違いするな。私はおまえを仲間だとは認めていない」


 ジャスミンは淡々とした顔でそっぽを向いて、白い剣をさやに収めた。


「だがしかし、おまえはAECに加わった。――だから行くぞ、ネイン・スラート。ゆっくりしている時間はない」


「えっ? どこに行くんだ?」


 ジャスミンがいきなり大股で歩き出したので、ネインは慌てて背中を追った。するとジャスミンは王都にまっすぐ向かいながら、声に力を込めて言い放つ。


「我らが向かうのは――だ」


「なにっ!?」


 その瞬間、ネインは両目を見開いた。


「まさか、クランブリン王国の西にあるペトリンか!?」


ほかにどこがある。あの国には今、無数の転魔エリオンどもが集まり始めている。ヤツらはどうやら『ミラーレイクダンジョン』のに取りかかるらしい」


「ミラーレイク? あの巨大な湖の底にあるという大迷宮か……」


 ネインは歩きながら呆然と呟いた。


「たしか、あそこのダンジョンには強力な魔法武器が隠されていて、まだ誰も手に入れていないという噂を聞いたことがある。転魔エリオンたちの狙いはその武器ということか?」


「それはまだわからない」


 ジャスミンは、はるか先をにらみながら口を開いた。


「しかし、私のもとに昨日届いた情報によると、害虫どもはそうだ」


「とんでもないこと?」


「そうだ。害虫どもは我らの世界の人間を殺し、その死体に自分たちの魂を入れることで転生しているのだが――」



「なっ!? なんだとっ!?」



 その瞬間、ネインは思わず驚きの声を張り上げた。



「他人の体に魂を入れるっ!? 転魔エリオンどもはそんな残虐な方法でこの世界に転生していたと言うのかっ!?」


「やはり知らなかったか。まあ、知らないのも無理はない。こちらの世界の人間が、ある日とつぜん、見た目はそのままで中身だけが入れ替わるのだ。そんなこと、だ」


「そうか……。だからヤツらは誰にも気づかれることなく、この世界に転生し続けることができたのか」


「そういうことだ。害虫どもはその転生方法を『略奪転生りゃくだつてんせい』――プランダーシステムと呼んでいる」


「略奪転生……」


 淡々と語るジャスミンの説明を聞きながら、ネインはこぶしの中に激しい怒りを握りしめた。


「つまり転魔エリオンという存在は、この世界で生まれ育った人たちの体を奪っていたわけか。何という恐ろしいことを……。ヤツらはいったいどれだけ邪悪な存在なんだ」


「だからヤツらは害虫なのだっ!」


 ジャスミンも怒りと嫌悪けんおを込めた声で吐き捨てた。


「しかもヤツらは、の開発を始めているという。その開発に必要な『何か』を手に入れるために、ミラーレイクダンジョンの大規模攻略に取りかかるそうだ」


「なるほど……。つまり、魔法武器か魔道具かわからないが、その『何か』とやらを、ヤツらよりも先に手に入れなくてはいけないということか」


 ネインは低い声で呟き、奥歯を噛みしめた。ジャスミンの声には隠しきれない焦りがにじみ出ている。それを感じ取ったネインは、事態が想像以上に切迫していることにようやく気づいた。


「それで、そのミラーレイクダンジョンの攻略はいつ始まるんだ?」


「2か月後だ」


 ジャスミンは肩で風を切って歩きながら、前へ前へと進んでいく。


「その短い期間で我らの仲間を呼び集め、害虫どもよりも先にダンジョンを攻略するのはかなり厳しい。しかし、もしもその新たな転生方法というのが、ヤツらにとってだとしたら、我らの世界にとってはになる」


「それはたしかに、一刻いっこく猶予ゆうよもない状況だな……」


「だから時間がないと言ったのだ。いいか、ネイン・スラート。我らはこれよりペトリン公国へと向かいながら策を講じる。おまえも神に選ばれし運命の神子みこであるならば、害虫どもの邪悪な企みを打ち砕くために知恵を絞れ」


「ああ、もちろんだ」


 ネインは声に力を込めた。


転魔エリオンどもがこの世界に害をなすと言うのなら、オレは全力でこの世界を守ってみせる。だから頼む、ジャスミン・ホワイト。おまえが持つ転魔エリオンどもの情報を、オレにすべて教えてくれ」


「いいだろう。だがその前に言っておく。――」


 長い黒髪の少女は歩きながら腰の剣を抜き放った。そして目の前の空間を素早く切り裂き、真の名をネインに告げる――。



「我が名はアイナ――アイナ・ルーラン。この白焉剣はくえんけんホワイトアウトとともに、転魔エリオンどもを撃滅する怒りの炎だ」



「そうか」



 ネインは隣を歩く戦士を見た。それから再び前を向き、胸に下げたガッデムファイアを握りしめる。


「――ならば行くぞ、アイナ・ルーラン。


 オレたちの炎で、この世界に流れ込んだ闇を焼き尽くす」


 ネインは青い空のはるか彼方をにらみながら宣言した。その言葉に、アイナも力強くあごを引いた。



 そして、ともに大切な人を奪われた少年と少女は肩を並べ、長い道を歩き出した。その二人の瞳には、揺るぎない決意の光が宿っていた――。




***




 夕暮れ間近の赤い空の下、ひと気のない石畳の道に小さな鈴の音が鳴り響いた。



 それは一軒の店のドアチャイムの音だった。ワインボトルをかたどった鉄の看板を、軒先のきさきかかげたワインショップだ。その店の扉が鈴の音とともに勢いよく開いたとたん、中から小柄な少女が元気いっぱいに飛び出してきた。


「それじゃあ! ちゃっちゃと配達にいってくるのだぁーっ!」


「――あ、ちょっと待ってユルメちゃん」


 えんじ色のメイド服を着た少女は、弾むような声を張り上げながら石畳の道に駆け出した。


 その直後、背の高い男が少女を追いかけるように外に出てきた。短い髪を紫色に染めた壮年の男性だ。男は口元に片手を当てて、暗くなり始めた道に声を飛ばす。すると名前を呼ばれた少女はピタリと止まり、長い桃色の髪を揺らしながら振り返った。


「ん~? どうしたカイヤ。なんか用か~?」


「なんか用か~、じゃないでしょ」


 男は思わず呆れ顔で少女に近づき、持っていたワインボトルを手渡した。


「はい、忘れ物。というか、ワインを持って行かなかったら配達にならないでしょ」


「え~、このビン重いから、うちさまあんまり持ちたくないんだけど~」


「もう、なに言ってるの。手ぶらでお出かけなんて、そんなのただのお散歩じゃない」


「ほえっ? だめなの? うちさま、おさんぽのほうが好きなんだけど?」


「あらそぉ……」


 本気でキョトンとまばたきしたユルメを見て、カイヤは思わず長い息を吐き出した。


 ユルメちゃんの頭が限りなくゆるめなのはじゅうぶんにわかっているけど、さすがにここまでゆるいと、ちょっとため息しか出てこないわねぇ……。カイヤは胸の中でそう思いながらユルメの体の向きをクルリと変えて、小さな背中をポンと押した。


「それじゃあ、配達の帰りにでもゆっくりお散歩していらっしゃい。でも、もうすぐ日が暮れるから、あんまり遅くなったらダメよ? 配達先までまっすぐ行って、まっすぐうちに戻りながらお散歩してね」


「うん! わかった! それじゃあうちさま! ちょっとまっすぐおさんぽいってくるっ!」


 ユルメはわずかに振り返り、カイヤを見上げて元気いっぱいな笑顔で返事をした。それから細い両腕でワインボトルをしっかりと抱きしめて、石の道を走り出す。


「まったく……。素直なのはいいんだけど、あれでホントに悪魔なのかしら」


 カイヤはわずかに苦笑いを浮かべながら、夕暮れの道を駆けていく少女悪魔を見送った。


 そのカイヤの視線を背中に受けながら、ユルメは小さな体を弾ませて、石畳に軽い足音を響かせていく。さらにそのまま角を曲がり、ひと気のない道を満面の笑みで突っ走る。


 しかし――薄暗い路地の前を通りかかった瞬間、その小さな足がピタリと止まった。



「…………」



 何の前触れもなくいきなり立ち止まったユルメは、小さな口をわずかに開けたまま、赤い夕焼け空を呆然と見上げている。その顔からはすべての感情が一瞬で消え去り、先ほどまでの元気いっぱいな笑みは欠片かけらもない。


 すると不意に少女悪魔は路地の方に体を向けて、ゆっくりと歩き出した。


 そこは石の建物に挟まれた細い道で、すでに夜の闇のように薄暗い。目を凝らしても、数歩先を見通すことすら難しい。しかしユルメは止まることなく、まるで機械人形のように淡々と進んでいく。そして路地の突き当りで足を止めると、壁際の木の箱にワインボトルをそっと置いた。



 その直後、



 それは影でできた風だった――。赤から紫色に変わり出した夕空ゆうぞらの下、暗い路地裏に漆黒の風が吹き抜けた。その冷たい気配をまとった黒い風はユルメを取り巻く渦と化し、えんじ色のメイド服をゆるやかに波立たせ、長い桃色の髪を天に向かって逆立たせていく。



 すると突然、闇の中で小さな光がまたたいた。



 その光のみなもとは、ユルメの耳たぶにある小さなピアスだ。ピアスにはめられたオレンジ色の宝石が、暗い路地で不気味な光を放っている。



 さらに次の瞬間、その光の中から



 それはまさに闇そのものだった――。オレンジ色の小さな宝石から流れ出した膨大な量の影は、無数の筋となって宙を走り、猛烈な勢いでユルメの全身を覆っていく。その光景はまるで闇の竜巻だ。そして、その無音の暴風が唐突に消え去った瞬間――少女悪魔は異形いぎょうの姿に変化していた。



 それは四本足の獣だった。



 漆黒の体に漆黒の爪。そして、燃えるような漆黒の尾――。小柄だった少女悪魔は、元の体より一回り以上も大きな魔獣の姿になっていた。


 その魔獣は大きな口をわずかにけて牙をき、闇の中で静かにうなる。それから素早く跳び上がり、猫のように壁を蹴って屋根へとのぼる。そしてすぐさま夜風よかぜのごとく走り出し、夕暮れに染まる石の街に消え去った――。



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