風がさらって行った

 子龍は風のしっぽを掴んで高い空まで舞い上がる。

 強い風が吹く一日だった。風に乗って行ったきり、子龍は帰って来ない。夕食時にも戻らない。ついに出て行ったか、と八十竹は思った。一人で食事をとり、子龍の分に蓋をする。店の戸締まりを確認してから書斎にこもる。資料を広げてペンを持つが進まない。意味もなく立ったり座ったりする。家の中を歩き回ってあらゆる窓から外を覗いては部屋に戻って来る。散らかった机の上を片付けて、本棚は整頓した。日付はとうに変わっていて、それでも寝床には行かず、片付いた机の前に座り、腕を組んでぼんやり灯りを見ている。あまりに静かで肌がひりひりと痛んだ。子龍がいなくても八十竹の生活は変わらない。けれど明日からどうしようかなと考えていた。とりあえず朝食は台所に下げた子龍の分を食べるんだ。

 これからは廊下で寝ている子龍を踏んづけそうになることもないだろう。外に出ては持ち帰って来る「宝物」にいちいち驚かされることもない。ここ最近増えてきた異界の者との交流も薄れていくだろう。子龍の存在は薄れていき、やがて一人が日常となるだろう。しかしその日常は、子龍と出会う前のものとは決定的に違うことだろう。つまり喪失。この穴が埋まるのは、自分がすっかり何もかも忘れてしまう頃だ。その頃には自分という存在も移ろい、変わらないと思っていた何もかもが変わっていて、変わったことに気付かず過ごす。今の自分が失われるとともに古い記憶も消える。八十竹はしばし寂しい未来を想う。遠い先のことを。灯りの瞬きを見る。そろそろ油が切れそうだ。今の自分があるうちは、子龍のことは忘れられないのだ。さて寝るか。

 灯りを消して立ち上がる。閃光が走った。あれ、きちんと消えていなかったのかな。書斎を振り返るも闇。廊下を向くも闇。闇の向こうで音がした。

「開けてよ竹さん。寝ちゃったかな」

 ドンドンとドアを叩く子龍がいた。流れ星に掴まって帰ってきた子龍は腹を空かせていて、温め直したスープも冷たいままの魚もがぶがぶと食べ、「帰りの風がなかなか吹かなかったんだ」と言って謝ると、あとはこてんと眠ってしまった。子龍との生活はどこまでも続く。

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子龍現界記 ほがり 仰夜 @torinomeBinzume

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