結末《エピローグ》

 桃色の風が吹く。


 桜並木の下で、ベンチに腰掛けている私は、青い空を見上げた。


 視界の中に入り交じる花弁は、そよそよとゆれながら、からかうように過ぎ去ってゆく。どこからか、子供たちの甲高い歓声が聞こえて、薄着越しに伝わってくる陽気を感じた。


 雲谷渚わたしは、2年前に死んだ……いや、自分が殺した教え子を思い出す。


 桐谷彰。


 自分が愛していた兄をなぞって、自己犠牲あいしていると言い遺した男の子だった。彼は、雲谷渚として生きてきた私を救うために己の命を懸けた。見知らぬ女に刺されて失血死し、血みどろの離別を招いた。


 ――兄ちゃんは、幸福な王子になりたいんだ


 きっと、私は、彼に兄の姿を重ねていた。


 最初は、彼や水無月たちを騙すためだった。そのために、兄の影を重ねて、彼は死ぬつもりだとアピールした。


 でも、今ならわかる。


 桐谷彰と雲谷渚は似ている。


 沈黙にたゆたいながら、私は、蒼色に己を重ねた。


 ――渚は、将来の夢ってあるかァ?


 夢なんてない。ただ、虚無があるだけだ。


 兄を救いたかった。あの人の死を無駄にはしたくなかった。生きた意味が、どこかに残っていると証明したかった。


 私は、桐谷彰の幸福をもって、兄が幸せになると思い込んでいた。


「先生」


 声をかけられて、公園の柱時計に目をやる。待ち合わせ時間は、とうの昔に過ぎていた。


「久しぶりだな」


 私は、春の妖精に声をかける。


「水無月」


 元・教え子は、卒業証書を片手に微笑む。


 水無月結の制服姿は、春の景色によく映えていた。


 どこまでも、透き通るように美しい肌が、陽光を通して彼女の輪郭を浮かび上がらせる。幻想的な美貌が、あどけない笑顔の愛らしさと合わさって、イタズラ好きな春の妖精みたいだった。


「卒業、おめでとう」

「ありがとうございます」


 ピンク色の腕時計に目線を下ろして、彼女は笑った。


「殺しに来ました」

「うん、待ってたよ」


 水無月は、卒業証書が入っている筒をひっくり返す。彼女の手に、鋭利なアイスピックが、ころんと滑り落ちてくる。


 手慣れた手付きで、ビニール手袋を身に着けながら、彼女はふと顔を上げる。


「子供の声が聞こえる……」

「さくら組だよ」


 私の後ろに回って、延髄を切断するための角度を探っていた水無月はくすりと笑う。


「そう言えば、この辺りでしたっけ?」

「あぁ、モモ姉の生きた意味がそこにある」

「先生のお陰で、ひとり、死んじゃいましたけどね。これから、もうひとり、彼の後を追いますけど」

「……私の自殺では、許されないのか?」

「ダメですね」


 満面の笑みで、水無月は言った。


「アキラくんの手紙には、2年後の今日、彼の命日までは幸せに生きて欲しいと書かれていた。

 だから、貴女を生かしていたし、こんな価値のない余生にしがみついてたんです」


 トントンと、私の首の後ろを柄で叩きながら、彼女はささやく。


「時間ピッタリに、貴女を殺してから死にます」

「……すま――」

「謝ったら殺す」


 項垂れたまま、渚は苦笑する。


 沈黙。風の吹きすさぶ音に、児童の甲高い声が混じる。


「……もうちょっとだけ、時間、ありますね」


 水無月は、可愛らしい声で言った。


「飲み物を買ってきます。なにが良いですか?」

「オレンジジュース」

「じゃあ、お茶を買ってきます。待っててください」


 財布を取り出した彼女は、幸せそうな笑顔でコンビニへと駆けていった。


 その後ろ姿を見守りながら、私は、噛み締めるように息を吐く。


「……ようやく、終われる」


 私は、死ぬために生きていた。大多数の人間とは、違った意味で、死ぬためだけに生き続けていた。


 水無月結に、命を捧げるためだけに、か細い生を繋いできたのだ。


 家畜を肥え太らせるように、水無月は、今日この日まで、私が自殺していないかを逐一確認しに来ていた。


 その願いが、祈りが、愛が――長き日を繋いで結実する。


「桐谷」


 ――愛はある


「お前の勝ちだ」


 生き続けた私は、幾度も幾度も、桐谷彰のことを想い続けた。あの日、死に別れる前に、哀しそうに笑っていた彼のことを思い出した。


 彼のことも、兄のことも、姉のことも、そして自分のことも想い続けていた。


 ぽたぽたと、膝に、雨粒が落ちる。


「雨……」


 空を見上げる。だが、そこには、雲ひとつない。


「あぁ、なんだ……」


 私は、己の頬をなぞる。


「私は……泣いているのか……」


 宿命が近づいて、両手で顔を覆う。


 隣に、誰かが腰を下ろした。戻ってきたらしい水無月の体温が、肌越しに伝わってきて安堵する。


 最後に、私は、天を見上げる。


 どこまでも続いている蒼穹の果てに、一枚の花びらが映り込んだ。


 ――知ってるか、渚ァ


 兄の声が聞こえる。


 ――ツバメは幸福の象徴で


 やさしい、声が聞こえる。


 ――春になったら、戻ってくるんだ


 風が、吹く。


「先生」


 声。

 声が、聞こえた。

 声が、どこからか、聞こえた。


 勢いよく、私は、隣へと振り向いた。


 突風によって、舞い上がった桜の花びらが、彼の顔を覆い隠している。


 イタズラ好きな春の妖精が、邂逅を覆い隠していた。それでも、浮かび上がってくるその懐かしさは、笑いながらこちらを見つめている。


 風がやんで、少年の輪郭が浮かび上がる。


「ひさしぶり」


 少年は――


「先生、まだ、独身?」


 桐谷彰は、笑っていた。


「あれ、痩せた? どしたの? 絶賛、ダイエット中? あれから2年が経って、28歳、遅れた婚期を減量で誤魔化すのは無理じゃないですか?」

「ぁ……あ……ぁ……?」

「喉ちんこ、激写」


 パシャパシャパシャと、新型の携帯スマホで、私の喉ちんこを連写している彼を呆然と見つめる。


 死んだ筈の桐谷彰は、生きたまま、そこに備わっていた。


「お前……だ、だれだ……?」

「ん?」


 写真を確認しながら、彼は口端を曲げる。


二重身ドッペルゲンガー

「き、桐谷彰はっ!! 桐谷彰は死んだっ!! 葬儀にも出席したんだ!! お、お前は!? お前は誰だっ!?」

「先生、このアプリやってる? 今、イベント中で、ガチャ回したいんだよね。悪いんだけど、先生の口座から100万くらい下ろしてきてくれない?」

「き、桐谷彰は死んだっ!! 私は、葬儀にも出席したんだっ!!」

「あぁ、アレ、生前葬」


 立ち上がっていた私は、大口を開けたまま静止する。


「淑蓮の母親……つーか、俺のママにお願いして、舞台は整えてもらったんだよね。モモ先生の生前墓の話を聞いてから思いついたんだけど、生前葬ってほぼ自由だから、こっちでどういう風に進行するかは決められるんだよ。

 まるで、本物の葬儀みたいだっただろ?」


 ――だって、もう、アキラくんに頼まれちゃって『うん』って言っちゃったもんっ


 私は、狂女ヤンデレにさらわれた桐谷を探す際に、淑蓮から聞いていた会話内容を思い出す。


 ――今回のことだけじゃなくて、終わった後のことも言われてるの


 私は、ようやく気がつく。


 桐谷彰は、2年もの間、己の死を――偽装していた。


「モモ姉の生前墓の話を聞いてからって……お、お前、い、いつから……」

「最初から」


 彼は、小声で「わん・つー・すりー」とささやく。


「はい、アキラくん現れた~! 人体消失マジック、ど~ん!」


 ――最後の最後、視えてるものが、ひっくり返るの


 おどける桐谷彰アキラを前に、幼い頃の自分の言葉を思い出した。


 ――本当はね、ぜーんぶ、準備が済んでるんだけど、魔術師マジシャン以外には視えないようになってるんだって


 魔術師マジシャンは、笑いながらタネ明かしするみたいに、なにもない両手を見せつけてくる。


「言ったろ」


 彼は、笑う。


結末エピローグまで、目を逸らすなって」


 衝撃に喘ぎながら、私は、彼の笑顔を見つめる。


「俺が、誰かのために死ぬわけねーだろ、ぶぁ~か!」

「き、桐谷彰……お、お前……ど、どれだけの人が、お前に騙されて……どれだけの迷惑をこうむったと思って……!」

「ごめんなさい……僕、クズなんで……そういう凡俗の考えることわかんない……ごめんね……くすん……」


 殺そうかな――私は、思う。


 コイツ、本気で、殺してやろうかな。


「最初から、お前、自分の死を偽装するつもりで動いてたのか……?」

「先生のご助力もあってね」


 私が引いた導火線に、彼が火を点けたことを知って、全身の力が抜けていった。


 そう、なにせ、すべて私がしたことだ。


 水無月たちを操作コントロールするために、桐谷に兄の姿を重ねて、モモ姉との感傷を与えて、彼が死を厭わないという印象を与えたのは私自身だ。それをすべて、まるっきり、利用されてひっくり返された。


 死という名の雷を落とすために、桐谷彰ヤツは雷雲を呼び寄せた。わざと真剣シリアスに振る舞い続けて、誰も彼もを騙し通した。


 コイツは――根っからの詐欺師だ。


「モモ先生は、最初から、俺の味方でしたよ」


 ――流れ星の代わりに……ひとつだけ、お願い事を聞いてくれませんか


「あの女性ひとにお願いして、水無月さんたちに嘘を吹き込んでもらったんです。モモ先生の口からであれば、水無月さんたちも真に受けるでしょ」


 ――渚のお兄さんに……私の大好きだった人に似てるの……だから、きっと、アキラくんは……死を選ぶ……


「淑蓮には、直接、真剣シリアスアキラくんで騙してやりました」


 ――俺が報われずに、誰かのために死んだら困るか?


「マリアは、アホだから、なんか最初から騙されてた」


 ――ただ、お優しい王子は、きっと……ツバメだけでも、救ってやりたかったと思うよ


 立ち尽くして聞き入っていた私は、我に返って叫ぶ。


「だ、だとしても、間違いなくお前は刺されていた!! マリアが、その目で視たんだぞ!! 彼女に付着していた血は、作り物なんかじゃなくて本物だった!!」

「いや、ダンボール・メイルで防いだし……」

「防げるわけないだろ、ぶぁ~か!!」


 桐谷は、今日も、下に着込んでいたらしいダンボール・メイルをズラして――その下にあった、“防刃チョッキ”を見せつける。


「ダンボール・メイルで隠してましたぁ~! ダンボールとチョッキの間にチューブを通して、ポケットの中のポンプで血液をぴゅっぴゅしてたの!

 そのために、先生の家で、頑張って工作してたんだぞっ☆」

「お、お前……三十路殺しドクシンキラーとか言いながら、嬉々として工作に励んでいたのも計算で……!」

「いや、アレはガチ。この2年の間、一度足りとも忘れたことはなかった。あの名剣を叩き折った先生のことは、生涯に渡って恨み続ける」


 どうでもいいところで、人のことを恨み続けている……改めて、彼は本物だと、私は再確認する。


「だったら、あの狂女ヤンデレは誰だ……マリアの言葉に嘘はなかった……お前の突拍子もない計画に、本当に自分を殺しかねない本物の狂女ヤンデレを使ったとでも言うつもりか……?」

「おいで、おいで、おいで、おいで」


 桐谷は、頭を揺らしながら、手を打ち鳴らし始める。それが合図だったのか、後ろの茂みから、ノリノリで狂女ヤンデレが姿を現した。


「真理亜!」

「真理亜っ!」


 そして、衣笠由羅が――いや、桐谷の言う通り、彼女の“もうひとつの人格”である衣笠真理亜が姿を現した。


「いぇ~い! 真理亜、やったぜ、うぇ~い! 騙してやったぜ~!!」

「うぇ~い! 桐谷、おつかれ~! さすが、ランプの魔人、最後のお願い事もちゃんと聞いてくれたぜ、いぇ~い!!」

「俺の弁当とかによく混入されてた由羅の血で、アイツら、ビビりまくってたぜ~! いぇ~い!」


 ハイタッチしている畜生どもを前に、私は、震えながら口を開く。


「由羅とは別人だと、マリアが勘違いしたのは……中身が別人だったからか……それが、二重身ドッペルゲンガーの正体……でも、いつから……?」

「ハワイから」

「……は?」


 はしゃいでいる両名の前で、私は、愕然として立ち尽くす。


「たぶん、由羅が助けを求めてたからだと思うんだけど、フィーネ・アルムホルトのくだりの時には入れ替わりが起きてたんだよね~。

 水無月結とか桐谷の妹は、あたしが目の前で消えてるから、全然気づかなかったみたいだけど……フィーネ・アルムホルトは、あたしのことを『NINJA』とか言って、バリバリ区別してたし」

「由羅は、身体の使い方が下手くそらしいですよ。忍者みたいに動けるのは真理亜だけで、ずっと由羅のフリしてたみたいです」


 ――……二重身Doppelgänger


 確かに、フィーネだけが、彼女のことを警戒していた。


「き、桐谷は気づいてたのか?」

「いんや、全然。もう二度と、現れないと思ってたし」

「も~! なんで、気づかないのよ~! 桐谷のばかぁ~! せっかく、水無月結の真似して、ペットゲージの中に突っ込んであげたのに~!」


 つんつんと頬をつつかれて、桐谷は頭の後ろを掻きながら笑う。


「でも、途中で気づきましたよ。雨の中、新鮮なアキラ様の首をもって、猛アピールしてきたんで。

 抱き締められた時にわかりました」


 ――お前……なんで……


「首元のほくろが、同じ位置にあったんですよね。最初に、由羅と真理亜の入れ替わりに気づいた時もそうでした」

「最初から、真理亜を狂女ヤンデレに仕立て上げるつもりだったんだな?」


 桐谷は、ゆるゆると首を振る。


「いえ、最初は、由羅を指名キャスティングするつもりでした。先生が暮らしてたアパートの住人……いや、くすのきあやが由羅に似ていたので、そこに紐付けて、由羅を狂女ヤンデレ役に仕立て上げようかなって。

 でも、最終的に、真理亜に任せるのがベストだった……真理亜になっている時の記憶を、由羅は共有出来ないらしいですからね」

「どういう、意味だ?」


 そよ風に吹かれて、桐谷は優しく笑った。


「俺は、ヤンデレに飼われることにしました」


 その笑顔に、戸惑っていると、戻ってきた水無月が――ぽとりと、ペットボトルを落として、桐谷のことを見つめる。


「アキラ……くん……?」

「水無月さん、ちぃ~す!

 100万円くださ――」


 猛獣を思わせる動きで、桐谷に飛びかかった水無月は、往来で行ってはいけないことを一通り行った。真理亜は、助けを求める桐谷から飛び退いて、震えながら一方的な愛を傍観している。


「先生!」


 両者の唾液で塗れた水無月は、満面の笑みで私に振り向く。


「アキラくんが、死ぬわけないんですよっ!

 先生を殺すのは、やめました! もう、帰っていいですよ!」

「あ……うん……」


 身を引いていると、死にかけの桐谷が、服の乱れを直しながら立ち上がる。


「ゆ、ゆい……あ、後で、ちゃんと連れて行くので……そっちで、待っててもらえますか……舌、とれてないコレ……だいじょうぶ……?」

「は~い♡」


 細かいことは気にしないのか、上機嫌の彼女は、傍観者として振る舞うことにしたらしい。


 改めて、私は、桐谷彰と向き直る。


「お前、桐谷、もしかして……」

「えぇ」


 桐谷は、苦笑する。


「ヤンデレどもを引き連れて、俺は日本を離れます」

「バカな……お前、そんなことをしたら……!」

「死にませんよ」


 笑いながら、彼は言った。


「俺の死を偽装したことによって、奴らは、いさかいが最悪の事態を招きかねないことを学習した。先生のご尽力のお陰もあって、最高の防壁ライフポイントとして、役立ってくれますよ。

 誘引情報フェロモンで奴隷を量産しながら、俺は奴らを利用して生きていきます。働かないって最高だね」

「無理だっ!! そんなこと出来るわけが――」


 その笑顔に、言葉を失う。


 どこまでも、透き通るように美しい笑顔が、私を捉えて離さなかった。彼の目が語る理想が、心の臓を掴み上げて捻り上げる。


「誰にモノ言ってんですか」


 彼は、言う。


「俺は、桐谷彰だ」


 その笑顔に――なぜか、モモの姿が重なった。


「あの女性ひととの約束は果たすよ。

 俺の手で、全員、幸せにする」

「桐谷……お前……」

「ツバメが死んだら、王子様は悲しむだろ。あの女性ひとのために、俺は、笑いながら金箔を配り続ける」


 口端を曲げた元・教え子は、私の胸の中心を、真っ直ぐに指した。


「その対象に、貴女も入っている」


 桐谷彰は、不意に目線を逸らした。


 視線に釣られる。


 その先では、目線を意識しているみたいに、風に乗った花弁が舞い上がりながら踊り狂っている。桃色の霧の中で、妖精が舞い踊っているかのようだった。


 桜吹雪の中心に、ひとりの女性が立っていた。


 彼女が身に着けている白色のワンピースが、風でゆれて、切り揃えられた髪の間から“意思”がこちらを見据える。


 決意をめた表情。


 彼女は、唇を真一文字に絞って頭を下げる。


「楠綾だよ」


 私が住んでいたアパートの隣人、2年前、桐谷彰がこの公園へと連れてきた彼女その人だった。


「2年前、今日この日、この時間を指定しておきました。だから、あの日、真理亜と入れ替ることが出来た」


 なにも言えず、私は、彼女から顔を背ける。


「先生、あんた、嘘つきだな」

「…………」

「貴女は、彼女を『自分が雇った役者』だなんて言ったけれど、そんなわけがないんだ。雲谷渚の亡霊は、仏壇には近づけない。雲谷渚かれの仏壇に、ヒーロー人形を飾り付けて、毎日のように掃除を施した人間がいる筈なんだ。

 そして、あの家に毎日立ち入れるのは、親類縁者以外に有り得ない」

「…………」

「あの身分証明書は、偽造品とは到底思えなかった。本人から借りてきた身分証明書の上に、顔写真だけ重ねたんだろ? 貴女は、最初から、本物の楠綾の所在を知っていて、俺を騙すために彼女に協力を依頼したんじゃないのか?

 あの日、貴女が連れてきた女性ひとは、雲谷渚の卒業アルバムに映っていた……彼の同級生だ」

「…………」

「貴女は、本物を使って嘘をついた。事実を嘘だとうそぶいて、偽物を使うことはなかった。いや、使えなかった」

「…………」

「俺は、貴女を知っている」

「…………」

「愛する兄の死も、モモ姉の死も、楠綾のことさえも、貴女は利用することが出来なかった。ただ、感情に任せて、その場しのぎの嘘をついていただけだ。全部、それらしく飾り付けただけで、貴女の言葉に論理性はなかった」

「…………」

「モモ先生との最後の会話は、俺に譲ってくれたんだろ?」

「…………」

「わかってるよ、俺は。俺だけは、貴女を理解している」

「…………」

「本当の悪人は、自分のことを人非人なんて言えやしない。そんなことを言うのは、悪人ぶっている人間ひとだけだ」


 感情が、漏れ出している。


 桐谷彰の死という名の雷に打たれて、この2年という月日の間、兄や姉や彼のことを想い続けていた。


 その時間が、私のかたくなだった心を溶かしてしまった。


「先生、目を閉じて」


 ゆっくりと、桐谷は、私の背の後ろへと手を回した。


「魔法を見せてやるよ」


 そして、彼は、数えた。


「わん」


 ――魔術師magician詐欺師imposterって、良く同じようなモノだって揶揄されたりするもん。でもね、私はね、ちゃんと違いを知ってるの


「つー」


 ――魔術師マジシャン


「すりー」


 ――人を幸せにするの


 導かれるようにして、私は目を開いた。


 差し出された“ソレ”を手にとって、震えながら見つめる。


「雲谷渚の遺影に挟まってた。

 アイツの鉛の心臓は、確かに残らなかったのかもしれないが――」


 その古びて、くしゃくしゃになった遊園地のチケットの裏には、ミミズがのたうち回ったかのような汚い字で――


「生きた意味は残ったよ」


 『あいしてる』と書かれていた。


「ぁ……ぐ……ぁあ……!」


 ――渚


「うぁ……ぁあ……ぁあ……っ!」


 ――ごめんな


 漏れる嗚咽に、ほとばしる情動に、耐えきれなくて膝をつく。


 ――ごめんなァ、ダメな兄ちゃんで


 兄は、謝ってばかりだった。


 ――ごめんな……渚……ごめんな……


 もう、謝って欲しくなんてなかった。笑っていて欲しかった。本当は、兄と行く遊園地が大好きだった。


 ――ごめんな……ごめんな、渚……ごめん……ごめんな……バカな兄ちゃんで……いやだ……渚を残して……し、死にたくない……たのむ……おねがいだ……たのむ、神様……渚が……渚が…


 チケットの裏には、最初に『ご』と書かれていて、上から黒色に塗り潰されていた。


 兄は、謝ろうとしたのだ。最後に、私へと謝罪しようとしていた。


 でも、やめた。今際いまわきわに、兄は、私のことを想って書くべき言葉を変えた。


 ――あいしてる


 きっと、私が泣くから。


 ――あいしてる


 私には、幸せになって欲しいと願っていたから。


 ――あいしてる


 だから、兄は、愛をもって――この5文字を遺した。


「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!! ぁ、ぁあ、ぁああああああああああああああああああああっ!! お、おにいちゃ、おにいちゃぁあああああああああああん!!」


 恥も外聞もなく、私は、兄を想って泣いた。


 正しい涙を流したのは、何年ぶりのことだっただろうか。ただ、桐谷彰は傍にいてくれて、私が泣き止むのを待っていた。


「先生」


 付き添ってくれていた彼は、そっとささやく。


「約束通り、ココに、雲谷渚を愛している女性ひとを連れてきた」


 私は、顔を上げる。


「愛を証明するよ、今、ココで。

 貴女は、男でも、沼男スワンプマンでもない」


 泣きながら、私は顔を歪める。


「ただの――雲谷あおだ」

「あおちゃん……」


 楠綾は、祈るように両手を重ねて、泣きながらささやきかける。


「ごめんなさい……ご、ごめんなさい……ほ、ほんとうに……あ、あたし、じ、自分のこと、ば、ばっかりで……ごめんなさ……ごめんなさい……」


 深々と、彼女は頭を下げる。


「ごめんなさぃ……」

「先生」


 励ますように、桐谷は、私の背を撫でる。


「きっと、愛はあるよ」


 もう、否定は出来なかった。


 2年という歳月を犠牲にして、桐谷彰は証明してみせた。


 愛を証明するのに、理由なんてない。理屈も要らない。


 ただ、それは、どうしようもないくらいに――ココにある。


「三大ヒモ原則その三」


 笑顔で、彼は語る。


「幸福であること」


 桐谷は、ゆっくりと立ち上がる。


「んじゃあ、ぼちぼち行くかね」


 彼は、大きく伸びをして、手紙に書き遺しておいた約束通りに、集まってくる彼女たちを見つめた。


 水無月結、桐谷淑蓮、衣笠由羅、フィーネ・アルムホルト……各々の歓喜を叫びながら、再開を果たして、2年越しの愛を誓い合う。


 すべての愛を背負って、桐谷彰かれは笑った。


「じゃあな、先生」


 彼は、背を向ける。


 その瞬間、私は直感した。もう、彼には、二度と逢えないことを。普通と異常が分け隔てられれば、その境目を越える手段はどこにもないと理解する。


「桐谷っ!!」


 だから、私は叫んだ。


「私……」


 泣きながら、声にならない声で、ただ叫び続ける。


「私……将来は、魔術師マジシャンになりたかったんだ……人を幸せにする魔術師マジシャンに……」

「なれるよ」


 見つめ合って、繋がって――私には、彼との間にヒモが視えた。


「きっと、なれるよ」


 桐谷彰の行く先には、大量のヒモが伸びている。雁字搦めにされている彼は、もしかしたら、そのヒモに引きずられて地獄に堕ちるかもしれない。


 私は、怖くなる。恐怖を覚える。


 彼を止めるべきだと、か細い手を伸ばしたくなった。


 そんな私を見越したかのように、晴れ渡る笑顔で彼は叫んだ。


「先生!」


 満面の笑みで、アキラは片手を挙げた。


「じゃあな!」


 言ってはいけない。止めてはいけない。なにをしてもいけない。


 なにをしても、桐谷彰を否定することになる。


 だから、私は。

 

「あぁ」


 涙を流しながら、震える手を挙げた。


「じゃあな、桐谷……」


 以来、私は、桐谷彰を視ていない。


 現在いま、彼がなにをしているのか見当もつかない。幸せに生きているかもわからない。もしかしたら、死んでいるのかもしれない。


 ただ、私は想うのだ。


 ――俺は、桐谷彰だ


 アイツは、たったひとり、唯一無二の桐谷彰で。


 ――きっと、愛はあるよ


 モモ姉の意思を継いで、愛を証明してみせた。


 ――三大ヒモ原則その三


 だから。


 ――幸福であること


 私は、桐谷彰を信じている。

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ヒモになりたい俺は、ヤンデレに飼われることにした かるぼなーらうどん @makuramoto

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