猫とワルツを

猫目 青

雪の中であなたと踊る

 とある北の国に小さなお姫さまがいました。雪のように輝く銀糸の髪と、氷河を想わせるアイスブルーの眼。そして彼女には愛らしい猫耳が生えていたのです。

 彼女のお父さんである国王は猫の王様だったのだから仕方ありません。彼女は猫たちの支配者となるべく、その猫耳を生やして生まれてきたのでした。

 そして今日は彼女の誕生日。でも、彼女はちっとも嬉しくありませんでした。

 なぜなら、戦争から帰ってきたお妃であるお母さんと、国王であるお父さんがお互いの事ばかり気にかけて、娘である彼女に振り向きもしなかったからです。

 大好きなお父さんとお母さんに誕生日を祝福してもらえず悲しむお姫さま。そんなお姫さまの気持ちに、国王の飼い猫である大きなノルウェージャンフォレストキャットだけは気がついていました。



 


 粉雪の舞う灰色の空に銀糸の髪がひとひらゆれる。4本足で駆けていたレヴは思わずその銀髪を眼で追っていた。

 レヴの翠色の眼には1人の少女が映っている。

 銀糸の髪を靡かせた少女は、真っ白な外套を羽織って石畳の道を走っていた。北風が彼女の髪に隠れた銀灰色の猫耳を弄んでは、アイスブルーの眼から零れる涙を運び去っていく。

 その涙を拭って、彼女はひたすらに走り続ける。風に運ばれる涙はレヴの長い赤毛にも振りかかって、レヴの眼を曇らせた。

 まったくもって、自分の主の鈍さには呆れるばかりだ。娘であるマリアの誕生日のことも忘れて、戦争から帰ってきたお妃に夢中なのだから。

 国王である飼い主が幼かった頃、レヴはこうやって泣きながら城を跳びだす彼をよく追いかけた。先王である父親と喧嘩して泣いている彼を慰めるのは、飼い猫である自分の役目だったからだ。

 今はそのために彼の娘を追いかけている。彼女を慰めて、城に連れ帰るのが自分の役目だからだ。

 彼女は雪深い丘へと登っていく。そこには真新しい樽木造りの教会があった。五層に重なった塔は木製瓦で覆われ、教会の扉は世界樹であるユグドラシルの透かし彫りで飾られている。彼女は立ちどまり教会を見つめる。雪の丘の上に建つ教会を睨みつけ、彼女は教会の裏へと駆けていった。




 フィナが帰ってくると大好きな父は朝から浮かれていた。マリアは母親であるフィナのことが嫌いな訳じゃない。ただ、いつも城にいる父と違って外交と軍を取り仕切る母とはあまり会う機会がないのだ。

 物心つく頃から、マリアは父であるカットと、優しい祖父と、そして父の飼い猫であるレヴに育てられてきた。たまに帰ってくる母はマリアを優しく抱きしめてはくれるけど、すぐにどこかに行ってしまう。

 母恋しさに泣くマリアを慰めていたのは、父であるカットだった。自分と同じ銀灰色の猫耳を持つ父にマリアは懐き、いつのまにか母を恋しいと思うこともなくなっていた。

 だから、朝から母の話ばかりする父のことが気に食わなかった。大好きなカットを母であるフィナにとられたような気がしたのだ。帰ってきたフィナもマリアに見向きもせず、父であるカットとばかり話をしていた。

「私は、いらない子なんだ……。私はお父様とお母様に嫌われてるの、おばあさま……」

 そんな自分の心の内をマリアは眼前の墓標に話しかけていた。雪に覆われた十字の墓標は風にゆられて、音をたてるばかりだ。なんだか悲しくなって、マリアは墓標の先に広がる光景へと視線を向けていた。

 崖の向こう側に蒼い海が広がっている。その海浮で浮沈を続ける氷河は太陽の明かりを受けて輝いていた。マリアはアイスブルーの眼でじっと氷河を見つめる。

 氷の島の割れ目からは、古い塔が顔を覗かせていた。遠い昔、神々の敵であった巨人族の遺跡だというそこは、固い氷に閉ざされ近づくことすらできない。

 あそこには巨人たちが眠っているのだという。冷たい北欧の海の底で、彼らは何を思っているのだろうか。

 引き寄せられるように、マリアは海へと続く崖へと歩んでいた。

「マリアっ」

 そんなマリアを青年の声が呼びとめる。振り返ると、赤毛のノルウェージャンフォレストキャットがマリアを見あげていた。翠色の眼を鋭く細め、何かを嗜めるように猫はマリアを見すえている。

「レヴ……」

 すっと眼を伏せて、マリアはレヴへと駆け寄っていた。しゃがみ込んで、彼の首筋に頬をよせる。レヴはぐるぐると喉を鳴らして、そんなマリアにすり寄ってきた。

「ごめん。寂しかっただけなの……。お父さまに無視されて……その……」

「分かってますよ。俺の姫さま……」

 頬を離してレヴの顔を見つめる。彼は優しげに眼を細め、そっとマリアから離れた。レヴの体が光を帯びる。雪の結晶に似た光がレヴの体を包み込み、それがやんだあとには1人の青年が立っていた。

 赤髪を靡かせ、青年は翠色の眼でマリアを見つめる。

「だから泣かないで、俺のマリア……」

 そっと彼は腰を降ろし、マリアの両頬を手で包み込んでくる。ほろほと流れるマリアの涙を親指で拭い、彼はマリアに微笑んでみせた。

「ほら、笑顔はどこに行きました? 俺の姫さま」

 彼が首を傾げてくる。さらりと流れた赤い髪が妙に眩しくて、マリアは彼から顔を逸らしていた。

「笑えないよ……。あんなの……」

 今朝、廊下ですれ違った父は母のフィナと一緒にいた。2人に声をかけると、驚いた様子でカットとフィナは駆け去っていってしまったのだ。

 マリアに声をかけることもせずに。

「じゃあ、笑いましょうか」

 レヴの弾んだ声が聞こえる。彼はマリアの手を引いて立ちあがっていた。

 あっとマリアが声をあげるのも無視して、彼はマリアの両手をとる。そのままマリアの体を引き寄せ、彼は体を回し始めた。

「レヴ……レヴっ!」

 くるくると視線が回る。マリアが叫んでもレヴはその手をはなしてくれない。彼はマリアの腰に手を充てて、小さく歌を口ずさみ始めた。

 雪の平原で青年と少女はダンスを踊る。狼狽するマリアを他所に、レヴの体から光の粒子が舞いあがって、周囲の雪に反射する。光の粒子は雪の上で弾んで、雪を青白く輝かせた。

 光が弾むごとに雪が溶けていく。溶けた雪の下から新緑のブルーベリーが芽をだして、白い花をつけた。その花の舞台の中央で、レヴとマリアは踊る。

 白い花が視界を彩り、マリアは驚きに眼を見開く。そんなマリアの髪にレヴはそっと片手を添えた。銀糸のマリアの髪にブルーベリーの花が咲き誇る。マリアは驚いて、自身の髪に手をやった。

「誕生日プレゼントですよ」

 レヴが得意げに笑う。マリアは満面の笑みを顔に浮かべ、彼に抱きついていた。

「マリアっ!」

「レヴ、大好きっ」

 ぎゅっとレヴを抱き寄せて、マリアは彼の体に顔を埋める。レヴは苦笑しながら、マリアの髪を優しくなでていた。

「昔ね、こうやって一緒に踊った人がいたんです……。今のあなたみたいに独りぼっちで、それを慰めるためにこうやってあの人ともよく踊った……」

「誰……?」

 顔をあげマリアがレヴに声をかける。レヴはうろたえた様子で眼を逸らし、言葉を続ける。

「あー、あなたもよく知ってる人ですよ。でも、秘密……」

 人差し指を口に充て、レヴは微笑んでみせる。そんな彼を見て、自分と同じ猫耳を持つ父の姿を思い浮かべたのはどうしてだろう。レヴはマリアの生まれる前から父の護衛を務め、王である父とはいつも一緒にいる。

 こうやってマリアを追いかけてくれたのも、マリアがカットの娘だからだ。

「やっぱり、レヴも私を好きにはなってくれないのね……」

 ふっとマリアは眼を伏せて、黙り込む。レヴは静かに、マリアの髪に飾られたブルーベリーにふれた。

「俺が眼の前にいるのに、あなたは別の人のことばかり考えるんですね」

 つまらなそうな表情を浮かべ、レヴはマリアの顔を覗き込んできた。大きく眼を見開いて、マリアは顔をあげる。

「違うっ! そんなつもりじゃっ――」

 声をあげたマリアの唇をレヴの人差し指が塞ぐ。得意げにレヴは微笑んで、マリアの両頬を包み込んできた。そっと眼を瞑って、レヴはマリアの額に唇を寄せる。

「今は俺があなたの恋人。それじゃだめですか?」

 こくりと首を傾げ、レヴは問う。大きく眼を見開いて、マリアは口づけされた額をなでた。

「よく……わからないよ」

「大きくなれば分かりますよ、俺のマリア。今はあなたが俺の一番です」

 困惑するマリアに、レヴは微笑んでみせる。レヴの言葉にマリアは顔を輝かせていた。

「レヴっ!」

 ぎゅっとレヴの首に抱きついて、マリアは彼の肩に顔を埋める。顔をあげると、寂しげに眼を細めるレヴと眼があった。

「どうしたのレヴ……?」

「あなたは側にいてくれるんですね……」

 微笑みレヴの眼が悲しげな光を帯びる。じっとマリアはそんなレヴの眼を見つめていた。

 彼は何が悲しいのだろうか。その悲しみを溶かしてあげたい。

 マリアはレヴの頬を小さな手で包み込む。驚く彼の唇に、マリアは静かに口づけを落とした。




 西に傾く太陽が、大地の雪を茜色に照らしている。そんな雪の大地を歩く2組の男性がいた。一方は長い赤髪を後方で束ねた男性。もう一方は、銀灰色の猫耳を生やした男性だった。

 レヴとカットだ。

 猫耳を不機嫌そうに動かしながら、カットは隣を歩くレヴに声をかける。

「で、なんでお前がマリアを背負っているんだよ?」

「そりゃ、姫さまは俺の恋人ですから」

 不機嫌な主にレヴは笑顔を向けていた。レヴの背中には、踊りつかれて眠っているマリアがいる。

 日が暮れるまでマリアはレヴと一緒に踊ってくれた。フィナとばかり話していて、自分の相手をしてくれないカットの代わりに。

「飼い猫もほっぽといて、愛妻ばっかり相手にしていた人にいわれたくありませんよ」

「アリアの誕生日会をどうするか、フィナと話してただけだろう?」

「でも、俺とマリアはのけ者です。マリアから逃げるなんてやり過ぎですよ」

 カットの言葉がつまらなくて、レヴは彼から顔を逸らす。

 遠い昔のことをレヴは思いだす。これではまるっきり逆だ。

 昔は、先王と喧嘩した彼をいつも慰めて城に連れ帰っていた。拗ねる彼を宥めて、愚痴を聞いていたのは自分の方なのに。

「ごめん、レヴ……」

 カットの声が聞こえる。顔を向けると苦笑する顔があった。

「俺がフィナと過ごせるようにマリアの面倒を見てくれたんだろ? お前にはいつも感謝してるよ」

 彼の蒼い眼が黄昏の光を浴びて寂しげに煌めいている。彼もまた、遠い過去に思いを馳せているのだろうか。自分と踊った幼い子供の頃に。

 マリアは、小さかった頃の彼にそっくりだ。ふっと小さな恋人との口づけを思い出して、レヴは苦笑していた。

 自分はマリアを1人の人間として愛しているのだろうか。それとも、幼い彼女にかつての愛しい人の姿を重ねているのだろうか。

「レヴ……」

 レヴの思考は主の声によって遮られる。カットへと顔を向けると、彼は鋭い眼差しを自分に向けていた。

「俺がマリアに嫉妬しないとでも思ったか?」

 蒼い主の眼が黄昏の光を帯びて歪められる。歪な笑みを浮かべる主から、レヴは視線を放すことができない。そんなレヴにカットは近づき、そっと両頬を包み込んでみせた。

 彼の冷たい手の感触が心地いい。そのまま額に唇を落とされて、彼の顔が離れていく。

「お前は俺の飼い猫なんだ。マリアの恋人じゃないからな。マリアもお前の恋人じゃなくて、俺の娘だからな。マリアの1番は俺だからなっ」

 猫耳を不機嫌そうに動かしながら、主は言葉を発してみせる。そんなカットを見て、レヴは思わず笑っていた。

「何がおかしいんだよっ? 」

「けっきょく、あなたは自分が一番じゃなくちゃ、嫌ってことですよね?」

「それはっ――」

「俺は、今でもあなたが欲しい……」

 慌てる主の耳元で囁く。彼は大きく眼を見開いて、離れていく自分を見つめていた。

「レヴ……それは、駄目だよ……。俺にはフィナが……」

 眼を潤ませ、カットは自分から眼を逸らす。

「分かってますよ。だからあなたに教えてあげたんです。俺の1番は誰なのか。俺がどうしてこんなに笑ってるのか。俺の気持ちが分かってて、側に置いてるくせして」

「ずるいぞ。レヴ……」

 猫耳を伏せた主が上目使いでこちらを見つめてくる。はぁっとレヴはため息をついて、背中をカットに向けていた。

「はい。お父さん、パスっ」

「はっ?」

「俺とマリアが一緒にいるのが嫌なんでしょ。だったら、そのマリアとの時間を大切にしてください」

 後方のカットを振り向いて、レヴは彼を睨みつけてみせた。ぽかんと猫耳を伏せたカットは、顔に笑みを描く。

「お前は素直じゃないな」

「飼い主に似たんでしょうね、きっと」

 そんな主にレヴは苦笑を送っていた。背中にいるマリアをカットがそっと受け取る。彼は愛しい娘を横抱きにして、静かに道を歩き始めた。

 レヴの体は光に包まれて、猫へと姿を転じていく。赤い体を震わせながら、レヴはカットの前へと駆けていった。

「こら、レヴっ! 置いていくつもりかっ?」

「早く来ないと、フィナさまの膝も俺がとっちゃいますよっ!」

 主へと振り向き弾んだ声をかける。フィナを盗られてたまるかとカットは笑って、レヴを追いかけてきた。

 そんなカットに追いつかれまいと、レヴは雪の路を駆ける。遠い昔に、笑いながらこの道を駆けた主の姿に思いを馳せながら。

 

 


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