演目 銀行にて

「なんということだ」

頭髪がもじゃもじゃしている長身のコンビニバイト、久久保保(ひさくぼたもつ)は驚愕した。驚きの表情を浮かべながら見つめるその先には長年にわたり使っていたであろう、ボロボロになったマジックテープ式の財布があった。

「俺は役者だ。演技ができればあとは何もいらないくらいの演技バカだ…とはいえ、アラサー男子の所持金が」

頭髪がもじゃもじゃしている長身のアラサーコンビニバイト役者、久久保保は、財布の中から一枚の硬貨を取り出し、指で弾いた。軽い音が響く。

「5円とは何事だあっ!」

指で弾き上げた5円硬貨を華麗にキャッチしながら、己の貧乏を嘆く男、それが、久久保保その人であった。

「大丈夫かい久久保くん。給料日までまだ2週間もあるけど」

バックヤードで書類の整理をしていたコンビニ店長、佐藤が声ををかけてくる。

「もしや店長、このタイミングで声をかけてくるということは」

「いや、貸さないよ?」

「あ、はい」

一瞬の期待に一瞬目を輝かせた久久保保は店長佐藤の即断即決の否定により一瞬でしょげてしまった。

「いくらかの貯金というか、蓄えはないのかい?」

「蓄えですか、口座にいくらかはあったような」

「なんとかそれで凌いでくれ。うちもなかなか売り上げが上がらずカツカツなんだ」

「何故ですかねえ。立地条件は良いと思いますが」

「僕にはわかるよ久久保君」

「本当ですか。その理由とはいったい?」

「久久保くん、君が劇の練習と称して暴れるからなかなかリピーターが付かないんだよ」

「なんだと…」

よもや自分のせいでこの店への来客が少ないとは晴天の霹靂。久久保保は大きなショックを受けた。

「まだまだ…自分の演技力が低いせいで…人を惹きつける力が無いということですね…」

普通に接客をしてくれればいいだけなんだけどな、という言葉を店長佐藤は飲み込んだ。金を貸すことはないが、彼は久久保保のよき理解者でもあり、久久保保が大舞台に立つその日をひそかに待ち望んでいるファンでもあったのだ。

「しかし、演技力が低くても背に腹は代えられぬのが人間の悲しき性。お金がなければごはんを買うことも出来やしません。店長、申し訳ないのですが明日のシフト、午前中お休みをいただいてもよろしいでしょうか?」

「午前休かい?かまわないが一体?もしかして久久保くん、お金がないからと言って銀行強盗を企んでいるとか、そういうことはないね?」

久久保保のよき理解者でありファンであり彼が大舞台に立つことを応援してはいたが、それはさておいてもこいつはともすれば常人では考えられぬとんでもないことをやらかしてしまうかもしれない男だ。店長佐藤の久久保保評はこんな感じである。

「イグザクトリー確かにお休みをいただいた午前中に銀行に行こうと考えていたのは事実です。しかし、ぼくは単に自分の口座からATM手数料をかけることなく預金を引き出したいだけです。ご安心ください」

「そうかい、それならいいんだ。じゃあ、明日は午後から出勤するってことでいいね?」

「急な話で申し訳ありません。手続きが早く終わればその分繰り上げて出勤しますので、よろしくお願いします」

「まああせらなくてもいいさ。明日は田中くんも来るからね」

「では、ぼくはこれにて。お先に失礼します」

「はい、ご苦労さん」

久久保保が勤務時間を終えて帰宅した。その姿を見届けた店長佐藤は自身の財布を確認した。

「1万もあれば当面は凌げるかねえ」

店長佐藤の男気がそこにあった。

※※※

あくる日。とある銀行の某支店に向かって脱兎のごとく駆け抜ける一人の長身もじゃもじゃ男の姿があった。

「くそう迂闊だった…。開店と同時に乗り込む算段だったのに外郎売を100通りのキャラクターで演じる練習に熱が入ってしまい就寝時間が午前4時、起床時間が午前10時とは」

日常のいかなる時も演技にすべてを捧げるが故の失態であった。

長身である久久保保は足も長い。ロングストライド走法でもじゃもじゃの頭髪を靡かせて疾走するその様はさながら都市伝説上の怪異めいた存在であった。

「ようし着いたぞ」

目的のとある銀行某支店へ到着。息を整え身だしなみを整えキメ顔を作る。役者たるもの舞台への入りが肝要、久久保保の譲れない個人的流儀である。

堂々とした歩みで店内へエントリーする久久保保。テーブルにて預金引き出しの伝票を記入する。

「久久保保…と」

名前を記入した久久保保であったが、彼の名前を漢字で書くと四文字ではあるものの実質二種類の漢字である。そのため久久保保は久と久、保と保それぞれの留め跳ね払いを異なるデザインにし、あたかも四種類の漢字を使っているかのように見せかけるという、これまた譲れない個人的流儀があった。

「よし、これを受付に出してと」

久久保保が受付に向かって歩み始めたまさにその瞬間。平日午前の銀行の喧噪をかき消すような怒号が響いた。

「おらぁ!強盗だ!お前ら全員動くな!」

「なに!?」

カウンター近くに居たサングラスとマスクで顔を隠した男が若い女性を人質に取り、銀行強盗宣言をしたのである。その手にはサバイバルナイフが握られており、切っ先は女性の首筋にあてがわれていた。

「ひっ」

あまりに唐突な出来事に一瞬の沈黙、その後に店内に悲鳴が響き渡った。

「騒ぐんじゃねえ!この女がどうなってもいいのか!全員両手を上に挙げてひざまづけ!」

「命乞いをしろ!」

「なんだてめえは!聞こえねえのか!」

「あ、いや失礼」

某国民的アニメーション映画の刷り込みにより、つい某有名キャラの某有名セリフを続けて言ってしまったのが久久保保である。

「た、助けて…」

人質の女性は恐怖に顔を歪ませ震えている。

「待て!落ち着け!金は用意する!だからその女性を離すんだ!」

カウンターの奥から支店長と思わしき男性が犯人に呼びかける。程よいバリトンボイスが響き渡る。

「うるせえぞ!いいから早く金を用意しろ!」

「金は今用意している!だからその女性を解放してくれ!私が代わりに人質になろう!」

支店長の懸命のバリトン説得の中、ゆらりと一人の男が立ち上がる。その男は長身にもじゃもじゃの頭髪を携ていた。その男とはもちろん…

「おい兄貴、人質交換とか言ってるけどどうする?」

久久保保であった。

「え」

突然仲間であるかのように犯人に語り掛けた久久保保に、場に居た全員が呆気にとられた。

「え、いやあの、お前誰…?」

犯人も困惑したのか、先ほどまでの威勢が失われた。

「くそっ…仲間が居たのか…!」

「しかも背が高いし、もじゃもじゃだぞ!」

隙を伺い犯人を捕らえようとしていたと思われる若い行員達の声が聞こえる。

「いやいや兄貴、あんなにもよく通る声で兄貴に語り掛けてたじゃねえかあのおっさん。その女を離せと、自分が人質になるからと。見上げた根性だよなあ」

「え、あ、いや、その、まあ勇敢ではあるかな…」

「あれ?そもそも兄貴なんで女なんか人質にとってるの?兄貴ホモでしょ?しかも年上専門の。あっちのおっさんの方がいいんじゃない?ほら兄貴好みの渋めイケオジだしさ。なんならその女は俺がもらうよ」

そう言いながら犯人ににじり寄る久久保保。

「おいおいおいこっち来るなお前!何わけわかんねえこと言ってんだ!そもそも俺はホモじゃねえ!」

「えっ、だって兄貴が俺と組んだのも『背の高いもじゃもじゃの男に抱かれてみたい』という一心からでしょ」

「うわー…」

今の今まで恐怖に満ちた眼差しを向けられていた犯人は今や隠す気もないドン引きの眼差しに射抜かれていた。

「え、いや!違うよ!違うから!俺違うからホモじゃないから!そもそも俺ロリ好きなの!こんな女興味ねえし!女は二十歳超えたら価値ねえんだよ!」

周囲の人間の視線に耐えられなくなった犯人は自身の性癖を暴露しながら人質の女性を突き飛ばした。

「隙ありぃ!!!」

一瞬の隙を久久保保は見逃さなかった。犯人が女性を突き飛ばしたその刹那の瞬間、ロングストライド走法を駆使し一瞬で犯人に詰め寄る。

「なっ!しまった!」

「成敗!」

長い脚をあらん限りの力で振り上げる。

「ぴょ!!!!!!」

有効打突部位の広い久久保保の脛部分が犯人の股間を切り裂いた。金的である。

久久保保の全力の金的を食らった犯人は泡を吹きながらその場に倒れた。

「さあ良い声の支店長さん!警察に連絡を!」

「わ、わかった!」

程なくして警察が到着し、犯人はお縄についた。

「いや、君のおかげで助かった。ありがとう。本当にありがとう」

「いえ、礼を言われることではありません」

支店長からの礼をクールに対応していた久久保保のもとに警官がやってきた。

「すみません、少々お話をお聞きしてもよろしいでしょうか。多くの人があなたが銀行強盗犯の仲間であるかのような発言をしていたと証言していまして…」

「あ、それはですね、銀行強盗を題材にした台本がありまして、ホモ同士の強盗がおりなすコメディなんです。その練習を」

「いや、ちょっとよくわからないので、一応署の方で確認をさせてくれますかね?」

「あー…そしたら、その前にバイト先に電話をさせてください」

スマホを取り出しバイト先へ架電。程なくして店長が電話口に出る。

「もしもし店長、久久保です。すみません、ちょっと出勤が遅れそうで。はい、今銀行なんですが、この後ちょっと警察に行かなくてはならなくなって」

久久保保がそう言い終えた瞬間、電話口からは「やりやがったか!?」という声が聞こえてきた。


おわり

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日常俳優 久久保保 ティオンヌマン @tio410

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