第123話  新たなる道へと向かう魔の姫と、通りすがりの救世主――ザ・ブランニュー・マギシス & ザ・ハイペリオン・ガンスリンガー その2



「えっ!? なっ!? なにこれっ!?」


「落ち着いてください、シャーロット様。それこそが、シャーロット様の実の父上であるサイラス王を暗殺するために、ナキンカルナが用意したでございます――」


 なぜか真っ赤に変色した自分の手を見て、シャーロットは思わず驚きの声を上げた。


 するとブリトラは手を伸ばし、目を丸くしているシャーロットから黒い手袋を受け取った。そして、真っ赤にれたシャーロットの両手を見つめながら、ゆっくりと語り出す。


「今朝も馬車の中で少しだけご説明しましたが、ナキンカルナと私はかつて、世界中を旅していた時期がございます。そしてその旅の途中で、とある小説家と出会いました。その小説家は、『ソルティーコウダ』という名の男です」


「その人はたしか、旅をしている作家さんでしたね」


 手袋をはめていた部分だけが赤く腫れ上がった手を、シャーロットは呆然と眺めながら呟いた。


「はい。その者は見た目にそぐわず、非常に博識な男でした。すでに二つ星の魔女になっていたナキンカルナでさえ知らない知識をいくつも持ち合わせていたのです。そして彼が語った知識の一つに、ナキンカルナは注目しました。それは『』という、についての知識です」


「つまりその、アレルギーという現象のせいで、わたしの手が赤くなったということですか?」


「さようでございます。簡単にご説明申し上げますと、ある種の人間には苦手な物質が存在します。


 たとえば、木の実が苦手な人間、小麦が苦手な人間、花粉が苦手な人間など、ある人にとっては何ともない物質であっても、ある人にとってはとても苦手な物質ということがある――。それがアレルギーの概念だそうです。


 そして、つい先ほどまでシャーロット様が使われていたこの手袋ですが、実はこれは、『蜘蛛の糸』で作られた手袋なのでございます」


「蜘蛛の糸?」


「はい。これはスパイダーシルクという大変珍しい生地を使用した、特注品の手袋です」


 ブリトラは黒い手袋を丁寧に重ね合わせ、座席の脇にそっと置いた。


「ソルティーコウダの言葉によりますと、『アレルギー反応』を引き起こす原因物質のことを『アレルゲン』と申します。そしてシャーロット様にとってのアレルゲンは『蜘蛛』だったのです。つまり、シャーロット様が蜘蛛や蜘蛛の糸に触れてしまうと、その両手のように、お体が赤く腫れ上がってしまうのです。そしてアレルゲンに触れている時間が長ければ長いほど、お体はさらに腫れていき、次第に体力が削られて病気になり、最終的には死に至ってしまうのです」


「そっかぁ……。だからわたし、蜘蛛が苦手だったんだぁ……」


 シャーロットは子どもの頃から蜘蛛が嫌いだったが、それはただの思い込みで、特別な理由はないと思っていた。しかしブリトラからアレルギーについての説明を聞いたとたん、自分が無意識のうちに『蜘蛛を危険なモノ』だと判断していたことにようやく気づいた。


「そしてシャーロット様。ここからが肝心なのですが、そのアレルギーの体質は、親から子に受け継がれることがよくあると、ソルティーコウダは言っておりました。そこでナキンカルナは、クランブリン王家の歴史を可能な限り詳細に調べあげました。そしてついにクランブリンの王族には、蜘蛛が苦手な人物が多いという情報を見つけたのです」


「えっ? それじゃあまさか、わたしのお父さん、サイラス陛下も蜘蛛が苦手だったんですか?」


「はい。そういうことでございます」


 ブリトラは脇に置いた黒い手袋を手で差した。


「今からおよそ14年前、シャーロット様がひそかに生まれたことを知ったナキンカルナは、この手袋と同じスパイダーシルクでシーツを作り、サイラス王の寝床ねどこに仕込みました。その結果、サイラス王の体調は大きく崩れました。それにより、サイラス王のアレルゲンが蜘蛛であることを確認したナキンカルナは、それから毎年少しずつサイラス王の体調を悪化させてきました。しかしその原因はただのシーツであり、魔法や呪いは一切使っていません。そのため、誰にも見破られることはありませんでした」


「だから、必殺の罠ということですか……」


「はい。そしてナキンカルナは今から5か月前の去年の12月に、サイラス王の寝室にあるすべての布製品をスパイダーシルクにすり替えました。そうすることで、すでに70歳を過ぎて体力が衰えていたサイラス王は、重いアレルギー反応を起こして体をわずらい、半年後には自然死するとナキンカルナは計算していました。それが、サイラス王暗殺計画の全貌ぜんぼうです」


「半年も苦しめる暗殺計画……。なんてひどいことを……」


 シャーロットは赤みが薄くなってきた両手を見つめながら、深い悲しみの息を漏らした。


「それからあとのことはシャーロット様もご存知のとおりです。ネイン・スラートがサイラス王に安らかな死を運び、ナキンカルナの依頼を受けたジャコン・イグバと七天抜刀隊しちてんばっとうたいが王位継承権者たちを暗殺。


 さらにジャコンたちがシャーロット様を拉致し、ネイン・スラートとジャスミン・ホワイト、そしてナキンカルナと私が彼らを撃破してシャーロット様を救出。


 それから、クランブリン王国の乗っ取りをはかったナキンカルナの計画をシャーロット様が未然に防ぎ、魔姫マギシスの力に覚醒されました」


「そうですね……。でもそれって、なんだか自分のことじゃないみたい……」


 落ち着いた声で話したブリトラから目を逸らし、シャーロットは窓の外に目を向けた。すでにコバルタス邸の庭園は遠くに消え去り、いつの間にか3階建てや4階建ての建物が並ぶきれいな大通りに入っていた。


「ほんと、なんなんだろ……。


 もしもわたしが、カルナさんと同じ苦しみを経験したら、カルナさんと同じことをするかもしれない。もしもわたしが、ジャコンさんと同じ悲しみを経験したら、ジャコンさんと同じことをするかもしれない。


 そう考えると、わたしって結局、なんなんだろ……。


 わたしは自分の意思で女王になることを決めたし、自分の意思でクレアさんを専属騎士に選んだ。そして自分の意思でネインくんの力になりたいと望んで、自分の意思でカルナさんの力を奪い取った――。


 だけどそれって、わたしじゃなくてもよかったのかもしれない……。


 だってわたしは、カルナさんやジャコンさんと同じ経験をしたら、二人と同じ道を歩むかもしれない。だったら、わたしが選んだと思っているこの運命も、わたし以外の誰が選んでもよかったような気がするんです……」


「……ご安心ください。シャーロット様は、シャーロット様でございます」


 自問自答するように呟いたシャーロットの横顔に、ブリトラが穏やかな声で話しかけた。


「たしかにシャーロット様のおっしゃるとおり、誰かと同じ経験をすれば、誰かと同じ道を歩むということはじゅうぶんに考えられます。その証拠に、一国の王の代わりになる男も、姫の代わりになる少女も、復讐の道を歩む魔女も、家族を失った哀れな狂人も、この世には大勢存在いたします。


 ですが、ナキンカルナもジャコン・イグバも、そしてサイラス王とシャーロット様も、この世にたったお一人だけです。


 そしてそれは誰であろうと同じことです。だからこそ、誰であろうと自分は自分ただ一人として、胸を張って生きていく――。それでよいのだと思います」


「自分は自分、ただ一人……」


 その言葉を、シャーロットは口の中で呟いた。それからブリトラに顔を向けて訊き返す。


「それはつまり、こういうことですか――。


 人間は、一人ひとりが特別ではない。

 なぜならば、代わりの人間は大勢いるから。


 そして人間は、一人ひとりが特別だ。

 なぜならば、同じ人間はこの世に二人といないから。


 だからどんな人間であろうと、この世に居場所は必ずある――。ブリトラさんが言いたいことは、そういうことですか?」


「はい。まさにそのとおりでございます」


 ブリトラはシャーロットに向かってうやうやしく頭を下げた。するとシャーロットは小さな息を一つ漏らし、再び窓の外に目を向けた。


「そうですか……。だったらやっぱり、自分が自分じゃないみたいです。わたしって、こんなに物分かりがいい方じゃなかったのに……」


「ご安心ください。人間には誰にでも、大きく羽ばたく時というものがございます。そしてシャーロット様は今まさに、その翼を大きく広げたばかりなのです――。秘められていた力に覚醒して戸惑うのも無理はございませんが、今の状態こそ、本来のシャーロット様でございます。ですので、恐れることは何もございません」


 黒い髪を長めに伸ばした執事悪魔は、『新たに生まれたブランニュー魔の姫マギシス』に落ち着いた声でそう言った。そしてすぐに何気ない口調で話を変えた。


「――それではシャーロット様。本日のご予定ですが、メナ・スミンズ様のご葬儀のあとはいかがされますか? スミンズ家のほか、ゲルテス家とタフト家からも会食のお誘いをいただいておりますが、すべてお断りした方がよろしいでしょうか?」


「そうですね……。すいませんけど、そうしてもらえると助かります。メナちゃんの葬儀が終わったらネインくんは村に戻るって言ってたので、見送りに行かせてください。わたし、ネインくんにはもう一度、きちんとお礼が言いたいんです――って、あれ?」


 窓の外を眺めながら返事をしたシャーロットは、不意に小首をかしげてパチクリとまばたいた。


「シャーロット様? どうかされましたか?」


「ああ、いえ。べつに大したことではないんですが、なんかあそこに――」


 ブリトラに訊かれたシャーロットは、窓の外を指さしながら不思議そうな声を漏らした。しかしその瞬間――シャーロットの声はでかき消された。




 それはだった。




 まさに何の前触れもなく、馬車の外から。それは馬車の窓を瞬時に砕き、扉と屋根を貫通し、シャーロットとブリトラに容赦なく襲いかかった。



「――シャーロット様っっ!」



 ブリトラは反射的にシャーロットに抱きついた。百戦錬磨の悪魔であっても、いったい何が起きたのか瞬時にはわからなかった。しかしそれでも、その正体不明の何かからシャーロットを守るため、ブリトラはとっさに自分の体を盾にした。



 しかし、時すでに遅し――。



 破壊の牙は一瞬で通り過ぎ、その役目を終えていた。



「――こふっ」



 青い空に乾いた音が響き渡り、白い鳥の群れが一斉に飛び去っていく――。その鳥たちが馬車の横を通り過ぎると同時に、シャーロットの口から赤い血が流れ出した。



「シャーロット様っ! シャーロット様っっ!」



 異常に気づいた御者ぎょしゃが馬車を素早く止めたとたん、ブリトラはシャーロットの名を呼びながら視線を下げた。その瞬間、ブリトラは両目を見開いて絶句した。



 シャーロットの黒いドレスの胸元に、小さな穴がいていたからだ。そしてその穴からは、赤い命が噴き出していた――。




***




「――はーいっ! 全弾命中! 手ごたえバッチリっ!」



 白い鳥の群れが飛び去っていく青い空の下、4階建ての建物の屋上に立つ少女が満足そうな笑みを浮かべた。それは革の帽子をかぶった赤毛の少女、佐藤火那さとうひなだ。


 火那ひなは右手に握るリボルバー銃の弾倉シリンダーを慣れた手つきで横に振り出し、空薬莢からやっきょうを床に落とす。そして弾丸を2発ずつ指でつまんで装填してから、腰のホルスターに銃を戻す。


 その流れるような動作の間、火那の目は眼下の大通りに向けられていた。広い石畳の道には一台の白い馬車が斜めに止まり、その周囲を青い礼服に身を包んだ騎士たちが壁のように取り囲んでいる。


「いやいや、ごめんねぇ~。なんにも知らないお姫様には悪いけど、これもまた運命だから」


 火那は白い馬車を見下ろしながら、軽く肩をすくめて呟いた。それから床に落としていたロングコートを拾い上げ、颯爽さっそうと身にまとう。


「ま、アレだね。出る杭はってところかな。……あは。なんか今、ちょっと上手いこと言っちゃったかも」


 火那は一人でクスリと笑い、ゆっくりと歩き出す。そして建物の外階段を静かに降りて、裏通りで待っていた金髪少女に声をかける。


「はぁ~い、お待たせ、ララちゃん」


「おっかえり~。待ってたにゃん」


 大きな木箱に座って空をぼーっと眺めていたララは、踊るような動きで立ち上がり、火那のそばに駆けつけた。


「そんでヒナにゃん。救世主のお仕事はもう終わったにゃん?」


「うん。もーバッチリ。カンペキにゃん」


 火那は満面の笑みで指を二本立てて答えた。


「やっぱねぇ~、通りすがりの救世主としては、を見過ごすわけにはいかないからねぇ~」


「そっかぁ~。そんじゃあ再び、貴族のお屋敷にレッツゴーにゃん!」


 ララは元気いっぱいに声を張り上げ、弾むような足取りで歩き出す。しかしすぐに小首をかしげ、隣を歩く火那に訊いた。


「――あ、そういえばヒナにゃん」


「ん~? なになに~?」


「聞いてなかったけど、今から会いに行く貴族って、どんな貴族にゃん?」


「さあねぇ~。イルクーラの忍者さんからは、コバルタス家のクレアって聞いてるけど、会ったことがないからわかんないなぁ~。まあ、噂では、ちょっと面白そうな人だけどね~」


「ふ~ん、そっかぁ~。イヤな人じゃなかったらいいけどにゃ~」


「それは大丈夫でしょ。向こうは仮にも騎士団の団長さんらしいから、礼儀はわきまえているはずだし。それにどうせ、こっちの相手をしている暇なんかないんじゃないかなぁ~」


「へっ? そうなの?」


「うんうん、そうそう」


 思わずパチクリとまばたきしたララに、火那は茶目っ気たっぷりにウインクした。


「ま、こっちは待たされている間に、勝手に魔天武具アルキースを探すからいいけどねぇ~。むしろそれが狙いだしぃ~、って感じかなぁ~」


 火那は青い空に目を向けて楽しそうに微笑んだ。そしてララと二人でのんびりと、コバルタス邸に向かっていった。




***




 小高い緑の丘のふもとに、大きな木が一本立っている。


 青々とした葉を持つ太い枝が、横に広く張り出した立派な大樹だ。その無数の枝の上では、丘のはるか南にある王都から飛んできた白い鳥たちが列をなし、声をひそめて羽を休めている。


 明るくきらめくの光。

 大地をいろどる短い黒影。

 

 穏やかに吹く春の風。

 漂い流れる白い雲――。



 青く輝く空の下、世界は静寂に包まれていた。



 そして――。



 丘のふもとに広がる平地には、あちらこちらに大勢の人たちが立っていた。大人も子どもも、誰もが黒い服に身を包み、芝生の上に整然と並ぶ滑らかな石を囲んでいる。



 あちらでは二人の大人が、誰かの名前が刻まれた石の前でうな垂れている。

 あちらでは大勢の人々が、誰かの名前が刻まれた石を囲み、静かに祈りを捧げている。


 あちらでは男たちが歯を食いしばり、女たちは目に布を当てて泣いている。

 あちらでは修道女シスターたちが肩を落とし、手向たむけの花を持つ少女たちは肩を震わせて泣いている。



 そこは、王都クランブルの北にある墓地だった。



 その嘆きの涙がこぼれる大地に、教会の鐘の音が小さく響いた。すると人々は、顔に悲しみを刻んだままゆっくりと歩き出す。男も女も、老人も子どもたちも、肩を寄せ合い、うつむきながら、南にある石の街へと向かっていく。その長い人の列を、一人の男が大樹の下から眺めていた。



「……葬儀が終わったか」



 低い声でそう呟いたのは、黒いハーフマントを羽織った少年だった。



 大樹の下に佇む少年は、肩を落として去っていく人々の背中をただ黙って見送った。そして誰もいなくなったあと、少年はゆっくりと歩き出し、少女の名前が刻まれた墓石の前で足を止めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る