日常俳優 久久保保

ティオンヌマン

演目 コンビニにて

時刻は深夜二時。丑三つ時。草木も眠る時間ではあるものの、現代日本においてはもはやその概念は通用しないようだ。

「いらっしゃいませー」

入店音が響くと同時に一人の若い男性が入ってきた。

ここはコンビニ。24時間営業の代名詞ともいえるこの施設には、昼夜問わず様々な人間が訪れる。

「アイスブラスト」

先ほど入店してきた男性がレジの店員にぶっきらぼうに告げる。

「えーと、すみません何番ですか?」

店員には男性客が欲しているタバコの銘柄がわからないようだ。

「知らねえよ番号なんか。早く出せやコラ」

「えーと…すみませんどれか分からなくて」

「遅せえんだよコラ。いつまで待たせんだ?あ?おめえよ、お客様は神様だって言葉知らねえのか?あ?」

コンビニのアルバイトをする者は覚えなければいけない事が非常に多い。その中でも鬼門と言えるのが、このタバコだろう。銘柄を覚えるだけにとどまらず、ライト、メンソール等同じブランドのものでも複数の種類があるものが多い。

どういうわけか、コンビニにタバコを求めてやって来る客は、『詳細な情報を言わなくても店員は自分の欲するタバコを即差し出してくる』という思考の人物が多い。新人の店員にとっては苦行である。

「あ、いや、その」

「お前馬鹿にしてんな?人のことディスってんな?おうちょっとこっち来いや」

「ひっ…」

とはいえ、今回の客は少々常軌を逸しているようである。レジカウンターを今にも乗り越えんとする勢いで身を乗り出し、新人店員である田中に食ってかかっていた。

その時、バックヤードのドアが勢いよく開かれた。

「そこまでだ!もうやめろサトシ!」

出て来るや否や田中とクレーマーの間に割って入ってきたその男は、もじゃもじゃの髪の毛を振り乱しながらクレーマーに向かってまくしたてた。

「おいお前!どうしちまったんだおいサトシ!お前そんな奴じゃなかっただろ!?毎日夜遅くまで居残り練習をして、唸る白球に青春の全てをかけていたお前は!あのころのまっすぐなお前はどこにいっちまったんだよ!」

「ひ、久久保さん。お知り合いなんですか…?」

もじゃもじゃ頭の男が柄の悪いクレーマーの襟首をつかみながら振り回す様子に呆気にとられながらも田中は尋ねた。

「おまっ、おい離せ!なんだお前は!そもそも俺はサトシじゃねえ!」

「え」

クレーマーの非サトシ宣言に田中の目が点になる。

「ひ、久久保さん?あの、お知り合いではないようですが…」

もじゃ頭の男、久久保は背が高い。185センチある長身から繰り出される襟首掴みぶん回し攻撃は身長およそ170センチ程度と思われるクレーマーをほぼ宙づりの状態にしていた。これ以上はまずいのでは?先ほどまで自分に因縁をつけてきたクレーマーであるが、これ以上やられたら怪我をしてしまうのでは?田中は久久保を制止にかかった。

「ばかたれこの!」

田中の貧相な制止を振り切り、久久保はクレーマーを床に叩きつけた。

「ぐは!」

叩きつけられたクレーマーの前に、レジカウンターを飛び越えてやってきた久久保が仁王立ちする。

「思い出せ、あの頃の自分を。お前はウチのエースだった。俺はお前に勝てなくてピッチャーを諦めた。悔しかった。でも、仕方ないと思った。お前は憧れだったから。同年代でこんなにもすごいヤツが居るのかと、そんなヤツと一緒に野球ができるなんてすごいことだと。俺は思っていた。」

「いや、だから…俺はサトシじゃないしお前なんか知らねえって…」

「まだ言うか!」

久久保はクレーマーを無理やり立ち上がらせ頬にビンタを食らわせた。

「ぶべらっ」

よろめくクレーマーの顔を両手でしっかりと抱え込む久久保。

「一体どうしちまったんだ…あの頃のお前はあんなにキラキラ輝いていたのに…今じゃなんだ…タバコ一つまともに注文できやしないなんて…」

いつの間にか涙ながらに、というよりも涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにした久久保がクレーマーに詰め寄るが、身長185センチのもじゃもじゃが顔面をぐしゃぐしゃにして詰め寄ってきたら怖いだろうな、と田中は思った。

「いや、だからな?俺はお前の知り合いじゃないし、野球やったこともないし、あと年違うだろ。俺まだ17歳の現役高校生だぞ」

「いや高校生がタバコ買うなよ…」

田中のツッコミもむなしく、久久保はさらに怒号を飛ばす。

「いつまで子供でいる気だてめえ!トイザラスキッズか!大人になれ!あの頃のまっすぐな自分に申し訳ないと思わないのか!!3秒やる、歯を食いしばって覚悟しろ」

どすの利いた声で久久保が「いーち」と言い出し、拳を構えた時点でクレーマーは逃げ出した。

「ありがとうございましたー」

何事もなかったかのように、久久保は軽く頭を下げて見送った。

「…あの、久久保さん?」

「どうした、田中」

「ええと…何から言えばいいのかわからないのですが、とりあえず助けてくれてありがとうございます」

「なあに気にするな。良いエチュードの稽古になった」

「やっぱり、またそれですか」

「うむ。日常の全ては芸の肥やしになる。多種多様なキャラクターを演じる力を身に着けられるからな」

「は、はあ…」


久久保保(ひさくぼ たもつ)29歳。職業、売れない劇団員。コンビニのアルバイト。いつの日か大舞台に立つことを夢見て、彼は今日も、日常という舞台の上で様々なキャラクターを演じる。無関係な人を巻き込みながら。


「ちなみに、今回のはどういう設定なんですか?」

「ん?かつて甲子園を夢見て互いに切磋琢磨した元野球部員が、地方大会決勝にて肘を故障、甲子園の夢は絶たれ、そのショックから不良になってしまう。俺は何度も説得するも聞く耳もたず、いつしか疎遠になっていく。しかしそんな中、俺がバイトしているコンビニに偶然にもそいつがやってきて…という感じだな。なんちゃってルーキーズだ」

「そうですか…」


おわり

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