いつもの三人

未翔完

いつもの三人

 

「あー、疲れた」


 そう呟いたのは僕の右側にいる男子生徒、大西颯太おおにしそうただった。

 高校の門をくぐったときはしわ一つ無かった大西の学ランも、バスに乗っ

て一番後ろの席に座ってからたった二秒でひどく崩れていた。

 そんなに疲れることがあろうか、シートのクッションにリュックごともたれかかって、身体を大きく縮こまらせたのだ。


「どうした? 今日、体育無かったろ」


 僕はそう言って、一応心配はしておく。というのも大西の口癖は三パターンあり、その内の一つが「あー、疲れた」だからだ。


「いやあ、二時間ぶっ通しで筋トレやったからさ……」 


 おっと。今回は只の口癖ではなかったようだ。

 大西は県内……いや関東でも珍しい『ヨット部』の部員だ。

 最近、幽霊部員気味だったらしく今日は珍しく行ったからここまでぐでーっと疲れているらしい。


「俺もサボり癖あるから、強くは言えないけどこれからはちゃんと行けよな。最近、『いつもの三人』で帰れる日が少なくなってんだからな」


 すると次は、俺の左側から声がする。

 卓球部所属の赤坂優あかさかゆうだ。

 僕と大西より一回り背が大きく、自然と顔が少し上向きになる。


「りょーかーい。ちゃんと行くさ」


 それを適当に返す大西。こいつの二つ目の口癖「りょーかーい」だ。

 こいつは相変わらずで、少し微笑まし……くはない。

 こんなむさ苦しい奴に微笑ましさを感じるほど、僕はそっち方面に走ってはいないのだ。……とはいえ、大西が理屈なしに安心するオーラを放っているのは疑いのない事実といえよう。

 そしてそれが僕、小野寺篤志おのでらあつしと赤坂・大西が『いつもの三人』でいられる一つの所以であった。



 僕と赤坂・大西がつるむようになったのは……高一の二学期頃。

 入学当初は出席番号が近い同士、少し話してもいたが今のような親密な友好関係ではなかった。それぞれ三人で、同じ中学の奴だとか同じ部活志望の奴とでグループを組んでいたからだ。僕は特に入りたい部活というのはなく、ただ単純に歴史とかオカルトが好きなオタクだったから、そういう集まりに溶け込んだ。

 そのグループは十分に楽しかった。

 この高校は陸上やバスケなどに力を入れる学校だったから、あまりマニアックな部活も無く、そのグループ八人の内、僕を含めて六人は帰宅部だった。

 昼飯を一緒に食ったり、放課後に集まったり、帰宅部にしては高校生活を結構楽しんでいたように思える。


 そんな日常は、意外とすぐ崩壊した。

 その原因はグループ内での仲違いではなく、ましてやいじめでもなかった。

 そんな生徒間の揉め事ではなくて、僕にはどうしようもできないこと。

 『二学期からの理系科目の授業における成績別クラス分け』だった。

 たったそれだけ、と思うだろう。しかしこの学校の生徒としては驚きを隠せなかった。何故ならば、この学校の理系科目への傾注がからだ。

 ……実例を挙げよう。

 まず第一に、この学校の卒業生の約90%は大学の理学・工学・医学部などの理系学部へと進む。ほかの一割程は浪人か就職が殆どだ。

 二つ目……というかこれが最大要因だが、理系科目と文系科目の授業数比が異常なところ。一年間通しての両者の授業数比、なんと7.4:2.6。

 異常だ……。元からこの学校に入った奴らは理系偏重主義であることを重々承知の上で入ってきているわけではあるが、「流石に……」と思うのが普通の感性だ。

 しかし、学年が上になるにつれてどんどんそれが普通に思えてくるのだそうだ。

 証拠に、口コミを見れば卒業生からの熱烈な支持コメントが大半を占めている。

 実際に実績も出しているし、保護者・卒業生にしてみれば万々歳なのだろうが、在校生……それも高一にとってはたまったもんじゃない。

 一日に必ず三・四時限は理系科目があるということは、今まで共に学校で過ごしてきた時間が半分は減るということだ。

 そして、そのクラス分けは二学期の初め、本当に事前連絡なしに通告された。


 ―――何故か? 決まっている。


 まず、この学校の教育方針に『理系科目への注力』という文面は散見できても、『グループ学習』というカリキュラムがあったとしても、『仲良い同士でのクラス分け』なんてふざけたものは無いからだ。

 そもそもが学校側の計略なのだ。事前に知らせてあったら、仲良い同士で手を抜くことなんて簡単だ。それは学校側にとっては不都合で、多少生徒の反感を買ってでも成績を伸ばし保護者側に媚を売りたいのだろう。

 最初に言った通り、これは僕、いや生徒一丸となってもどうしようもないことだ。この学校に入った時点で、生徒たちは理系科目成績アップのためにある程度の理不尽は覚悟しているはずなのだ、学校側と保護者側の思い込みとしては。

 だから、しょうがなかった。諦めるしかなかった。


 僕達の八人のグループはかくして、砂上の楼閣のごとく霧散した。

 理系A~Gの七クラスに一年284名が分けられることになり、僕は理系Bというそこそこ上位のクラスになった。

 他の七人は、A,C,E,Fにそれぞれ配属。見事に分断された。

 自然と顔を合わせる機会は少なくなり、授業も進度が速くなったことからあまり放課後に集まる余裕もなくなった。

 だから心機一転、理系Bクラス内で友達を作ろうと努力した。

 そこで親友となったのが、赤坂と大西だった。


 無論、急に親友となったわけではない。

 しかし、元から同じクラスだったので自然とくっつくのは早かった気がする。

 赤坂も大西も同じグループの奴と疎遠になり、友達を求めていたからだ。

 しかし最初、僕はこう思っていた。

 早く同じ趣味のグループに入りたい、と。

 つまるところ、赤坂・大西と趣味が合わないのだ。

 赤坂は卓球部に入ってはいたものの、野球・サッカー観戦が好きだがプレーはできない系の奴でスポーツ関連のことに詳しかった。

 大西はもっぱらアクション・RPGなどのゲームが好きだったが、歴史やらホラーに関するゲームには興味がなかった。

 全く趣味的接点が見つからず、お互いに早くグループを抜けたいと思っていたに違いない。事実、初期の僕たちの会話は2,3個の受け答えで途切れていた。


 そんな僕たちの冷めた関係に一つの転機が訪れた。

 二学期が始まって二週間後に行われた『体育祭』だ。

 夏休み前から準備していて、ほぼ全て競技に出場する生徒は決まっていた。

 しかし、一種目だけ選手決めが二学期にもつれ込んだ競技があった。

 それは、小学校から脈々と続く定番中の定番『クラス対抗リレー』だった。

 男女各四名のスタンダードなヤツだ。

 普通なら陸上部などを中心に志願者が次々に集まるのだが、今回はそううまくいかなかった。何故なら、僕の所属する1年D組は運動部の人間が奇跡的なほど少なかったからだ。41名のクラスの中で運動部がたったの7名。

 ……運動部がそれっぽっちでは志願者などそうそう集まるものではない。

 クラス対抗リレー、だ。自己顕示欲がよほど強い奴なら自ら立候補するのだろうが、まず賛同は集まるまい。

 運動部=足が速い、は小学生並の考えで文化部・帰宅部でも足が速い奴なんてごまんといるだろう。

 しかし、あくまで志願制。無理やりやらせる、というのは見聞が悪い。

 ならば、話し合いという名の『誰が早く折れるかな選手権』を暗黙の了解で開催するしかない。ここまでくると実力は問題外。ぶっちゃけどうでもいい。

 なら、自己顕示欲が強い奴に任せれば……って高校生になってくるとそういう奴も塞ぎ込むに決まっている。

 なら、誰をにえとするか……? まあ、贄というほどでもないが。

 そこで折れたのは最初に、陸上部の男子。それを皮切りにまあまあ運動ができる女子が四名、まるで打ち合わせでもしていたかのように同時立候補。決定した。

 あとは……男子三名。予想がつくだろうが、俺・赤坂・大西だった。

 まず赤坂・大西が立候補した後、あと一人が全く決まらず、めんどくさくなったのか一人の女子陽キャがほざいた。


「小野寺君って、赤坂と大西と仲良いよねー? 連携取れそうだし、このまま決まらないよりは……どう?」


 どう? と言われてもこんなん詰みゲーやん……。


「あー、じゃあ……やる」


「ほんと? 無理しなくても大丈夫だよ?」


「……いや、大丈夫」


「ありがとー。小野寺君がやるってさー」


 僕の気怠けな返事に、まるで『僕が進んで申し出たかのように』女子は感謝するふりをした。ふざけんな、と言えるほど僕に勇気はない。

 そんな経緯で、僕と赤坂・大西はクラス対抗リレー選手となった。

 

 赤坂・大西はきっと同じ意見を持っていただろう。

 何故、仲良いと勘違いされ同じ競技に……。

 しかし、僕は少しだけ期待を持っていた。


『もしかしたら、これを機に少しでも赤坂・大西と仲が良くなれるかもしれない』


 何故そんなことを思ったのか、その時は皆目見当がつかなかった。

 さて、注目度の高いクラス対抗リレー。

 適当にやるわけにもいかず、とりあえず四人で走順を決めた。

 一番、陸上部男子の橋本はしもと。二番、赤坂。三番、僕。最終走者アンカー、大西。

 このような走順になったのは、まず僕がこの中で一番遅く、それから遅い順に大西・赤坂・橋本と続くからだ。

 最初、橋本が引き離し、赤坂と僕がギリギリ順位を保持。大西はバトンを受け取るのは上手いが、パスするのが苦手なので最終走者アンカーである。

 ―――恐らく、僕らは敗ける。

 橋本はともかく、俺たち三人のチームワーク・身体能力は他クラスに比べ著しく劣っていた。当然そんな状況では、チーム内での衝突も頻発した。


「もっと早く走り出して、バトンを受け取れよ! 

 ……違う違う! そうじゃない!」


「少しは俺たちみてーな運動神経悪い奴のこと考えろよ! 部活で鍛えてるお前とは違ってな……!」


「小野寺はともかく、お前ら二人は進んで立候補したんだ。多少、手荒だろうが体育祭まで間に合わせねーとヤバいだろ」


 それは陸上部としてのプライドか。とにかく練習して体育祭で良い結果を出そうとしているのも、理解できなくはない。

 しかしこの状況で、うまくチームがまとまるはずがなかった。

 次第に、僕たち三人と橋本がチーム内分裂。

 僕たち三人は、橋本の愚痴を言いながらバトン練習。橋本は顔馴染みの違うチームに入れてもらっていた。

 はっきり言って、リレーなんてどうでも良かった。

 それより心配だったのが、このまま険悪ムードで体育祭を終えてよいのかどうかということだ。確かに、練習時は僕たちは団結しているように見えた。

 しかしそれは、橋本という共通敵を目の敵にしているからこそ為しえていることだ。ならば、この体育祭が終わったら……?

 また、あの冷え切った関係に逆戻りだろうか。そんなのは嫌だ。

 偶然か必然かは分からないが、同じリレーメンバーになったのは運が良かった。

 体育祭関連の話が多くなり口数が増えてくると、お互いのことが少しずつ分かってくるものだ。

 例えば、赤坂は僕と同じYoutuberが好きなことが分かって話が進んだし、気のいい奴だということが分かった。

 大西はたまに強烈なボケをかましてくるし、口癖が三つあることに気が付いた。

 だから、体育祭が終わった後も、仲良くしたかった。

 そのためにはこの体育祭を中途半端で終わらせちゃダメなんだ、と思った。

 橋本も含めて四人で、精いっぱいやり切って笑顔で終わりたいってそう思った。

 だから、そう二人に伝えた。


「まあ……俺もリレー練が始まってから、少しずつお前らとの会話が楽しくなってきた感はあったな」


 と、言うのは赤坂。


「なんか……三人でも上手くやっていけるような感じがする」


 と、言うのは大西。


 二人の本音を聞いた。僕たちはこのリレー練習という一つのイベントだけで大きく団結力を高めることができた。

 実力がどうだろうが……戦う決意はできた。

 やることになった経緯はどうだっていい。とにかく、僕たちはやらなければならないんだ。全力で団結し、リレーに臨むことでしか『僕たち』は前に進んでいけない。

 本当の友情ってやつを証明できない。

 そう、思った。


 僕たち三人は橋本に頭を下げ、練習を再び共にやることに成功した。

 練習はそれなりにきつかったが、橋本との意思疎通はしっかりとでき、士気は万全だった。そして、そのまま僕たちは戦いの舞台へと参陣した。




「オンユアマークス……セット……ッ―――!」


 パァンと、鳴った。

 橋本とその他六名が走り出した。

 最初は好調、橋本がじりじりと差をつけ一年C組,二年D組,三年C・E組を抜かし三位へ躍り出た。

 流石陸上部。一年ながら、その走りは草原を駆ける白馬の如く。

 ギリギリ、三年D組を抜かしそうなタイミングでバトンは赤坂に渡った。

 しかし、そこで小ハプニングと呼べし事が起こった。

 赤坂はしっかりバトンを受け取ったが、足が少しもつれて減速した。

 その間に、二人に抜かされ五位。

 いや……まだいける……!


「勝ってやる……!」


 誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。

 今度は僕の番。しくじるな、と心の中で叫ぶたびに鼓動は早まった。

 息なんか、走る前からひどく乱れていた。こんな大舞台は僕にとっては天敵で絶対にやりたいと思っていなかった。

 だけど、今の僕にはやるべき理由がある。

 そう考えていると、呼吸も少しだけ収まった感じがした。

 振り返ると、もう既に赤坂と僕の距離は15m弱。

 一位、二位が僕を掠めていくのを横目に走り出した。

 セーフティゾーンぎりぎりまで行き、左手を伸ばすとそこには自然にバトンがあった。赤坂が「頼んだ」と小さく呟いた気がした。


 僕は走る、走る。前に、とにかく前に。

 声援なんか気にしてられない。横さえも、見ている暇はない。

 とにかく進め、己の限界まで。

 そして辿り着け、僕たちの未来に。

 進め、進め、進め―――ッ!



「後は任せたっ!」



 大西は答えはしない。

 走りを終えた僕に背を向けて、遠く遠く走り去る。

 だが、それこそが俺にとっての答えだ。

 大西ならやってくれる。

 僕はなんとか三位を奪還していたらしい。

 自分にしてはよくやった。

 だから、後は大西にすべてを任せた。

 僕たち三人の努力を最後まで、走り届けてくれ。




「終わった……な」


 結果は二位。

 最後の最後まで、二年C組の陸上部組に打ち勝つことはできず無念だった。

 しかし……僕たち四人にはこれ以上ないくらいの清々しい笑顔があった。


「ああ。やりきれた……のか?」


「二位までいければ、上々だろ」


「先輩達に勝てなかったのはくやしいがな」


 僕たち四人はやりきった。だから、ここまで来れた。


「橋本、今までありがとな。厳しい練習だったけど、だからこそここまでできた」


「それはお互い様だろ? 途中、ギスギスした空気作っちまって悪かった」


 そう言って、笑った。


「そして……赤坂、大西。今までありがとな。これからも『親友』としてよろしく」


「親友かぁ……。確かに、小野寺と大西となら上手くやっていけそうだな」


「じゃあ、『いつもの三人』って俺たちのことは指すようにしないか?」


 大西の提案に、僕と赤坂、ついでに橋本も首をひねる。


「何故に、いつもの三人?」


「いやー、俺達ってほんとに共通点がないだろ? それなのに、親友でいられるっていうのは逆にスゲーことだと思う。『オタクグループ』とかじゃなくて、ただ単純に俺達は仲がいい。だから、特別なネーミングじゃなくていいと思ってさ」


 俺達は本当に一人一人違っている。

 だけど、親友だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 共にいればホッとするし、頑張ろうって思える。そんなグループにしたいという願いから大西は『いつもの三人』にしたんじゃないかって、勝手に想像する。


「まあ、いいんじゃね? いいじゃん。いつもの三人」


「さんせーい。いつもの三人に一票」


 といっても、一つしか案はないのだが。


「んじゃ、決まりな。これからもよろしく」


 と、三人で盛り上がっている最中、声がする。


「おーい。俺とも仲良くしろよなー」


 橋本だ。ちょっと意図的に無視してた感は否めない。


「すまんすまん。橋本も、これからも一緒に遊びに行ったりとかしようぜ」


「おう。よろしくな」


 それから僕たち四人は暗く染まっていく紅い夕焼けを背に、何度も笑いあった。




「おーい。聞こえてるかー?」


 ハッ、と意識が現実に戻される。

 長い回想は終わり、バスはすでに駅まで着いていた。

 僕はパッパと荷物を抱えて、外に出た。


「一体、どうしたよ? 全然、返事しねーから遂にくたばりやがったと思ったわ」


「おいおい、言い方。……まあ、一年前のことを思い出してた」


 そう言うと、大西は怪訝な顔をした。


「一年前のこと? そんな前のこと覚えちゃいねーよ」


 そう言いながら繰り出されるのは、大西の三大口癖・三つ目である『そんな前のこと覚えちゃいねーよ』だ。

 大西はそこそこ頭は良いから、覚えていても不思議じゃないのだが。

 もしくは、わざと忘れた振りでもしているのか。分からない。

 だが、赤坂は早速察したらしい。


「あー、今日ってまさか一年前の体育祭の日か?」


 ご名答。今年から、体育祭は諸事情とやらでやめることになった。


「なるほど、それで……。そういや、二学期初めのころの俺達って今とは比べ物になんねーぐらい仲良くなかったよな」


「まじでそれな。口数少なすぎて完璧陰キャだったわ。いや、今でも陰キャだけど」


 そう言って、笑った。


「てなわけで、これからもよろしく。できるなら、大学も一緒がいいな……なんて思ったりもするけど」


「そう言うなって。俺は釜茹で地獄までついていくぜ」


「俺は異世界の転生先まで」


「なんで、俺が地獄行ってんだよ……。ってか、大西に限っては異世界転生させてくれちゃってるし」


 そういって、また笑った。

 多分こいつらとなら、もし仮に離れたって親友だ。

 案ずることはない。

 だって、僕たちは『いつもの三人』なのだから。


 俺たちの背は去年と同じく、今日一日限りの輝きを出し尽くす紅い、紅い夕焼けに焦がされていた。

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