夜空の瓶詰

ひゐ(宵々屋)

夜空の瓶詰

 夜明け前のことでした。ジェールは部屋の中、空っぽの鳥籠の前で、夜空の瓶詰を手にしていました。

 紺色の夜空で満ちた小瓶です。宝石のような小さな星がほのかに光を放っていて、暗い部屋でも蝋燭のように辺りを照らしています。弱々しくも優しい光です。そして夜の暗闇は温かさを感じます。

 窓の外、地平線の向こうでは、太陽が昇ってきていました。村がゆっくりと朝に染まり始めます。

 ジェールは、固い瓶の蓋を、手が赤くなるのも気にせず開けると、中身をひっくり返しました。とろりと、宙に夜空が流れ出します。

「ありがとう、ばいばい、もうあたし、行かなきゃ」

 窓から差し込む朝日にあたった瞬間、夜空は色を失い消えてしまいました。その濃紺も、星の輝きも。




 その日の夜、ジェールは十歳になったプレゼントに、本や髪飾りをもらいました。けれどももらって一番嬉しかったのは、山道を登るためのブーツやコート、帽子にバッグ――それは夜空の瓶詰職人のためのものでした。

 ジェールの村は、夜空の瓶詰の産地。瓶詰職人の家の子は、十歳になればやっと夜空の瓶詰作りに参加できるようになるのです。

 そして今夜はちょうど満月。『夜空の泉』が夜空で満ちる日です。

 誕生日でしたがお祝いのごちそうは早々に終わらせて、ジェールは両親やお姉さんと一緒に、村の裏にある山へと向かいました。真新しい瓶詰職人の服に、しっかりと身を包みます。

 道中は他の瓶詰職人一家と一緒に進みます。ラバに荷車をひかせ、少し急な山道を登っていきます。

「頑張ってジェール。この道を自分の力で登ることが、瓶詰職人として、まずやらなくちゃいけないことよ」

 少し息を上げながら登るジェールを、お姉さんが応援してくれます。

「転ばないように気を付けるのよ」

 木々の生い茂る山道は暗く、ランタンを手にしていても足下がよく見えません。それでも今日は満月。いつもより明るい夜です。月の光を受けて、山は金色を帯びていました。夜空はすっきり晴れていて、遠くで星々がきらきらと笑っています。

 『夜空の泉』は山頂にあります。どのくらいの時間がかかったかわかりませんが、やっとジェールは家族や他の人と一緒に山頂にたどり着きました。真新しかったブーツは、すっかり汚れてしまっています。けれどもここまで来るためのブーツです。頬を撫でる風は冷たいですが、コートや帽子のおかげで、寒くはありません。

「ジェール、あれが『夜空の泉』よ。ほら、もう夜空で満ちあふれているわ」

 お姉さんが指さした地面の上。そこには夜空が広がっていました。風に表面が水面のように波打ちます。星が小魚のようにふわふわと群れて泳いでいます。

 遠い天にあるはずの夜空が、目の前にありました。泉に夜空が映っているわけではありません。ぴょん、と小さな星が跳ねては、夜空の中に沈んでいきます。その濃紺はどこまでも深く、けれども沈んでいる星の輝きは、どんなに底が遠くても見えます。時々雲もあって、紺色の中、水草のように漂っています。

 初めて見る『夜空の泉』に、ジェールは疲れも忘れて感嘆の声を上げました。

 お姉さんや、両親、村の人々は、ランタンの光を消し始めます。

「ジェール、あなたもランタンの火を消すのよ。光があると、夜空の星が嫌がって逃げて、綺麗な瓶詰ができないわよ」

 お姉さんに言われてジェールも灯りを消しました。辺りの光が消えて『夜空の泉』の星の輝きと紺色の深さは、いよいよ強くなります。

 村の人々は、夜空の瓶詰作りに取りかかります。荷車から瓶を持ってくると、それで夜空を汲み取ります。瓶が夜空で満ちればしっかりと蓋を閉めて、また次の瓶詰作りに取りかかります。瓶の形は様々です。小さい瓶、大きい瓶もあれば、普通の瓶、おしゃれな形の瓶、いろいろなものがあります。けれどもどれも透明で、夜空で満たせばラピスラズリのような中身がよく見えます。

 ジェールも小さな瓶をいくつか渡され、泉のほとりで夜空を汲みました。夜空はまるで、蜂蜜のようにとろりとしています。冷たそうに見えるけれども、とても温かく、手を入れるとなんだかくすぐったさを感じます。星が手をつついているのでしょうか。

 上手に夜空を汲んでいきます。星を入れすぎず、少なすぎず、雲もアクセントにすくって。時々お姉さんにアドバイスをもらって、作品を作るように夜空の瓶詰を作っていきます。蓋を固く閉めたものは、荷車へ。夜空の瓶詰が、どんどんできていきます。

 いくら夜空を汲み取っても、泉が枯れることはありません。泉の真ん中を見れば、まだ上空から夜空が垂れ落ちていました。満月になって、いっぱいいっぱいになった天からあふれた夜空。昼間は空っぽのここに、そのあふれた分が落ちてくるのだと、ジェールは聞いています。どうしてここに落ちてくるのかというと、大昔にここに星が落ちて、その時に空が引っ張られたために、満月の夜、あふれ出た分がここに落ちてくるのだと言います。

 けれどもそれも、夜のうちだけ。朝がくれば、ここに満ちている夜空も眩しい太陽の光に消えてしまいます。

 そのこともあって、夜のうちに、瓶詰をできるだけたくさん作らないといけません。そして朝が来る前に、山を下りて、保管庫にしまわなくてはいけません。

 荷車に並べられた夜空の瓶詰は、どれも綺麗です。宝石のようで、お菓子のようで。いまはランタンの灯りが一つもない山の中ですが、瓶詰は優しい光を放っていて、ほんのりと明るいです――この瓶の中の光と闇が、人々の心を癒すのです。

 帰りの時間になるまで、ジェールは一生懸命瓶詰を作りました。大きな瓶で夜空をすくうこともあって、瓶詰職人の仕事は思っていたよりも力仕事です。

 それでも優しい光と闇を人々に届けるために、沢山の瓶詰を作りました。

 帰りの時間になって、まだ朝日が昇ってくる気配はありませんが、荷車に朝日除けの布をかけ、一行は急いで山を下ります。村に戻ってくれば、皆で力を合わせて夜空の瓶詰を保管庫に移しました。

 ちょうど全ての仕事が終わった頃に、地平線の向こうが明るくなってきました。瓶詰作りは、無事に終わりました。




 夜空の瓶詰職人の仕事は、これだけでは終わりません。

 村に戻ってきたジェールは、日が沈むまで休んだ後、また皆で村を出ました。夜空の瓶詰を積んだ荷車を、再びラバにひかせて。今度向かったのは、街でした。

 瓶詰にした夜空は、街で売るのです。

「夜空の瓶詰、売ります! 夜空が恋しい方、ぜひどうぞ! 辛いこと、悲しいことがあった方、見てってください!」

 街の広場で、ジェールは声を上げます。

 夜空の瓶詰を売ったお金は、村のお金となります。

 そして売っている夜空の瓶詰は、皆を楽しませ、心を癒すのです。

 街の人々が、夜空の瓶詰行商隊に集まってきます。その美しさに、皆が目を輝かせ、微笑みます。どの瓶詰がいいと選んで、人々は夜空を手にしていきます。ある女の人は少し大きめでシンプルな瓶詰を。ある男の人は小さな瓶であるものの、大きな星が入っているものを。ある老夫婦はおしゃれな形の瓶のものを選んでいます。皆が気に入ったものを選んでいきます。悲しい顔をしていた人も、少しだけ表情を明るくして瓶を選び、手にすればほっと安心したような溜息を吐きます。

 訪れた人々、皆が幸せそうな顔をしていました。そしてジェールも、幸せそうな顔をしていました。

 これが、夜空の瓶詰職人の仕事なのです。

 と、夜空の瓶詰行商隊を取り囲む人々の中、そこにいた同い年くらいの女の子と、ジェールは目が合いました。その子はひどく傷ついたような顔をしていて、沢山泣いたのでしょうか、目元が赤くなっています。隣にはきっとお母さんでしょう女の人がいて、その女の子を連れてジェールの元までやってきました。

 悲しそうな女の子は、荷車に並ぶ夜空の瓶詰を見つめます。戸惑ったように見つめていて、やがて伏せてしまいました。

「夜空の瓶詰は、寂しいときや悲しいときに心を癒してくれると聞きました……この子に一つ、買いたいのですが」

 その子のお母さんは、ジェールの隣にいた姉に尋ねます。

「この子……ついこの前、飼っていた犬を亡くしてしまったんです。それで悲しくて寂しくて……」

「夜空には心を癒す優しい力があります。どうぞ、好きなものを選んで……ジェール、選ぶのを手伝ってあげて」

 しかし女の子は顔を上げません。だからジェールは近寄って。

「……飼っていた子が亡くなった悲しみは、あたしにもよくわかるわ。あたしも少し前に、飼っていた小鳥を亡くしたから」

 女の子がゆっくりと顔を上げました。ジェールは微笑みます。そして荷車にある夜空の瓶詰を見せます。

「好きなものを選んで。寂しいとき、悲しいとき、この瓶の中の夜空を見ると、心が落ち着くから……」

「……本当に?」

「うん。不思議なんだけどね、沢山のことを思い出せるの。いまは飼っていた子が死んじゃって悲しいかもしれないけど……この沢山ある星みたいに、楽しいことも沢山あったなって、思い出せるはずだから」

 ジェールは瓶を一つ、手に取りました。ジェールの小さな手でも、握れるほどの小さな瓶です。けれどもその中の夜空では、いくつもの星が輝いていました。

「沢山の思い出があることを思い出して。それから、沢山の思い出をくれたその子に、ありがとうって思うの。そしてもう大丈夫だって思ったら……瓶の中の夜空を、外に出して、太陽の光に当ててあげて。そうしたら瓶の中は空っぽになっちゃうし、夜空は消えちゃうけど……これはそのためのものだから」

 夜があるからこそ、朝は必ずやってくるものなのです。

 女の子は、ジェールが手にした夜空の瓶詰を選びました。手にきゅっと握れば、少しだけ目を潤ませて、それでも小さく微笑みました。

 夜空の瓶詰職人の仕事は、夜空の美しさを人に渡すこと。その美しさで人の心を癒すこと。そして背中を押してあげること。

 朝を迎えるために夜を手にした女の子は、「ありがとう」と言って、去っていきました。

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夜空の瓶詰 ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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